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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その62)初の本格的なワールドツアーへ(その3)~名曲「Blackbird」はこうして誕生した!~

ビートルズ ポップス 洋楽
1 闖入者現る
6月20日の夜、ビートルズが宿泊先にしていたシドニーのシェヴロン・ホテルで、翌日にニュージーランドへ出発するためにジョンが荷造りをしていると、窓をトントン叩く音が聞こえました。それで振り返ると、何とリヴァプール出身でオーストラリアに住んでいるピーター・ロバーツと名乗る20歳の男が、暗闇の中をホテルの排水管を伝って8階までよじ登って来て窓を叩いてたんですΣ(゚д゚lll)って、おいおい、マジかよ?落ちたら死んでるぜ。
 
 
ジョンは、こう語っています。「僕が、大急ぎでスーツケースに荷物を詰め込んでいると、窓がコツコツ音を立てたんだ。どうせ誰かが騒いでるんだろうと僕は気にも留めなかった。でも、ノックが続くのでバルコニーへ行ったら、リヴァプールの若者を絵に描いたようなヤツがいたんだ」
「僕は、そいつが口を開く前に、どこから来たんだと聞いた。だって、他の誰も8階まで登ってこられるヤツはいないはずだから。」
「そしたら、そのピーターってヤツが部屋の中に入って来て、リヴァプール訛りで『やあ』と挨拶したんで、僕も『やあ』と返した。そいつは、どうやって排水管をよじ登ってバルコニーからバルコニーにまで来たかを説明したんだ。」
「僕は、そいつに飲物を与えてやり、メンバーの所まで連れて行った。そしたら、みんなビックリしてたよ。彼らは、僕が彼らにジョークを仕掛けたと思ったんだね。」
 
 
そりゃ、ホテルの8階にいきなりいるはずのない部外者が現れたら誰だってビックリしますよf^_^;)それにしても、ジョンも良く中へ入れてやりましたね。普通だったら逃げ出して助けを求めるでしょう。強盗でなくて良かったですよ。
 
 
1964年6月21日、ビートルズは、オーストラリアのシドニー空港から、ニュージーランドのオークランドへ飛び立ちました。空港には7,000人のファンが出迎えていました。


ビートルズは、6月22日から4日に亘り、ナイトコンサートを開きました。しかし、今回のツアーでは一番出来が良くありませんでした。音響装置に問題があったのと、警備が厳重過ぎたからです。彼らは、ウェリントンキューバ・ストリートにあるタウンホールで2日連続で演奏し、それぞれ2,500人の観客が集まりました。


オークランドのセント・ジョージ・ホテルからコンサート会場まで、ビートルズの移動にはオーストラリアのような警察の特別な警備はありませんでした。オークランド警察の最高責任者であったクィンは、特別の警備を拒否したのです。「我々は、王室かそれに匹敵するような人物でない限り、そのような警備はしない。」


最初のコンサートは、同様にあまり成功だったとはいえませんでした。タウンホールの観客は、ロックンロールのコンサートにはあまり慣れていなかったので、スピーカーの音量に驚き、静かなままだったんです。ステージを降りると、ジョンは、「一体全体どうなってるんだ?」と怒りました。
 
 
ニュージーランドといえばオーストラリアのすぐ隣の国で、空港やホテルにはたくさんのファンが出迎えてくれていました。しかも、かってイギリスの植民地だったという点では、どっちも同じなんですが。オーストラリアの熱狂ぶりに比べて、あまりに静かだったので戸惑ったのでしょう。

 

ジョージは、こう語っています。「ニュージーランドで、一番びっくりした出来事は、あまり良い事じゃないけれど、音楽会社から派遣されたドラマーが彼女をホテルの自分の部屋に連れ込み、彼がパブに行っている間にその子が手首を切って自殺を図ったんだ。ジャーナリストのデレックがパニックになって、『ビートルズが宿泊しているホテルで自殺があった』ってニュースが、あっという間に世界中を駆け巡ったことを覚えてるよ。」ま、冷静に考えれば、ビートルズとは何の関係もない話なんですがf^_^;

