
はじめに
1966年、ポール・マッカートニーは『Eleanor Rigby』を書きました。曲の中に「私」も「あなた」もいない、孤独な女性と神父の姿だけがある一曲です。ポップソングが「私はあなたを愛している」を歌い続けてきた時代に、なぜ24歳のポールはこんな曲を作れたのでしょうか。
ポールの作詞を語るとき、よく持ち出されるのは「彼はメロディが先にあり、言葉はあとから付けた」という話です。スクランブル・エッグの逸話はその象徴として繰り返し語られてきました。確かにそれは間違っていません。
ただ、この話だけが繰り返されてきたために、別の重要な事実が見えにくくなってしまいました。ポールは旋律の人であると同時に、ポップソングがそれまで踏み込まなかった領域に言葉を運び込んだ人でもあったのです。
ジョン・レノンが自分の内側を覗き込む作家だったとすれば、ポール・マッカートニーは外の世界を見つめる作家でした。同じバンドの中に、これほど方向の違う二人の作詞家がいたことは、ポップ・ミュージックの歴史でも稀なことです。この第1回では、ポールが「どこから曲を作り始めるのか」を、彼独自の方法論として読み解いていきます。
1 ポールの出発点は「自分以外の人物」である
(1)三人称で書かれた異質なポップソング
『Eleanor Rigby』を改めて聴いてみてください。この曲には「私」が出てきません。「あなた」もほとんど出てきません。あるのは、エリナー・リグビーという女性の姿と、マッケンジー神父の孤独な姿だけです。
これは1966年のポップソングとしては異質な構造です。ビートルズ・デビュー以前のヒットチャートを並べてみると、ラブソングの大部分は一人称で書かれていました。「私はあなたを愛している」「あなたは私を捨てた」——曲は基本的に「私」と「あなた」の二人の世界でした。ポールはそこに、三人称の冷たいカメラを持ち込んだのです。
ザ・ビートルズ・アンソロジーでポールは、エリナーという名前は女優のエリナー・ブロンから、リグビーはブリストルで見かけた店名から取ったと語っています。架空の人物に固有名詞を与え、その人物の生活を外側から描写する——これは作詞というより、小説の書き出しに近い感覚です。
(2)「人物を作る」という独自の方法論
この方法論は、『Eleanor Rigby』だけのものではありません。『Lady Madonna』のシングルマザー、『Maxwell's Silver Hammer』の連続殺人犯、『Rocky Raccoon』のカウボーイ、『The Fool on the Hill』の丘の上の孤独な男、『Get Back』のジョジョとロレッタ——ポールはビートルズ後期に、次々と架空の人物を主人公にした曲を書いていきます。
ここに見えてくるのは、ポールがディケンズの伝統に近い、小説家的な資質を持っていたということです。19世紀のイギリス小説家ディケンズは、街の片隅に生きる無名の人々に固有名詞を与え、その細部を描き込むことで彼らを永遠の登場人物にしました。ポールが曲の中でやっていることは、これとよく似ています。
2 「場面を積み重ねる」という手法
(1)レイ・デイヴィスとの比較で見えること

ポールの「場面を積み重ねる」手法を理解するには、同時代の他の作家と比較するのが早道です。最も近い場所にいたのが、キンクスのレイ・デイヴィスでしょう。
レイの『Waterloo Sunset』(1967年)は、テムズ川にかかるウォータールー橋から見える夕景と、そこを歩くテリーとジュリーという男女の姿を描いた名曲です。ポールの『Penny Lane』も、リヴァプールの一つの通りの風景を、そこに登場する人物たちと共に描いています。両者はよく似た方法論を共有しています。
ただし違いもあります。レイの『Waterloo Sunset』は、語り手(私)が窓辺から二人を見ている、という距離の取り方をしています。語り手の感情が背景にうっすら漂う。一方ポールの『Penny Lane』には、語り手がいません。理髪師、銀行員、看護婦、消防士——彼らはただ存在しています。誰かの視点から見られているのではなく、その通りに「ある」のです。
ポールはレイより一歩、徹底しています。語り手を消すことで、場面そのものを純粋な絵として提示する。これは詞の手法というより、絵画や映画の感覚に近いものです。
(2)細部を磨くことの意味
ジョンの記憶の使い方を見ると、地名を一度並べてから削り、感情だけを残すという編集がありました。ポールの場合はこの方向がやや異なります。ポールは細部を「残し」「磨く」ことで普遍へ向かいます。
『Penny Lane』の理髪師の棚の「写真」、消防士の「砂時計」、看護婦が売る「ポピーの花」。これらは具体的すぎて、リヴァプール以外の街には当てはまらないように見えます。しかし不思議なことに、聴き手はそれぞれ自分の街の似た光景を思い出すのです。
ここでジョンとポールの方法論はちょうど逆を向いています。ジョンは細部を捨てて普遍へ向かい、ポールは細部を磨いて普遍へ向かう。たどり着く場所が似ていても、道筋はまるで違うのです。
