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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョン、ソロとして初めてライヴの感動を味わう(262)

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1 クルーがジョンを撮影

前回の記事でジョンの演奏シーンを挿入しましたが、当然のことながら、撮影クルーがそのシーンを撮影していたからこそ、映像と音声が残されているのです。ジョンは、プロモーターのジョニー・ブラウアに対して出演を承諾すると共に、ショーを録画させるよう要求しました。

ショービジネスでしたから当然ですが、この時はちゃんとそこまで頭が回っていたんですね(^_^;)ジョンは、ビートルズの新たなマネージャーとなったアラン・クラインに電話をかけ、ライヴアルバムを作るから、プロモーターたちと契約書などの書類を用意するよう指示しました。

そこで、クラインがアメリカのドキュメンタリー映画監督であったドン・アラン・ペネベイカーを起用し、ジョンが出演したシーンすべてが撮影され、それを音源としてゴールドアルバムがリリースされました。クラインの指揮下にあるニューヨークのすべてのアップルのスタッフが、すでに午前中に録音機器を持ち込んでいました。

 

2 禁断症状と不安と

(1)不安の極地だったジョン

音楽史家であるリッチー・ヨークは、トロントへの飛行機に同乗していました。彼は、ジョンの具合が悪そうなので尋ねました。「神経がやられているのかい?」するとジョンは、「ああ、酷いもんだ。」と応えました。ヘロインは、依存性が強くいきなりやめてしまうと、強い禁断症状を引き起こしてしまいます。ジョンもヨーコも10時間ヘロインを摂取していませんでしたから、ひどい禁断症状に見舞われたのは当然ですね。

そして、彼は、「おお神よ、私は、大観衆の前で4年間演奏していません。1969年にケンブリッジで、ローリング・ストーンズのロックンロール・サーカスという映画の撮影として少ない観客の前でやりました。でも、それからすぐに大観衆の前で演奏するなんて思いもしませんでした。だから、金曜日の夜、私たちはまったく眠れず、ずっと緊張していました。」と不安な心情を吐露しました。

禁断症状に見舞われただけでなく、久しぶりに大きなステージに立つという恐怖感がジョンを襲いました。ストーンズの映画撮影に参加した時は少人数でしたから良かったですが、今回は2万人の大観衆ですから、緊張するなという方が無理でしょう。

(2)メンバーは全く緊張しなかった

ベースのクラウス・フォアマンは、こう語っています。「我々は、パフォーマンスの出来を気にしなくてよかったから、私は、あまり緊張していなかった。ジョンは緊張していたけどね。」どうやら、緊張していたのはジョンだけで、他のメンバーは、2万人の観客と聞いてもそれほど緊張していなかったようです。

フォアマンは、以前マンフレッド・マンにいたことがあり、ファウリー曲の1つを演奏したことがありました。ドラムのアラン・ホワイトは、この少し後にイエスのメンバーになりました。クラプトンは、1年前にブラインド・フェイスに在籍していました。つまり、ジョン以外のメンバーはライヴでの演奏に慣れていたのです。

クラプトンは、こう語っています。「こういう曲を演奏するのは、とてもシンプルで複雑じゃないからすごく新鮮だったよ。ジョンと私は、そういった音楽が大好きなんだ。ジョンが最初に惹かれたのはそういう音楽だったし、私も同じだよ。実際、私は、マネーとディジー・ミス・リジーを一生演奏し続けられるんだ。」

「ギターの神」と呼ばれた彼にとって、こういったシンプルなロックンロールは、それこそ眠りながらでも弾けるくらいでした。しかし、彼がギターでどれだけ高度なテクニックを駆使しようと、子どもの頃から大好きだったロックンロールが常に源流にあり続けたわけです。

 

3 ジョン、即興で歌詞を作る

ジョンはこう語っています。「ばかばかしかったのは、歌詞をまったく忘れちまっていたことだ。それで、『Money』と『Dizzy』を歌ったときは、即興で歌詞を作った。バンドは、私の後ろで地獄のようにガンガン演奏していた。ヨーコは、ステージの上で我々と一緒にいたが、我々が5曲をやり終えるまで何もしなかった。Moneyを演奏し終わった後、間が開いてしまった。私は、エリックに『次は何をやるんだっけ?』と聞いたんだ。彼はただ肩をすくめただけだった。それで、私は、『C'mon!』と叫んで、次の曲をやり始めた。」