  
3 名曲「Blackbird」はこうして誕生した!
次の23日のコンサートの前にセントジョージズ・ホテルで行われたインタビューで、ポールは、バッハの「ブーレ ホ短調」をオペラ風に演奏したと記録にあります。この曲です。

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上記の曲は、ビートルズ初期にポールとジョージが時々演奏したんです。ポールは、公式の自伝でバッハへの親近感を抱いていたことと、自分と彼の作曲方法との類似点を書いています。また、ポールの作品であるBlackbird」は、バッハの曲からインスピレーション受けて作られたことを1997年にインタビューで明かしています。
 
 
彼は、自伝の「Many Years From Now」でこう記しています。「タイトルは知らないんだけど、バッハの有名な曲からからインスピレーションを受けて、『Blackbird』を作ったんだ。ジョージと僕、特にジョージは、若い頃からバッハを練習したんだ。特に曲を構成しているメロディーとベースラインの間のハーモニーが僕の興味をそそった。」
 
「バッハは、ずっと我々の大好きな作曲家の1人だった。我々は、彼と共通する点が多いように感じた。何らかの理由から、我々は、彼の音楽が我々の曲と非常に類似していて、驚くほど速く彼に追随したと思った。バッハが教会のオルガン奏者で、毎週この曲を演奏していたという話が好きだった。」
 
 
何とバリバリのロックンローラーだったポールとジョージが、若い頃からクラシックの大御所バッハに傾倒していたとは驚きですね( ̄O ̄;)てっきり、クラシックなんかジジイが聴くもんだとバカにしていたと思ってました。
 
 
ポールは、曲のタイトルを忘れたと語っていますが、早い時期から多くのファンや学者が「Blackbird」は、バッハの「ブーレ ホ短調」をヒントに作ったのではないかと考えていました。2つの曲の音楽的な共通点といえば、ブーレ ホ短調はEマイナー、「Blackbird」はGメジャーで、譜面に#が1個付いているということ位です。
 
 
そして、後にポール自身が実際にこの曲を演奏しながら、解説しています。
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ポールとジョージは、オリジナルを間違えて覚えてたんですね(^_^;)ポールは、左にいるミハイルという人と一緒に仕事をしてきたそうですが、この人が正しく譜面の通りに演奏しています。ポールは、この人にラテンよりはちょっと難しいよと言われたんですね。2005年7月28日にアビイロードスタジオで、ポールがソロライヴをやった時に、バッハから影響を受けたこと、曲の類似性を説明するために、オリジナル曲を幾つかのメジャーコードで演奏したのです。このことは、彼がバッハの「ブーレ  ホ短調」をヒントにBlackbirdを作曲したことをその時も披露しました。
 
 
また、2010年12月20日にリヴァプールで開催したライヴでも同じように解説した上で、演奏しました。
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しかし、ポールが「Blackbird」を作曲したのはもっと後です。ですから、ニュージーランドで弾いた時にはもちろんそんなことは全く彼の頭の中にはありませんでした。
 
 
4  コンサート
ビートルズは、6月23日にウェリントンのタウンホールで2回目のコンサートを開催し、5,000人の観客が集まりました。前日よりは少し歓声が大きくなりましたが、今度はサウンドチェックをしていなかったので、音響が悪かったのです。しかし、良かった点は、リンゴのヴォーカルがどちらのコンサートでも素晴らしかったので、彼が「ボーイズ」を歌った時にはとても盛り上がりました。ポールは、こう語っています。「マイクの調子が悪いなんてのは珍しいことじゃなかった。特に初期の頃はね。今じゃ考えられないよ。」これは、珍しくリンゴがヴォーカルをやっているところです。

