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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョンは、いつ頃からビートルズ脱退を考え始めたのか?(254)

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1 ジョンがライヴで演奏した

(1)脱退を最初に口にしたのはジョン

ビートルズは、ポール・マッカートニーの脱退宣言により解散しました。しかし、それよりも前にジョン・レノンビートルズを脱退するという意思を関係者に打ち明けていたのです。今回は、彼がいつ頃からビートルズ脱退を考え始めたのかについて考察します。

 

(2)ロックンロール・フェスティヴァルへの招待

1969年9月12日、ライブミュージック・プロモーターのジョン・ブラウアは、アップル社に電話をかけ、ジョンと話し、彼とヨーコを翌日に開催されるトロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」という名のフェスティヴァルに招待しました。偶然、ジョンがアップル社内にいて電話を取ったんですね。 

ブラウアは、ジョン夫妻と彼らの友人のために8席のファーストクラスの航空券を提供しました。当時、フェスティヴァルのチケットの売り上げがあまり良くなかったため、彼は、イヴェントを盛り上げようと、何人かの有名なゲストを招待しようと考えていたのです。 

ところが、ジョンは、イヴェントにただ出席するだけではなく、演奏もすると申し出てくれたのです。驚いたブラウアは、ためらうことなく受け入れました。ブラウアとしては、ジョンが出席してくれるだけでもありがたいのに、演奏までしてくれるというのですから、思わず小躍りしたくなったでしょう。 

ビートルズがコンサートを中止して早や3年が経っていましたから(ルーフトップコンサートを除く)、「ジョン・レノンがステージで演奏する。」と聞けば大勢の観客が殺到するのは間違いありません。 

ジョンは、こう語っています。「金曜日の夜に電話があり、トロントで10万人の観客を集めて、ロックンロール・リヴァイヴァルショーが開催され、ゲストとしてチャック・ベリージェリー・リー・ルイスなどの大物ロッカーが参加するという話だった。ボ・ディドリーも参加するし、ドアーズがおそらくメインになるだろうという話だった。彼らは、私とヨーコを王と女王として招待してくれ、演奏はしなくてもいいという話だった。しかし、私は、そんなことは聞いていなかったんだ。「バンドを編成する時間をくれ。」と返事をして翌朝トロントへ向かった。」 

ブラウアの招待をジョンは、ライヴ・パフォーマンスをオファーされたと早合点して、時間がないため大急ぎでメンバーを招集することにしました。というか、彼自身、ライヴをやりたくてウズウズしていたところにオファーが来たので、渡りに船で飛びついたのでしょう(笑)

 

2 大急ぎでバンドを編成

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エリック・クラプトン

(1)ジョージを誘った

彼は、「小さなギグでも良いからビートルズでライヴをやろう。」というポールの提案をにべもなくはねつけました。その一方で、他のアーティストとのギグには、喜んで参加したのです。

つまり、彼は、ビートルズはレコーディングだけで充分、ライヴは他のミュージシャンとやりたい。」と考えていたのでしょう。1968年12月、ローリング・ストーンズ主催のロックンロール・サーカスの収録でも「Yer Blues」を演奏しましたしね。


Yer Blues! - John Lennon, Eric Clapton, Keith Richard (bass!), Mitch Mitchell.

ジョンは、エリック・クラプトン、旧友でベーシストのクラウス・フォアマン、後にイエスのメンバーとなるドラマーのアラン・ホワイトに電話をかけ、全員が翌日にカナダに飛行機で行くことに同意しました。しかしながら、ジョンは、最初からクラプトンをギタリストとして参加させようとしたわけではありません。

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アラン・ホワイト

ジョージはこう語っています。「9月にプラスティック・オノ・バンドトロントで演奏するという話で、ジョンからバンドに参加してくれって頼まれたけど断った。アヴァンギャルドなバンドになりたくなかったし、多分、そうなるだろうと思ってたからね。」 

この頃のビートルズの人間関係が浮かび上がってきますね。ジョンは、ポールとは険悪な仲になっていましたが、ジョージとはそれほどではありませんでした。そうでなければ、声をかけたりしませんからね。「アヴァンギャルド」は、今ではもうあまり聞かれなくなりましたが、元はフランス語で特に芸術などの分野で「前衛的な」という意味で使われます。 

ジョンは、ビートルズとしてライヴをやることには、あまりにも多くのものをしょい込みすぎるからできないと思っていました。逆に、ビートルズから離れられるのであれば、このトロントのロック・イヴェントのように喜んで参加したのです。 

(2)クラプトンらが参加

「彼は、クラウス・フォアマンとドラマーとしてアラン・ホワイトはすでに参加することになっていると言った。いずれにせよ、ビートルズの最後の数年間、我々は、ビートルズ以外のレコードを制作していたから、スタジオにはミュージシャンの友人がいたんだ。ドラマー、ベース、その他のミュージシャンたちがね。だから、バンドを編成するのは比較的簡単だった。彼は、私が断ったから、エリック・クラプトンを参加させた。彼らは、飛行機の中でリハーサルした。」 

