★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョンにスカウトされたアラン・ホワイト(263)

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1 アラン・ホワイトの才能を見抜いたジョン

(1)無名のドラマーだった

Yes finally gets in the Rock Hall - Goldmine Magazine: Record ...

ドラマーのアラン・ホワイトについてお話しておきます。彼は、当時、グリフィンというバンドのドラマーでしたが無名の存在でした。そんな彼にジョンが目を付けたのです。

ホワイトは、こう語っています。「私は、自分のバンドを持っていて、当時多くのバンドと同じように、ロンドンの家にメンバーと一緒に住んでいたんだけど、キッチンでシチューのようなものを作っていたら、電話がかかってきたんだ。ジョンからだったんだけど、その時は分からなかった。てっきり、友人がからかっているんだろうと思って電話を切ったんだ。そしたらまた電話がかかってきて、トロントでギグをやるから、ドラムを叩けるかどうか、翌朝、車で迎えに行くから来てくれるかって聞いてきたんだ。」

クラプトンが声を掛けられたのなら何ら不思議ではありませんが、二十歳そこそこの無名のミュージシャンにジョン・レノンからいきなり電話がかかってきて、本人だって信じろという方が無理ですよね(^_^;)

「私は『もちろんです。』と返事した。迎えに来た車でヒースロー空港へ行き、VIPラウンジでジョンに初めて会った。そこには、ジョンとヨーコとクラウス・フォアマンがいた。私は、二十歳くらいでかなり若く、自分がなぜこんな大物と一緒にいるのか訳が分からず戸惑っていた。夢を見てるんじゃないかと思ったよ。そしたら、ジョンが『そういえば、エリック・クラプトンがギターを弾くってことを言い忘れていた。』って言ったんだ。するとエリックがトイレから出てきた。」「自分で調べてみたら、ジョンは、クラブで私のプレーを見ていたらしいのだが、彼がいたなんて知らなかった。」

正にシンデレラボーイですね。後に伝説のバンド、イエスのメンバーになったホワイトはもちろん実力があったのですが、クラブで演奏している彼を見かけただけで、その才能を見抜いたジョンの慧眼にも恐れ入ります。時間がなかったとはいえ、無名の新人をオーディションもせずに、いきなり2万人のコンサート会場へ連れて行ってドラムをやらせたんですから、天才のやることは凄いとしかいいようがありません。

(2)ドラムキットがない!

「ジョンは、ビートルズから抜けるなんて初めてのことだったので、とても緊張していたのを覚えている。彼は、ちょうどそんな最中にいたんだ。もう次の瞬間には、我々はステージに上がっていた。ところが、ドラムスツールはあったんだけど、肝心のドラムキットがなかったんだ。私は『マジかよ💦』って焦った。エリックがギターをアンプに差し込むと、彼らは、私が座っている間に私の周りにドラムキットをセットしてくれた。突然、スティックが私の手に投げ込まれ、ジョンが『1, 2, 3 .... 』とカウントを始めた。そしたら、もう最初の曲が始まっていたんだ。あっという間の出来事だった。」

何と、ステージに肝心のドラムキットがセットされていなかったんです。それでも、クラプトンらが急いでセットしてくれたと思ったら、スティックを投げ渡されてすぐに演奏が始まりました。万全の準備を整えてから臨む今どきのライヴからは信じられませんが、ホワイトがそんな場面でも即対応したのは流石です。

 

2 レコーディングにも参加した

(1)ジョージのアルバム制作にも参加

George Harrison - All Things Must Pass [Latest Pressing] LP Vinyl ...

トロントの後、どれくらい経ったか忘れたけど、アップルから電話がかかってきて、ジョンが作っている新しいアルバム(Instant Karma)に参加して欲しいと言われたんだ。私はジョンの家に行って、気がついたらスタジオにいて、曲のリハーサルをしていた。ジョンが歌詞を配ってくれたので、レコーディングの前にみんなで歌詞を読むことができた。私は、それに没頭して、いつものようにスタジオで自分の仕事をした。私の主な仕事は、曲に必要なドラムを叩くことだった。明らかにジョンは、私がやっていることを気に入ってくれていた。」

ジョンは、トロントのコンサートでホワイトを気に入り、自分のソロアルバムのレコーディングに参加させました。

「全体がまるで家族の中にいるようだった。ビートルズの家族や友人の中に受け入れられたら、それはとても満足のいくものだ。ビートルズの周りの人たちと知り合えた。ある日、ジョージが来てくれたんだ。毎晩同じ時間にこの長い木のテーブルで食事をしていたんだけど、ジョージと仲良くなった。すると、『All Things Must Pass』で演奏してくれと頼まれたんだ。」

何とジョンとの縁でジョージとも交流できたんです。しかも、彼の初のソロアルバムで全米・全英でチャート一位を記録した『All Things Must Pass』のレコーディングに参加させてもらえるなんて、ついこの間まで無名のドラマーだったとは思えません。

(2)イマジンにアイデアを提供した


Imagine - John Lennon & The Plastic Ono Band (w the Flux Fiddlers) (official music video HD long v)

