※この記事は、映画「Get Back」の「ネタバレ」を含んでいるので注意してご覧ください。
1 ライヴのアイデアがまとまらない
(1)救世主なんて降臨しない
ジョンとポールが話し合っています。ポールは「曲書いてきた?」ジョン「いや」ポール「この先まずいぞ」ジョン「切羽詰まってからが僕は強いのさ」ライヴが迫っているというのに1曲も仕上がっていないという状況で、ジョンもよく落ち着いていられますね。
ここで二人が顔を上げて天井を見つめながら話し始めたのですが、これは、自分たちの会話が録音されていることを意識してガンマイクに向かって話し合っているようにもみえます。二人が切羽詰まっていて、助けが欲しいというような話をしているのですが、天から救世主が降臨して彼らを助けてくれる、みたいなことを期待しているような素振りです。まるで、ドラマのワンシーンですが、そんな奇跡が起こるはずがないことは、彼ら自身がよく分かっていたことです。
(2)ホッグの提案はことごとく不採用
ホッグがまた「Hey Jude」の撮影の時のように、ビートルズの周囲に観客を入れてはどうかと提案しました。しかし、これもまたメンバーから拒絶されてしまいます。とにかく、何を提案しても全て通らないので彼もお手上げですね。メンバーからもいろいろなアイデアが出されますが、どれも採用されません。
ここでジョンが口を開きます。「ジョンから一言。小さい会場が僕はいいと思う。大きい会場より。だって音楽に集中すべきだろ。」彼もライヴをやること自体には反対していないのですが、あまり大勢の観客の前ではやりたくなかったのです。
(3)ジョンとヨーコのダンス
また、新曲をやりながらオールディーズも演奏したりといった、だらけた感じのセッションがしばらく続きます。ただ単に時間を潰しているだけで、とても真剣にレコーディングしているようには見えません。
ここでジョージが再び「I Me Mine」を演奏し始めました。ジョンは、この演奏に参加せずヨーコとダンスを踊り始めます。このシーンは、前作「Let It Be」でも登場しましたが、ビートルズがバラバラだったことを象徴するかのようなシーンでした。しかし、今回の映画ではそれほど強いマイナスイメージは受けません。
前作ではこのシーンを切り取って強調するような編集だったので、よりマイナスイメージがあったのではないかと思います。しかし、今回の作品では、ジョージがジョンに対してそれほど不快感を示していたようには見えませんでした。この辺りも、編集のやり方しだいで観客の受けるイメージが変わる一例ではないかと思います。
2 セットのデザインが決まらない
(1)観客の足場を作る
「監督とオデールはセットのデザインを検討する」と字幕が入ります。このスタジオでライヴ会場をどのように設営するのかを検討したんですね。何しろ、ホッグが海外を含めて壮大な会場を提案したにもかかわらず、それらはことごとく拒絶されましたから、このスタジオでやるしか方法がなかったのです。しかし、工事現場の足場を組むなら建設業者に依頼すればできたかもしれませんが、安全性の問題もありますからそんな簡単な問題ではありません。
彼らが手にしていたのは、ビートルズがアイドル時代にテレビの「アラウンド・ザ・ビートルズ」という特番に出演した時のセットをモチーフにして制作されたと思われる図面です。図面といってもラフスケッチであり、それですぐに工事にかかれるような精密な代物ではありません。フロアを複数にして観客を入れ、ビートルズを三方向から取り囲むという形です。
(2)ジョンが乗り気になった
オデールがそれをポールに見せると、彼は「ジョンとヨーコに聞け。アーティストだ。」と応えました。確かに、ジョンは、元々芸術大学の出身ですし、ヨーコも前衛芸術家ですから造形のプロですよね。そこで、オデールがジョンに聞くと意外にも乗り気になりました。
彼は、「これを透けるようにするとしたら…プラスチックを使え。足場はありきたりだ。硬質プラスチックを使おう。」と前のめりになりました。ポールも横で聞いて透明というのはいいアイデアだと賛成しました。ジョンとヨーコがプラスチック・オノ・バンドを結成したのはもう少し後ですが、この頃にはプラスチックという素材に何らかの思い入れがあったのでしょう。
(3)今度はホッグが反対した
しかし、ジョンがオデールとそんな話をしている傍らで、リンゴに対してホッグは、ビートルズのライヴなんだから、4年前と似たようなアイデアではダメだと話しています。ジャクソンの上手いところは、ジョンとオデールとの話し合いと、リンゴとホッグの話し合いのシーンを編集で交互に切り替え、彼らの話がまったく噛み合っていないことを観客に理解させたところです。