いくら後輩とはいえ、クラプトンもすでにイギリスでは「ギターの神」として名を馳せていましたからね。そんな彼を電話一本で呼び出し、飛行機に乗せてトロントまで同行させて、演奏までさせちゃうんですから大物は違いますね(^_^;)しかも、飛行機の中でリハーサルするとは驚きです。それでも、ちゃんと本番に間に合わせてしまうんですから、やはり、彼らは只者ではありません。

 

3 ビートルズを脱退するきっかけに

ブラウアは、ビザと入国書類を手配し、ローディーのマル・エヴァンスは、新しいグループのデビュー公演のために楽器を用意するよう指示されました。 

ジョンはこう語っています。「とんでもない早さだった。当時は、バンドを組んでいなかったし、30分以上も一緒に演奏したグループもいなかった。エリックに電話してクラウスに声をかけてもらい、アラン・ホワイトを参加させたけど、みんな「OK」と返事してくれた。面倒なことはなかったよ。ビートルズでずっとやってきた「I Want To Hold Your Head」みたいに、何度も同じナンバーをやるなんてカッコだけなことはしなかった。20分のショーで誰も叫んでいるだけで聴いちゃいない。ピーナッツみたいに小さなアンプで、あんなものはロックンロールじゃなくて見世物さ。」 

これはアンソロジーでの発言ですが、アイドル時代の大ヒットナンバー「I Want To Hold Your「Hand」」を「I Want To Hold Your「Head」」と表現したのは、ジョンの言い間違いではなくわざとなんでしょうけど、彼がどういう意図でこう発言したのかは分かりません。ただ、アイドル時代のコンサートについて相当に自虐的な言い方をしているので、自分が制作した名曲であってもこんな風に茶化してみたかったのかもしれません。 

ただ、彼は、ライヴを全くやりたくなかったわけではなく、ビートルズ時代の熱狂的なコンサートにうんざりしていたのです。それはポールも同じだったのですが、彼は、元々ライヴが好きだったので、時間が経つにつれてまたやりたくなったのでしょう。ライヴにこだわったポールと異なり、ジョンは、ビートルズという看板を背負ってしまうと、また前と同じ型にはまったつまらない演奏をするだけだという思いが強かったのだと思います。

 

 

4 ジョンは脱退を決意した

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プラスティック・オノ・バンドで演奏するジョン

このイヴェントは、プラスティック・オノ・バンドがライヴ・デビューしたというだけではなく、ジョンがビートルズを脱退することを決意したポイントでもありました。 

「私は、トロントに行く前からもう決心していたから、アラン(クライン)にビートルズを脱退すると言った。エリック・クラプトンとクラウスにも脱退するつもりだと話した。その時は、多分、彼らをグループとして使おうと考えていたんだ。永続的な新しいグループを作るのか、何をするのか、それをどうやってやるのかなんて何も決めていなかった。そして、しばらくすると「くそったれ。誰であろうと一緒にやるなんてごめんだ。」と思った。それで、トロントに行く途中で、自分自身にもそして周囲の人たちに思っていることを打ち明けた。飛行機に同乗したアランに言ったんだ、「終わりだ。」って。」

どうやら、ジョンは、トロントに行く前あたりからビートルズを脱退する決意を固めていたようです。驚きなのは彼が単に脱退するだけではなく、クラプトンやフォアマンらを加えて新しいバンドを結成しようと考えていたことです。しかし、その考えは一時的なものにすぎませんでした。 

改めてバンドを結成するとなると、自分がリーダーとなって色々と面倒な手続をしなければなりません。それより、ソロアーティストとして活動する方がよっぽど自由だ。レコーディングとかライヴとかをやりたいと思った時に誰かを招集すればいい。そう考え直したのでしょう。彼が声をかければ、どんなミュージシャンでも喜んですぐに駆けつけてくれることは、このフェスティヴァルで実証されましたから。 

それにしても、この発言は、マネージャーに就任したアラン・クラインにとっては相当な衝撃だったでしょうね(^_^;)せっかく金づるになるビートルズと契約できたのも束の間、ジョンが脱退するというのですから。もちろんクラプトンやフォアマンも衝撃を受けたに違いありません。「え?オレたちにそんなこと話していいの?💦」と戸惑ったでしょう。 

つまり、ジョンが最初に本心を打ち明けたのはメンバーではなく、マネージャーや他のミュージシャンだったということです。順序が逆じゃないかとも思いますが、さすがに、メンバーには本心を言いづらかったのかもしれません。

(参照文献)THE BEATLES BIBLE

(続く)

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