★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(号外)NHKで「ビートルズ来日の裏側」が放送されました

1 武道館コンサートの裏話

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(theguardian)

1966年6月29日、ついにビートルズが初めて日本の羽田空港に降り立ちました。既に世界中のファンを虜にしていた彼ら。ついに夢の日本公演が実現したのです。NHKの2016年6月4日の放送は、この時のドキュメントを追ったものでした。今まで明かされることがなかった様々な裏話が聞けた貴重な映像でした。(以下、敬称略)

 

2 日本公演のオファー

これは、日本側からではなく、ビートルズ側から日本で公演をやりたいとの申し出があったのです。それを受けたのは、当時「呼び家」、今でいうプロモーターとしての永島達司でした。喜んで引き受けるかと思いきや、どうするんですかと秘書に尋ねられ「断ろうと思っている」と漏らした永島。受け入れるには余りに大物過ぎる。とてもギャラが払えないし、警備にも不安がある。第一、彼らを受け入れられるだけのコンサート会場がない。 

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しかし、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインから思わぬ提案がありました。チケット代はLP1枚が買える程度で、ギャラはそれに見合う額でいいという破格の提案です。彼は、高度成長期の日本市場を重視していて、生のビートルズを見せればレコートが飛ぶように売れる。それを思えばギャラなどどうでもいい。エド・サリヴァン・ショーに出演した時と同じ戦略ですね。これを聞いて永島も決断しました。いやあ、永島さん、よくぞ決断してくれました。あなたが断っていたら、ビートルズの来日コンサートは夢と消えてしまったかもしれません。

 

3 日本武道館を抑えろ!

しかし、まだまだハードルは高い。まず、当時、1万人規模で観客を収容できる施設は武道館しかなかったんです。ところが、武道館はまさに日本の武道の聖地(今でもですが)。そこへ、当時「不良」扱いされていたロックバンドがコンサートをやるなんてとんでもない。当然、反対運動が巻き起こり、あちらこちらで右翼の街宣活動が行われ、当時首相だった佐藤栄作も側近にあまり好ましくないと漏らしたほどでした。

 

それでもなんとか永島は武道館を抑えることに成功しました。しかし、今度は警備の問題がありました。何しろ、反対する勢力はたくさんいる。それに凄まじい数のファンが押し寄せてくる。それをどう捌くのか。下手をすると事故が起きて死傷者が出かねない。かといって自前で警備員を大量に雇えるほどの力は事務所にはない。そこで、警察の支援を受けることになりました。

 

しかし、警察は厳重な警備をするが、それに協力するよう永島に要求しました。そのため、箱根などを訪れる予定もすべてキャンセルすることになりました。小さな事務所ですから、警察が手を引くと言われればどうしようもありません。

4 警察の厳重な警備態勢

さて、警察側ですが、当時警備を担当していた山田英雄に白羽の矢が立てられました。彼は、担当に決まると会場を下見し、そこに来ていた女子中学生に君達もビートルズのコンサートに行くのかと尋ねました。すると、女子中学生は、「足の1本ぐらい折れても構わないから、ステージに飛び乗ってビートルズにキスしたい」と答えました。これを聞いて山田は、これは大変だ、こんなファンが大量に押し寄せてくるのなら、相当な警備態勢で臨まなければいけないと気を引き締めたのです。

 

彼は、綿密な計画の下に厳重な警備態勢を敷き、警察官を大量に動員して空港からホテル、武道館とそのルート全てに警察官を配置して水も漏らさぬ鉄壁の警備体制を敷いたのです。羽田空港では飛行機内で入国審査を済ませ、ゲートを通らずそのまま車で首都高速をホテルへまっしぐらに進みました。首都高速は閉鎖され、ビートルズは悠々とホテルへ到着したのです。

 

ホテルでは軟禁状態です。ビートルズは、一歩も外出できませんでした。

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それでもポールがバッキンガム宮殿に当たる皇居を見たいと密かに抜け出したのですが、たった5分で警察官に見つかりホテルへ帰るよう促されました。

f:id:abbeyroad0310:20160611011944j:plainジョンも古美術に興味があったので抜け出して店に行きましたが、たちまちファンに取り囲まれ1時間後にホテルに戻りました。

