★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

マルはビートルズのありとあらゆるシーンに参加した(454)

1 憧れのエルヴィス・プレスリーと面会

(1)いつもピックを持ち歩いていた

1965年8月27日、エルヴィスの自宅に招かれたビートルズとマル

アメリカ・ツアーの時に、ビートルズは、マルが長年心から尊敬していたエルヴィス・プレスリーと面会しました。マルにとっては夢のような瞬間だったでしょう。マルは、こう語っています。「それはスリルがあったけど、ある意味では私の人生で最大の失望だった。私は、本当にエルヴィスの大ファンなんだ。身長6フィート3(約192㎝)の私は、ファンの中でも最も大きな一人だ。」

「私は、エルヴィスに会いに行くための服装を準備した。スーツをクリーニングに出して、素敵な白いシャツとネクタイをして、本当に気合いを入れた。しかし、スーツがクリーニング店から戻ってくると、ポケットが縫い付けられていた。私はいつもプレクトラムアメリカではピックと呼んでいるが、それを持ち歩いていた。それは単なる習慣だ。私は今、彼ら(ビートルズ)のために働いていないが、今でもポケットにピックを持っている」

(2)肝心な時にピックを出せなかった

「それで、私たちがそこに着くと、エルヴィスが『誰かピックを持っているかい?』と尋ねたので、ポールは、私を振り向いてこう言った『ああ、マルは、ピックを持っています。彼は、常にピックを持っているんです。彼は、いつも持ち歩いています!』私は、ピックをポケットから取り出そうとしたが、すべて縫い付けられていて出せなかった。結局、キッチンでプラスチックのスプーンを割って、エルヴィスのためにピックを作ったんだ!」

「残念なことをしたよ。エルヴィスにピックを渡して弾いてもらい、それを返してもらって額に入れて飾っておけばよかったと思う」*1

マルは、ピックをいつもスーツのポケットに入れてたんですね。ところが、うっかりそれをそのままクリーニングに出したら、なぜかポケットがすべて縫い付けられて戻ってきたんです。だから、エルヴィスからピックを求められても取り出せませんでした。結局、プラスチックのスプーンを割って即席のピックを作らなければならなかったのです。マルにしてみれば「何でこんな時に」って思いだったでしょう。

 

 

2 ツアーが危険になった

(1)巨大になりすぎた

1966年8月12日、シカゴのコンサート

ビートルズのツアーが終盤に向けて多忙になるにつれ、マルは、自分の役割に負担がかかるようになったと感じました。コンサートは、安全性をほとんど考慮せずに開催されることが多く、観衆はグループにますます熱狂的になりました。

マルは、こう語っています。「アメリカの野外コンサートはひどかった。屋外で雨が降りそうになると、私は、怖くて体が硬直したよ。電線に雨が降ったら全員が感電して吹き飛ばされていただろうが、もしショーを中止していたらファンが暴動を起こしただろう」*2

コンサートが巨大になるにつれ、バンドの安全性が脅かされるようになりましたが、それを確保するという概念はまだ確立していませんでした。ビートルズは、驚異的なスピードで人々を熱狂させるようになりましたが、警備はまだ1963年当時のままで追いつかなかったのです。それまでは体格のいいマルがボディーガードとしてメンバーを守ることができましたが、大群衆の前では彼一人ではもはやどうしようもなくなっていました。屋外ライヴで雨が降ったら、感電死する覚悟でやらなければならなかったとは大変な時代でしたね。

(2)フィリピンでの惨事

1966年6月、ビートルズはフィリピン・ツアーを行いましたが、そこで大統領夫人のイメルダ・マルコスを意図せず侮辱したとされました。グループは警察の保護を失い、単独でマニラ空港に向かうことを余儀なくされました。彼らが到着すると、ビートルズとスタッフは、空港の職員や集まった群衆から繰り返し怒鳴られ、唾を吐きかけられ、突き飛ばされたり、殴られたりしたのです。飛行機に乗ると、マルは、ブライアンと報道官のトニー・バーロウとともに飛行機から降りるよう命じられました。

ジョージは、こう語っています。「彼らは、全員降りなければならなかったが、恐怖を感じた様子だった。マルは、涙を流しながら飛行機の通路で僕の横を通り過ぎ、僕の方を向いて言った。『リルに愛していると伝えてくれ』彼は、これで終わりだと思った。飛行機はもうすぐ出発するし、自分はマニラに取り残されてしまうだろう。全員の気分は、『クソったれ、何が起こるんだ?』というものだった。」

