★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その127)ビートルズに影響を与えたアーティストたちーエルヴィス・プレスリー(その3)

The Beatles and Elvis Presley in Los Angeles, 27 August 1965

エルヴィス・プレスリーのお話を続けます。

1 ジョンはエルヴィスに失望した

EP4

ジョンは、こよなくエルヴィスを敬愛していましたが、1958年にエルヴィスが米軍の徴兵制に従って軍隊に入隊したことを知り、大人に対する反抗的な態度は見せかけだったのかと彼に失望したのです。ジョンは、後に「エルヴィスは、入隊した時点で死んだんだ。ヤツらが彼を殺した。その後の彼は生ける屍だった。」と語っています。

当時の大人たちは、セックスシンボルとなっていたエルヴィスが入隊して2年間いなくなることで、子どもたちへの教育上の問題が無くなると喜びました。また、彼が素直に入隊に応じたことを年配者たちは称賛しました。

もっとも、彼にとっては苦渋の決断だったでしょう。拒否すれば国家に対する反逆ととられますし、逆に従えば若者たちから反発を受けます。実際、ジョンは彼に反発しましたから。

 

チャック・ベリーは、人種差別を子どもの頃からずっと受けていましたから、反体制的な姿勢を生涯貫き続けましたが、白人のスターであるエルヴィスが体制に逆らう訳にはいかなかったでしょう。

「エルヴィスが体制側に取り込まれた」ともいえますが、後にビートルズエリザベス女王からMBE勲章を授与されましたからね。この辺りは「大人の事情」というところでしょう。

しかし、除隊後、エルヴィスは、軍隊での経験をもとに「GIブルース」という映画を撮影し、主題歌も歌いました。歌詞は、辛い軍隊生活を綴ったもので、彼なりに体制に対してちょっとした反骨精神を示したのでしょうか。それにしても、何をやってもカッコいいですね。

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ビートルズが1965年にアメリカへツアーで渡った時、エルヴィスから滞在先へ電話がかかってきました。ポールは、有頂天で無邪気にはしゃいで話しました。そして、ジョンに代ろうかと尋ねると、彼は、首を振り、電話に出ることすら拒否したのです。

2 ビートルズ内での取り決め

そもそもビートルズがエルヴィスと対談するという話を最初に提案したのは、当時彼らの広報担当を務めていたトニー・バーロウでした。しかし、ビートルズは、憧れのエルヴィスに会いたいとは思っていましたが、マスコミに騒がれるのを嫌いました。スーパースター同士の対談ですから、マスコミが飛びつかないわけがありません。

エルヴィスは、映画「パラダイス・ハワイアン・スタイル」を撮影中だったこともあり、ジョージは、自分たちがエルヴィスの引き立て役に使われるのだったら止めようと話しました。

そこで、最初にマスコミをシャットアウトするというルールを決めました。写真撮影も記録もせず、事前に計画を漏らさないことにしたのです。

3 ついにエルヴィスから招待される

20世紀を代表する偉大なアーティスト同士の対談は、1965年8月27日に行われました。ビートルズは、アメリカツアーの5日目の休暇中に、ビバリーヒルズで借りていたマンションに滞在していました。

ビートルズを大きく扱った記事を見つめるエルヴィスです。何となく複雑な表情ですね。

「beatles meets elvis parker」の画像検索結果

ビートルズは、もう既に人気絶頂であり、彼らの周囲には厳戒態勢が敷かれていたにもかかわらず、ポールと運転手のアルフ・ビックネルは、いつのまにか抜け出していました。

ポールは、ロサンゼルス周辺で観光をするために変装したんです。流石に彼が変装もせずにロサンゼルスみたいな大都市をうろついたら、たちまちファンが殺到してパニックに陥りますよね(^_^;)

 

エルヴィスとの対談について、ポールはこう語っています。「僕たちは、ロサンゼルスでの滞在の終わりにエルヴィスに会った。僕たちは、何年も会いたいと努力してきたけど、なかなか会えなかった。彼とトム・パーカー大佐(エルヴィスのマネージャー)には脅威を抱いていたんだ。僕たちは何度も会いたいと伝えたんだが、トム大佐は、しばらくの間、ちょっとしたお土産をくれただけで面会はさせてもらえなかった。僕たちは門前払いされたとは感じなかったけど、そうされても仕方ないとは思ったよ。だって、エルヴィスだもん。どうしても会いたいなんて思う人物は、彼以外にいないだろ?彼がハリウッドで映画を制作していたとき、やっと僕たちは、彼から招待状を受け取ったんだ。」

