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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その34)ついに不滅の記録を達成!!

ビートルズ ポップス 洋楽
おかげさまで、このブログの月間PVが現時点で1,400件を超えました。このペースで行くと、今月の月間PV は1,500件に達しそうです。閲覧して頂いている皆さん、ありがとうございますm(_ _)m
 

このレベルに到達すると上位3割以内にランクインするとのことで、ブログとしては一応及第点なんだそうです。つまり、「とりあえず月間1,000PVを目指す」というのが初心者ブロガーとしての目標なんだそうです。もちろん、月間10万PVを超えるようなレジェンドブロガーの皆さんの足元には到底及びませんが、自分としては予想外の反響で嬉しいです。
 

始めた頃は、「よほど誰もが興味を持ってくれるようなネタを提供しないと、誰も読んでくれないんじゃないか?」と不安でした。誰でも、自分の興味のあることしか読みませんからね。それに、私は著名人でもなければ、人が経験してないような珍しいことを沢山経験したこともありません。要するに「ネタ」が無いと思ったんですよ。
 

しかし、自分の大好きなビートルズのことを書くんだし、少しでも読んでもらえる方がいれば、それで良いじゃないかと割り切って始めることにしました。
書いているだけで楽しくなってきます。さらに、それを読んでくださる方がいて、読者になっていただいているので、なおさら嬉しくなります。記事を書くのは、結構大変なんですが、これからも頑張って続けていきます。
 

「キャント・バイ・ミー・ラヴ
」について、レコード・エンジニアのジェフ・エメリックはこう語っています。
 
 
「それは、それまでビートルズのシングルのA面を急いで収録した時みたいに興奮する作業だった。でも、どうしても最初に克服しないといけない技術的な問題があったんだ。そのことは、テープを持って帰って再生した時に気が付いた。それは、多分、テープを雑に巻き取ったためにキズが付いてしまったせいだと思う。リンゴのドラムのハイハットの高音部が途切れ途切れになってたんだ。
 
「短時間でトラックをちゃんとミックスして、プレス工場へ持ってかなきゃならなかったから、物凄いプレッシャーだったよ。それにビートルズはツアーの真っ最中だったから、彼らに手助けしてもらうこともできない。それで、ジョージ・マーティンとノーマン・スミスでちょっと手直ししたんだ。」
 
「僕が最初一生懸命エンジニアの席で作業してたら、ノーマンはスタジオで僅かの間にハイハットをセットして、2トラックと2トラックのダビングをやりながら、サウンドを追加してオーヴァー・ダビングしようと努めていた。彼にはとても感謝してるよ。ノーマンのドラマーとしての技術がかなりなものだったから、修復は素早く完璧にできたんだ。」 
 
 
この曲の大部分は、1964年1月29日にツアーで滞在中のパリのEMIのパテ・マルコーニ・スタジオで収録されました。実は、この時、「シー・ラヴズ・ユー」「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」のドイツ語バージョンも収録したんです。「Sie Liebt Dich」「Komm Gib Mir Deine Hand」の2曲です。
 
 
というのも、西ドイツにあるEMIの支社の「エレクトラゲゼルシャフト』というレコード会社が「ドイツではドイツ語でないと売れない」と主張したからです。そんなアホなとブライアン・エプスタインとジョージ・マーティンも思ったのですが、相手が強く主張するのでやむを得ず承諾しました。予定より早く終わったこの2曲の収録の後に、キャント・バイ・ミー・ラヴ」を4テイクで収録しました。
 
 
このドイツ語バージョンの収録の際にはちょっとした騒動がありました。実は、ビートルズは、この収録には最初から乗り気でなく、2日前の収録をすっぽかしてしまったんです。マーティンは、こう語っています。
 
 
「私は、ドイツ語のコーチのオットー・テイラーと2人でビートルズが来るのをスタジオで待っていた。ところが、約束の時間を1時間過ぎても、彼らはスタジオに現れなかった。」
 
「私は、頭に来て彼らが宿泊しているジョルジュサンクホテルのスイートルームに電話をかけた。すると、運転手のニール・アスピノールが彼らはまだ寝ていてスタジオへは行かないつもりですと答えたんだ。」
 
「彼らが私に反抗したのは、これが初めてだった。私は、ニールに言った。『彼らは約束を破っただけでなく、自分達でそれを言わずに君に言わせるのか?よし、分かった。今すぐそっちへ行って、とっちめてやるからなヽ(#`Д´#)ノ』」
 
「私は、ドイツ語の通訳と一緒にタクシーに飛び乗り、ホテルへ向かいスイートルームに飛び込んだ。そこで、私は、信じられない光景を目にしたんだ。彼らは、優雅にお茶をしてたんだよ。ポールの恋人のジェーンアッシャーが、赤毛のロングヘアをなびかせてお茶を入れていたんだ。彼らは、まるで『不思議の国のアリス』に登場する野ウサギみたいに彼女を囲んで座っていた。
  
「彼らは、私を見るなり、校長先生が教室へやって来た時の生徒みたいに慌てふためいて、ソファーの下に潜り込んだり、カーテンの後ろに隠れたりした。『全くどうしようもない連中だ!』と私が叫ぶと彼らは、イタズラ小僧のような笑顔と謝罪の表情を浮かべた。」
 