ホッグとは対照的にジョンは、このアイデアに食いついて熱心にアイデアを出しました。これだけを観ても、ジョンがライヴに消極的だったどころか、むしろ、熱心にやろうとしていたことが分かります。
この提案に対して、ホッグは、今や世界的アーティストとなったビートルズのパフォーマンスは最高のものでなければならないと主張しました。彼は、単に監督として撮れ高を気にしているのではなく、スーパースターであるビートルズに最高の舞台を提供したかったんですね。これは、これで理解できます。彼は、珍しくジョンのアイデアをハッキリ拒否しました。やれやれ、これでまた話が振り出しに戻ってしまいました。
3 ホッグが禁句を口にした
(1)ジョンとポールの不仲を指摘した
ここで、ついにホッグがジョンに対し「ポールと昔ほどうまくいっていないよね」とハッキリ指摘しました。ジョンの顔のアップになっていたので分かりませんが、この瞬間に現場の空気は凍り付いたのではないでしょうか?もちろん、ビートルズだけでなく彼らに関わってきたスタッフや、今回の撮影クルーもビートルズが上手くいっていないことには気付いていました。
しかし、腫れ物に触るように誰もそのことを口にしなかったのです。というよりは、スーパースターの彼らに対し、面と向かってそんなことを口にできる人間などこの世に存在しなかったでしょう。
(2)勇気ある指摘
しかし、ホッグは、ビートルズに遠慮しないで正面からズバッと切り込みました。彼らの不仲こそがセッションがうまくいかない最大の要因だったのですから、彼のこの態度は、最高の作品を完成させようとしていた監督として立派だったと思います。変にビートルズに遠慮して中途半端に妥協して制作するぐらいなら、たとえ彼らが怒ったとしても、本当のことを言った方が良かったでしょう。
この指摘に対してジョンは怒らず、意外なほどあっさりと頷いてそれを認めました。普通は、「そんなことないさ」などと適当にごまかしますけどね。カメラも回っていましたし。しかし、彼自身ももはや第三者の目にも明らかになっていると認めざるを得なかったのでしょう。ただ、「別に」と話をはぐらかしたので、さすがに正面からは認めたくなかったみたいですね。
(3)海外ロケにこだわった理由
ホッグが執拗なほど海外ロケにこだわった理由は、イギリスが真冬だったため屋外でライヴをやるにはあまりにも寒すぎたことです。雪が降ることも多いですから、楽器を演奏するには向いていません。実際、ルーフトップの時もジョンが指がかじかんでコードが押さえられないとこぼしていましたから。
野外でやるならイギリス以外の海外で、しかも暖かい場所というのは、ある意味で自然な発想です。彼の話では、最初は室内でのライヴを考えていたが、海外のロケも前年の年末から検討していくつか候補地を挙げていたとのことです。
4 ビートルズとホッグが対立
(1)少人数か大観衆か
ビートルズとホッグは、ライヴをどのような形で行うかについて話し合いました。ホッグは、ライヴをやるなら有観客かカメラの前でなければ意味がないと主張しました。そこで彼は、リビアのサブラタ円形劇場でのロケを提案しました。ビートルズに最高のステージで演奏してもらいたいという彼の熱意はよく理解できますが、肝心の彼らにその熱意はありませんでした。
ビートルズがこだわったのは、有観客にした場合、観客に規律を守らせることでした。1966年までの彼らは、ステージの外でも熱狂的な観客にもみくちゃにされ、公演中も物を投げられたり、ステージに上がってきて抱き疲れたりなど、色々と危険な目にも遭ってきました。彼らがコンサートを中止したのはそれが大きな要因でしたから、安全性の保証がないのでは同意できないのも当然でしょう。
(2)ライヴを嫌っていたわけではなかった
ビートルズ自身は、別にライヴを嫌っていたわけではなかったのです。ビートルズとホッグが大きく対立した点は、ビートルズが少人数での室内でのライヴを主張したのに対し、ホッグは、大観衆の前でないと意味がないと主張した点でした。現代で盛んに実施されている「配信ライヴ」のような発想は、その当時存在しませんでしたからね。
ビートルズが大観衆の前でのライヴに難色を示したのは、彼らのセキュリティーが十分に確保されている状況にはなかったからです。「Hey Jude」のライヴの時も、観客が彼らのすぐそばに来て彼らを取り囲みました。あの時は何ごともなかったから良かったですが、もし、何か危害が加えられたらと思うとさすがに怖いですよね。
で、たどり着いた答えがビルの屋上「ルーフトップ」だったわけです。これこそまさに、両者の想いが合致した場所でした。
(続く)
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