★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズに続いてアメリカのチャート1位を獲得した最初のイギリスのアーティストは?(482)

1 ブリティッシュ・インヴェイジョンの最初でも最後でもなかった

(1)最初の全米チャート1位を獲得したイギリスのアーティストは?

イギリスが初めてアメリカのポップチャートに進出したとき、ビートルズは文句なしのリーダーでした。実際、ビートルズ以来、イギリス、アメリカ、その他の国で、ビルボードホット100で彼らの合計20曲のナンバーワンシングルを超えたアーティストはいません。しかし、リヴァプール出身のこのグループは、アメリカのチャートでトップに立った最初のイギリスのバンドではありませんでした。トルネードスは、1962年後半にスペースロックのインストゥルメンタル曲「Telstar」でその座を獲得しました。

逆にビートルズがブリティッシュ・インヴェイジョンの最後のバンドだったというわけでもありません。1964年2月の東海岸での画期的なツアーの後、ビートルマニアに魅了されたアメリカの10代の若者たちの熱狂の波に乗って、他のバンドも次々とアメリカにやって来ました。しかし、他のイギリスのバンドが独自の地位を確立するまでには、しばらく時間がかかりました。

トルネードスが全米1位を獲得した「Telstar」のジャケット写真
 
 
 

(2)ビートルズに続いたアーティストは?

ビートルズは、初の全米ナンバーワンシングル「I Want to Hold Your Hand」の後、海の向こうの別のバンドが注目されるようになる前に、さらに4曲をビルボードチャートのトップに送り込みました。一時期、ビートルズが、全米シングルチャートのトップ5を独占していたことは有名です。

そしてついに、たとえ3週間だけとはいえ、全米の頂点に立つブリティッシュ・バンドが登場しました。そういうとローリング・ストーンズと思われるかもしれませんが、彼らではありません。ローリング・ストーンズは、1960年代後半を通じてチャートのトップを巡ってビートルズと張り合うことになりますが、1964年9月時点では、彼らが初めて全米1位を獲得するまでにはまだ1年近くあったのです。ビートルズに次いで全米1位に輝いたのはストーンズではなく、イングランド北部の工業都市出身の別のバンドでした。

 

 

2 ビートルズに続いたのは誰か?

(1)イングランド北部の工業都市出身のバンド

アニマルズ

アニマルズは、イングランドとのスコットランド国境に近いニューカッスル・アポン・タイン出身のブルース愛好家のグループです。彼らは、1964年6月に2枚目のシングルをリリースしてからわずか2か月半で、アメリカのチャートの頂点に達しました。対照的に、ビートルズ自身は、アメリカのチャートにランクインする16か月の間に、イギリスで4枚のシングルをリリースしていました。

イギリスのバンドがアメリカで初めてビートルズ以外でナンバーワンを獲得したこの曲は、ボブ・ディランがデビューアルバムで演奏していたヴァージョンを基にした、ブルースのスタンダード曲の斬新なアレンジでした。アニマルズは、1964年初頭にチャック・ベリーとイギリスツアーを行っており、自分たちやベリーが演奏する他の曲とはまったく違うサウンドで、目立つ曲を演奏したいと考えていました。

(2)その後もヒットを続けた

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彼らが「The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)」でこのサウンドを実現できたのは、リードシンガーのエリック・バードンのハスキーで力強い歌声とアラン・プライスの伝説的なオルガンアレンジのおかげです。画期的なチャートでの成功に加え、この曲のレコーディングは、フォークロックのジャンルの先駆者たち(1965年のイギリスツアーにプライスを招待したディランなど)や、ドアーズのようなブルー​​スの影響を受けたサイケロックアーティストたちに影響を与えました。

1969年に解散するまでに、このグループは、アメリカでさらに9曲のトップ20ヒットを記録しました。しかし、他のブリティッシュ・インヴェイジョン・バンドだけでなく、その後のロック音楽全体に道を切り開いた最初の偉大なレコードを超えることはありませんでした。

 

 

3 何ものにもとらわれない

(1)自由で気ままな性格だった

バードンは、ポップカルチャーの歴史において常に特異な地位を占めてきました。彼は、ニューカッスル出身の謙虚でちょっと怠惰な人物で、その声は革命のサウンドによく似合っていました。アニマルズのフロントマンとして一躍トップスターになった後も、彼は、人生をあるがままに受け入れる気楽な生き方を貫きました。

