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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その105)ビートルズのテレビ出演(その3)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 マザー・テープの素晴らしいクオリティ

この時のことについて、ワイルドはこう語っています。

 

「偶然にも私の父のジェフ・ワイルドも当時キャヴァーン・クラブで演奏していて、オープンリール・デッキを持っていて、まだ十分使用できたので再生することができた。その瞬間、これはあまりにも単純な見落としであり、アンソロジー・プロジェクトの制作者はこのテープを見落としたんだと感じた。」

 

「我々は、2台のカメラをセットし、私はゴム手袋をはめてテープをうやうやしく箱から取り出し、デッキにセットした。ハンプの家族が固唾をのんで見守る中で、私の心臓の鼓動は激しくなり、気分が悪くなりそうだった。その瞬間、いきなり私がかつて聴いたことのある中で最もダイナミックなライヴ演奏が始まったのだ。これは、バトラーが3本のマイクで収録した『サム・アザー・ガイ』であることを証明するものだった。」

 

「公正な立場に立っていえば、近年、我々が過去の作品として聴いてきた物の中でも、デジタルリマスターされた物に匹敵すると書いて差支えないだろう。楽器もヴォーカルもクリアに聴こえ、キャヴァーンの雰囲気すら感じることができた。私の父がかつて演奏していたキャヴァーンと同じ雰囲気を感じて、私は喜びのあまり涙をこぼし、ハンプの息子のアシュリーと5時間を過ごした後、ハグしたよ。」

 

「これは歴史的瞬間であり、我々はテープを再生して何の問題もなかったことに安堵の溜息を洩らした。そして、テープは、演奏後にジョンが良くやっていた『こいつは、もう1回やらなきゃダメだろうな。』という皮肉っぽいセリフで終わっていた。これは、バトラーが再度収録したものの、やはり満足のいく仕上がりにはなっていなかったことを示すものであり、何よりジョンのこの言葉にそれが現れている。」

 

「ハンプは、すぐさまこのテープをオークションに掛け、その売り上げを寄付することに決めたのだ。ブライアンは、このマザーテープをアセテート盤にダビングしたものを所有していたが、音質はテープには及ばなかった。」この写真は、テープの写真を手にするハンプとワイルドです。

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ビートルズに関しては、50年以上の長きに亘り、世界中の人々が研究し、文献を残し、アイテムを収集してきました。もう彼らについての記録もアイテムも何も残されていないかにみえましたが、そうではなかったのです。

 

後知恵かもしれませんが、何故、もっと早くハンプに直接取材しようと誰も考えなかったのでしょうか?彼がまだ生きていたから良かったようなものの、もし、亡くなっていたら彼の遺族によって他の遺品と一緒に処分されてしまっていたかもしれません。

 

2    実質的なテレビ初出演 

そして、彼らがEMIと契約し、「ラヴ・ミー・ドゥ」をリリースした後、ハンプは、グラナダテレビで1962年10月17日放送の「ピープル・アンド・プレイスィズ」に彼らを出演させることを決め、今度は本当にミュージシャンとして演奏することになったんです。リハーサルは午後3時から4時の間に行われ、マンチェスターグラナダテレビセンターの第4スタジオから午後4時15分から6時にかけて放映されました。

しかし、前述のように1回目と2回目はこの後で放映されましたから、実質的にはこちらの方がテレビ初出演ということになります。それに前回は、あくまでもローカルニュースの中で「今話題のバンド」という扱いでしたが、今回はバンドとして演奏したのですから、これが本当の意味でのテレビ初出演ということになります。

 

この時、ビートルズは、「ラヴ・ミー・ドゥ」と「サム・アザー・ガイ」の2曲を演奏しました。そうです、あの記念すべきデビュー曲のラヴ・ミー・ドゥがこの時、初めてテレビで放送されたのです!しかも、この時は収録ではなく生放送だったようです。

 

これは、出演に際してリンゴがグラナダTVと交わした契約書です。本名のスターキーになってますね。おそらく、彼がまだビートルズのメンバーになったばかりだったので、個別に契約が必要だったのかもしれません。

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グラナダTV(現ITV グラナダ)は、3チャンネルでイギリス北西部のローカル局でした。「ピープル・アンド・プレイスィズ」は、イギリス北部のローカルニュースを放送する番組でした。

 

先にお話ししたように、彼らは既に1962年8月22日と9月5日に同じテレビ局の収録をしていましたが、これは出演というよりは今話題のミュージシャンというローカル・ニュースの扱いでした。後にこの番組の名称は、「シーン・アット・6:30」に改められます。プロデューサーのハンプは、実際にハンブルクビートルズのパフォーマンスを観たことがありました。

ジョージの女友達だったアイリス・コールドウェルは、こう語っています。

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「放送が終わると直ぐにジョージが私の母に電話してきて『どうだった?』って聞くのよ。すると母は、『良かったけど、あなた、印象が薄いわよ。もっと笑顔を見せないとうまくやっていけないわよ。』と言ったわ。そしたら、次に彼は『今度は笑ってみたよ。これでいい?』母『前よりは良くなったけど、もうちょっと笑顔を見せた方がいいわね。』母は、彼らに正直にアドバイスしてたの。」

 

ジョージは、後に「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」と呼ばれることになりましたが、もうその兆しがこの頃から現れてたんですね(笑)

 

そして、ビートルズは、「ピープル・アンド・プレイスィズ」「シーン・アット・6:30」に11回、キャヴァーンでのライヴとマンチェスターグラナダTVのスタジオでの放送局での収録で出演しました。何回かは生でしたが、それ以外は口パクだったようです。

 

「ピープル・アンド・プレイスィズ」は、彼らが初めて出演したテレビ番組ということもありますが、元々地元のローカル局だったので親しみがあったんですね。ビートルズは、マンチェスターにあるグラナダ・テレビ・センターへ行き、カメリハを午後3~4時、4時15分~6時にやりました。そして、番組は午後6時35分~7時に生放送されました。

 

これが貴重なその時の写真ではないかと思われます。

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3 放送もブレイクに貢献した

この日の放送は、前後にキャヴァーンでの演奏が放送されました。ブライアンは、当時のことを振り返り、ビートルズは、このローカル局での放送を無いよりはましだ位に考えていたと語っています。全国放送ではないので、一部の地域でしか見られませんからね。彼らは、もはやこの程度では満足せず、ヒットパレードに名前が揚がり、売れることを熱望していたのです。

 

とはいえ、「ピープル・アンド・プレイスィズ」に出演できたことは、デビューとしてはまずまずだったといえるでしょう。いや、それどころか後述しますが、これが彼らをブレイクさせる大きなきっかけとなったんです。

 

この番組のプレゼンターはゲイ・バーンでしたが、ジョンは、「ラヴ・ミー・ドゥ」を演奏した後、彼にとても感謝しました。というのも、流石のビートルズも初のテレビ出演で緊張していて、何台もの真っ黒なでかいカメラが迫ってくることに恐怖心を覚えていたのですが、彼がうまくリラックスさせ、勇気づけてくれたからです。

 

テレビで放送された結果、「ラヴ・ミー・ドゥ」は、特にイギリス北西部で大きく売り上げを伸ばしました。この放送が、曲のチャートを押し上げることにかなり貢献したのではないでしょうか?レコードがリヴァプールなどのイギリス北西部で多く売れたことがこの事実を裏付けています。なお、以前にもお話ししましたが、ブライアンがレコードを買い占めたというのは単なる都市伝説に過ぎません。


ビートルズの初出演は、台本通りにはいきませんでした。というのも彼らは、放送の終了まで終始おどけていたからです。彼らは、出番が終わるまでじっと立ったままでいるのは、あまりにも生真面目すぎると感じたのです。それで、彼らは、ジャンプして「ハロー、マム!」などと叫んでいました。

 

これは生放送だったんですが、テープには収録されませんでした。したがって、残念ながら映像は残っていません。まだ家庭にホームビデオがない時代でしたから、誰もこの放送を録画した人はいませんでした。「サム・アザー・ガイ」は、その後スタジオで収録されることもなく、貴重な口パクではない生演奏だったと思われます。

 

マーク・ルイソンによると、この時の彼らのパフォーマンスはとても素晴らしいもので、おまけに曲と曲の間に何とリンゴがギターをかき鳴らして繋いでいたんだそうです。いやあ、惜しいなあ~。

 

これは、1962年10月29日に放送された音源の一部です。

www.youtube.com

この曲は、この後も何度か演奏されましたが、殆どが生演奏だった可能性が非常に高いです。当時、それを観た人の記憶に残っているだけです。もし、この時の映像が発見されたら、例え、それがテレビ画面を8ミリビデオで録画した物であったとしても、とんでもない値段が付くでしょうね。

 

あ、でも、ありましたありました。映像ではないんですが、アドリアン・キレンという16歳の少年が、オープンリール・テープで当時の放送を録音していたんです。このテープは、現在アップルが所有しています。

 

ビートルズの才能を見抜いたハンプは、彼らをこの番組にレギュラー出演させることにしました。この事実も彼らのその後のブレイクに大きく貢献したことは間違いありません。

(参照文献)WogBlog, BEATLES MUSIC HISTORY,THE SOURCE

(続く)

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(その104)ビートルズのテレビ出演(その2)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 ようやくテレビで放送される

「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!のオリジナルは、リトル・ウィリー・リトルフィールドが制作しました。それをリトル・リチャードがカヴァーし、さらにそのヴァージョンをビートルズがカヴァーしました。ビートルズがリチャードのヴァージョンをカヴァーしたことは、1959年にそれがリリースされた時にHey-Hey-Hey!が付け加えられたことからも分かります。ビートルズは、遅くとも1961年のドイツのハンブルク巡業の頃にはこの曲をレパートリーに入れていました。

 

「Cansas City」のテープが終わると、クルーは撮影が終わったとビートルズに告げました。バトラーは、この時のライブの他の曲も収録したようですが、どうやら「Some Other Guy」と「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」の2曲だけが生き残ったようです。後者は、1995年に「アンソロジー・ドキュメント」としてリリースされました。しかしながら、最初の1分間を聴くと、ピッチが遅く、ビートルズとマネージャーのブライアン・エプスタインがキャヴァーンでの思い出を語る声が被ってしまっていました。

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この約1か月後に、ビートルズは、記念すべきファーストシングルの「Love Me Do」をリリースし、レコード・デビューを果たします。この瞬間、彼らは「レコードを出していないプロ」から「レコードを出したプロ」にランクアップしたのです。

 

でも、まだこの頃は、彼らにはキャヴァーンで演奏するという契約が残っていました。彼らはそれから次々とヒットチャートNo.1を獲得し、やがてキャヴァーンを卒業することになります。もう少し、この頃の映像が残っていれば良かったですね。

しかし、再度収録したにもかかわらず、やはり、画質や音質が悪いため「Know The North」では放送されませんでした。その頃ビートルズは、まだ国民的なスターではありませんでしたから、放送されなかったとしても仕方なかったでしょう。ただ、幸いなことにこのフィルムは廃棄されることはなく、その後にビートルズが世界的なアーティストとなった時に、貴重な記録として残されたのでした。

 

グラナダ・テレビは、暫くテープの放送を見送っていましたが、ビートルズの人気が高まるにつれ、ようやく1963年11月6日に「シーン・アット・6:30」という番組で「Some Other Guy」を初放映しました。反響が大きかったのでしょう、グラナダ・テレビは、それ以降何度も繰り返し放送しました。番組名が変わっていますが、名前が変わっただけで同じ番組です。

 

2 テレビ業界で初めてビートルズを発掘した人物

実は、このグラナダテレビのシーン・アット・6:30という番組、地方のローカル局の番組と侮れないなかなかの目利きだったんです。ビートルズを始め、その後もハーマン・ハーミッツ、ホーリーズ、ザ・キンクスザ・フー、シーラ・ブラック、ローリング・ストーンズなどがここを訪れ、最新のレコードを視聴者に披露し、どこよりも早くイギリス北西部でブレイクするきっかけを作ったのです。

 

その立役者は、プロデューサーのジョニー・ハンプでした。彼は、ミュージシャンの資質を見抜く才能を備えていたのです。彼は、多くの才能ある若いミュージシャンを発掘し、彼らを勇気付け、テレビへ出演させたのです。以前、BBCラジオのピーター・ピルビームが業界人として初めてビートルズに着目したことを紹介しましたが、テレビ業界でビートルズに最初に着目したのはハンプです。やはり、何が一流かを見極める能力はこの業界で勝ち残るためには必須なんですね。彼は、テレビにおける音楽番組の黄金時代を築き上げた人物の一人です。

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グラナダテレビは、1984年1月1日に「ジ・アーリー・ビートルズ」と題するドキュメンタリーを放映しましたが、その時に使用された映像は、この最初のものではないかと考えられています。そして、市中で出回っているのは、この時放映された映像を録画したものではないかと言われています。

 

最初に収録された画像では、観客の側からのワンショットのみで撮影されています。しかし、その後出回っている画像は、左右にズームインしたりアウトしたりパンしたりしています。こういった違いがこの映像に関して様々な議論を生む要因になっています。

3    アセテート盤へのダビング

放送を観たブライアンはとても感激し、バトラーに依頼してテープから5枚のアセテート盤をプロモート用にダビングしてもらいました。(その10)でも少し触れましたが、A面が「Some Other Guy」、B面が「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」です。このうち1枚をキャバーンの支配人のレイ・マックフォール、2枚をブライアン、1枚をキャヴァーンのDJのボブ・ウーラーに渡しました。

 

しかし、ウーラーは、保管していたアセテート盤を1993年に盗まれてしまいました。そして、同じ年にクリスティーズのオークションで16,000ポンドでアップルが落札しました。それがウーラーのものだったのかどうかは分かりません。それは、分割され、アンソロジーのTVシリーズに使用されました。

 

ところが、どういうわけか2013年7月の最後の週にインターネットに投稿があり、アセテート盤からノーマルのテンポに編集された曲が流れたのです。一体、誰が編集して投稿したんでしょうか?アップル内部の関係者でしょうか?