4 いよいよ対談が実現

対談は、ロサンゼルスにあったエルヴィスの邸宅で行われました。ビートルズは、午後11時に到着し、エルヴィスは、大きな円形のリビングルームで彼らを歓迎しました。部屋は、赤と青の照明で照らされ、カラーテレビ、ジュークボックス、三日月形のソファー、ゲームテーブル、バーがありました。

冒頭の写真は、おそらく噂を聞いて集まったファンの誰かが撮影したものと思われます。いくら厳戒態勢を敷いても、どこからか情報が漏れるのは今も昔も変わりませんね。というより、ビートルズがエルヴィスの自宅近くに来ているのに、会わずに帰るなんて考える方が不自然です。これはもう一枚の写真です。

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実は、この時の様子について、様々な記録とビートルズがアンソロジーなどで語っていることとは概ね一致しているんですが、細かいところは微妙にズレています。何しろ公式な記録は一切なく、関係者の証言で記録が作成されましたから記憶違いもあったでしょう。

この記事は、一応、記録の方に従って書いていますので、あれ、アンソロジーと違うなと思われる部分があるかもしれませんが、そこは流しておいて下さい(^_^;)どちらが正しいのかは何とも言えません。

バーロウは続けて語っています。「我々は、午後10時を少し過ぎた頃に、パーカー大佐のスタッフが運転する3台連なった大きな黒いリムジンに彼と一緒に乗り込んだ。」「建物は2階建てで、広々とした窓と広々とした前庭があり、ロールスロイスと何台かのキャデラックが並んでいた。有名なメンフィス・マフィア(エルヴィスのボディガード)は、高いバリアを張っていたが、彼らは、我々をリムジンへ導く直線のラインを作ってくれた。」

 

いかにもスーパースターらしい物々しい警備ぶりですね。立派な体格のボディガードたちが、リムジンへビートルズを誘導するために、リムジンのドアの両脇にズラッと並んで列を作った姿は壮観だったでしょう。

全員、ボディガードのお決まりの黒のサングラスに黒のスーツだったのかもしれませんね。ちょっとビビッてしまいそうですが(^_^;)

その時の様子を語るジョージです。ビートルズは全員、そして運転手のニール・アスピノールまで「エルヴィスだ!本物のエルヴィスだぞ!」って興奮した様子を楽しそうに語っていますね。

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ジョージ・ハリスンはこう語っています。「エルヴィスとの面会は、ツアーのハイライトの1つだった。面白かったよ。僕たちが彼の家の近くに到着しても、どこに行くのか忘れていたからね。僕たちは、マルホランドの周りをキャデラックのリムジンでグルグル回っていた。僕たちは、車の後ろに2杯の紅茶を置いてたんだ。僕たちがどこに行くかは本当にどうでも良かった。ロード・バックリー(アメリカの古いコメディアン)のセリフみたいだったね。『我々は田舎に行き、麻酔作用のある植物の芽を口にしたせいで、どこにいるのかも分からない状態だったかもしれないが、自分が誰であるかはちゃんと分かっていた。』」
「とにかく、僕たちはとても楽しかった。みんな異常なくらいハイになってたよ。僕たちは、何年も大声で笑うってことを忘れてたことに気が付いた。その後色んな裁判が起きるようになった時は、とても殺風景だったけどね。でも、昔のことを思い出してみると、みんなで良く笑っていたんだよ。」
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「僕たちは、大きな門をいくつか潜り抜けると、誰かが『ああ、そうだ、これからエルヴィスに会うんだ。』と言って、笑いながら車から降り、バカにされないようにカッコをつけた。まるでビートルズのアニメみたいにね。」

 

面会は、パーカーが手配し、ビートルズとブライアン・エプスタインは、期待に胸を膨らませていました。ブライアンは、ビートルズをデッカレコードのオーディションで不合格にしたデイック・ロウに対し、「ビートルズは、いつかエルヴィスを超えるスーパースターになると私は信じています!」と涙ながらに訴えました。それが現実となったのですから、喜びもひとしおだったでしょう。

エルヴィスは、巨大なカラーテレビを音声を消して観ていて、彼の側近のメンバーと一緒にフェンダーのベースギターをアンプに繋いで弾いていました。ビートルズが到着すると、プレスリーは、彼らを巨大なリヴィングルームに案内しました。ブライアンとパーカーは、対談を見守るために脇に立っていました。 

(参照文献)The Beatles Bible, BBC

(続く)

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