ジョンは、ヨーコが何もしなかったと語っていますが、白い袋の中に入ったり奇声を上げたり、色々とやってましたけどね(^_^;)若い頃からラフなジョンでしたが、2万人の大観衆の前でも臆せず、デタラメな歌詞で乗り切ってしまうんですから大したもんです。おまけにたった5曲のセットリストまで忘れてしまうんですからね。何事にも完璧主義者のポールとは真逆ですが、これこそまさにジョン・レノンです。

「以前、エリックと一緒にやったことがある『Yer Blues』をやった。そいつでオレたちは完全にスイッチが入った。一方、ヨーコは、舞台裏へ歌詞カードを取りに行って、白いバッグから歌詞カードを取り出した。それから、『Give Peace A Chance』をやったが、信じられないほどいい感じだった。これも適当に歌詞を作った。手がかりがなかったんだ。」

同行したローディーのマル・エヴァンズは、こう語っています。「全てのヴォーカルはもちろんジョンが担当し、『Yer Blues』がフェイドアウトした時、彼は、再びマイクに顔を近づけて次のナンバーを始める前に言った。『我々はこのナンバーをやったことがないんだ。』彼は、幸運を祈りつつ『Cold Turkey』を演奏し始めた。」

5曲ともほんの4か月ほど前に、ヨーコと「ベッドイン」というパフォーマンスをやった時に演奏した曲なんですけどね(^_^;)ジョンは、物の見事に忘れていました。ヨーコが慌てて歌詞カードを持ってきました。ジョンは助かったと言ってますが、夜ですから暗くて読めなかったと思います。もうこうなったら、歌詞なんてどうだってよかったんです。いや、むしろ、即興だからこそかえっておもしろかったかもしれません。

 

 オリジナル曲を披露

Facebookビートルズのファングループの方から教えていただいたのですが、ヨーコがステージで袋に入ったのは「バギズム」と呼ばれる1960年代末にジョンとヨーコによる数々の平和運動の一環の中で作られた言葉です。人の外観にとらわれず、袋の中から発せられるメッセージのみでコミュニケーションが図られるという考えに基づいたものです。ビートルズの楽曲とも関連するので、これについてはまた別の機会でお話しします。

さて、実際の演奏に戻りましょう。カヴァー曲が終わり、ビートルズとしてレコーディングした「Yer Blues」に入ると観客も一段と盛り上がりました。間奏のギターソロもなかなかのものです。ギアがアップしましたね。


Yer Blues - John Lennon & Plastic Ono Band - Toronto 1969

そして、プラスティック・オノ・バンドとして発表した「Cold Turkey」です。ソロ曲を初めて大観衆の前で演奏しました。これで、ジョンがビートルズでなくてもやっていけると手応えを感じたんではないでしょうか?


Cold Turkey - John Lennon & Plastic Ono Band - Toronto 1969

そして、いよいよ全世界に平和を呼び掛けた「Give Peace A Chance」です。このときだけ曲の入りをドイツ語でカウントしたんですが、これはなぜだか分かりません。一番自信のあった曲でしょう。この時は、ヨーコの奇声もなく正直ホッとします(^_^;)


Give Peace A Chance - John Lennon & Plastic Ono Band - Toronto 1969

マルは、こう語っています。「最後にジョンのラストナンバー『Give Peace A Chance』が演奏された。2万人の観客全員が参加したのではないだろうか。彼らが音楽に合わせて腕を頭上に突き上げ、体を揺らした姿は圧巻だった。」

ジョンは、こう語っています。「これがオレたちがここに来た本当の理由なんだ。」彼とヨーコがモントリオールでのベッドイン中に書かれた「Give Peace A Chance」を歌うと観客も彼らに合わせて歌い、ヨーコは両手でピースサインをしました。

ジョンとヨーコ、そして観客が一体になって平和を叫んだのです。これがこのコンサートの頂点だったといえるでしょう。彼らが偉大なるインフルエンサーであることが証明されるとともに、保守勢力が最も恐れる反戦平和運動が世界中に拡散していくことになりました。

この後、17分間、ヨーコの「Don't Worry Kyoko (Mummy's Only Looking for Her Hand in the Snow)」「John John (Let's Hope for Peace)」の2曲をフリースタイルで歌い、というより叫び続けました。

トロントの観客は、それまでの態度を翻し、彼女に対してブーイングを始めただけでなく、飲み物の瓶を投げ「失せろ!」とヤジを飛ばしました。ジョンが恐れていた通り、彼女の前衛的なパフォーマンスは観客の反発を招いたのです。

 

(参照文献)NATIONAL POST, CBC radio, gaslight records, LIVE PEACE IN TORONTO - 1969

(続く)

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