 

それにしても残りのアセテート盤は誰が所有しているんでしょうか?いつかオークションに出品されるかもしれませんね。ジョンのギターもそうですが、こういうお宝って突然現れたりしますからね。

 

4 マザー・テープの発見

その例として、アセテート盤ではなくオリジナルのオープン・リール・テープが、プロデューサーだったジョニー・ハンプの机の引き出しから2015年に発見され、リヴァプールでオークションに掛けられ、アップル・レコードが16,500ポンドで購入しました。ね、こんなこともあるんですよ。そのテープがこれです。箱に「THE BEATLES SOME OTHER GUY」とありキャヴァーン、1962年9月5日の日付とバトラーのサインがあります。

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このテープが発見されたのは本当に偶然でした。2014年5月のことです。音楽歴史家のポール・ワイルドは、ハンプが1960年代の音楽、特にテレビ番組で残した偉大な功績について取材していました。

 

取材中にハンプが「そういえば、こないだ机の引き出しを開けたらこんな物が見つかったよ。」と、ワイルドにある物を見せたのです。ワイルドは、目を疑いました。えええ〜〜っ、マジか⁉️これ、「Some Other Guy」のマザー・テープじゃん!(◎_◎;)アセテート盤があるのは知ってたけど、マザー・テープがあるなんて初めて聞いたよ!

 

もちろん、彼は、ビートルズの歴史についても熟知しており、彼らのキャヴァーンでのライヴが1962年8月25日と9月5日に2度に亘って収録されたことも知っていました。しかし、誰に聞いても9月5日に収録されたテープは紛失されたと信じられてきたんです。その「幻のお宝」がひょっこり目の前に現れたことがとても信じられなかったのです。まさか、50年もの間ハンプの事務所の机の中にあったのに、誰もそのことに気づかず今頃現れるなんて。

 

このお話の続きはまた次回に。

(参照文献)The Beatles Rarity, the beatles in manchester, THE SOURCE

 (続く)

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(緊急速報)ポール・マッカートニーが紅白歌合戦にサプライズ出演し、2017年の来日コンサートを発表しました!

ビートルズ ポップス 洋楽

ブログをご覧の皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

1 嬉しいサプライズ

何と、ポール・マッカートニーが2016年12月31日に放映されたNHK紅白歌合戦にサプライズ出演しました!

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Facebookビートルズのファン・グループで、「ポールが紅白にサプライズ出演する」という情報は流れていたのですが、まさかそんなはずはないだろうと半信半疑でした。しかし、万が一があってはならないと、注意深く観ていたのです。

 

そしたら、突然、司会者の元にメモが届けられたかと思うと、2016年はビートルズ来日50周年だったというスクリプトが流れ、その後にポール自身のビデオ・メッセージが届けられたのです。そして、嬉しいことに2017年に来日コンサートを開催することを約束してくれました。

 

いやはや、ビックリするやら嬉しいやら。来日50周年の最後の日の大晦日にこんなメッセージを届けてくれるとは、NHKもなかなか粋な計らいをしてくれたもんです。

 

実は、湯川れい子さんが内々にポール側と交渉して、2017年中に来日コンサートを開催するという話を進めていたという話はかなり以前から知っていたのですが、それがまさかこんな形で公表されるとは思っても見ませんでした。

 

2 来日コンサートの日程

4月27、29、30日に東京ドームで開催されます。残念ながら、今回はその他の都市では開催されないようです。詳しい情報は、ポールのHPに掲載されています。

oneonone-japantour.jp

 

3 東京ドームでお会いしましょう!

それでは、皆さん、東京ドームでお会いしましょう!もう今から楽しみで待ちきれません。今年はとても楽しい1年になりそうです!

(続く)

 

 

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(その103)ビートルズのテレビ出演(その1)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 ビートルズのテレビ出演

ビートルズは、ラジオだけではなくテレビにも何度も出演しています。今回は、彼らのテレビ出演についてご紹介します。

  

記念すべき初出演は、1962年8月22日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブでした。テレビ局のスタジオじゃなかったんですね。もっとも、初出演といってもバンドとして本格的な演奏を披露したわけではなく、あくまでも「今話題の人」といった感じのニュースの扱いでした。126回目のランチタイム・ショーだったと記録にはありますけど、ホントに126回目かどうかは分かんないですよf^_^;

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サラリーマンみたいにタイムカードを押してたわけじゃないですからね。もっとも、いつ頃、何回出演したかは当時の状況からほぼ分かっているので、それ程外してはいないはずですが、そもそもキャヴァーンに出演した総回数自体にも諸説ありますから。

 

撮影したテレビ局は、グラナダテレビというイギリス北部のローカル・テレビ局です。収録は午後からでしたが、ビートルズは、早朝からリハーサルを始めました。


そして、記念すべきなのは、この時に初めて正式にリンゴがビートルズのメンバーに加わったことです。下の写真を見てください。これはおそらくリンゴが正式なメンバーとして撮影された初めての写真と思われます。バスドラムのロゴが「ザ・ビートルズ」ではなく、まだ「リンゴ・スター」のままになっていますね。

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(totaldrumsets)

ランチタイムのパフォーマンスは、だいたい午後12時から2時ごろまで開かれていました。彼らのパフォーマンスは、合計すると218回、そのうちイヴニングタイムは、93回とされています。

ファンからビートルズという成長著しいバンドがいるという手紙を受け取ったマンチェスターグラナダテレビは、「Know The North」という番組の収録で彼らを取材することを決めました。彼らは、1962年7月26日に初めて、サウスポートのケンブリッジホールで彼らのパフォーマンスを見ました。撮影クルーは、照明などをチェックするために8月1日にキャヴァーンを訪れました。

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8月22日、クルーは、リッチー・バレットの「Some Other Guy」を演奏するビートルズを撮影しました。それは良かったんですが、撮影は、ドラマーのピート・ベストがビートルズを解雇された僅か1週間後に行われるという、何とも最悪のタイミングでした。

 

彼がビートルズの中でも最も人気があったため、キャヴァーンはいつもと違う殺伐とした雰囲気に満ちていました。ファンにとってピートの解雇は寝耳に水の話で、不満を抱いたファンが大勢詰めかけていたのです。ファンは、「Pete for ever, Ringo never(ピートは永遠に リンゴは要らない)」「Pete is Best(ピートが最高)」とクラブの入口で口々に叫んでいました。

 

ジョージは、キャヴァーンに入る際にピートのファンだったブルーノという青年に殴られ、目の下に黒いあざを作ってしまいました。これは1962年9月4日にEMIスタジオで撮影された写真です。ああ、可哀想なジョージ!

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この日、テレビ・クルーは、観客側からのシーンしか撮影しなかったようです。色々なアングルでビートルズや観客を撮影したシーンが登場しますが、あれはどうやら2回目に撮影したフィルムを編集したようです。

 

演奏が終わった直後に「We Want Pete!(ピートを出せ!)」と叫ぶ男性ファンの声が収録されています。ジョンは、「イエー!」と言い返していますが、一瞬、表情が強張ったように見えるのは錯覚でしょうか?その時の映像がこれです。

youtu.be

当時、グラナダ・テレビのプロデューサーだったジョニー・ハンプは、こう語っています。「ビートルズは、キャヴァーン・クラブで初めてテレビ・カメラの前で『Some Other Guy』を演奏した。リンゴは、ただそこにいただけだ。良く注意して聴くと、ファンが『ピートを出せ!』と叫んでいるのが聴こえると思う。」

 

3 放送はされなかった

ハンプは、さらに続けてこう語っています。「ビートルズとは別に、彼らはまた『ブリッグハウス・アンド・ラストリック・ブラスバンド』も撮影したんだが、どちらのフィルムも2つの理由で放送されなかった。1つはあまりにも画質が悪かったからだが、もっと重要な理由は、ブラスバンドが出演者に対し、労働組合に加入していることを要求していたからだ。組合に加入しているバンドは半数近くもあった。だから、結局すべてカットされてしまったんだ。ブライアン・エプスタインは、私に電話してきて何とか放映してもらえないかと頼んできた。」

 

「フィルムの画質なんか今となってはどうでもいい。もし、沈没しつつあるタイタニックのフィルムがあれば、それがどんな代物でもそれだけで歴史的価値がある。」

 

キャヴァーンは地下でしたから、照明が不十分だったんでしょうね。今ならカメラの性能も向上していますから、良い画質で撮影できたでしょう。それと音響も劣悪な環境でした。後年になってリマスターされたフィルムは、綺麗に修正されています。このシーンは、2016年に全世界で公開されたドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」でも使用されました。狭いクラブが観客で溢れ、彼らがビートルズのサウンドに魅了されている様子が伝わってきます。

 

それにしても、当時の組合の圧力ってかなりのもんだったんですねf^_^;バンドのメンバーは労働者階級が多かったわけですから、彼らの権利を守るために組合に加入していないバンドに圧力をかけたのでしょうが、ビートルズ及びファンにとっては不幸な出来事でした。ですから、正確にいうと収録はされたが、放送はされなかったということですね。

 

オリジナルの音声と映像は僅かにずれていますし、ジョンとポールがヴォーカルをやっているのに、ジョンのヴォーカルだけが聴き取れ、ポールのそれは聴き取れません。ビートルズ海賊版のコレクターは、「Some Other Guy」の2つの音声ヴァージョンが出回っているが、いずれもこの日に録音されたのか、それとも後日に音声がダビングされたのかについてずっと議論し続けています。

 

ところで、この演奏を聴いてどう感じますか?我々はその後のビートルズを知っていますから、フラットな立場で聴くことは困難ですが、やはり「大器の片鱗」を感じませんか?テクニック的にはまだまだでしょうが、何かとてつもないものを秘めていそうな。いや、やっぱりビートルズを知ってるからそう思うだけかな。

4 2回目の収録

グラナダ・テレビの音響技術者だったゴードン・J・バトラーは、1回目の収録があまりに不出来だったので、2回目の演奏の収録を行うため、1962年9月5日にキャヴァーンに戻り、この日は1本だけではなく3本のマイクを使用しました。そうすれば、クラブの音響に問題があっても、技術的にクリアできるだろうという判断からでした。ビートルズは、1962年9月5日に行われた2回目の収録で「Some Other Guy」を再度収録するために演奏しましたが、こちらの方が画質も音質も良かったようです。

 

グラナダテレビの撮影クルーは、その他に「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」も収録しました。この曲は、後にEMIでリリースされたビートルズのカヴァー曲の中でも、最も初期のものとして良く知られています。この動画の後半に登場します。

youtu.be

(参照文献)THE BEATLES BIBLE, WogBlog

(続く)


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(その102)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その5)

ビートルズ ポップス 洋楽

ジョージのギターが冴えている作品の紹介はいよいよこれが最後です。 

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Beatles By Day)

1    タックスマン

これはジョージの作品であり、傑作の一つといえるでしょう。この作品では、ポールのギターソロに注目が集まりがちですが、実は、作品全体にエキセントリックなテイストを生み出しているのは、他ならぬジョージのギターです。

 

彼のR&Bっぽいリズムギターは、1980年にザ・ジャムがヒットさせた「スタート!」という曲を先取りした感があります。というか、ジャムがインスパイアされたんでしょうね。特にベースに影響が強く感じられます。

www.youtube.com

 