「『イマジン』には二組のドラマーが参加していた。ジム・ケルトナーは、『Jealous Guy』で演奏した。私は、ビブラフォンを弾いたんだ。『イマジン』は、魔法みたいな曲だった。この曲をレコーディングして、それを何度か繰り返したんだ。その後、もう一度聴き直した。私が覚えている一つのポイントは、曲の最初の方でドラムが始まり、それからバンドが演奏したことだ。ジョンが一人でピアノを弾いていたけど、あれは、私が「最初の小節は、こんな感じでやってみたらどうですか?」と提案したんだ。ジョンは、「それはいいアイデアだ。」って言ってくれた。彼は「どう思う、フィル・スペクター?」と聞いた。我々は、それでやってみたけど、ジョンは、そのスタイルをキープしていた。」

何とあの「イマジン」の冒頭の演奏スタイルは、ホワイトがジョンに提案したんですね。すごい貢献じゃないですか。

ホワイトは、1972年にイエスのメンバーとなりました。ローリング・ストーン誌が選出した「歴史上最も偉大な100人のドラマー」では堂々の35位にランキングされ、2017年にはイエスのメンバーとして「ロックの殿堂」入りを果たしました。

 

3 素晴らしかったコンサート

(1)ジーン・ヴィンセントは感涙をこぼした

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ジーン・ヴィンセント

コンサートに話を戻します。マル・エヴァンズは、こう語っています。「彼らは、一緒に演奏したことがなかったにもかかわらず、ショー全体が本当に素晴らしかった。私は、どの瞬間も大好きだ。ステージでのバンドの演奏を振り返り、ジーン・ヴィンセントは、頬に涙を流しながらこう言った。『素晴らしい、ファンタスティックだ。』」

ジョンは、こう語っています。リヴァプールのキャヴァーン時代に演奏していた『ブルー・スエード・シューズ』のようなオールディーズを演奏した。ジーン・ヴィンセントは、我々がこれを演奏したときにステージの脇に立って泣いていた。彼は、私に近寄ってきてこう言ったんだ。『ジョン、ハンブルクのあのシーンを覚えてるかい?』」

ジョンがどのように返事をしたのかは記録されていませんが、もちろん、彼があの頃を忘れるはずがありません。何しろヴィンセントのことを「師匠」と呼んでいたんですから。ヴィンセントも自分の愛弟子がこんなにビッグになったんだと感激したのでしょう。

 

(2)ヨーコのパフォーマンスが受け入れられた

How a Toronto rock festival led John Lennon to his first solo ...

ジョンは、ヨーコの曲をセットリストから外していました。「ヨーコは半分ロックで半分狂気の曲を歌ったんだが、観客は本当に驚いていた。最後は、ヨーコの曲で終わったんだ。どんな終わり方になるか分からなかった。ビートルズみたいに『♪ジャーン~』なんて終われなかった。悲鳴と50ワットのフィードバックで終わりだよ。だから、ヨーコのスイッチが15分ほど入った後、我々は全員、アンプがクラッパーのように鳴り続け、ステージで煙を上げても放っておいた。そして、それが止まったとき、観客全員が『Give Peace A Chance』と唱えていた。私は、これが、将来、プラスティック・オノ・バンドに繋がると思った。」

観客から物を投げつけられて、たまらずヨーコは、ステージの裏へ走り去ってしまいました。彼女は、その後再びステージに現れたのですが、恐ろしくて泣きじゃくっている少女のように見えたという人もいれば、戦争に行くことを思えば彼女の歌を聴いている方がマシだという観客もいました。つまり、平和へのメッセージとして受け止めた観客もいたということです。

終わった後の様子は映像には残されていませんが、最初はヨーコのパフォーマンスに反発していた観客も、宗教団体の集会のようにいつのまにか取り憑かれてしまい、むしろ最後は全員がハイになって「Give Peace A Chance」と叫ぶ結果となりました。音楽が大衆を尽き動かした歴史的瞬間です。

彼女のパフォーマンスを称賛したレヴューもありました。モントリオールガゼットは「並外れた...本物の感情に満ちていた...ヨーコの高鳴る叫びの見事な効果は、まるで世界がぶつかり合っているか、宇宙が吹き飛んでいるかのようだった...」と評しました。

マルは、こう語っています。「演奏が終わると、全員がギターをアンプのスピーカーに立てかけてステージの奥へと歩いていった。ギターがフィードバック(ギターをアンプに近づけると共鳴して起きるノイズ)を始めていたので、ジョン、クラウス、アラン、エリックが集まって葉巻に火をつけている間もサウンドは続いていた。その後、私は、彼らをステージの外に案内した。最後に私は再びステージに上がり、彼らのアンプのスイッチを一台ずつ切っていった。」

私は、ローディーをやった経験がないので何とも言えませんが、こんな時のローディーの心境というのは、パフォーマーではなくても一種の高揚感あるいは達成感のようなものがあるのではないでしょうか? 大成功に終わったコンサートの余韻に浸りながら、楽器を片付けて行く時の気持ちというのはなかなか味わえないと思います。

 

(参照文献)RollingStone, LIVE PEACE IN TORONTO - 1969, The Toronto Dream Project Historical Ephemera Blog, manilastandard.net

(続く)

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