ブライアンがビートルズの2回分のコンサートで稼いだ全額を当局に渡したため、3人は最終的に再び搭乗を許可されました。この経験は、おそらくグループのツアー終了の決定につながった重要な出来事でした。ビートルズが最も切迫した死の恐怖を味わった瞬間です。これでは、もう二度とコンサートをやろうという気にはならないでしょう。実際、この年を最後に彼らはコンサートを止めました。

 

 

3 サージェント・ペパーに参加

(1)タイトルのヒント

サージェント・ペパーの衣装を選ぶビートルズとニール、マル

1966年にアルバム「リヴォルヴァー」を完成させた後、ポールは、フランスへ一人で休暇を取って旅行しましたが、ボルドーでマルと会う約束をしました。二人は、車でスペインのマドリードへ行き、その後ケニアでサファリ休暇を過ごしました。

イギリスへ戻る飛行機の中で、マルは、ポールに塩とコショウの小袋に書かれているSとPは何を表しているのか尋ねました。このやりとりでポールが「サージェント・ペパー」というアルバム・タイトルを思い付いたとされています。

(2)マルもレコーディングに参加した

アルバムでは、さまざまな場所でマルのサウンドが聴こえます。彼は「Being For The Benefit Of Mr Kite!」ではハーモニカを演奏し、「A Day In The Life」では時計のアラームを鳴らしました。

彼は、また、後にオーケストラのクレッシェンドが追加される小節を数え、象徴的な最後のピアノコードの奏者の一人でもありました。また、彼がいくつかの曲、特に「Fixing A Hole」 の作曲に協力したという証拠もいくつかありますが、彼が作詞作曲のクレジットを受け取ったわけではありません。

ポールは、こう語っています。「ある時点で、僕らはマルに、リズミカルな道具として砂利がいっぱい入ったバケツを掬うように頼んだことを覚えている。そういうトラックをやっていてちょっと笑った。マルは、『Maxwell’s Silver Hammer』でも金床を叩き、『Yellow Submarine』でさまざまな装置を操作するのに非常に役立った。彼は『A Day In The Life』で目覚まし時計を鳴らした。僕らをサポートしてくれる人間が必要になったとき、彼はいつもスタジオにいた」

「『Being For The Benefit Of Mr Kite!』というオルガンの音を長く続ける必要がある曲があったのを覚えている。それで私は、マルに『ほら、それがその音だよ』と言った。そこに小さなマーカーを付けておき、『僕がそこに来たら、それを弾いてくれ』。彼は、その通りにやった。それで、『首を振ったら指を離してくれ』と言った。そういたところで彼は、とても助けてくれた」*3

ミュージシャンではないマルがレコーディングに参加すること自体が異例でした。しかし、ビートルズは、実験的な楽曲を数多く制作していたので、彼が参加することが必然的に増えたのです。マル自身は、とても楽しんで参加していたようです。

 

 

4 ありとあらゆるところで参加

映画「HELP!」に出演したマル

マルとニールは、ピーター・ブレイクとヤン・ハワースがデザインし組み立てた有名なサージェント・ペパーの表紙のポートレート収集に協力しました。ニールは、こう語っています。「このスリーヴは、ピーター・ブレイクとの会話の結果として生まれた。彼らは、背景に立ってほしい人物のリストを持っていたので、マルと私は、さまざまな図書館を訪ねて彼らのプリントを入手し、ピーター・ブレイクがそれをちぎって色付けした」*4

マルが参加したアルバムは、サージェントだけではありません。彼は、「You Won't See Me」の最後のヴァースでオルガン単音を演奏し、「Dear Prudence」ではバッキング・ヴォーカルと拍手、「Helter Skelter」 ではトランペットを演奏しました。

彼は、映画「Help!」にオーストリアで混乱する水泳選手として出演し、再びバハマのビーチに登場しました。「Magical Mystery Tour」ではマジシャンの一人として参加しました。そして、映画「Let It Be」の中で、特に有名なルーフトップ・コンサートのシーンの終盤で登場します。

マルは、アップル社の玄関で二人の警官を出迎え、「Dig A Pony」の演奏の終わり頃に彼らを屋上に連れて行きました。ビートルズが「Get Back」を演奏している間、彼は、ジョンとジョージのアンプの電源を切るよう警官から指示され、それでコンサートが一時中断しました。マルがビートルズが演奏を続けることを許可してもらおうと、警官と話し込んでいるシーンが写っています。彼もビートルズと警官の板挟みになって辛かったでしょうね。マルが書いた日記では、階段を上る途中で警官が彼を逮捕したが、ポールが警官に謝罪し釈放されたと記録されています。

(参照文献)ザ・ビートルズ・バイブル

(続く)

 

 

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