2    アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー

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YouTube

これもジョージの作品です。彼は、ちょっとトリッキーにギターでフェイドインしていますが、これは、「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で取った手法と同じです。このギターリフは、まるで遠くで弾いているかのような感覚にリスナーをいざないます。

 

このリフは、ジョージ自身が2回弾いていますが、1回目は聴こえない位にサウンドを抑えめにしてあります。

 

3    オクトパスガーデン

www.vidio.com

ジョージのイントロのギターが印象的な作品です。リンゴのほのぼのとした歌詞とヴォーカルにとても良くマッチしています。ジョージは、レスリースピーカーを通して、まるで海中で演奏しているかのような独特のサウンドを提供しています。

 

   サムシング

ジョージがビートルズ時代に作った屈指の名曲であると同時に、収録されたアルバム「アビイ・ロード」全体を通して彼のギターが冴え渡っています。

 

彼のギターは、それまでのどの曲におけるより、甘美な深い味わいを持つラインを奏でています。これは、彼のギターに対する信頼を更に高め、彼の楽器や創造的な音楽との関係をより深めていったのです。

 

惜しいことに、ジョージがビートルズ時代にその真価を発揮したのは、解散寸前になってからでした。彼は、ソロになってから正に「フリー・アズ・ア・バード」鳥のように自由に大空を飛び回りました。彼にその才能を発揮させる機会をもっと与えていれば、あるいはビートルズの解散ももう少し先に延びたかもしれません。いや、むしろ解散は早まったか?何とも言えませんね。

 

ジョージは、「ルーシー」とニックネームを付けて愛用した1957年製のギブソンレスポールをレスリー・スピーカーに繋いで演奏し、アルバム「アビイ・ロード」全体を通して使用しました。

 

彼のプレイは、炎のように燃えたぎるメロディーを奏で、大胆になったかと思えば、ブルースっぽく静かに落ち着いたサウンドも見せました。このアルバムのレコーディング・エンジニアを担当したジェフ・エメリックは、「ジョージは、自分自身のアビイ・ロードに深く入り込んだのだ。彼は、初めて自分の意見を主張し、自分のやりたいことを正確にやることができた。そして、彼は、この美しい曲を作り、我々に素晴らしいギター・サウンドを提供してくれたのだ。」と語っています。

 

5    ヒア・カムズ・ザ・サン

www.vidio.com

作品自体も名曲ですが、ジョージのギターが奏でる不思議なフィーリングのコードとメロディーは、ある意味、彼のテクニックを典型的に表していると言えるかもしれません。彼は、アコースティック・ギターの7フレットにカポタストを装着し、シンコペーションを使ったヴォーカルに上手く重ねています。

 

高いポジションでカポタストを使ったことでギターがマンドリンのようなサウンドになるという効果が得られました。これは、ボブ・ディランが「風に吹かれて」で使った奏法です。

6    ジ・エンド
実質的なラストアルバムであるアビイ・ロードのそれも最後にリストアップされ、正にビートルズの最後を象徴するかのような曲です。レコーディング・エンジニアだったジェフ・エメリックは「彼らは、アルバムの最後にパンチの効いた曲を入れる必要性を感じていた。」と語っています。そして、4人の持つすべてのエネルギーがギター・ソロの35秒間に一気に爆発しました。

 

実は、この曲のレコーディングに当たり、ジョンとジョージのどちらがギター・ソロをやるか決めかねていたんです。そこで、ポールが「じゃあ、3人でソロをやろう。」とポールが提案し、彼がまず先行してソロを始め、ジョンとジョージが続きました。まるで嵐のようなギター・ソロが荒れ狂いましたが、信じられないことにこれは生の収録でワンテイクで決めたのです。同じことをもう一度やれと求められてもできなかったかもしれません。

 

もうこの頃には解散する寸前の彼らでしたが、燃えるようなお互いの魂がぶつかり炸裂したんですね。それぞれ思い思いにソロを演奏したにもかかわらず、ピッタリと息が合っています。とても解散寸前だったとは思えません。

 

エメリックはこう語っています。「彼らは、ソロを各自で適当にやるつもりだったのに、結果的には自然にそうしたかのように素晴らしく息が合っていた。ソロを終えると彼らは微笑んだ。この時、私は、彼らがまだ若く、共同で素晴らしい作品を作ってきた頃のことを想い出したのだと思う。」

 

ああ、こんな素晴らしい演奏ができたのに何で解散しちゃったんだろう(涙)

 

7    ワン・アフター909

この作品は、キャヴァーン時代から演奏していましたが、その頃はゆったりとしたテンポでした。こんな感じです。

www.youtube.com

ゲットバック・セッションということであの頃をもう一度思い出そうというコンセプトだったのですが、テクニックはその当時より遥かに進歩していて、アップテンポになりかなり難易度の高い演奏になっています。

www.youtube.com

ジョージは、間奏で7~10フレットでソロを決めています。それ程フレットでの移動は大きくはないのですが、ハンマリング、プリングオフ、スライド、チョーキングなどのテクニックを多用し、かなり速いフレーズを弾いています。これも隠れた名曲だと思います。

 

8 オールド・ブラウン・シュー

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これもジョージの作品ですが、彼のエキサイティングなリフとソロがバッチリ決まっています。作品自体は、レノン=マッカートニーがこの頃指向していたブルースっぽいサウンドの影響を受けていますが、不協和音を奏でるピアノ、重いサウンドのベースとリズミカルなリードギターが見事な調和を見せています。

 

解散寸前のビートルズを皮肉ったとも取れる歌詞ですが、それとは対照的にジョージのギターが生き生きしている印象を受けます。あるいは、もう解散が近いことを感じていて、やっと束縛から逃れられるという開放感がもたらしたのでしょうか?

 

9    レット・イット・ビー

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ジョージは、ギターを巡ってポールと口論になり、険悪な関係になっていました。しかし、このギター・ソロは、そんなことを微塵も感じさせない素晴らしいサウンドを提供しています。

 

これには、シングル、アルバムなど色々なヴァージョンがありますが、どれも捨てがたい美しいメロディーラインです。どんな人間関係になろうと仕事はビシッと決める。これがビートルズなんですね。ソロをカヴァーした演奏を聞いてみて下さい。

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10 ジョージ自身の考えはどうだったのか?
ところで、ジョージ自身は、自分のテクニックについてどう思っていたのでしょう?彼は、ハンブルク時代からの友人であるクラウス・フォアマンに対し、「私は、本当のギタリストではない」と語ったことがあります。この発言の真意はどこにあるのでしょうか?また、彼は、作曲について「私と誰かを比較するのは無意味だ。私はシンプルにやるだけだ。」とも語っています。

 

また、後輩のアーティストであるトム・ペティに対し、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」冒頭の12弦ギターの素晴らしいリフを思い付いた時のことを語りました。「私はただそこに立っていただけだ。でも、どうすれば良い曲になるか一生懸命考えてあのリフを思い付いたんだ。

 

これらの発言から推測すると、「私は、延々とソロを弾くタイプのギタリストじゃない。あくまでバンドの一員として、要求されるサウンドを正確に出すことに徹しよう。」「華麗なテクニックを披露するだけがギタリストの仕事ではない。重要なのは、その楽曲にどんなサウンドが必要かを追求し、極めることだ。」ということではないでしょうか?

 

11    解散後のジョー

ビートルズが解散後、ジョンとポールは、そのショックからなかなか立ち直れませんでした。対照的に最も元気だったのはジョージでした。彼が新たに取り組んだスライドギターのテクニックは高く評価されました。そして、シングル「マイ・スイート・ロード」を大ヒットさせ、アルバム「オール・シングス・マスト・パス」でその才能を一気に爆発させたのです。

 

解散後の彼についても詳しく書いて欲しいとのリクエストも頂いているのですが、あくまでビートルズがメインのブログなので(^_^;)また、いつか書く時が来るかもしれません。

 

さて、これでジョージのギターテクニックについてのお話は終わりです。次は、またビートルズにまつわるあれこれについてお話しします。

  (参照文献)GUITAR WORLD, POPULARMUSIC

(続く)

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(その101)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その4)

ビートルズ ポップス 洋楽

ジョージのギターが冴えている作品の紹介を続けます。

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1 アイ・コール・ユア・ネイム

これはれっきとしたレノン=マッカートニーの作品ですが、ブライアン・エプスタインがビートルズと同時にマネジメントしていたバンドであるビリー・J・クレーマー・アンド・ザ・ダコタスに提供されたものです。

 

ジョンとポールは、「バッド・トゥ・ミー」という作品も彼らに提供していて、その作品がA面、この作品がB面でリリースされました。何とこのバッド・トゥ・ミー、全英チャート№1を獲得しているんです。いやはや、他人にやらせてもヒットさせちゃうんですね(^_^;)

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他人に楽曲を提供するのも商売ですが、やっぱり良い曲だからセルフ・カヴァーしたくなったんでしょうね。 もうリリースされてから1年以上経ったんだし、B面の曲だからそろそろカヴァーしても良いんじゃないかって考えたんでしょう。

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この作品の面白いところは、間奏でテンポが変わって「スカ」のリズムになることです。え?「スカって何でスカ?」って?出た、オヤジギャグ!(笑)レゲエは分かりますよね?どちらもジャマイカのリズムです。

 

スカは1960年中期に世界的に流行したのですが、すぐにすたれてしまいました。シャッフルに近いですかね?驚くべきなのは、ビートルズが早速そのリズムを取り入れていることです。ホントに何でも飲み込んで消化しちゃうモンスターバンドですね。

 

イントロは、殆どダコタスが演奏したのを頂戴しちゃってます(^_^;)ジョージが初めてリッケンバッカーの12弦を使ったのがこの作品です。彼の刻むリズムでウキウキした気分になります。改めて聴くと良い曲ですね~。セルフ・カヴァーしたくなる気持ちも分かります。

 

2 イエス・イット・イズ

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この作品でもジョージは、ヴォリューム・ペダルを使用して「カントリーロック」というジャンルが登場する3年も前に、それに近いサウンドを創造したのです。ジョンのヴォーカルに何とも言えないふんわりとした情感を漂わせています。アメリカ・ナッシュビル・カントリーを思わせるサウンドです。 

 

3 イフ・アイ・ニーディッド・サムワン

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この曲は、日本武道館公演でも演奏されました。1965年当時、ビートルズとバーズとはアメリカで初めてのライヴァルとして激しく競い合っていましたが、仲が良くてお互いに影響し合っていました。

バーズのロジャー(ジム)・マッギンは、1964年製リッケンバッカー360/12を弾いていますが、それは、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」でジョージが使用しているのを観て購入したのです。

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逆に、ジョージは、マッギンの「ザ・ベルズ・オヴ・リムニー」のギターのタッチからヒントを得て、このリフを作りました。

 

ジョージは、この作品でもリッケンバッカー360/12を弾いていますが、それは彼にとって2本目の1965年製で若干丸みを帯びた形をしていました。彼は、ギターの7フレットにカポタストを装着して演奏しました。そして、彼は、この曲が完成するとそのトラックをアセテート盤にコピーしてバーズに送りました。「ジムへ感謝を込めて」という礼状を添えて。こういうところがジョージの義理堅いところです。

4    ヘルプ

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この作品は、当時のハードスケジュールやプレッシャーに押しつぶされそうになって悲鳴を上げているジョンの魂の叫びそのまま表現したものです。ジョージは、その叫びに残酷なまでにエレガントなギターで応えました。ジョンのヴォーカルに合わせて1拍ずつ下降していくリード・ラインが何とも小気味の良いアクセントになっています。そして、高速のアルペジオを奏でて、悲観的な歌詞に暖かい希望の光を当てたのです。

 

5    ノーウェアマン

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どこにも居場所のない男とは、ジョン自身を表現したものです。ジョージは、ジョンとともにフェンダー・ストラスキャスターを使い、この作品に光を当てました。間奏のギターは、間違いなくジョージの発想であり、彼の華やかなギター・ワークの真骨頂ともいえます。最後のピーンという1弦5フレットの冴え渡るハーモニクスも含めて。

 

6 アンド・ユア・バード・キャン・シング

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(BeatleLinks)

バーズは、ビートルズの12弦リッケンバッカーとコーラスにインスパイアされ、「エイト・マイルズ・ハイ」という曲を制作し、リリースしました。ところが、逆にビートルズがこの曲にインスパイアされ、この作品を制作しました。

 

