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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョン、ついにビートルズ脱退を決意する(264)

File:Bed-In for Peace, Amsterdam 1969 - John Lennon & Yoko Ono 05  cropped.jpg - Wikimedia Commons

1 解散からちょうど50年目

今日は、2020年4月10日です(日本時間)。つまり、ビートルズがちょうど50年前の1970年4月10日に解散したのです。このブログは、ほぼ毎週金曜日に更新しているのですが、今年はちょうどうまい具合に金曜日にあたりました。

本当はこの日をゴールにするつもりだったのですが、残念ながらまだまだ解散について記事を書いている途中で、とても終わりそうにありません(^_^;)毎度のことですが、まだまだこのシリーズは続きますので、しばらくお付き合いください。

元々ビートルズが解散して50年が経ったということをきっかけとして、解散にまつわる記事を書き始めたのですが、いつもの通り脱線して、ジョンが参加したトロントのロックフェスティヴァルのお話が中心になりました。でも、脱線した方が意外と面白い話になったりするんですよね。

2 初めてかつ貴重な体験だった

Wailing, writhing and primal screams: inside John Lennon and Yoko Ono's  reviled anti-Beatles band

もっとも、前回までの記事をご覧いただいた方にはお分かりいただけると思いますが、決して解散と無関係な話ではなく、ビートルズでなくても十分やっていけるとジョンに自信をつけさせた重要な意義のあるコンサートだったことは確かです。リンゴも後にこの事実を肯定しています。

カナダのビートルズの歴史家で作家のピアーズ・ヘミングセンは、このコンサートが持つ意義についてこう語っています。「レノンの頭の中で明らかになっていたのは...これがもちろん、ビートルズのコンサートにはならないだろうということ、そして彼が望んでいるものになるだろうということだ。」

つまり、ジョンとしては、もはやビートルズとしてライヴをやるつもりはサラサラなかった。そこでプラスティック・オノ・バンドを結成しましたが、果たしてそれでやっていけるのかどうか自信はありませんでした。何しろ彼は、アマチュアのクオリーメンの時代からビートルズまで、ずっと一つのバンドのリーダーとして活動してきたので、ソロになったり移籍したりといった経験がなかったのです。

 

3 オレはビートルズでなくてもやれる!

John Lennon - Money - Live in Toronto 1969 (HD) - YouTube

(1)ビートルズを超えたライヴがある

音楽史家のリッチー・ヨークは、このコンサートを終えたジョンについてこう記しています。「カナダでの素晴らしい週末を過ごした後、ロンドンに戻ったジョンは、再びステージに立ったという経験に熱狂した。『いつこんなに楽しい時間を過ごしたか思い出せない。我々は、リヴァプールのキャヴァーン時代からやってきたことをすべてやった。ヨーコは、私の目の前で歌詞カードを持っていたが、その後、彼女は、パフォーマンスの途中で突然バッグの中に姿を消してしまった。私は、歌詞をほとんど忘れていたので、自分で何とかしなければならなかった。しかし、そのことはさほど重要ではなかったようだ。』」

最後にヨークは、こう締めくくっています。「歴史は、ビートルズを超えたライヴがあることをジョンに最終的に確信させたのがこのコンサートであったことを示している。」

ビートルズが解散した原因については、世界中のー人々の間で様々な議論がされてきました。正直なところ、議論され尽くした感はあります。ただ、意外にトロントのコンサートについては、それほど触れられてこなかったのではないかという気がします。

(2)意外に注目されていないトロントのコンサート

しかし、改めて振り返ってみると、ビートルズに残留するか脱退するか迷っていたジョンに決断を促したのがこのコンサートだったことは間違いありません。彼が脱退の意思をポールとリンゴに表明したことで解散への流れが一気に加速したのです。ジョンが脱退の意思を固めたことに変わりはありませんから、たとえポールが脱退宣言をしなくても、遅かれ早かれビートルズは解散していたでしょう。

運命とは不思議なもので、一つの出来事が全く別の出来事に大きな影響を与えることがあります。元々、トロントのロックフェスティヴァルはジョニー・ブラウアーが企画したのですが、チケットが全く売れなかったため切羽詰まってジョンに電話したのがきっかけでした。幸運なことに彼と直接話ができ、しかも、演奏までしてくれるというのですからこんな奇跡はありません。

ジョンにとってもこのオファーは、プラスティック・オノ・バンドとしてソロ活動を始めるきっかけを与えてくれたのですから、正に「渡りに船」だったのです。これが大成功を収めたことで、彼は自信を深め、脱退する決意を固めました。

裏を返せば、これがなければジョンは決断できずに、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えながら活動を継続していたかもしれません。

 

4 ついに辞意を漏らす

(1)メンバーに辞意を表明

This tape rewrites everything we knew about the Beatles' | The Beatles |  The Guardian