  
マーティンがスイートルームへ飛び込むと、彼らは家具の後ろにコソコソ隠れて小さな声で「ジョージ、ごめんなさい。ジョージ、ごめんなさい。」とコーラスで歌ったのです。この茶目っ気タップリのイタズラ小僧たちに、流石のマーティンも思わず笑ってしまいました。「君たちは僕に謝って、オットーには謝らないのかい?」というと、今度は「オットー、ごめんなさい。オットー、ごめんなさい。」とまたコーラスで歌いました。マーティンが、この駄々っ子達を何とかなだめすかしてスタジオまで連れて行き、収録に漕ぎ着けたのはもちろんです。
 
 
まあ、何とか収録はしたんですが、でも、聴いているといかにも嫌々演奏してるって感じがありあり分かりますね(特にジョン)(笑)そう、マーティンからデビュー曲を彼らのオリジナルの「ラヴ・ミー・ドゥ」ではなく、「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」でいくと言われて収録した時みたいな感じです。
 
 
結局、彼らが一曲まるごと外国語で歌ったのは後にも先にもこの2曲だけでした。これに関しては彼らの判断の方が正しかったわけですね。それから、ドイツ人に言わせると、彼らのドイツ語は決して上手くないとのことです。
 
 
さて、この曲の構成についてですが、ビートルズは、最初ギターのイントロから入って、Aメロに入るつもりだったのですが、マーティンは、いきなりサビのコーラスから入るよう予備リハーサルの間で彼らに提案しました。
 
 
「私は、曲のエンディングとイントロにインパクトが必要だと思っていたんだ。コーラスの最初の2行を取り上げ、これをイントロとエンディングに持っていき、Aメロを挟むとスマートにコードが進行して流れが良くなる。つまり、いきなりサビから入ってサビで終わるってことにしようと提案したら、彼らは『それは悪くないアイデアだ、そうしよう。』って言ったよ。」このマーティンの提案は大成功でした。ポールのシャウトがいきなりガツンと来ますから。
 
 
最初の2テイクの2番目は、アンソロジー1で聴くことができますが、それはちょっとブルースっぽい曲調で、ビートルズが最初に考えていたものです。ボールは、この時に後にアビイ・ロード・スタジオで差し替えられることになるガイド・ヴォーカルを歌いました。ジョンとジョージはバックコーラスを歌い、そこで彼らは、「Ooh satisfied」「Ooh, just can't buy」とボールのリード・ヴォーカルにコーラスを入れたんですが、これは早い段階でボツになりました。
 
 
ジョージのオリジナルのギターソロも、マイクの不調のために採用されませんでしたが、後にオーヴァー・ダビングされたヴァージョンで聴くことができます。ステレオ・ヴァージョンの方がギターのサウンドが一つ多く聴こえることになります。まあ、こんなに色んなテイクをそのままリリースしてしまうなんて、現代では考えられませんが、この当時は結構アバウトだったんですね。もっとも、そのおかげで、ファンはテイク違いをそれぞれ聴き分けて楽しめますが。
 
 
ジョージはこう語っています。「僕達は、テープをイギリスに持って帰って手を入れようと思った。僕は、この曲を分析した批評を読んだんだけど、それは僕のギターがダブル・トラックになっていて、オリジナルのもダブって聴こえるからあまり良くないって指摘してたんだ。最初にパリで収録して、その後イギリスでもう一回収録した時に前のサウンドをちゃんと消せなかったんだね。レコーディング・スタッフは、オーヴァー・ダビングしようとしたんだけど、その当時はダブル・トラックしかなかったから、ロンドンで収録したサウンドがバックでちょっと聴こえちゃうんだ。」
 
 
ポールが最終的なリードヴォーカルをテープに収録した同じ日、2回目のギター・ソロが、1964年2月25日 、ちょうどジョージの21回目の誕生日に収録されました。リンゴのハイハットを追加したステレオミックスも、スタジオ・エンジニアのノーマン・スミスがオーヴァー・ダビングして収録しました。この作業は、1964年3月10日に映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」を撮影する間を縫って行われました。
 
 
この曲は、リリースされるやたちまち世界的なヒットとなり、殆どの国のチャートのトップに立ちました。イギリスでは100万枚、アメリカでは210万枚も予約され、史上初めて予約だけで100万枚以上売れたシングルとなり、ギネス記録にもなりました。イギリスより少し前にアメリカでリリースされ、最初の週で200万枚を売り上げ、リリースされたその日の1964年3月16日にゴールド・ディスクを獲得しました。
 
 
最終的にアメリカでは300万枚以上、イギリスでも150万枚以上を売り上げました。この曲はチャート27位からスタートし、2週間で一気に1位を獲得しました。また、3曲連続でシングルチャートの1位に輝き、この曲が1位になった4月11日から2週間、ビートルズは、同時にビルボードホット100のチャートに14曲を送り込みました。27位から一気に1位になったことと、初登場から2週間で1位を獲得したことは、ビルボードホット100の当時の新記録であり、その後長い間破られませんでした。 
 
 
4月4日には、キャッシュ・ボックス、ビルボードホット100というアメリカの2大音楽誌のヒット・チャートの1位から5位までをビートルズの曲が独占するという音楽史に残る大記録が打ち立てられました。この記録は50年以上経った今でも破られていません。いや、永遠に破られることはないでしょう。まさに不滅の記録です。

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(参照文献)
THE BEATLES BIBLE, mybeatles.net, pinterest.com
 
(続く)