ビートルズは、既に1966年4月20日に元々「ユー・ドゥント・ゲット・ミー」というタイトルの曲をレコーディングしていました。しかし、バーズの曲を聴いて「オレたちならもっと上手くやれる」と気が変わり、6日後に原曲を変更して12時間掛けてレコーディングし直したのです。

 

この作品はフォークロックっぽい曲調と鮮やかなリード・ギターとの間でいかにバランスを取るかが難しいところでした。それは、第2セッションが始まる前にジョンが全員に、「OK、じゃあ、活発に、モデラートでフォックストロットでやろう」と指示したことに現れています。んん?中くらいの速さでテンポよくだって?おいおいどうしろってんだ?まあ、そんな矛盾した指示を出したジョンもジョンですが、それをちゃんと演奏してしまう他の3人も凄すぎますね(^_^;)

 

ジョージとポールは、向こう見ずともいえるデュアル・リードギターで素晴らしいリフを演奏し、原曲をアレンジし直して、より明るく迫力のある作品に仕上げました。ただし、2人がこの時に使用したのは、リッケンバッカーではなくエピフォン・カジノでした。

 

2人は、ナッシュビルのカントリーロックのペダルスティールギターのようなサウンドを奏でています。この作品のメタリックなサウンドは、他のアーティスト、例えば、レナード・スキナード、ボストン、アイアン・メイデンのようなバンドにまで影響を与えています。ビートルズの凄いところは、こんな数多くの大物アーティストたちにまで影響を与えたことですね。 

 

7    アイム・オンリー・スリーピング

アルバム「リヴォルヴァー」に収録されたこの曲で、ジョージは、彼の数あるプレイの中でも最高ともいえる、驚くべきバックグラウンドでのソロを見せました。

 

前回お話したように、以前から彼は、エクスプレッションペダルを使用してギターのヴォリュームを増幅させていましたが、これは既に「イエス・イット・イズ」や「アイ・ニード・ユー」で使用したのと似たような効果を狙ったものです。

 

この作品でジョージは、ジョンが「レイン」で見せた逆行するヴォーカルに明らかにインスパイアされ、本当にギターを逆行して演奏しようとしました。ジョージは、バックトラックが流れている間にソロを即興で演奏することをせず、リードギターのラインとして5つのパターンを用意していました。そして、マーティンにテープを逆回転させるよう指示したのです。

 

テープが最初に戻るまでに、ジョージは、ラインを演奏しました。その結果、曲の奥深くから盛り上がってきたソロが、ぼんやりとした幻想的で夢を見るような雰囲気を醸し出すことに成功したのです。彼のこの幻想的な奏法は、いわゆる「サイケデリック・ロック」というジャンルを誕生させるきっかけとなりました。例えば、エレクトリック・プルーンズの「アイ・ハッド・トゥ・マッチ・トゥ・ドリーム(ラスト・ナイト)」やジミー・ヘンドリックスの「キャッスルズ・メイド・オヴ・サンド」などにも大きな影響を与えたのです。

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さて、このシリーズもいよいよ次回で終わりです。

(参照文献)

ROLLINGSTONE!, BEATLES MUSIC HISTORY!

(続く)

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(その100)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その3)

ビートルズ ポップス 洋楽

引き続き、ジョージのギター・テクニックを感ずる作品についてのお話を続けます。

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Pinterest

1    シー・ラヴズ・ユー

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ジョンとポールのツイン・ヴォーカルが印象的な作品ですが、ジョージは、グレッチ・カントリー・ジェントルマンで、メイン・ヴォーカルが始まる直前に、チラッとアクセントを入れてリスナーの耳を引き寄せています。こういうのを「フック」っていうんですかね。この辺りは、チャック・ベリーの影響を感じさせます。あくまでメインはジョンとポールのヴォーカルで、それをさりげなくギターでしっかりと支えているところが、いかにも彼らしいですね。

 

2  ア・ハード・デイズ・ナイト

鮮烈なインパクトをもたらしたあのイントロは、ビートルズジョージ・マーティンの合作ですが、ジョージ・ハリスンリッケンバッカー360/12のサウンドが特に大きく貢献しています。アウトロのアルペジオもまるで真珠の輝きのようにキラキラ輝いています。

 

3 アンド・アイ・ラヴ・ハー

この作品でジョージは、ロックにしては珍しくクラシック・ギターを弾いています。弦はスチールではなくラミレス製のナイロンです。間奏のソロ・パートは、実に甘くしっとりとしたサウンドを奏でています。ロックバンドのメンバーというよりクラシックギタリストみたいですね。この作品はDメジャーで終わりますが、このエンディングで恋人を想う甘く切ない歌詞が盛り上がり、リスナーがその情感を維持したままで聴き終えることができます。これを聴いていると、彼にはバラードが一番しっくり来るのかなとも思います。

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4    ドゥント・バザー・ミー

ビートルズが1963年8月19日から24日まで、ボーンマスのゴーモン劇場でコンサートを開催している間、ジョージは病気でホテルで静養していました。他にすることもなかったので、彼は、曲を作ってみたのです。これがビートルズ時代に彼が初めて書いた作品です。

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彼自身は、大した曲じゃないと謙遜していますが、なかなかどうして立派な作品です。というのも初期のビートルズにはなかった悲観的な内容の歌詞であり、これによって楽天的な内容の歌詞を書いていたビートルズに、新しい一面を加えることになったからです。短いですが激しいソロも恋人を失った男のやり切れない想いを的確に表現しています。

 

もっとも、ジョージがこの曲を作った元々の動機は、ジョンとポールばかりが曲を作っていて、彼の友人でマージービート誌の編集長だったビル・ハリーから「君も曲を作れよ。」と会う度に言われることにウンザリして、「オレのことは放っといてくれよ。」という皮肉を込めたアンサーソングとして作ったことにあります(^_^;)

 

それともう一つ。この曲のエンディングは、タイトルの繰り返しで終わっていますが、これもビートルズの作品では初めてであり、この後、他の曲でも同じ手法が使われるようになりました。次にご紹介する「アイ・ニード・ユー」もそうですね。このようにジョージは、目立たないところでビートルズの作品に貢献しているんです。

 

マイナーの曲調を引き立たせるリンゴの軽快なスネアドラムと、ジョージの染み入るようなトレモロは、この時期にビートルズが志向していたアメリカのソウルやR&Bよりもむしろ、カリフォルニアのサーフィン・ミュージックを想起させます。れっきとしたビートルズの作品なのに、ビートルズっぽくないんです。


ジョージのギターのトレモロは、VOXのAC30アンプで増幅され、曲に驚くほど良くマッチしたサウンドを提供しています。あまり注目されていませんが、実は、ビートルズがレコーディングで電気的な効果を使った最初の記念すべき作品なのです。

 

まだ1963年の初頭、アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」の収録の際に、既にビートルズは、楽器やヴォーカルのサウンドをもっと変えてみたらどうだろうと、話し合っていたのです。ジョージは、9月にこの曲を収録する時に、レコーディング・エンジニアのノーマン・スミスに対し「ギターのサウンドを圧縮できないかな?オルガンみたいなサウンドにしたいんだ。」と提案したのです。

 

そうです。ビートルズのサウンドに革命をもたらした最初の人物は、ジョンでもポールでもなく、ジョージだったのです!彼は、それまでのありきたりなサウンドでは満足せず、もっと変わったサウンドを出せないか模索していたんです。このことは、是非記憶に留めておいて下さい。

 

なお、この曲は、ビートルズが初めてラテンのパーカッションを使用した曲でもあります。ジョンがタンバリン、ポールがウッドブロック、そしてリンゴがアラビアン・ボンゴを使用したのです。これらの楽器は後のアルバムでも使用されました。

 

5 エヴリバディズ・トライン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー(みんないい娘)

ジョージが大好きなカール・パーキンスのカヴァーです。ジョージがいかに彼の影響を受けたかが良く分かります。後半になるとビートルズ時代の彼にしては珍しく長めのソロを演奏していますが、見事に決まっています。ジョンもポールもパーキンスが大好きだったので、ジョージの長めのソロを認めたのかもしれません。

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6 アイ・ニード・ユー

ジョージの2曲目のオリジナルです。これもメランコリックでキラッと光る作品です。演奏の途中でギターのヴォリュームを変えることに関しては、既に1964年の「ベイビーズ・イン・ブラック」でジョンがジョージのギターのヴォリュームを演奏中につまみで変えていたのです。この時は手動で変えていたんですね。

 

ビートルズは、1966年にライヴを中止してスタジオでの収録に専念し、テープを逆回転させるなど様々な実験をしました。それより1年も前にジョージは、生のサウンドに飽き足らずヴォリューム・ペダルと出会い、足で自在にギターの音量を変えられるその音響効果に魅了されました。

 

この作品でジョージが初めてこの機材を使用した結果、彼のギターのサウンドは、この作品の特徴となった独特のうねりを持ったむせび泣くようなものになりました。初めて使用したのでややタイミングがズレている感がありますが、物悲しい歌詞の雰囲気に良くマッチしています。

 

この後、彼はこれを他の作品でも使用しました。やがてワウペダルも登場し、多くのアーティストたちも使用するようになりました。単にサウンドをアンプで増幅するだけではなく、機材を駆使して色々と手を加えるようになったのです。

 

この曲の簡潔なヴォーカルと自己矛盾をはらんだ歌詞は、ちょうどジョンの「スィンク・フォー・ユアセルフ」と同じように、ジョージが伝統的なラヴ・ソングとは違う曲を作ろうという考えに基づいたものでした。「レノン=マッカートニーとは違う」というところをあえて見せたかったのでしょうか?

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7    ザ・ナイト・ビフォア

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この作品では、ジョージは、最初のレコーディングでサイド・ギターを弾いています。その後、リード・ギターをオーヴァーダビングすることになりましたが、まだ誰が弾くか決めていませんでした。

 

ちょっと気が付かないかもしれませんが、実は、ジョージとポールが、オクターヴ違うツイン・リード・ギターを弾いています。ただ、どちらのアイデアかも分かりませんし、どちらがどちらのパートを演奏したのかもはっきりしないのですが、恐らくジョージが上、ポールが下ではないかと推測されます。しかし、リハーサルをしっかりやったので、2人がピタリと息の合った演奏をしています。同じメロディーをジョンがエレクトリック・ピアノで弾いていますから、サウンドに厚みが増しています。

 

ツイン・リード・ギターといえば、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」がパッと浮かびますが、既にこの作品でその奏法を採用していたのです。

(参照文献)ROLLINGSTONE, BEATLES MUSIC STORY, Beatles books

(続く)

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(その99)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その98の補足)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 大きな反響

予想通り、前回の記事にも大きな反響がありました。また、貴重なご意見もいただきました。ブログを更新した直後が一番アクセスが多く、徐々に減っていくのが一般的な傾向だと思いますが、逆に、後になるほどアクセスが増えています。ありがとうございます。

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つくづく感ずるのは、ビートルズの演奏のテクニック」に関する関心が高いんだなあ~ということです。作品が素晴らしいのは聴けばわかりますし、50年も経った今でも世界中で愛され続けていることを考えれば、誰も否定する人はいません。

 

しかし、演奏のテクニックとなると色んな評価がされていて、必ずしも肯定的な評価ばかりではなく、むしろ否定的な意見もあります。で、実際のところはどうだったんだというのがどうしても気になりますよね?

