★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(号外)ビートルズファンだった志村けんさんを偲ぶ

志村けんさんにメッセージ、東村山市HPで受け付け…四十九日まで : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン

1 突然の悲報

コメディアンの志村けんさんが、2020年3月29日永眠されました。志村さんは、3月17日にパンデミックを起こした新型コロナウィルスに感染し、入院加療中でしたが、そのかいもなく肺炎のためにこの世を去ったのです。元気に回復して現場に復帰されるとばかり思っていたのですが、まさかこんなことになるとは予想もしませんでした。突然の悲報に触れてショックを受けています( ノД`)

志村さんは、超一流のコメディアンとしてはもちろん、プライべートではビートルズファンとしても知られていました。そこで、今回は、予定を変更してビートルズファンとしての志村さんについて語りたいと思います。

2 武道館公演に行った

Beatles Archive on | ビートルズ、コンサート、ミュージシャン

1966年、ビートルズの来日当時、当然のことながら、全国の中学生、高校生の中にもコンサートに行きたいと思っていた人はたくさんいました。しかし、多くの大人は、ロックを不良の音楽と考えていたので、生徒が公演に行くなどもってのほかだ、行ったら退学処分にすると実際に生徒に通告していた学校もたくさんありました。保護者も多くが反対でした。

それで泣く泣くあきらめた人も大勢いたのです。つまり、当時、中高生だけで武道館へ行った人々は、退学になることを覚悟の上で行ったのです。志村さんもそんな青年の一人でした。チケットを手に入れていた同級生の女の子に「ビートルズをよく知らないお前が観に行くより、大好きなおれが行くべきだ。」と言って強引に譲り受けたそうです無茶苦茶な屁理屈ですよね(笑)

1966年7月2日、志村さんは、密かに会場内にテープレコーダーを持ち込んで演奏を録音しました。1965年にアイワが日本初の小型のカセットテープデッキを販売しましたが、時代の最先端の商品でしたからまだまだ高額だったはずです。一般家庭に普及したのは、70年代に入ってからです。

もし、テープに音源が残されていたとすれば、間違いなく貴重な歴史的遺産となるでしょう。同時に警官の目を盗んで、カメラで1枚だけ隠し撮りもしたとか。見つかったら間違いなく没収されてましたね。

3 ザ・ドリフターズが前座で出演

当時、既にコミックバンドとしての地位を確立していたザ・ドリフターズが前座として出演しました。志村さんは、観客として参加していましたから、まだメンバーに加わる前です。

ドリフの出番が近づいてくると、リーダーのいかりや長介さん(故人)が、観客のあまりの熱狂振りに怖じ気づいてしまい「おい、逃げようぜ」とメンバーに漏らしたとか。前座と言っても他はミュージシャンですからね。コミックバンドが出るなんて、場違いも甚だしいと思っても無理はなかったでしょう。

でも、他の前座とは違って前座用のステージではなく、ビートルズと同じメインステージで演奏させてもらえたんです。僅か1分15秒の出演時間でしたが、見事にコミカルな演奏で観客の笑いを誘い、立派に前座の役割を果たしました。流石ですね。


The Beatles  日本公演 前座(最長版)

若い方は、ドリフというと「8時だよ!全員集合」などに代表されるコントを思い浮かべると思います。もちろん、彼らがそれで大ブレイクしたのは間違いないんですが、実は、元々楽器を演奏してネタを披露するというコミックバンドとしてデビューしたんです。先輩には植木等さんがメンバーだったクレージーキャッツがいました。

ですから、ドリフターズはバンドとしての演奏ができ、ネタを始める前のオープニング曲もありました。コミックバンドのオープニング曲としては、かしまし娘の「うちら陽気なかしまし娘〜♪」が有名ですけどね。

4 ポール・マッカートニーのライヴにも参加

Paul McCartney - Live Tokyo Dome 2013 Show Completo (Full HD ...

志村さんは、2013年11月19日のポール・マッカートニーのライヴに参加しました。「今日はやっと念願ニコニコキラキラのポールマッカートニーのコンサートです   高校二年生の時 武道館でビートルズ見てから何年ぶりか」とご自身のブログに嬉しそうに書き込んでいました。

早速、翌日のブログでは、ライヴの感想を投稿していました。「ポールマッカートニーは凄い!! 2時間40分を越えるコンサート 何本もギター変えて ピアノも ステージ上では一切水を飲まず プロフェッショナルキラキラ ジョン・レノンとジョージハリソンのところで泣いた。゜(´Д`q)゜」ポールが亡き盟友のジョンとジョージを偲んで、彼らの曲を演奏してくれたのがよほど嬉しかったのでしょう。

そして最後に、「感動と興奮を有難うございました。」と締めくくっていました。ポールのライヴに一人のファンとして酔いしれただけでなく、ジャンルは違ってもプロとして仕事に真摯に取り組む彼の姿勢に感銘を受けたのです。その時の様子をラジオで楽しそうに語る志村さんです。もう本当に好きでしょうがないという熱い思いがありありと伝わってきます。


志村けん、ポール・マッカートニーのコンサートを熱~く語る。「夢のような時間だった」【志村けんの夜の虫】

 

5 ピン芸人として

公演・イベントを観る|やまぎん県民ホール

やがて「8時だよ!全員集合」の放送も終わり、メンバーそれぞれがピン芸人として活動するようになりました。そして、志村さんの「バカ殿様」「変なおじさん」といった伝説のキャラクターが登場したのです。日本人でこれを知らない人はいないでしょうね。それぐらい子どもから高齢者まで親しまれていました。

バカ殿様」のコントの合間にCMに移るんですが、そのときのBGMでビートルズの「The Birthday」が必ず流されていたんです。ファンなのでこの曲を使ってくれと制作側に依頼していたんでしょうね。

笑いで日本中を長い間元気にしてくれた天才がまた一人この世を去りました。もう「バカ殿さま」も「変なおじさん」も「天才!志村どうぶつ園」も観られないんですね。「アイ〜ン」のギャグも観られません。本当に悲しいです( ノД`)

今はただ、ご冥福をお祈りし、これまでの偉大な功績にひたすら敬意を表し、感謝するのみです。

志村さん、長い間、本当にありがとうございましたm(__)m

(続く)

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