★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

下積み時代にあらゆるジャンルの曲を取り入れた(402)

1 レイ・チャールズにも影響された

(1)レイもジャズを愛していた

レイ・チャールズ

ジャズがビートルズのファーストアルバム「Please Please Me」に影響を与えた形跡は二つ考えられます。一つは、時折聴こえるラテンのタッチであり、もう一つは、レイ・チャールズとのつながりです。

レイ・チャールズは、R&B、ソウルの巨人ではありますが、生涯を通じてジャズの世界と密接に関係しています。例えば、彼のミュージシャンとしての人生は、ナット・キング・コール・トリオに共鳴することから始まり、クインシー・ジョーンズに最初のモダンジャズのコードを教えたといったことなどです。

(2)ビートルズはレイに引き寄せられた

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ビートルズは、レイが磁石とすれば、それに引き寄せられた鉄のような存在でした。彼らは、ハンブルグでのライヴでは、レイのナンバーを盛んに演奏しました。「Hallelujah I Love Her So」「I Got A Woman」、そして「What I'd Say」の30分にわたる観客をも参加させて会場を盛り上げるヴァージョンなどをいつも演奏していました。レイは、ジャズに馴染めないリスナーたちに、正しくそしてさりげなくバトンを渡す存在だったのです。

ハンブルクで演奏されたナンバーを見れば、ビートルズがそこで演奏したジャンルの広さが分かります。ポピュラー音楽をスペクトルに例えるなら、レイはその中心に位置し、ジャズは左に、ロックンロールは右に広がっているように見えるかもしれません。

ポールが語ったところによれば、ジョン、ポール、ジョージがリンゴと初めてセッションした時演奏したのが「What’d I Say」でした。偶然ですが、レイが彼らを結びつけたといえるかもしれません。その時ピートが欠席したので、リンゴが代役でドラムを叩いたのですが、当時、一流のドラマーでも難しかったこの曲のリズムを、リンゴはこともなげに刻んでいたのです。ポールは、それまで聴いたことのない完璧なビートがバックから流れてきて、3人があっけにとられて顔を見合わせたと楽しそうに語っています。

(3)バート・バカラック

「雨にぬれても」の作曲者として有名なバート・バカラックが書いたこのアルバムの曲、シュレルズの「Baby It's You」のカヴァーもジャズとの関連性を否定できません。バカラックは、フランスのクラシック音楽の作曲家ダリウス・ミヨーに師事しました。ミヨーは、ジャズを手本にし、ジャズの影響を受けた最初の主要なクラシック作品の一つである、1924年の有名な「世界の創造(Le Creation du Monde)」の作者でした。

ミヨーは、バカラックに「メロディーをはっきりと輝かせるように」と助言したと伝えられています。これがクラシックの原点なのか、それともミヨーが新しいジャズそのものから得たものなのかは議論の余地があります。

 

 

2 ハンブルクで鍛えられた

(1)何でも演奏した

ビートルズは、1960年から1962年末にかけてドイツのハンブルグで演奏しました。彼らは、ほぼ毎日朝から晩までステージに立って演奏しました。必然的にレパートリーを増やさなければ客の期待に応えることはできません。彼らは、客が喜びそうなナンバーであれば何でも演奏しました。

もし、彼らにこの経験がなかったとしたら、後年あれほどの幅広いジャンルの楽曲を制作できたかどうかわかりません。もちろん、天才の彼らですからこの経験がなかったとしてもできたかもしれませんが、ここでの貴重な経験は決して無駄ではなかったどころか、彼らのポテンシャルとして大いに役立つことになったのです。

(2)あらゆるジャンルの曲を探した

ビートルズは、当時および過去40年間のポピュラー音楽のすべてを、ほぼオンデマンドで提供することが必要でした。彼らは、あらゆる種類の新譜を熱心に探していたと言われていますが、それを裏付けるような証言があります。「Moonglow(1933年に発表されたジャズのスタンダード・ナンバーでベニー・グッドマンらにより演奏された)」や「Falling In Love Again(1930 年にフリードリッヒ・ホランダーが作曲し、往年の大女優マレーネ・ディートリッヒが歌ったドイツ語の歌の英語ヴァージョン)」のようなスローテンポな曲は、熱狂的なチャック・ベリーのロックンロールを演奏する間の良い息抜きになったのです。翻って、彼らがこうした古いナンバーを演奏することは、駆け出しのバンドマンであった彼らにとってとても良い勉強になったのです。ことわざでいえば「温故知新」といったところでしょうか?

