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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(202)なぜ「ホワイト・アルバム」は初心者にはハードルが高いのか?

vintage everyday: Beatles Mad Day Out - Summer of '68

1 「ホワイト・アルバム」は初心者にはハードルが高いのか?

The Beatles - I Am The Walrus

コアなビートルズファンでさえ、そして、それほどビートルズについて詳しくない方であればなおさら、ホワイト・アルバムは「とっつきにくいアルバム」だと思います(^_^;)つまり、あまり初心者向けではないということですね。もちろん、いきなりここから入って虜(とりこ)になったファンも大勢いますが。

アルバムに収録されている楽曲には、それぞれその元になったエピソードがあります。このアルバムに限らずどの楽曲についても言えることですが、特にこのアルバムに関しては曲作りのきっかけとなったエピソードがそれぞれにあり、それについて理解しているのといないのとでは、アルバムに対する親密度に大きな開きが出るかもしれません。

このアルバムの楽曲の場合は、歌詞を日本語に翻訳されたものを読んでも、いまいちピンとこないのではないですか?それは、我々日本人が、ヨーロッパやアメリカの文化についてそれほど詳しくないからです。その背景を知って、改めて歌詞を読み直してみるとより理解が深まります。

 

2 遊び心にあふれた作品の数々

(1)「Rocky Raccoon

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例えば、「Rocky Raccoon」を取り上げてみましょう。この作品は、アメリカの西部劇に登場するカウボーイを話題にしています。

もっとも、今時「西部劇」とか「カウボーイ」とかといっても、もう死語になってしまっていますね(^_^;)今の若い人は、時代劇ならかろうじて分かるでしょうが、西部劇と言われても何のことだか分からないでしょう。

The Magnificent Seven Canvas Art - (16 x 20)

19世紀後半のアメリカの西部開拓時代を舞台にした小説、映画やテレビで、ハリウッド映画でもてはやされた時期がありました。でも、今はおそらくほとんど需要がないでしょうね。カウボーイが馬に乗って、腰にぶら下げた拳銃を抜いて悪人をバンバン撃つというストーリーです。日本の時代劇の西洋版みたいなものでしょうか?

今は監督として有名になっていますが、クリント・イーストウッドもイタリア制作の「マカロニ・ウエスタン」と呼ばれた西部劇の主人公として活躍したのがデビューのきっかけです。

(2)コメディ版の西部劇

A scruffy and suntanned Paul with pal, Folk singer Donovan Leitch at a Transcendental Meditation Retreat in Rikesh, 1968. Donavan had a number of hits on both sides of the Atlantic, including 'Sunshine Superman" "Catch the Wind" and the philosophical "There is a Mountain." Paul can be heard yelling in the background during the middle-eight of "Mellow Yellow," the intro of which was borrowed from Paul's "Good Day Sunshine"

この曲のオリジナルを制作したのはポールですが、インドのリシケシに滞在している時に、ジョンとドノヴァンと一緒にギターを弾きながら制作しました。最初は「Rocky Sassoon」というタイトルでしたが、途中からRaccoonに変更しました。

主人公の名前は、60年代のサイケデリックバンド「The 13th Floor Elevators」のリードヴォーカルだったロッキー・エリクソンにヒントを得たと噂されています。オリジナルのラストネーム「Sassoon」は、戦争詩人のジークフリート・サスーンまたは有名な美容師ヴィダル・サスーンのどちらかにインスパイアされたと言われています。ただし、これらの噂をポール本人が認めた事実はありません。これらはおそらく単なる噂で、事実ではないでしょう。

ストーリーが何からヒントを得たかについて、ポールは、かつてその曲を「音楽に合わせたマック・セネットの映画」と表現していました。マック・セネットはドタバタコメディの革新者で、あのチャップリンを初めて映画に主演させたプロデューサーであり、「喜劇王」として知られています。

また、ポールは、ロバート・W・サービスによる有名な詩「ダン・マクリューの射撃」も少なくとも念頭に置いていたかもしれません。物語には、男女の三角関係、拳銃による決闘、「ダン」という男性キャラクター、「ルー」として知られる女性キャラクターの名前など、いくつかの類似点があります。こちらの方はおそらく間違いないでしょう。

「これは、冴えない男の人生を面白おかしく歌った曲だ」と理解した上で改めて聴いてみると、この曲に対する印象がかなり違ってくると思います。

 

(3)ビートルズは勉強家だった

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ビートルズは音楽の天才」ということは誰もが認めていますが、大変な勉強家でもあったのです。この一つの楽曲の制作についても、上記のように実に色んな所からヒントを得ています。もっとも殆どの場合、最初から曲を作るつもりで勉強したわけではなく、好きな小説を読んだり、ドラマを観たりしていたことがヒントになったのです。

ポールに言わせると、こういった類似点は他人から指摘されて初めて気づくもので、当の本人は全く意識しないで制作したそうです。それは、ジョンやジョージについても同じですね。明確なコンセプトのあった「Blackbird」とはその点で違います。

「the doctor came in stinking of gin and proceeded to lie on the table」という歌詞が登場しますが、マーゴ・スティーヴンスというビートルズファンの女性の説では、スティーヴ・ターナーの本「A Hard Day's Write」にそのヒントがあるとのことです。