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NEW ZEALAND HISTORY)
ウェリントン警察のコンサート後の警備体制は不十分で、5,000人の群衆に対してたった2人の警官を配備しただけでした。信じられませんね(;´Д`Aもちろん、主催者側でセキュリティ体制を万全に整えるべきですが、この頃はまだそういう考えは無かったんです。そのせいで、ロードマネージャーのマル・エヴァンスは、道を塞ぐ車と群衆をどけなければなりませんでした。この当時のニュージーランド警察には、「ミュージシャンの警備なんて警察のやることじゃない」というプライドがあったんでしょうか?しかし、これでもし、事故が起きたりしたら、結局は警察の責任になったところですけどね。
 
 
ビートルズは、翌日の24日にオークランドのタウンホールでコンサートを開催しました。しかし、地元の警察からはまた冷たい扱いを受けたのです。警察の係官は、スタッフに「頼みもしないのに何でこんなとこへ来たんだ?」と言いました。いやはや、ビートルズが迷惑がられるとは。オーストラリアの熱狂ぶりとは雲泥の差ですね。


その結果、ごく僅かの警察官が群衆を誘導するために配備されただけでした。そのため、ビートルズが宿泊先のロイヤルコンチネンタルホテルへ向かうために乗車したキャデラックは、湾に集結した何千人ものファンに取り囲まれてしまいました。ニール・アスピノール、マル・エバンスとツアーの主催者ロイド・レーベンスクロフトは、車の中でビートルズを守りながらどうにかファンをかき分け、ホテルのガレージに車を10m程押して駐車しました。この状況は約20分続きました。ビートルズが車を降りて自分の部屋に辿り着くまで、ガレージに入っていた約200人のファンを1人つずつ外へ連れ出されなければなりませんでした。彼らは、2,500人のファンの前で2回コンサートを開催しました。
  

25日には市長が歓迎のレセプションでジョンに「あなた方が来られなくても怒りませんでしたよ。何しろ、あなた方が来ると余計な金がかかると騒ぐ連中が多い土地柄なのでね。」と言ったんです。「招かれざる客」ってことですね。

 

6月26日には、オークランドからダニーデンへ飛行機で行くことになっていたのですが、離陸する前に機内に細菌の入った爆弾が仕掛けられているという匿名の通報があり、乗客は恐れおののきました。幸い、何の問題もなく飛行機はダニーデン国際空港へ到着し、何千人ものファンに暖かく迎えられました。しかし、ここでも警察の警備体制は、ビートルズの人気を考慮に入れない不十分なものでした。 彼らが滞在していたニューシティホテルにはたった3人の係員が割り当てられただけでした。そのおかげでホテルへ入ろうとして、ファンにもみくちゃにされ、ジョンはごっそり毛を抜かれ、ポールは顔に傷を付けられてしまったのです。
 
 
翌日の27日に、ビートルズは、クライストチャーチへ到着し、5,000人のファンの出迎えを受けました。彼らが乗ったリムジンが宿泊先のクラレンドンホテルへ向かっていると、ある13歳の少女が車の前に飛び出し、ボンネットに跳ね上げられ、道路へ投げ出されました。ビートルズは、自分のホテルに彼女を連れて行き、彼女にコーヒーを与え、無傷であったことを確認しました。

 
ホテルでは、何人かの男性ファンが彼らのガールフレンドを感動させるために、ビートルズの髪をカットしようとして、クローゼットの中に隠れていました。彼らはグループに会う前に見つかりましたが、火災のための避難経路から逃げていきました。


ビートルズは、29日に再びオーストラリアへ戻り、30日と2日間でブリスベーンフェスティバルホールでコンサートを開催し、それぞれ5,500人のファンが集まりました。その間にゴールドコーストで束の間のヴァカンスを楽しみ、宿泊先のレノンホテル(当時ジョンの名前を付けたホテルがあったんです。今は名前が変わっていますが)へ戻りました。これはオーストラリアツアーのハイライトシーンです。
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色んなハプニングが起きた海外ツアーもようやく終わり、31日に彼らは帰国の途に就きました。
 
(参照文献)THE BEATLES BIBLE, BEATLES MUSIC HISTORY