 

それで、記事を書くことを思い立ったわけです。とりわけ誤解されがちなリンゴ・スターのドラミングに関する記事を最初に、次にポール・マッカートニーのベース・テクニックに関する記事をその次に書きました。

 

そして、いよいよジョージ・ハリスンのギター・テクニックです。これも彼のビートルズ時代からずっと議論のあるところです。正直なところ、この話をすると地雷を踏んでしまうおそれもあるので、どうしようかと迷っていました。しかし、関心が高いテーマを素通りするわけにもいきません。それで思い切って書くことにしました。

2 ジミー・ヘンドリックスとの比較

前回の記事ではジミー・ヘンドリックスのテクニックとの比較を行いました。ある方から「むしろ、ローリングストーンズのキース・リチャーズと比較すべきでは?」とのご意見も頂きました。実は、同様のご意見を他の方からも頂いています。傾聴に値するご意見だと思います。

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私がヘンドリックスをあえて持ち出したのは、テクニックというよりは「プレイ・スタイルの違い」を強調したかったからです。ヘンドリックスはソロ・プレイヤーであり、彼独自の境地を開拓しました。

ただ、「彼の奏法は、一つのパターンが決まっていて、そこから踏み出すことはありませんでした」というのはやや誤解を招く表現だったかもしれません(ヘンドリックス・ファンの皆さん、ゴメンなさいm(_ _)m)。

「ヘンドリックスは、彼独自の創意工夫と才能により、独特のプレイ・スタイルを築き上げた」という表現の方がより適切だったかもしれません。彼には自由な時間が与えられ、どのようにプレイしようが彼の思うままだったのです。その時のフィーリングで自在にアドリブを入れることができましたし、むしろ、それが彼の持ち味でした。

「ヘンドリックスがジョージに影響を受けた」というのが具体的にどの作品であるとか詳しいことは分かりません。コードか奏法なのかそれともまた別の何かか。ただ、ジョージが彼に与えたとすれば、その辺りの可能性が高いと思います。

彼とは対照的にジョージは、あくまでビートルズのメンバーとしての立場で、どのようにプレイすれば作品が引き立つのかを常に考えていました。しかも、作品の殆どはレノン・マッカートニーの提供でしたから、彼らの構想から外れることはできません。

3 キース・リチャーズとの比較
ジョージとキースは、ビッグバンドのメンバーだったという点、およびテクニックよりフィーリングやメロディーに拘ったという点で共通したところがあるかもしれません。しかし、やはり、いくつかの点で違うところの方が多いと思います。

(1)バンドでのポジション
ジョージは、ジョンとポールの2人が制作した作品を演奏することが殆どでした。力関係も彼らの方が上で彼らの意向には逆らえませんでした。後期に入りコンポーザーとしての実力も備えてきたにもかかわらず、アルバムには2曲しか収録されませんでした。

これに対し、キースは、ミックとは対等なポジションでともに作品を制作していました。ですから、発言力も強かったわけです。

(2)路線の違い
ジョージは、ストイックで真面目に作品に取り組んでいました。そして、従来のサウンドに飽き足らず、何か違うサウンドを作り出せないか常に模索していたんです。これに対し、キースは、一時、ビートルズの影響を受けて、サイケデリック路線に走ったこともありましたが、基本的にはロックンロール路線一筋で貫き通してきました。「オレたちはロックンロールバンドだ。それがいやなら聴くな。」これはこれで一つの生き方であり、50年以上も(!)それを貫いてきたのは立派だと思います。

(3)テクニックかフィーリングか
また、ジョージは、作品に最適なサウンドを検討し、色々なことを試み、できる限りテクニックにも磨きをかけようと努力していましたが、キースは、テクニックよりもフィーリングに拘りました。「ギターが上手かろうが下手だろうが、フィーリングが合ってりゃそれで良いんだ。」もちろん、テクニックを軽視したわけではありませんが、それにあまり拘ると、却って自分の持ち味を殺してしまうと分かっていたのでしょう。そして、彼のファンも「キースはあれで良いんだ。」と納得しているわけです。

4 まとめ
で、強引にまとめますが(^_^;)、ジョージの代わりはクラプトンでもペイジでもなく、ジョージしかいなかったということになります。
(続く)


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(その98)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その2)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 年齢からくるハンデ

案外、盲点だと思いますが、ジョージは、レコード・デビューした時点ではまだ19歳でした!この年齢は、プロとしてはかなりのハンデです。ジョージは、メジャーデビューするや、いきなりスターダムに駆け上がってしまいました。いかに下積みの時代を経験していたとはいえ、これは彼にとって相当なハンデだったといえるでしょう。

 

しかも、デビューしてからは、毎日がライヴ、レコーディング、リハーサル、打ち合わせ、インタヴューなどの連続で、殆ど寝る暇もありません。自宅やホテルを一歩でも出れば、ファンやマスコミに追いかけ回され、彼らがプライヴェートでいられる時間は、部屋の中に閉じこもっている間だけでした。この辺りの事情は、2016年に公開されたドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウイーク」でも描かれています。

 

そのワンシーンでジョージが、「自分たちは促成栽培されたみたいだった。」と語るシーンがありました。普通の人が成長する何十倍、何百倍ものスピードでバンドが成長していったのです。

 

しかも、彼の所属していたバンドは、ビートルズという誰もが作り出したことのないサウンドを次から次へと作り出したとてつもないスーパー・バンドです。聴いたこともない新しいサウンドにどんなギターを合わせれば良いのか、それを考えただけでもプレッシャーに押し潰されそうになります。

 

だって、誰のマネもできないんですから。カヴァー曲ですら、彼らは、独自のアレンジを加えて自分たちのカラーを前面に打ち出していました。つまり、ジョージは、ビートルズが成長するとともに自らも成長していたのです。ビートルズも終わりが近づくにつれ、ようやくジョージの才能が成熟してきたのです。

 

彼のスライドギターのテクニックは高く評価されましたが、それが発揮されたのはビートルズの解散後であり、このことからもビートルズ時代の彼のテクニックは、発展途上だったといえるでしょう。1966年にビートルズが一切のライブ活動を中止して、スタジオでのレコーディングに専念するようになってから、やっと彼は、じっくりと自分のサウンド作りに取り組むことができるようになりました。

 

ジョージのテクニックを批判する人は、上記の点を見過ごしてしまっています。あの天才ギタリストのジミー・ヘンドリックスですら、プロとして注目され始めたのは23歳頃になってからです。そして、ビートルズが解散した時点でジョージはまだ27歳でした。ギタリストとしていよいよこれからという時期に、肝心のバンドが解散してしまったのです。

 

2 サウンドの質の高さに拘った

名ギタリストと呼ばれるプレイヤーは、目にも止まらぬ高速でギターのフレットを縦横無尽に左手の指で押さえ(右利きの場合)、それに合わせて右手の指でピッキングします。聴衆は、どうしてもこのような高速のフィンガリングやピッキングに着目しがちです。 

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しかし、ジョージは、そのようなテクニックよりサウンドの質の高さに拘りましたジミー・ヘンドリックスさえ、影響を受けたアーティストの一人としてジョージの名を挙げているのです。

 

高速のフィンガリングとピッキングが名ギタリストと称される一つの要素には違いありません。しかし、それだけが全てではなく、フィーリングとメロディーも重要なのです。いくら高速のフィンガリングとピッキングができたとしても、それが曲にマッチしていなければ何の意味もないどころか、ぶち壊してしまいます。

 

この辺りは、ビートルズ4人のそれぞれの役割が明確になっていた所かもしれません。ヴォーカルを中心にギター、ベース、ドラムがそれぞれ与えられた役割をしっかりとこなしていたのです。

 

3 独創的なフレーズを生み出した

ジョージは、曲の魅力を最大限に引き出す、フィーリングとメロディーを演奏したのです。彼は、プロとして基本に忠実なプレイを心掛け、大観衆の絶叫の中でも決して揺るぎませんでした。それでいながらユニークなコードを自ら作って、しっかりと曲に貢献していたのです。

 

確かに、ヘンドリックスはトップ・ギタリストに違いありません。しかし、彼の奏法は、一つのパターンが決まっていて、そこから踏み出すことはありませんでした。他方、ジョージは、より精緻な奏法で、他の同世代のギタリストが見つけることができなかった新たなコードを開発して、よりギターを進化させ新しい時代を築いたのです。

 

現代のアマチュアでもジョージのギターをコピーすることは、スキルのあるギタリストならそれ程困難ではないかもしれません。しかし、重要なのは、その当時、彼以外の誰がそのフレーズを、奏法を思い付き、実際に演奏することができたかということです。もちろん、答えは「ノー」です。

 

4 ジョージが導入した12弦リッケンバッカー

ジョージのギターにおける歴史的な転換点といえば、何といっても初めて12弦リッケンバッカー360/12を導入したことでしょう。これであの「ア・ハード・デイズ・ナイト」のスリリングなイントロが誕生したのです。また、エンディングのキラキラしたアウトロもそうですね。

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彼は、そのキラめくようなメタリックなサウンドに取り憑かれ、このギターで様々な作品を演奏しました。そして、それは、他のアーティストにも多大な影響を与えたのです。

 

例えば、ザ・バーズのロジャー(ジム)・マッギンは、ジョージの影響を受け、12弦リッケンバッカー「ミスター・タンブリン・マン」ボブ・ディランのカヴァー)「ターン・ターン・ターン」ピート・シーガーのカヴァー)などの名作を誕生させました。

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しかし、逆にマッギンのうねるようなギターサウンドは、ビートルズに影響を与え「リヴォルヴァー」の制作に繋がりました。

 

バーズは、ディランがフォークからロックに転向した影響を受け、いわゆる「フォークロック」と呼ばれるフォークとロックの中間的なサウンドを志向しましたが、ジョージの作品やサウンドの多くもその傾向が窺えます。何となく彼の優しい人柄にもマッチしている気がします。

 

5 ジョージらしさを感ずるギター・プレイといえば?

これまでお話ししてきたように、彼は、前に出てガンガンプレイするタイプではなく、バックでさり気なくサポートするタイプのプレーヤーでした。なので当時の映像ではなかなか抜かれることが少なかったんですが、いくつか彼らしさを感ずるギター・プレイを見てみましょう。

アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

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ビートルズのオリジナルの中でもレコードデビュー前のキャヴァーン時代から既に演奏されていた曲です。ジョージのギターがビートルズのオリジナルで最初に貢献したのは、恐らくこの作品でしょう。ここで彼のキャッチーなギター・ソロを聴くことができます。

 

これは、ビートルズのファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」に収録されましたが、彼らは、この作品だけは長めのギター・ソロを入れようと考えていました。その真意は分かりませんが、ロックバンドなんだから、1曲位長めのソロがあっても良いと思ったのかもしれません。

 

この作品をレコーディングする時、ジョージは、ソロをアドリブで入れていました。ですから、テイクの度に違うソロを演奏していたんです。動画サイトで聴き比べてみて下さい。例えば、テイク2はこんな感じです。

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ジョージは、ライヴの時はソロで結構アドリブを入れていました。楽しかったと思うんですが、「ステージでアドリブは入れるな。」とブライアンに釘を刺されてしまいまいした。さぞ悔しかったでしょうね。

 

ビートルズ時代の彼のソロは短めで、始まったかと思うとスッと引っ込んでしまうんです。初期のビートルズの曲は3分にも満たない短い曲が多かったので、ソロをあまり長く入れてしまうとバランスが悪かったこともあるのでしょう。

 

ジョージのしっかりとしたギターフレーズは、まるで洞窟の中のようなエコーがかかり、ジョンとポールの高音域のヴォーカルとは対照的に唸るような独創的なサウンドを奏でています。

 

今回は、作品の紹介が1曲だけになってしまいました(^_^;)次回は、作品を中心に解説します。 

(参照文献)Guitar Player, GUITAR WORLD, RollingStone, Beatlesbooks, BEATLES MUSIC HISTORY

(続く)


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(その97)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(補足)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 関心の高さ

前回(その96)の記事について様々な反響がありました。予想通りアクセスも一気に増えました。リンゴのドラム、ポールのベースに関して過去に書いた記事も相変わらずアクセスが多いことからして、全体的にビートルズの演奏のテクニックに関する関心の高さが覗えます。

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2 ブログを書くにあたって心掛けていること

このブログを書いていることからもお分かりいただけるかと思いますが、私はビートルズをこよなく愛し、尊敬してやみません。しかし、だからといって事実を歪曲することは許されないので、できるだけ客観的に書くよう心掛けています。

 

しかし、「事実と評価」は違います。事実は客観ですが、評価には主観が入ります。ビートルズが存在したことは事実ですが、それをどう評価するかは人によって全然違います。これは当たり前のことで、皆が同じ考えになったらそれこそファシズムであり、恐ろしい世の中です。

 

アンチ・ビートルズの人達は、特に音楽の知識のある人程彼らにケチを付けたがります。特に、彼らがターゲットにするのは「演奏のテクニック」です。「ビートルズなんか大したことない。もっと上手いバンドは他にたくさんいる。」などと主張します。アンチの人達に一々反論するのは徒労ですからやりませんが、事実だけは厳然として残ります。

 

事実だけは残しておきたい。ただ、それをどう評価するかは人それぞれに任せるしかありません。もちろん、私なりの評価はありますが、それはあくまで個人的な見解として紹介するに留めています。

 

例えば、ジミー・ペイジエリック・クラプトンジェフ・ベックと並んで「三大ギタリスト」と称される一方、アンチの人達からは「下手だ」と昔から言われてきました。でも、この批判も意味がありません。何をもって下手だというのか定義していないからです。また、定義することもできないでしょう。物事は色々な角度から見ることができますから、ある角度から見た評価と別の角度から見た評価が異なるのは当然です。

