★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョン、飛行機の中でリハーサルする(258)

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1 なぜドタキャンしようとしたのか?

(1)その場のノリで返事してしまった?

そりゃ、エリック・クラプトンが激怒したのも当然ですよね(^_^;)ジョンに電話一本で呼び出されただけでなく、自分たちは約束通り朝早くに空港に到着したのに、肝心の彼は、まだ自宅のベッドにいて、コンサートをドタキャンして花だけ送るなんてふざけたことを言ってきたんですから。ジョンは、後輩から罵声を浴びせられて頭にきたようですが、どう考えたって100%彼の方が悪いですよ。

それにしても、ジョンは、自分からコンサートで演奏すると言い出してメンバーを集めておきながら、なぜドタキャンしようとしたのでしょう?

(2)3年もブランクがあった

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これは私の憶測ですが、おそらく、ジョニー・ブラウアから電話を受けた時は、とてもハイな気分になっていて、その場のノリでセッションまでやると約束してしまったのだと思います。しかし、暫くして気持ちが落ち着いてくると、段々と恐怖心が沸いてきたんでしょうね。

ジョンがビートルズのメンバーとしてコンサートをやってから3年も経っていました。それ以来、彼は、一度も大勢の観客の前で演奏したことはありません。確かに、ルーフトップ・コンサートをやりましたが、あれはゲリラ・コンサートでそもそも観客がいなかったし、彼らの視線から見えたのは屋根に登って彼らを観ている野次馬ぐらいでした。しかし、今回は、何万人もの観客が詰めかける本格的なコンサートです。

彼は、皮肉たっぷりで強気な発言で誤解されがちですが、実は、4人の中で最も繊細な人だったんです。ですから、大勢の観客の前で3年ぶりに演奏するとなって、にわかにプレッシャーを感じたのでしょう。

(3)重度のヘロイン中毒

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おまけにこの頃、ジョンは、重度のヘロイン中毒に陥っていて、まともに演奏できるかどうかも分かりませんでした。そうそう、それも大きな原因というか、むしろ、そっちの方が主な原因だったのかもしれません。つまり、当然のことながら、飛行機に搭乗中はヘロインを摂取できないわけです。ヘロインは、違法薬物の中でもかなり危険なもので、摂取しなかった時の禁断症状は「地獄そのもの」などと表現される程です。

「薬物などを急に止める」ことを意味する「コールド・ターキー(cold turkey)」というスラングが生まれましたが、そこからさらに「突然に」などの意味にも使われたりします。ヘロイン中毒者を健康な状態に戻すためには、ヘロインよりも中毒性が弱い他の薬物を代わりに使い、徐々にヘロインの量を減らしていくんです。それぐらいヘロインを抜くのは厄介なことなんです。


Cold Turkey - Plastic Ono Band (official music video HD)

このコールド・ターキーという言葉は、1969年にジョンがプラスティック・オノ・バンドとしてリリースした楽曲「Cold Turkey(冷たい七面鳥)」によって世界的に知られることとなりました。彼は、この曲を通して薬物の禁断症状の恐ろしさを世に知らせるつもりだったんですが、逆にドラッグの使用を奨励する楽曲だと誤解し、放送禁止にした放送局もありました。

ジョンは、電話を切った後でこのことに気がついて青くなったんでしょうね。彼だけでなく、ヨーコもヘロイン中毒でしたから。

あともう一つ考えられるとすれば、ヨーコと結成した「プラスティック・オノ・バンド」を早く世間にお披露目したいという気持ちもあって、ノリノリで約束してしまったのかもしれません。

 

2 観客がスタジアムに殺到した!