1969年9月20日、ジョンは、ロンドンのサヴィル・ロウにあるアップル本社の会議室で「解散したい。グループはもう終わりだ。」とポールとリンゴにビートルズを辞める意思を伝えました。ジョージは、母親を訪ねていたため不在でした。トロントでのコンサートの僅か1週間後でした。

つまり、コンサートが成功したことでソロでもやっていけるという自信が付き、それまで心の中でくすぶり続けていた本心を、初めて打ち明ける気になったのでしょう。そう宣言した帰り道、ジョンは、ヨーコに「今は君と僕だけだ。」と語りました。

そのほんの数か月前、彼らは、伝説の「ルーフトップ・コンサート」をそのビルの屋上で成功させていたばかりでした。しかも、ビートルズの新しいアルバム「Abbey Road」「Get Back」がリリースされる寸前だったため、これは、かなり衝撃的な発言でした。

(2)ビートルズとしての活動にも意欲を見せていた

ジョンは、9月初めにメロディーメーカー誌のリチャード・ウィリアムズに、さらに多くのレコードが制作中であることをほのめかしています。このインタビューの内容は、9月19日に公表されました。

「問題は、素材が多すぎることだ。ジョージがたくさん書いているから、毎月ダブルアルバムを出せるほどだけど、制作するのはとても難しいんだ。」ジョンのこの言葉に解散のヒントが垣間見えますね。ホワイトアルバムの辺りから、ジョージが急速にコンポーザーとしての力量を見せ始めていました。

彼は、ソロ・アーティストなら質・量ともに足りるだけの作品を制作していました。しかし、ビートルズとしてそれをアルバムに収録する前には、レノン=マッカートニーの厚い壁が立ちはだかったのです。そのせいでジョージは、フラストレーションを溜め込んでいましたが、ジョンもそれに気付いていたんですね。

「Get Backが1月にリリースされたら、おそらく、我々は、スタジオに戻ってまた別のアルバムをレコーディングすることになるだろう。もっと多くのアルバムをもっと速く出せないのかって残念だよ。」

このインタヴューでジョンは、「脱退」の「だ」の字も口にしていません。それどころか、まだまだビートルズとして新しい作品を発表する意欲を示しています。このコメントをマスコミあるいはファン向けのリップサービスと受け取るかどうかですよね。たとえ仲間内とはいえ、すでに脱退を表明した位ですから額面通りに受け取ることはできません。

 

5 脱退するのはもう少し先のつもりだった?

John Lennon and Ringo Starr recording the basic backing for I'm so Tired at  the end of the White Album Sessions on October 8, 1968: beatles

(1)脱退するのも面倒

ジョンは、マスコミのインタヴューにはこれからもビートルズとしての活動を続けていくと応えていました。メンバーには脱退の意思を表明していたにもかかわらずです。

じゃあ、全く心にもないことを言ったのかっというと、それもちょっと違う気がします。彼としては、もう辞めたいと思っていた。しかし、今すぐというほどではない。いずれ解散する時が来るだろうが、それは、もう少し先だろう。あと何枚かアルバムをリリースしたら解散するかなといったところでしょうか?

これは、ビートルズに未練があったというより、「脱退したいけど、いざそうしようとするとそれはそれで面倒くさい。」という気持ちが強かったのではないかと思います。彼は、ビートルズといういわば「格子なき牢獄」に閉じ込められているという心境だったのでしょう。「Free as a bird(鳥のように自由に)」ソロアーティストとして活動したいという気持ちが強くなっていたのだと思います。

しかし、話はそう簡単にはいきません。彼がビートルズを脱退するとなると一大事です。メンバーや関係者との話し合い、ありとあらゆる契約の解除、マスコミやファンへの説明など、気が遠くなるほど様々なハードルを超えないといけません。それを考えると「面倒くさい。今はやめとこ。」となったとしてもおかしくはありません。

 

(2)すぐ脱退するつもりはなかった?

ヘミングセンは、レノンは、この時点ではまだビートルズに残留しつつ、サイドプロジェクトを追求していくことで満足しているように思えるが、このコンサートの瞬間は、とても重要な意義を有すると語っています。「これは、ビートルが他のミュージシャンと提携し、コンサートで演奏するためのとても大きなステップだった。」と彼は語っています。私は、この前後のジョンの言動からして、この見解が一番的確に指摘しているのではないかと考えています。

ジョンとしては脱退を考えていたものの、その時点で具体的な計画があったわけではありません。ソロになるにしてもバックバンドは必要ですから、メンバーを集める必要があります。彼が声をかければ喜んで馳せ参じるミュージシャンは大勢いましたが、オーディションをしないといけないでしょうしね。

この時点では、ゆっくりと時間をかけて計画を練り、時期が来たらメンバーと話し合って自分が脱退するか、解散するというのが彼の構想だったのではないでしょうか?ところが、その前にポールがしびれを切らして脱退宣言をしてしまったのは、彼にとっては想定外だったでしょう。

(参照文献)MUSIC CONNCTION, NATHONAL POST, CBC

(続く)

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