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演奏のテクニックだけを切り取って議論すること自体意味のないことは、ビートルズファンならずとも少なくとも音楽に関心のある方ならお分かりいただけると思います。なるほど、現代のアマチュアバンドでも、腕があれば彼らの演奏を完全にコピーすることはできるでしょう。だからといって、それが彼らの偉大さを否定する理由にはならないのです。

 

何故なら、あの当時、あの環境で、あのサウンドを生み出したのがビートルズであることは揺るぎない真実であり、他の誰もがなしえなかったからです。あらゆる面で彼らは時代の最先端を走りました。他人がやらないことを初めてやることほど勇気が必要なことはありません。しかも、名声が高まれば高まるほど周囲の期待は高まります。実験的な試みをやって失敗したら酷評されます。しかし、彼らは失敗を恐れず挑戦し続け、8年足らずという短期間に音楽史上に残る数多くの傑作を残してくれました。

 

音楽に限らずおよそ「作品」と称されるものは、あらゆるものの合成物です。そこには全体的なバランスが要求されます。その点、ビートルズの4人は、本当に強く結束して相互に助け合っていました。メンバー一人一人がそれぞれの役割を果たして、作品の中に溶け込んでいたのです。

 

3 当時の音楽環境 

現代のアーティストはとても環境に恵まれています。コンピュータ等の設備やソフトの発達によりどれほどサウンド作りが楽になったか。ビートルズは、あれもやりたいこれもやりたいと思っても、設備が現代とは比べ物にならない程貧弱で技術が追い付かなかったのです。イギリスでは60年代初頭は2トラックしかなく、やがてそれが4トラックになり、ようやく60年代後半になって8トラックになりました。

 

ステレオ技術もようやく商業的に使用され始めたばかりで、ビートルズの前期はまだモノラルが主流でした。オープンリールテープに収録した音源を手作業で編集することがどれほど大変かを考えただけでも、ビートルズだけでなくジョージ・マーティン、ジェフ・エメリックなどのプロデューサーやエンジニアの偉大さが分かります。

 

4 スチュアート・ケンドールさんの意見

ところで、ジョンとポールの共通の友人だったスチュアート・ケンドールさんに「ジョージのビートルズ時代のギターで良いと思う作品はどれですか?」と尋ねたところ、「彼のギター・ブレイクはすべて好きです。クラプトンとの『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』も良いし、『サムシング』『ヒア・カムズ・ザ・サン』なども良いですね。」

「でも、初期の作品でいうと、ジョンの『アイ・ドォント・ウォント・トゥ・スポイル・ザ・パーティ』のカール・パーキンス風のロカビリーっぽいソロがとても気に入っています。これは私が好きなジョンの作品の一つです。素晴らしい作品です。コードもソロも素晴らしい。私がこれをマスターするには少々時間が掛りました。」という回答を頂きました。

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この作品は、ビートルズの中でも「隠れた名曲」といわれています。リンゴがC&Wを好きだったので、アルバムには必ず1曲は入れるようにしていたとジョンが語っています。

ケンドールさんは、今でもイギリスでアマチュアバンドをやっていますが、動画を見た限りではアマチュアながらなかなかの腕前です。しかし、その彼にしても上記の作品におけるジョージのソロを習得するには少々てこずったと漏らしています。具体的にどこが難しかったかまでは聞けませんでしたが、右手のアプローチ辺りでしょうか?それはともかく、そういった奏法を採用し、なおかつしっかりと作品に仕上げたところがジョージの凄いところです。

次回は、もう少しジョージのギターの特徴について触れた後で、具体的な作品について検討してみたいと思います。

(続く)

 

(その96)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その1)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 ジョージはギターが上手かったのか?

ジョージ・ハリスンはギターが上手かったのか?」この議論は、ビートルズ時代からずっと続いています。特にファンでない人はかなり厳しい評価を下す傾向があるようです。リンゴと同じように「彼は、ビートルズのメンバーだったから有名になれたのだ。」と言う人も少なくありません。

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これまでリンゴ・スターのドラミング、ポール・マッカートニーのベース・テクニックについてお話してきました。いずれもこれまで誤解されてきたというか、過小評価されてきたと思われたからです。

 

では、実際のところ、ジョージのギター・テクニックはどうだったのでしょうか?折しも11月29日は彼の命日にあたります。偶々、参加しているフェイスブックのファン・グループで、彼のギタープレイで好きなものを尋ねたところ、実に多くの方から様々な投稿がありました。それも人それぞれで好みが違うんですよ。皆さん、流石にファンだけあって実に良くご存知です。そこで、今回は、彼のギター・テクニックについて検討してみることにしました。

 

2 ジョージの不運?

(1)内なるライヴァルの存在

ビートルズには、ジョンとポールという2人の天才が存在しました。彼らは、そびえたつ絶壁のようにジョージの前に立ちはだかったのです。また、彼は、メンバーの中では一番年下だったということもあり、何時まで経っても「弟分」的な扱いを受けていました。

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そのせいか、初期の頃はギター・ソロもなかなかやらせてもらえませんでした。彼自身も控えめな性格で「クワイエット・(静かな)ビートル」と呼ばれていた位ですから。でも、それでちゃんとバランスが取れていたんです。もし、彼が「オレがオレが」って前へ出る性格だったら、とっくにビートルズは空中分解していたでしょう。

 (2)外なるライヴァルの存在

ジョージは、2015年12月28日、「ローリングストーン誌が選んだ100人のロックギタリスト」では、11位に選出されています。トップテンに後1歩及ばない何とも微妙な順位ですね(^_^;)ただ、彼をあまり評価しない人は、これでもかなり上の方だと考えています。因みに1位は誰だと思いますか?

 

ジミー・ヘンドリックスでした。2位がエリック・クラプトン、3位がジミー・ペイジです。まあ、これは人により好みがありますし、時代によっても変わりますからね。ただ、プロが多数決で決めるとこうなったということです。プロと言っても限られた人ですから、偏りはあるでしょう。 ただ、ヘンドリックスに関しては常にトップ3をキープしています。

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面白いことに2007年10月2日に遡りますが、IDOLATER 誌が「最も過小評価されているギタリスト」のランキングも発表していて、ジョージは堂々の第4位にランクインしていることです。ということは、プロの間でも評価が分かれているんですね。ある意味、評論家泣かせのギタリストかもしれません。

 

ジョージにとってちょっと不運なのは、彼の後輩であり、かつ親友にエリック・クラプトンがいたことです。彼はあまりにも素晴らしいテクニックを持ったギタリストですから、彼と比較されるとどうしても負けちゃうんですよ。

そういえば「プリンス」という2016年に急逝したアーティストがいました。彼は、素晴らしいコンポーザーであり、ヴォーカリストであり、ギタリストでした。しかも、自分自身を描いた映画で主演し、アカデミー主演男優賞まで受賞するという正に天才でした。

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しかし、これ程の天才でありながら、どうしても彼が勝てない天才が同世代にいたのです。それがあのマイケル・ジャクソンでした。同世代に生まれてしまった不幸ってあるんですよねえ。神様のいたずらとしか思えません。

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これもついでですが、過小評価されているギタリストの1位もプリンスでした。彼のテクニックは超絶だったんですが、そのことは何故かあまり知られていないんです。

 

3 ソロ・プレイをあまりやらなかった

彼のテクニックへの評価があまり高くない理由の一つとして、ソロ・プレイをあまりやらなかったことが挙げられると思います(というよりは、前述したようにジョンとポールがなかなかやらせてくれなかったんですが(^_^;))華麗なギター・ソロは、ギタリストにとっては正に腕の見せ所です。

 

バンドではどうしてもまずヴォーカルに注目が集まります。そして、ヴォーカルが中断してギター・ソロに移ると、俄然ギタリストに聴衆の目が移ります。しかも、アドリブを加えるのが難しいヴォーカルと違い、ギター・ソロは、ギタリストに全てが託され、彼に与えられた時間の中で、好きなようにアドリブを加えることができます。

 

しかし、ジョージは、延々とギター・ソロをやったり、リフを入れたりすることはありませんでした。彼は、恍惚の状態でソロ・プレイをやるより、むしろ、自分に与えられたパートを演奏する際に、バンドのギタリストとして要求される正確なサウンドを正確なタイミングで演奏することに専念していたのです。彼が謙虚であまり目立ちたがらない性格だったことも、そんな奏法を選択した理由だったかもしれません。

 

4 出発点が他のギタリストとは違った

そもそも誰の影響を受けてギターを始めたかが他のギタリストとは違う点もあるのかもしれません。ジミー・ヘンドリックス、エリック・クラプトンジミー・ペイジたちのような多くのロックギタリストは、ロバート・ジョンソンやマディー・ウォーターズなどのブルース系のギタリストの影響を強く受けています。ブルース系のギターは、コード進行のパターンが決まっているので、アドリブを入れやすいんですね。

 

ところが、ジョージは、彼らとは違う二人のギタリストの影響を強く受けています。一人は、カール・パーキンスで「ロカビリー界の王」と呼ばれ、プレスリーやヘンドリックスらにも影響を与えました。ロカビリーとは、ロックンロールとヒルビリーやカントリーが結合して誕生したジャンルです。50年代後半から流行し、プレスリーに代表される独特の歌唱法に特徴があります。

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ビートルズ自身も強い影響を受けており、ポールは、「パーキンスが存在しなかったら、ビートルズは存在しなかった」とまで語っています。彼の代表曲といえば「ブルー・スエード・シューズ」が余りにも有名ですね。もっとも、これは後でプレスリーがカヴァーして、そっちの方が有名になってしまいましたが(^_^;)

 

ビートルズが解散し、それぞれソロになってからも、彼らのパーキンスに対する尊敬の念は変わらず、自分たちのイベントにゲストで招待していました。

もう一人は、これもカントリーミュージックの大御所、チェット・アトキンスです。あ、そうそうエディ・コクランもそうですね。

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彼らがジョージのギターの原点だとすると、少し謎が解けてきますね。ロカビリーやカントリーは、基本的にブルースと違ってギターソロを延々とやることは余り無いんです。

  

次回ももう少し、彼が他のギタリストと違う点を挙げてみたいと思います。それから彼のテクニックを味わえる作品を何曲かご紹介します。

(参照文献)The Top Tens, ofbuckleyandbeatles, ROLLINGSTONE

(続く)


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(その95)日本のファンは、ビートルズをどう受け入れたか?(その2)

ビートルズ ポップス 洋楽

武道館公演のお話しが途中で終わってました。まだ、続きがあるので忘れずに書いておきます。

1 ギャラの送金(補足)

当時は、海外への送金に上限があったというお話をしました。当時の大蔵省(現財務省)は、8万ドルまでしか許可しませんでした。ギャラは10万ドルですから、オーヴァーしてしまいます。それで、裏ルートを使ったのです。

 

ついでに言うと、ブライアンがギャラを格安にしたのは、あまり高いギャラを要求してチケットが高くなってしまうと、肝心のファン層である若者がコンサートに行けず、却ってビートルズの人気を落としてしまうことを懸念したからです。直前に行われたミラノ・コンサートではチケットが高過ぎて、2万人収容のところが7千人しか入らなかったことも念頭にあったようです。

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(A WIDER BRIDGE)

2    なぜ大人は、ビートルズを拒否したか?