(1)公式に出演を表明

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ジョンとヨーコは、誰が乗っているかすぐに分かるペイズリー模様のロールスロイスヒースロー空港に到着すると、たちまちメディアに囲まれたました。すかさず、ジョンは、「我々は、トロントに行き、レジェンドたちと素晴らしいロックンロール・ショーで演奏する。それは『プラスティック・オノ・バンド』として最初のギグだ。」と宣言しました。もちろん、この時点ではまだビートルズは解散していませんでした。つまり、ビートルズのメンバーでありながら、同時にソロ活動も行うと宣言したわけです。

クラプトンらには内々でビートルズからの脱退を漏らしていたジョンでしたが、それを口外しないという約束は律義に守っていました。

彼の宣言は、その後、有線サービスを介して世界中のラジオ局に配信されました。午後2時にチャムラジオがこの知らせを聞き、すぐに曲を挿し替えてジョンとクラプトンのコンサートのプレゼンテーションを放送しました。まあ、ブラウアを食わせ物だと決めつけて追い出したくせに、いけしゃあしゃあとできたもんです。「ヨッ、手の平返し!」ってとこですな(笑)

(2)人々がスタジアムに殺到した

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ヴァーシティ・スタジアム

この放送を聴いた人々は、矢も楯もたまらずスタジアムに殺到しました。「残りの4〜5000枚のチケットも売り切れた。」とブラウアは語っています。そりゃ、そうでしょう。「ジョン・レノンが3年振りにコンサートで演奏する」と聞けば、誰だって飛んでいきますよ。

ブラウアは、こう語っています。「群衆は、壁をよじ登っていた。ノースウエストゲートは閉鎖されていたが、少なくとも500人かあるいはそれ以上の人々がチケットを求めて殺到した。」

「もう1人のプロモーターのケニー・ウォーカーは、騎馬警官に殺到した人々を排除してもらいたがっていたが、私は警官にこう言ったんだ。『誰もけがをさせたくない。販売するチケットはもうないんだ。』」

アナウンスから開演まで時間が切迫していたことが、返ってパニックを起こしたんでしょうね。これでよく怪我人が出なかったものです。

 

3 飛行機の中でリハーサル

ジョンの一行は、エア・カナダ124便でトロントに向けて出発し、ジョン、ヨーコ、クラプトンはファーストクラスで、残りはエコノミーで飛び立ちました。かわいそうにフォアマンとホワイトは、エコノミーだったんですね(^_^;)

ジョンたちは、飛行機の中でミーティングとリハーサルを行い、意見が対立しそうになりながらも何とか仕上げていきました。ヒースロー空港からトロント空港行きの飛行機に乗った5人のメンバーは、選曲、つまり、どのナンバーを演奏するかを最初に決定しました。

ジョンとクラプトンは、何の準備もしていませんでしたから、誰もが知っているスタンダードなナンバーを、飛行機の中でアンプを使わずにギターを演奏し、ドラマーのアラン・ホワイトは、ただ飛行機の座席の背もたれを叩いてリハーサルをやりました。普通ならあり得ませんが、何しろ彼らは一流のミュージシャンだし、スタンダードなナンバーなので、これでも充分だったのでしょう。

 

4 イエローカードがない

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こうしてようやくジョンとヨーコはトロントに到着したのですが、ここでブラウアは、また別の問題に直面することになりました。ヨーコが入国に必要なイエローカードを持っていなかったのです。

彼は、こう語っています。「当時、すべての予防接種を受けたイエローカードがなければ、入国管理局が入国を認めなかった可能性があった。そのせいでさらに空港で30分間足止めされたが、何とかオタワから入国する許可を得た。それで、リムジンに飛び乗って出発した。」

イエローカード」と聞いて、サッカーで反則を犯した選手に審判が突きつけるカードのことだ思った人がいるかもしれません。今ではそちらの方がずっと有名ですからね。

しかし、ここでいうイエローカードとは、予防接種を受けたという国際証明書のことです。文字通り黄色い用紙に印刷されていたのでそう呼ばれています。天然痘などの伝染病がまだ存在していたので、その予防接種を受けたという証明書を所持しる必要がありました。

ただ、イエローカードを持っていないというだけで入国を拒否することはできなかったようです。なので、ヨーコも入国できたのでしょうね。もし、彼女が入国できなかったら、ジョンも入国しなかったでしょう。彼女を一人置いてトロントへ行くことは考えられませんでしたから。まさに薄氷を踏むようなきわどい状況だったわけです。

 

(参照文献)VICE

(続く)

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