3 音の響きから詞が立ち上がる
(1)「スクランブル・エッグ」が示すもの

ポールの作詞のもう一つの特徴は、言葉の意味よりも音の響きを先につかむことがある、という点です。
ビートルズ・インタビューズで何度も語られている『Yesterday』の逸話——最初の仮歌詞が「スクランブル・エッグ」だったという話は、よく笑い話として扱われます。しかしここに注目すべき点があります。「Yes-ter-day」と「Scram-bled eggs」は、音節の数とアクセントの位置が完全に一致するのです。
つまりポールは、メロディが先に生まれたとき、その音節の流れに合う言葉を「音として」探していたわけです。意味は二の次でした。これはジョンとは逆方向の作業です。ジョンが言葉の感情的な重みを先に感じてからメロディへ向かう傾向があったとすれば、ポールはメロディの音節の流れに言葉をはめ込んでいく傾向がありました。
(2)「外から来る言葉」への信頼
ポールは、外の世界に流通している言葉やイメージを曲の素材として信頼する人でした。『Lady Madonna』はその好例です。バリー・マイルズ『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』によれば、この曲のタイトルはナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されていた一枚の写真——赤ちゃんを抱くアフリカの女性の写真に付けられた「マウンテン・マドンナ」というキャプションが出発点になっています。
ポールはこの写真と言葉から、シングルマザーが日々の生活を切り盛りする姿を曲に組み立てていきました。出発点が「外から来た言葉」であるという点で、これはジョンが『Help!』を映画のタイトルから書き始めたのと同じ構造です。
しかしジョンが与えられた言葉を自分の本音へ変えていったのに対し、ポールは与えられた言葉から他人の物語を組み立てます。同じ「外から来る言葉」でも、向かう先がまったく違うのです。
4 ポールの「弱点」とされたもの
(1)「センチメンタルすぎる」という批判
ポール論を「うまい」「天才」で終わらせると、見落とすものがあります。実はポールは、ビートルズ時代から一貫して「センチメンタルすぎる」という批判を受け続けてきました。
『She's Leaving Home』は新聞記事から着想された曲ですが、発表当時、一部の批評家から「メロドラマ的だ」「型通りの感傷だ」と評されました。ジョン自身も後年、ポールの詞について「本物の人間として書いていない」「絵葉書のようだ」という趣旨の発言を残しています。
しかし、これらの批判はポールの本質を逆側から照らしてもいます。ポールは「自分の生々しい感情」を書く人ではなく、「他人の感情を整える」人でした。だから時に距離が遠く見える。けれどもその距離こそが、ポールの詞を時代を越えて聴かれる作品にしているのです。
(2)「絵葉書」が時代を越える理由
絵葉書には、絵葉書にしかできない仕事があります。生々しい告白は時代の空気と結びついて古びていきますが、丁寧に磨かれた絵葉書は何十年経っても色褪せにくい。『Eleanor Rigby』が今聴いても古くないのは、ポールが感情を「煮詰めて」いないからです。場面と人物だけを置き、感情の解釈は聴き手に委ねている。
ジョンが「自分の血」で書いた人だとすれば、ポールは「他人の物語」で書いた人です。どちらが優れているという話ではなく、これは作家としての方向性の違いです。ビートルズの豊かさは、まさにこの二つの方向が同じバンドの中に共存していたことから生まれました。
5 次回への橋渡し
(1)「他人を書く力」と「磨く力」
こうして見てくると、ポールの作詞は「他人を書く力」と「細部を磨く力」によって動いていることがわかります。感情はジョンのように直接掘り起こされるのではなく、場面と人物の積み重ねの中から自然に浮かび上がってくるのです。そしてそれは、ジョンとは別の作家性として、十分な独自性と強さを持っています。
ジョンが「変換力」の人だとすれば、ポールは「構築力」の人です。素材を内側で溶かすジョンに対し、ポールは素材を外側で組み立てる。同じビートルズの中に、これほど対照的な作家がいたことが、あのバンドの音楽の幅を生んだのです。
(2)次回の予告
では、こうして生まれた言葉と人物は、どのようにしてメロディと結びつき、一つの楽曲として立ち上がっていくのでしょうか。ポールは作曲面でも、ジョンとはまったく異なる感覚を持っていました。次回は、ポールのメロディとコードの感覚、そして「曲として完成させる」までのプロセスを見ていきます。
(参照文献)
ビートルズ・バイブル、ビートルズ・インタビューズ、ザ・ビートルズ・アンソロジー、フィリップ・ノーマン『ポール・マッカートニー』、バリー・マイルズ『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』
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