(その87)で大人、特に学校の教師が生徒たちに絶対にビートルズのコンサートへは行かせないように目を光らせていたというエピソードをお話ししたところ、「なぜ、それ程まで当時の教師は、生徒たちとビートルズを引き離そうとしたのか?」という素朴な疑問を持たれた方がいました。

 

若者が新たなブームを世の中に持ち込んでくると、大人が拒絶反応を示すという図式は、今も昔も変わりません。これは、日本に限らずビートルズの母国であるイギリスや、ヨーロッパ、アメリカなどどこでも見られた現象です。

 

大人がまず拒絶反応を示したのは、彼らのヘアスタイルや強烈なサウンドもそうですが、それよりも女の子たちが絶叫する姿が、あまりにも常軌を逸していたように映ったのです。それまでは、プレスリーほどのスーパースターでもそんなことはありませんでしたから。

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(mainichi) 

しかし、こういった現象は、イギリスでは1963年、アメリカでは1964年に既に起こっていたことであり、それらに比べると日本は大分遅れてましたねf^_^;まあ、当時の音楽事情を考えれば致し方なかったと思います。ジャズは市民権を得ていましたが、ロックはまだまだでしたから。テレビやラジオはもちろん広く普及していましたが、現代のネット社会とは格段に情報の伝達するスピードは遅かったですし。

 

ビートルズが日本に来たのは、1966年でアルバム、リヴォルヴァーをリリースする直前でした。つまり、その頃、彼らは、既にアイドルからアーティストへと変身しつつありました。ですから、非常に芸術性の高い楽曲をもうその頃から作成していたんです。当時の日本の大人は、アイドルの頃のビートルズしか知らず、アーティストへと大きく舵を切った彼らを未だ知らなかったんですね。

 

もっとも、初期の頃の曲であっても、例えば、オール・マイ・ラヴィングやイエスタデイ等の名曲を聴いて、それを否定する大人は少なかったはずです。しかし、彼らは、そういった名曲を耳にするよりも前に入口の段階でビートルズを拒否してしまっていたのですね。「食わず嫌い」ならぬ「聴かず嫌い」だったと言った方がいいかもしれません。

 

2 前座のパフォーマンス

会場ではコンサートの模様が、E・H・エリックの司会に始まり、前座の映像も流されたんですが、まあその長いこと。いつまでやるんだって感じですね。それもブルーコメッツなどのロックバンドならまだしも、歌謡曲の歌手まで登場したんですが、あれは場違いも甚だしかったですね。せっかく盛り上がった雰囲気がぶち壊しですよ。残念ながらその動画は見つけられませんでした。

www.youtube.com

ポールは、アンソロジーで「前座のミュージシャンが僕たちの名前を入れて歌ってくれたのは嬉しかったけど、あれはちょっとダサかったな。」と語っています。彼らにしてみれば日本のロックは、まだまだ発展途上だったんでしょうね(^_^;

 

私は、藤本氏に「ビートルズがライヴを止めたのは、武道館公演で観客が静かだったために久しぶりに自分達の演奏が良く聴こえ、それがあまりに劣化していたことにショックを受けたことも一因だったのではないか?」と質問したところ、それはあったかもしれない、特に初日は時差ボケのせいもあり、リハーサルなしのぶっつけ本番でかなり酷い出来だったからという回答を頂きました。

 

その時、ホテルをジョンが抜け出した時に誰を連れて行ったのか質問すれば良かったと後悔しました。ジョンは、警察の包囲網を突破して骨董品店に立ち寄ることに成功したのですが、彼が単独行動したのか、誰かを連れて行ったのかが今一つハッキリしないので。後で野口氏にお聞きしたら、ローディーのニール・アスピノールを連れて行ったとのことでした。

 

岩淵さんという熱烈なファンがいて、その人は、5公演すべてのチケットをありとあらゆるルートを通じてゲットしました。SNSなどが無い時代に必死で情報を集めてチケットをゲットし、ダブったチケットは売ったり、交換したりしたんだそうです。右側に写っている女性が岩淵さんです。

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(The Japan Times)

彼女のおじいさんがお医者さんだったのでお母さんが一計を案じ、彼女が学校を休んで武道館へ行く口実になるよう、彼女が病気だという診断書を書いてもらったとか。それで、彼女は、お母さんにとても感謝しているそうです。古いニュース映像にヒルトンホテルに向かって彼女が手を振っているところが映っているそうです。因みに、彼女は、まだご健在でポールの来日公演は皆勤賞なんだとか。

 

当時、特に女性ファンは、カメラを向けられると顔が映るのを嫌がって、扇子などで隠したりする人が多かったそうです。特に中学生、高校生なんかは、親や教師に知られるととてもまずかったからでしょうね。逆にマスコミは彼らを取ると撮れ高が上がるので、盛んに撮りたがったようです。


3 通訳をした会田公(あいだきみ)さん
松竹セントラルの支配人だった下山鉄三郎は、通訳ができる女性を探していました。会田さんは、映画関係の仕事をしている外国人経営の小さな商社に勤めていましたが、その関連で下山から通訳を依頼されました。しかも、依頼されたのがビートルズに会う前日といういかにも急な話です。それで急いで日本風の柄の入ったドレスを着て行きました。ポールの隣の女性です。ジョージを挟んで隣が下山です。手にしているのは、ビートルズが宿泊中に描いた絵ですね。

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(THE JAPAN TIMES)
ジョージが彼女の肩を触ってきて「珍しい洋服だね」と言ったんだそうです。後に彼女は、その衣装を細かく切って、ティーパーティーを開いたときに参加者にプレゼントしました。「これはジョージが触った部分の布地かもしれません。」などと言いながら渡したそうです。もらった人は「ええ〜、すごいですね!」と喜んだのですが、多分、殆どは違ったはずです(笑)

 

彼女は、ジョージからサインをもらいました。通訳をしたおかげですっかり有名人になり、街を歩いているとファンから「ビートルズと会った人ですよね?」と握手を求められたとか。上の写真がファンクラブで配布されてみんな顔を知ってたんですね。

 

でも、面白いことに彼女自身は、それまでは全然ビートルズのファンじゃなかったそうです。しかし、仕事の関係で、当時、有名な政治テレビ番組だった「時事放談」にファンの代表として出演して、政治評論家の小汀利得(おばまとしえ、おばまりとく)が「ビートルズは下等だから、下等なファンが集まるんだ」などとこき下ろすのに対して反論してたんです。いわゆる「サクラ」というヤツですな(笑)まさか、その彼女が通訳をすることになるとは。

 

これがその放送です。まあ、これが当時の一般的な大人の反応だったんですね。もちろん、放送直後からテレビ局へはファンからの猛烈な抗議の電話や手紙が殺到しました。でも、この放送は1回だけじゃなく、懲りずにまた批判したものだから、再び抗議が殺到しました。ディレクターもさぞ頭を抱えたでしょうねf^_^;

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4 ビートルズの来日に反対した人々

ビートルズの来日に反対していたのは高齢の政治家や財界人、そして右翼でした。佐藤栄作総理大臣も武道館でのコンサートには懸念を示していました。特に読売新聞社の社長、正力松太郎はその急先鋒でした。しかし、彼が一転、受入れを表明し、逆に反対派を説得して来日が決定したんです。彼は、一新聞社の社長とはいえ、当時の政財界に睨みの効く超大物でしたから、彼の一声で騒動は一気に収束に向かいました。

 

一体、誰が彼を説得したんでしょうか?外務省、英国大使館辺りでしょうかね?武道館へは英国政府から直々に要請がありました。ビートルズエリザベス女王からMBE勲章を授与されていたことも、プラスに働いたのでしょう。

 

ここまでされて断ったら、日本と英国との外交問題に発展しかねません。まあ、英国側からの公式な要請があったため止むを得ず許可したといった形式を取ったことで、日本側のメンツも立ったというところでしょうね。ホントに今も昔も建て前を重んずる国ですなあ~。

 

しかし、反対派の人々は、「イエスタデイ」を一度でも聴いたことがあったんでしょうか?恐らく無かったでしょうね。その頃、ビートルズを批判していた著名人が、その後彼らについて何を語ったのかは知りません。

 

5 当時のニュース映像

当時のファンの熱狂ぶりとまるで戒厳令でも敷かれたかのような警察の厳重な警備体制、そして、最後は日本に対する印象を語るビートルズの映像です。ポールが「最高だった。」そして、ジョージが「日本は素敵だった。日本人は最高だね。」と言ってくれたのが嬉しいですね。これは、彼らが帰国後にイギリスのインタヴュアーに応えたものですから、リップサービスではなく本心だと思います。

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(続く)

 




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(その94)映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その7)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 字幕のお話の続き 

字幕では、ビートルズが初めてビートルズスーツの製作を「仕立て屋」に依頼したと出てくる箇所ですが、本当は具体的な人物(べノ・ドーン)を指しているんですね。ただ、最初に翻訳した松浦氏が人物名を出したところで観客は何のことだか分からないだろうから、あえて仕立て屋と翻訳したんです。ルビを入れることも検討したのですが、見栄えが悪いので入れませんでした。f:id:abbeyroad0310:20161102005559j:plain

(The Culture Concept Circle)

ドキュメンタリーであることを貫けば忠実に翻訳しないといけませんが、意味が通じなければどうしようもないので、そういうところは臨機応変に対応したということなんでしょう。これは洋画に関してはみな同じです。海外のスラングジョークなどは、そのまま翻訳しても絶対通じませんから。

 

藤本氏は、もうこれで最後という一日に画面を見ながら、気付いたところで手を挙げて修正を指示しました。映画を観ながら修正すべき字幕が出てくるとそこで画像を止めて、字幕の位置を変えたりとか文字を半角ずらしたりとか、20カ所ぐらい5~6時間かけて結構細かい指示をしたんだそうです。今は、コンピューターを使ってそんな作業は直ぐできるんですね。

 

MCでデイジー・ミス・リジーを1曲目と紹介している箇所があり、間違いなので訂正しました。もっとも元の台本には1曲目とは書いてないので、ホントは字幕を付けちゃいけないところですがね。

 

シェイスタジアムも最初は歌詞が入っていたんですが、作業で削除しました。最後のMCのところも「最新のレコーディング」と字幕が入っていますが、正しくは「最新のレコード」であり、微妙にニュアンスが違っているそうです。まあ、観客で気付いた人は殆どいないでしょうが。

 

2 ホントの裏話

この映画は、本当はキャンドルスティックパークのコンサートの50周年記念日に公開する予定だったんだそうですが、ポールからの返事が遅くて延び延びになったんだそうです。忙しくてなかなか返事してくれなかったみたいですね。字幕の作業がギリギリになったのもそのシワ寄せが来たからだそうです。

 

プレミアショーも何で現地時間で木曜日なんだ、せめて金曜日にやったら良かったのにという声があったんですが、それもポールの都合に合わせてイヴェントを組んだからのようです。リンゴは割と早く返事してくれたとか(笑)

 

女優のウーピー・ゴールドバーグが着てたTシャツは、元々くまのプーさんのデザインだったそうです。しかし、当然のことながら、そのまま使用したらディズニーからクレームが来る恐れがあるので編集で消されてしまいました。撮影している時は気が付かないもんなんですね。

 

藤本氏が7月にラフを観た時より何曲かプラスされたそうです。相当ギリギリまで編集作業をやっていたんですね。

 

シェイスタジアム・コンサートではVOXの100Wのアンプを使用しましたが、そんなのじゃ全然パワーが足りないので、館内放送用のスピーカーも使用しましたが、サウンドはかなり酷かったんですね。現代のようなPAがありませんでしたから、そんな中で何万人もの前でライヴをやったこと自体が信じられないですね。

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(thebeatleseightdaysaweek)

プロデューサーのジャイルズ・マーティンは、演奏が全然聴こえないので観客の絶叫のヴォリュームを落としました。まあ、当時、あそこにいたら、大型のスクリーンもありませんでしたから、豆粒のように小さなビートルズを観に行っただけということになりますね。でも、その場にいて、なおかつこの映画も観られた人は一番幸せなんじゃないでしょうか?

 

それにしても、そんな劣悪な環境で完璧な演奏ができたビートルズが凄すぎますよ。

 

日本の映像では顔にボカシが入っていますが、あれは警視庁から提供された画像なので、プライヴァシー保護の観点から警視庁からボカシを入れることを条件に提供されたからだそうです。

 

イギリスへ帰国してから、ポールが前座の演奏について感想を述べていますが、実際には楽屋にいて殆ど聴いてはいなかった、たまたま聴こえたんじゃないだろうかということです。楽屋入りする時間も遅くて、前座が始まるか始まらないかという時間だったので、恐らくちゃんと聴いてはいなかったんでしょう。

 

武道館公演の初日は、ビートルズが殆ど眠らず、リハーサルなしで演奏したこともあって、かなり手抜きで酷い仕上がりになっています。おまけに観客が静かだったもんだから、今まで観客の絶叫で聴こえなかった自分たちの演奏が良く聴こえて、その酷さにメンバーがショックを受けたんですね。もっとも、翌日の演奏では持ち直して、最終日が一番良い仕上がりになってます。

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(PodOmatic) 

元々1965年の時点でライヴはもう止めようという話が出ていたんだそうです。1966年の初めの3か月も休暇を取ってました。日本公演は、彼らがライヴを止めるギリギリで間に合ったわけですね。今から思うとホントに実現して良かったなと思います。

 

元々もう止めようと思っていたところに、武道館公演の仕上がりの悪さがダメ押しして、ライヴを止めるキッカケの一つになったかもしれません。その後、フィリピンで酷い目に遭い、ジョンのキリスト発言に端を発したバッシングを受け、もういいやって感じたんですね。

 

遡って考えると、ビートルズがライヴを止めた究極の原因は、彼らがノーザンソングス社と交わした契約、つまり、いくらレコードが売れても彼らには印税が一銭も入らないという契約ではなかったかと思います。そのためにライヴをこれでもかという程、スケジュールに詰め込むしかなかった。しかし、あまりの過密スケジュールとファンやマスコミの過熱ぶりに嫌気が差してしまったというところでしょうか。