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仕方なくビートルズは、業者をホテルに呼んでスーツなどを注文しました。

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しかし、山田は、イギリスやアメリカの警察がやっていたようなファンに対して手荒なことはさせないよう厳命しました。警察官には全員白い手袋を着用させ、ファンには優しく接するよう命じたのです。

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いや、警備が手薄だったら本当に飛び降りた女の子がいたかもしれません。それで高さ2mの柵を張り巡らしました。

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観客の数が8500人のところ、警察官が1700人も(!)配備されました。ファンは立つことも許されませんでした。ビートルズの移動も警察官が誘導し、分刻みのスケジュールでした。ビートルズは茶目っ気を出して、ワザと部屋から出てこず、警備していた警察官を慌てさせました。

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山田の努力は実り、無事コンサートは終了しました。しかし、山田はコンサート会場でビートルズの表情を見た時に、「満足していない翳りのような残念そうな顔つきに見えた」「申し訳ないなと思った」と語っています。警備が過剰なため、ファンが熱狂できず結果としてやや盛り上がりに欠けてしまったことを後悔したんですね。リンゴのこの表情を見ればファンならそう気付いても不思議ではありません。しかし、警備の最高責任者が、あの熱狂の中でも冷静に彼らの表情からその胸中を見抜いていたとは流石ですね。この方は後に警察のトップである警察庁長官に就任しています。

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ただ、それでも「世界音楽会史上に残る警備」だったと振り返っています。この後のフィリピン公演でビートルズは恐ろしい目に遭ったのですが、それとは雲泥の差です。その後、ビートルズが「日本は素敵だった!素晴らしい人にたくさん会えたよ」とインタビューで答えているのを見て「(ああ、彼らもちゃんと)分かってくれていたんだなという気がした。」と感想を述べています。何だかホッとしますね。

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5 日本の仕掛人

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日本でビートルズを最初に手掛けたのは高嶋弘之です。バイオリニストの高嶋ちさ子のお父さんですね。彼の下にビートルズのデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」が送られてきましたが、それを聞いてもああこれじゃ全然だめだと興味を示しませんでした。しかし、次に送られてきた「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いた時にこれは凄い、売れると確信し、そこから猛烈に日本の市場にビートルズを売り込んだのです。

 

ビートルズの邦題は彼が付けました。最初の邦題は「抱きしめたい」です。原題は「君の手を握りたい」ですが、もっとインパクトの強い邦題に意訳したんです。1960年代にそんな刺激的な言葉を使ったのはかなり勇気のいることでした。そして、ラジオで電話でのリクエストを始めたのも彼です。彼はアルバイトの女子大生達にビートルズが売れるかどうかは君たち次第だと発破をかけ、ストーンズのリクエストがあっても無視してビートルズの曲を放送させました。いやはや、今じゃ考えられませんね(^_^;)

 

6 ビートルズの影響を受けた日本人アーティスト

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ビートルズに刺激を受け、数多くの日本人アーティスト、音楽に限らず様々な分野で活躍することになる日本人アーティストがたくさん誕生しました。宇崎竜童もその一人です。彼は、初めて「抱きしめたい」を聴いた時に「Oh! Yeah」で始まる歌詞なんて、初めて聴いた、そうか自分達の好きに曲を作っていいんだと感動したと語っています。いつかビートルズと肩を並べるような曲を作りたい、その想いでやってきたとも。

 

28歳だったカメラマンの浅井慎平も必死でビートルズを追いかけ、シャッターチャンスを狙いました。カメラマンにとって「1回しかないことを感じる力」が大切だと語っています。彼は、厳重な警備のスキをついてジョンの姿を捉えることができました。

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多くの人達が必死の努力を傾け実現したビートルズの武道館コンサート。その裏側が垣間見えたとても素晴らしいドキュメンタリーでした。

(続く)

 

 

 

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