ジョージは、ビートルズの歴史を口述した著書である「The Beatles-Inside The One And Only Lonely Hearts' Club Band」(Allen & Unwin, 1998)の中で次のように語っています。「毎晩8時間演奏しなければならなかったから、レパートリーをたくさん増やしたんだ...何でもやったよ。何度も同じ曲を演奏しなくても済むように『Moonglow』や他の古い曲もたくさん演奏していた。」

もちろん、酒場ですから同じ客が長時間居座ることはなかったかもしれませんが、それでも一日中同じような曲ばかりを繰り返し演奏するというわけにはいかなかったのでしょう。並みのバンドなら毎日似たような曲ばかり演奏したでしょうが、彼らは、それに飽き足らず貪欲に幅広いジャンルの曲をレパートリーに加えました。

と口で言うのは簡単ですが、これって他人の曲を自分のものにしなければならないのですから大変な努力が必要です。同じギャラなら手を抜きたくなるでしょうが、彼らは、それを潔しとせず次から次へと新曲を加えていったのです。

 

 

3 時代が新しいジャンルを求めていた

ベニー・グッドマン

ビートルズがカヴァーした「Moonglow」は、スウィング・ジャズのスタンダードナンバーです。ベニー・グッドマンとアーティ・ショーの両者が小編成のバンドでレコーディングしたヴァージョンは、この時代の最も有名なレコードの一つです。音楽についてあまり語ることのなかったピート・ベストも珍しくこの当時の音楽事情とビートルズのそれに対する反応について語っています。「僕らは、いつも何か違うものを探していたんだ。どんなレコードでも聴いていた...そしてその頃、人々は、本当に新しいリリースに目を通し始め、何が違うのか、ブルースやジャズのようなものを探し始めたんだ。みんな、他の人とは違うものを手に入れようとしていたんだ」

どうやら新しい音楽を探し求めていたのはビートルズだけではなく、少なくともリヴァプールの人たちは同じような傾向だったのですね。おそらくこの頃は、ポピュラー音楽の流行がジャズからロックへと移行する過渡期だったと思います。それまでスタンダードだったジャズに代わる新しい音楽が何かないか、人々は探し求めていたのでしょう。ビートルズが脚光を浴びたのは、そんな時代背景も関係していたかもしれません。

 

 

4 スタンダードを自分たちのオリジナルに

(1)何でもレパートリーに加えた

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ビートルズがバンドを結成して音楽をやろうと考えたきっかけはロックンロールであったことは間違いありません。しかし、彼らは、アマチュア時代からも他のジャンルの曲に興味を示しており、特にハンブルグへ巡業してからは、ありとあらゆるジャンルの古い曲から新しい曲まで貪欲にレパートリーに取り入れました。

ビートルズは、1941年にリリースされたジャズの「September In The Rain」をデッカ・レコードのオーディションで演奏しました。他にも「I Remember You」「Red Sails In The Sunset」のようなセンチメンタルなバラードも自分たちのレパートリーに入れていました。

でも、彼らがひとたび演奏するとロックンロールになるんですよ。ビートルズが素晴らしいのは、カヴァー曲をアレンジする能力の高さです。ジャズであろうと何であろうと、ビートルズというフィルターを通せばみんな彼らのオリジナルになってしまうのです。このアレンジ能力の高さが、後の楽曲制作に大いに貢献したことは言うまでもありません。

(2)ラテンやロカビリーも

彼らがカヴァーした曲の中には「Besame Mucho」「Mister Moonlight」のようなラテン系のヒット曲もありました。また、ロカビリーの「Lend Me Your Comb」やコミカルなノベルティソングの「Your Feet's Too Big」もありました。ここまで来ると、もはやなんでもありですね。

これらの曲は、1962年12月にスター・クラブで行われたビートルズのライヴで演奏され、後にアルバム「The Beatles Live At The Star Club」として1977年にリリースされました。セット・リストの半分は、ジャズやラテン、ノベルティソング、残りの半分はロックンロールやゴフィン=キング、マン=ワイル、エヴァリー・ブラザーズの曲もあります。後にビートルズは、ジャンルにとらわれないユニークなオリジナル曲を数多く制作しましたが、その背景にはこういったあらゆるジャンルの曲を、自分たちのレパートリーとして貪欲に取り入れたことがあったのは明らかです。

(参照文献)オール・アバウト・ジャズ

(続く)

 

 

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