 

返す返すもあんな契約をしてしまったことが惜しまれます。もっとマトモな契約を結んでいたら、もう2〜3年解散は先に延びたかもしれません。

 

3 ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウルのCDについて

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The Beatles

ジャイルズがリマスターしてリリースされましたが、当初は、「ベイビーズ・イン・ブラック」が初めて収録されたとアナウンスされていました。実際には、過去に「リアル・ラヴ」のカップリング曲として収録されているので初収録ではないんです。

 

藤本氏が、何で初収録とアナウンスしてるんだとユニバーサルを通じてアップルに問い合わせたところ、リアル・ラヴが初登場したときは1965年8月29日のMCで、本編は8月30日だった。今回はMCも8月30日になっている。だから違うんだという理屈だそうです。

 

って、MCが変わっただけで演奏は一緒じゃないか!ほんとにアップルって…(-_-メ)もう止めときましょう。まあ、最終的にはそのアナウンスは削除するということになったそうです。流石にアップルもやり過ぎだと思ったんでしょうね。 

 

4 終わりに

これでやっとこの映画のお話は終わりです。文中で書いたように映画の字幕とDVDの字幕は何ヵ所か変わりますから、映画を観た方は、どこがどう変わったか見つけてみて下さい。相当記憶力に自信がないと無理でしょうけど(^_^;)

 

後、DVDでも「ここが違ってるぞ」とSNSで指摘するのも面白いですよ。映画ファンでも間違い探しをするのが趣味の人っているんですよね。それがビンゴだったら自慢できますよ。私は、そんな自信はないのでやりませんけどね(笑)

 

5 おまけ

「スタジオラグにおこしやす-バンド・音楽・楽器のお役立ちWebマガジン」にも寄稿しています。こちらもよろしくお願いします。

www.studiorag.com

(続く)

 




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(その93)映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その6)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 アメリカから観たビートルズ

前回に続いて、藤本、野口両氏の講演の内容をご紹介します。今回は関係者しか知らないホントの裏話をお話しします。長くなってしまうので2回に分けますね。

 

この映画は、どちらかというと、アメリカ人の視点から描いたビートルズ、そして彼らを知らない世代の人たちに向けられた映画だということです。アップルもそこは全面的にロン・ハワードに任せて余計な口出しはしなかったようです。

 

アメリカの当時のファンの女の子たちが「リンゴは鼻がセクシーよ」「ジョージはまつげが可愛いの」と口々にインタヴューに応えているところがとても可愛いですね。この辺りの映像は、恐らく未公開のものではなかったでしょうか?アメリカではリンゴが結構人気があったようなので、特にリンゴをクローズアップしたのかもしれません。

 

ホテルでのポールとリンゴのカメラの奪い合いのシーンも面白いですよね。カメラに向かって、ポール「僕を撮って!」リンゴ「いや、僕を撮ってよ!」ポール「僕だって!」リンゴ「じゃあ、お先にどうぞ。」ポール「それじゃあ(ポーズを取る)…」リンゴ「はい、カット!」って、ダチョウかい!(x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ

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(learnodo-newtonic)

当初は、最後のシェイスタジアムのシーンは、使われる予定はありませんでした。それが途中から使われることになったんです。(その5)でお話ししたように、アップルとこのライヴの主催者のシド・バーンスタインの遺族とがこのフィルムの権利関係で揉めているので、この映画だけ特別に許可が下りたのは何故だか分かりません。バーンスタインの遺族もハワードがハリウッド映画にするならということで許可したんでしょうか?結果として大正解でしたね。あのシーンには大満足したファンも多いでしょう。ただ、DVDにならないのは残念です(+д+)

 

ハリウッドボウルのライヴも、元々は、映画に入っているものをサウンドトラックにしてリリースする予定だったんです。まあ、それが普通ですからね。しかし、CDをプロデュースしたジャイルズ・マーティン(ジョージ・マーティンの息子)がそれを嫌がったとか。

 

彼ももう父親ジョージが先にやってますから、「自分は親父とは違うんだ。」ってとこを見せたかったんでしょうし、実際、技術も当時より遥かに進歩してますしね。ですから、アップルも最初は「サウンドトラック版」と銘打っていましたが、途中から「関連商品」という風に差し替えています。

www.youtube.com

映画では、画質も音声も格段に良くなっています。あくまでもドキュメンタリーであるということを貫けば、画質も当時のものを使うべきところです。しかし、それでは若い人たちが映画を観てくれないだろうということで、画質を4Kでレストアして格段に向上させました。そして、画質だけが良くなったにも拘わらず音声がそのままだと、非常にアンバランスになってしまうので、音声のリマスターにも力を入れたんですね。

 

この手法には、賛否両論あるかもしれませんが、私は、これで良かったと思います。本物のドキュメンタリーじゃなく、あくまでエンターテイメントなんですから、やっぱり誰もが楽しめるものでなきゃ。特にビートルズを知らない若い人にアピールするためには、品質の向上は必須だったと思います。

 

2 日本側スタッフの奮闘

(1)アップルからのお達し

この映画の日本語字幕を担当したのは、最近、ハリウッド映画の多くを手掛けている松浦美奈氏です。ですから、翻訳の手法は、ハリウッド映画スタイルで音楽寄りではなかったんですね。藤本氏は、ピーター・ホンマ氏と共同で、入れられた日本語の字幕をチェックして日本語として通りが悪いとか、事実関係をチェックし、その後、英語の台本と照らし合わせてチェックする監修をしました。

 

映画の中で、歌詞が画面に出ずに曲だけが流れているシーンがあります。例えば、トゥモロー・ネヴァー・ノウズなんかは、曲が流れていても曲名は入っていませんでした。しかし、入れておかないとビートルズを知らない人には曲名が分からないので、字幕をどのタイミングでどこに入れるか苦労しながら入れたそうです。白い画面で字幕も白いと見えないとか。たった5日間しか与えられない中での、急ピッチの作業でした。

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Pinterest

ところが、藤本氏が良かれと思ってやった作業なのに、アップルから台本に歌詞が上がっていない箇所は曲名は入れないようにと指示があったそうです。ホント、一々うるさいですね(ー ー;)BGMで流れていて要らないというならまだしも、ちゃんと演奏されているのに曲名が分からないんじゃ、聴いた人が良い曲だと思っても探しようがないじゃないですか!

 

それで、せっかく入れた曲名を後から削除したので、曲名がないのに曲だけが画面に流れるなんてことになりました。ビートルズを知らない人は、「この曲、良い曲だけどなんて曲名だろう?」と疑問に思ったでしょうね。

 

ただ、1曲だけ削除し忘れたところがあるんだそうですf^_^;さあて、どこでしょうね?残念ながらDVDでは削除されてしまうので、今となっては藤本氏かホンマ氏じゃないとどこだか分かりません。歌詞が入っているところは、ちゃんと翻訳してありますが、ビートルズを知らない人にはその方が絶対親切ですよね。ファンじゃないと英語の歌詞だけ見ても、曲名はまず分かりませんから。

 

映画の字幕を入れる作業というのは結構大変なんですよ。語学に堪能なことは当然ですが、言葉のセンスもないといけないし、短い行数の中に収めないといけませんから。ジョークをそのまま翻訳しても意味が通じませんしね。画像が切り替わっているのに字幕が残っていてはおかしいですし、観客が読めるスピードに合わせないといけません。

 

ただねえ、EMIスタジオで映画のタイトルになった「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を収録するシーンがあるんですがね。これは前奏がコーラスになっているヴァージョンで、シングルカットされたものではないんです。

 

それは良いんですけど、そのワンテイクを収録した後に、ポールがマーティンに向かって「今のはOKか?それともクソか?」と確認するシーンがありました。発言のニュアンスからすればその通りなんでしょうけど、もう少し他に翻訳しようがなかったのかな?せめて「ダメか?」とかね。ちょっと、品が無さすぎじゃないかと思いました(^_^;)いや、単なる個人的意見です。

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(Inside the Rock Era)

(2)アップルの社員は意外にビートルズを知らない

これも余談ですが、アップルの社員は、細かいことに口出しする割にはどうもビートルズのことを詳しく知らないらしく、コンサートの日付なども平気で間違えて入れてたりしたんだそうです。

 

例えば、シェイスタジアム・コンサートの日付を1965年8月23日にしていたところなんかはそうですが、本当に初歩的なミスですね。これは藤本氏がKADOKAWAに言って訂正させたそうです。社員だからといってファンとは限らないとはいえ、自社の大切なブランドなんだから、ちゃんと理解しておいてもらいたいもんですヽ(#`Д´#)ノ

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(solobeatlesphotosforum) 

(3)それでもチェックが漏れてしまった

藤本氏も時間が限られている中で何度もチェックしたんですが、ちょっとおかしな箇所があるんだそうです。映画を観てまだ字幕が間違ってないかチェックしてたんだそうです(^_^;)これは職業柄しょうがないですよね。で、やっぱり間違いという程ではないんだけど、ちょっと意味の通らない箇所を見つけたそうです。

 

例えば、それまでビートルズは5千人規模の会場でコンサートをやっていたんですが、警察の警備が大変なので、5千人を10回やるなら5万人を1回やるのも同じだろうということで、5万人規模の会場でやってくれと要請が来ました。しかし、字幕では5千人「も」入る会場ではやらないでくれと表示されていて、そこはちょっと意味が通らなくなっていますね。本当は「しか」と表示しないといけなかったところです。というかもっと正しく翻訳すると、「5万人入る会場でやってくれ」ですね。DVDでは修正されているはずです。

(続く)

 




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(号外)第6回南港ビートルズストリートへ行って来ました。

ビートルズ ポップス 洋楽

ビートルズをこよなく愛するアマチュア・バンドの祭典、第6回南港ビートルズ・ストリートに行ってきました。

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大阪南港はもちろん港で海がすぐ傍にあるんですが、その雰囲気がマージー川に面したリヴァプールに似ているので会場に選ばれたんだそうです。

 

アマチュア・バンドがビートルズを演奏する場合、後期の曲はなかなか演奏が難しいので、前期の曲をやることが多いんです。でも、今回は、結構後期の曲を演奏するバンドがいて楽しめました。これは、よっちんさん率いる「The BEATLE SKETCH SPECIAL CLUB BAND」です。

 

よっちんさんは、2016年8月にリヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏し、それをキッカケにBBCにも出演したんだそうです。

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昼間は少し暑い位だったんですが、夕方になると潮風が吹いてきて寒いのなんのって‼️大阪では木枯らし第1号だったそうです。用意の良い人はちゃんとダウンジャケットを持ってきてました。流石ですね。

 

いつもの通り2つのステージで同時進行でやっているので、分身の術でも使わない限り両方同時に観ることはできませんf^_^;おかげで何度もステージを往復しました。別に1つのステージでずっと聴いていても良かったんですが、どうしてももう一つの方が気になっちゃうんですよね。

 

録画できたバンドの演奏のほんの一部をアップします。まさか、ストロベリーフィールズ・フォー・エヴァーやア・デイ・イン・ザ・ライフを聴けるとは思いませんでした。


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the Beatles Yer Blues cover

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屋外、しかも海辺のステージということで、潮風が思いの外強く、おまけに向かい風だったので、ヴォーカルの人は口に潮風が入って歌うのが難しかったようです。夕刻になると寒くて、ルーフトップコンサートみたいでしたf^_^;気の毒だったのは、ワイシャツにベストだけの衣装のバンドでしたね。寒かったろうなあ〜。

 

でも、天候に恵まれてホントによかったです。来年は5月にある予定なので、腕に自慢のあるバンドのみなさんはぜひ参加してください。今回からまだ人前で演奏できる自身がないバンドでも、2つのステージの間のストリートで演奏できるようになりました。今回実力派として参加しているバンドの多くも最初から上手かったわけではなく、初心者からスタートしてコツコツと努力を積み重ねた結果、ステージに上がれるようになったんです。もちろん、聴くだけでもOKですよ。

 

それにしても、バンドはもちろん、集まったお客さんもみんなビートルズが大好きなんですね。歌ったり、リズムを取ったり、踊ったりとみんなそれぞれに楽しんでいました。解散から50年近くも経っているのに、これだけみんなを夢中にさせるアーティストは他にいません。

 

あ、そうそう、ジョンとポールの共通の友人だったスチュアート・ケンドールさんにも一部ですが動画を送りました。「Great! Thank you!」との返信がありました。これに刺激を受けて来年5月にはバンドをロンドンから引き連れて参加してくれないかな?ちょっと彼のライヴァル心をくすぐってみました。あ、これ彼には内緒です(笑)

(続く)

 




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