しかし、不思議なことに、そうすることで彼は仲間の間である種のアイコンとなり、その自由で気ままなスタイルでロックンロールを進歩的な新たな高みへと押し上げたのです。トップスターになってもフランクに生きるライフスタイルが多くの人々に愛されたんですね。

(2)古いフォークソングでも気にしなかった

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その典型は、彼のバンドが単に彼が気に入っていたという理由で、古いフォークソングである「The House of the Rising Sun」をカヴァーしたという事実です。本来、ロックバンドがフォークソングを演奏することはありませんでしたが、バードンは、自分のやりたいことをやりました。そして、それは革命的なことだったのです。

アニマルズとボブ (ディラン)の間にはつながりがあり、私たちの『The House of the Rising Sun』」のレコーディングでそれが実現した」とバードンは語っています。「当時その場にいた多くの人々から、それがボブをエレクトリックに転向させ、フォークスターではなくロックスターにしようと刺激したと聞いた」実際はどうだったかわかりませんが、アニマルズがディランの楽曲をロックにアレンジしたことが、彼にエレキギターを持たせる動機になった可能性はあります。

 

 

4 ビートルズの大ファンだった

(1)フォークをブルースにアレンジした

アニマルズが、1960年代初期の最高のブルース・ロック・バンドだったことは間違いありません。しかし、エリック・バードンとアニマルズが他の音楽スタイルを理解していなかったわけではありません。彼らは、ビートルズと同じようにジャンルにこだわらない音楽スタイルを確立しました。

実際、このバンドは、古くからあるアメリカの伝統的なフォークソングである「The House of the Rising Sun」を見事なブルースにアレンジしました。この曲は、伝統的なフォークソングに対する彼らの敬意と、ブルースとフォークの両方の古風なサウンドを現代風にアレンジする彼らのユニークな能力を披露しています。

(2)ビートルズの大ファンだった

1960年代の音楽界の誰もがそうであったように、バードンは、ビートルズの熱烈なファンでした。ビートルズの革新的でユニークな作詞作曲は、数え切れないほど多くの未来のアーティストの道を切り開き、その時代のほぼすべてのバンドにビートルズの影響が感じられました。当時の他のミュージシャンの多くは、ビートルズに対してライヴァル意識や軽蔑の念を抱いていたかもしれませんが、彼らとは異なりバードンは、マージーサイドのロックバンドを何度も称賛しました。

 

 

5 ビートルズに対する評価

(1)どのシングルも好きだった

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1965年12月、ビートルズとアニマルズの歴史における重要な時期に、バードンは、メロディメーカー誌で新発売の曲をレヴューするよう依頼されました。シングルのセレクションには、ビートルズの代表的シングル「Day Tripper」も含まれていましたが、バードンは特にこの曲のファンでした。彼は、こう語っています。「ビートルズのシングルがリリース当初は酷評されても、2、3日後にはみんなが気に入るというのは素晴らしいことだと思う」「でも、これはすぐに気に入ったよ」

(2)常にイギリスらしかった

バードンは、グループに対する評価を続けながら、「問題は、ビートルズについて何が言えるかということだ。彼らは、とにかく良いレコードを作り続けている」と語り、こう付け加えました。「彼らがイギリスのことについて書いていることは重要だし、実際、彼らは、もうイギリスのフォークソングを書こうとしているところだ」と付け加えました。

「Day Tripper」をフォークソングとして捉えるのはいささか難しいですが(あるいは彼は、アルバム「Rubber Soul」に収録された他の曲について触れたのかもしれません)、ビートルズがイギリスらしさを保っていたことが、ビートルズの人気の重要な側面を形成したことは事実です。特に、非常に多くのイギリスのグループがアメリカのサウンドを取り入れようとしていた時代にあって、イギリス人のミュージシャンがただそれを模倣するのではなく、自分の国のサウンドを作るということは貴重でした。

アニマルズは、イギリス北部出身のバンドであることに忠実ではなく、アメリカのブルースロックバンドに強く影響されていた側面はありましたが、ビートルズが常にイギリスらしさに敬意を払っていたことには明らかに感謝していました。その意味では、ビートルズがイギリスのフォークソングを書いていることに近かったというバードンの主張は、それほど不正確ではないといえます。やがて彼に影響されてビートルズがある楽曲を制作することになるのですが、そのお話は次回に。

(参照文献)ファーアウト

(続く)

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