「ポールは、いたずらで投げられた石が口に当たり、口を切って歯が欠けてしまった。彼を治療するためにやって来た医者はジンの臭いがしていた。彼が酒に酔っていい加減な治療をしたため、ポールはしばらくの間、唇に厄介なしこりを持っていた。」というエピソードが登場し、彼女は、それがこの歌詞の元になったと主張しています。ただ、残念ながら、この説もポールが認めた事実はありません。

事実と噂話がごちゃごちゃになってしまってややこしいのですが、要するにそれぞれの楽曲が作られた背景は単純なものではなく、それぞれにエピソードがあってそれらを理解していないと、いくら日本語に翻訳された歌詞を読んでもなかなかピンとこないのです。

映画の字幕にも通じるところがありますね。そのまま翻訳しても外国の事情が分かっていないと意味が分からないため、あえて翻訳者が意訳することがあります。

ただでさえ楽曲が多いのに、それを一つ一つ解説していたらキリがないので、また別稿に譲ります(^_^;)

(4)何だかんだ言いながらお互いに協力していた

Ringo Starr and John Lennon recording âGood Nightâ in June 1968 John Lennon wrote this tender song as a lullaby for his son Julian Lennon.

この作品はポールの作品ではありますが、ジョンが若干手伝っています。「Julia」のアウトテイクでは、特に4人の中でも傷付きやすかったジョンが、自分の制作した優しいバラードの演奏に関して、マーティンのアドヴァイスを求めています。

ボックスセットのボーナスレコーディングである「Good Night」のアコースティック・ヴァージョンの演奏を聴けば、メンバー同士の優しい交流が垣間見られます。ジョン、ポール、そしてジョージの3人が、リンゴの暖かなリードヴォーカルをサポートする優しいハーモニーを入れています。

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確かに、1968年の長い夏の間、メンバー同士が対立することも数多くありました。しかし、まだその周辺にはたくさんの愛と親密さがあったのです。

 

3 実はレコーディング・テクニックも進歩していた

(1)ジョージ・マーティンの不在がプラスに?

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左側の人物がクリス・トーマス

マーティンは、ホワイトアルバムのセッションで完全に蚊帳(かや)の外に置かれ、9月には休暇を取りました。そこで、ビートルズは、21歳のプロダクション・アシスタントのクリス・トーマスをコントロールブースに入れました。

マーティンがいなくなりトーマスが加わったことで、却ってアルバムの制作にとってはプラスに作用した面があったかもしれません。マーティンの頭の中にはサージェントの成功体験があったようですが、トーマスには全くそれがありませんでしたから。

以前、「ホワイト・アルバムはできるだけ編集を加えないように制作した」という記事を書きました。確かに、技巧を凝らした編集こそ前回のサージェントほど多くはありませんでしたが、レコーディング・テクニック自体は確実に進歩していました。

(2)リダクション・ミックス

The Beatles' masters were originally recorded using the EMI 'British Tape Recorder' (top); after extensive tests, a Studer machine (bottom) was chosen for the digital transfers.

レコーディングの初期では、相変わらず4トラックのレコーディング・マシンを使用していたため、レコーディングできるトラックが不足し、殆どの曲がリダクション・ミックスを必要としていました。リダクション・ミックスとは、マルチトラック・レコーダーやその他レコーディング機器を用いたレコーディング・セッションにおけるテクニックの一つです。

言葉で説明するのは難しいのですが、レコーディングする際に使うテープには、当然のことながらレコーディングできる音源の数に限界があります。例えば四つのトラックのうち三つを使ってしまったとすると残りは一つしかありません。

陸上競技の100m走を想像してみてください。それぞれの選手が走るコースは、白線で明確に分けられています。4トラックとはそれが四つあると考えると分かりやすいと思います。音源が少ないレコーディングではそれでも間に合ったのですが、ビートルズの楽曲が進歩していくにつれ、到底それでは追いつかなくなりました。

そこで、一旦レコーディングしたテープを再度別のテープの一つのトラックにまとめてレコーディングし、三つの空きトラックを新たに作り、これを何度も繰り返すというテクニックが開発されました。コンピューターを使える現代なら簡単な作業ですが、アナログの時代は全て手作業ですから大変です。

クイーンが「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングした時も、これと全く同じではありませんが、類似したテクニックを使用しました。

ビートルズは、ホワイト・アルバムの制作の途中で8トラックレコーディングに移行した後は、リダクション・ミックスの必要性はなくなりましたが、オーバーダブは多く野心的に使用されました。

(3)レコーディング・テクニックの粋を結集していた

アビイロード・スタジオのエンジニアだったケン・タウンゼントが開発した独創的なADT(自動二重録音、ヴォーカルを一度レコーディングしただけで、二重にレコーディングした効果が得られた)、革新的なテープディレイ効果、テープループ、ハーフスピード・レコーディングなど、サウンドを変えるために楽器を変えるかのように、ビートルズが使用したレコーディング・テクニックの殆どすべてがこのアルバムに登場しています。

そして、ボックスセットのアウトテイクを分析した結果、「Back in the U.S.S.R.」のように単純明快にレコーディングされたように思える楽曲でさえも、実は、一つのオーバーダブに対してバッキング・トラックが全ステップで調整されていることが明らかになりました。

つまり、「ホワイト・アルバム」は、決して無計画に製作されたわけではなく、一つ一つの音源をトラックごとに作成し、それらを完全に統合するというマーティンのテクニックをそのまま維持しつつ、サイケデリックサウンドの原点ともいえる「Sgt. Pepper」よりロック志向の強いサウンドに回帰していたのです。

 

(参照文献)INDEPENDENT

(続く)

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