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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その105)ビートルズのテレビ出演(その3)

ビートルズ ポップス 洋楽

1 マザー・テープの素晴らしいクオリティ

この時のことについて、ワイルドはこう語っています。

 

「偶然にも私の父のジェフ・ワイルドも当時キャヴァーン・クラブで演奏していて、オープンリール・デッキを持っていて、まだ十分使用できたので再生することができた。その瞬間、これはあまりにも単純な見落としであり、アンソロジー・プロジェクトの制作者はこのテープを見落としたんだと感じた。」

 

「我々は、2台のカメラをセットし、私はゴム手袋をはめてテープをうやうやしく箱から取り出し、デッキにセットした。ハンプの家族が固唾をのんで見守る中で、私の心臓の鼓動は激しくなり、気分が悪くなりそうだった。その瞬間、いきなり私がかつて聴いたことのある中で最もダイナミックなライヴ演奏が始まったのだ。これは、バトラーが3本のマイクで収録した『サム・アザー・ガイ』であることを証明するものだった。」

 

「公正な立場に立っていえば、近年、我々が過去の作品として聴いてきた物の中でも、デジタルリマスターされた物に匹敵すると書いて差支えないだろう。楽器もヴォーカルもクリアに聴こえ、キャヴァーンの雰囲気すら感じることができた。私の父がかつて演奏していたキャヴァーンと同じ雰囲気を感じて、私は喜びのあまり涙をこぼし、ハンプの息子のアシュリーと5時間を過ごした後、ハグしたよ。」

 

「これは歴史的瞬間であり、我々はテープを再生して何の問題もなかったことに安堵の溜息を洩らした。そして、テープは、演奏後にジョンが良くやっていた『こいつは、もう1回やらなきゃダメだろうな。』という皮肉っぽいセリフで終わっていた。これは、バトラーが再度収録したものの、やはり満足のいく仕上がりにはなっていなかったことを示すものであり、何よりジョンのこの言葉にそれが現れている。」

 

「ハンプは、すぐさまこのテープをオークションに掛け、その売り上げを寄付することに決めたのだ。ブライアンは、このマザーテープをアセテート盤にダビングしたものを所有していたが、音質はテープには及ばなかった。」この写真は、テープの写真を手にするハンプとワイルドです。

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ビートルズに関しては、50年以上の長きに亘り、世界中の人々が研究し、文献を残し、アイテムを収集してきました。もう彼らについての記録もアイテムも何も残されていないかにみえましたが、そうではなかったのです。

 

後知恵かもしれませんが、何故、もっと早くハンプに直接取材しようと誰も考えなかったのでしょうか?彼がまだ生きていたから良かったようなものの、もし、亡くなっていたら彼の遺族によって他の遺品と一緒に処分されてしまっていたかもしれません。

 

2    実質的なテレビ初出演 

そして、彼らがEMIと契約し、「ラヴ・ミー・ドゥ」をリリースした後、ハンプは、グラナダテレビで1962年10月17日放送の「ピープル・アンド・プレイスィズ」に彼らを出演させることを決め、今度は本当にミュージシャンとして演奏することになったんです。リハーサルは午後3時から4時の間に行われ、マンチェスターグラナダテレビセンターの第4スタジオから午後4時15分から6時にかけて放映されました。

しかし、前述のように1回目と2回目はこの後で放映されましたから、実質的にはこちらの方がテレビ初出演ということになります。それに前回は、あくまでもローカルニュースの中で「今話題のバンド」という扱いでしたが、今回はバンドとして演奏したのですから、これが本当の意味でのテレビ初出演ということになります。

 

この時、ビートルズは、「ラヴ・ミー・ドゥ」と「サム・アザー・ガイ」の2曲を演奏しました。そうです、あの記念すべきデビュー曲のラヴ・ミー・ドゥがこの時、初めてテレビで放送されたのです!しかも、この時は収録ではなく生放送だったようです。

 

これは、出演に際してリンゴがグラナダTVと交わした契約書です。本名のスターキーになってますね。おそらく、彼がまだビートルズのメンバーになったばかりだったので、個別に契約が必要だったのかもしれません。

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グラナダTV(現ITV グラナダ)は、3チャンネルでイギリス北西部のローカル局でした。「ピープル・アンド・プレイスィズ」は、イギリス北部のローカルニュースを放送する番組でした。

 

先にお話ししたように、彼らは既に1962年8月22日と9月5日に同じテレビ局の収録をしていましたが、これは出演というよりは今話題のミュージシャンというローカル・ニュースの扱いでした。後にこの番組の名称は、「シーン・アット・6:30」に改められます。プロデューサーのハンプは、実際にハンブルクビートルズのパフォーマンスを観たことがありました。

ジョージの女友達だったアイリス・コールドウェルは、こう語っています。

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「放送が終わると直ぐにジョージが私の母に電話してきて『どうだった?』って聞くのよ。すると母は、『良かったけど、あなた、印象が薄いわよ。もっと笑顔を見せないとうまくやっていけないわよ。』と言ったわ。そしたら、次に彼は『今度は笑ってみたよ。これでいい?』母『前よりは良くなったけど、もうちょっと笑顔を見せた方がいいわね。』母は、彼らに正直にアドバイスしてたの。」

 

ジョージは、後に「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」と呼ばれることになりましたが、もうその兆しがこの頃から現れてたんですね(笑)

 

そして、ビートルズは、「ピープル・アンド・プレイスィズ」「シーン・アット・6:30」に11回、キャヴァーンでのライヴとマンチェスターグラナダTVのスタジオでの放送局での収録で出演しました。何回かは生でしたが、それ以外は口パクだったようです。

 

「ピープル・アンド・プレイスィズ」は、彼らが初めて出演したテレビ番組ということもありますが、元々地元のローカル局だったので親しみがあったんですね。ビートルズは、マンチェスターにあるグラナダ・テレビ・センターへ行き、カメリハを午後3~4時、4時15分~6時にやりました。そして、番組は午後6時35分~7時に生放送されました。

 

これが貴重なその時の写真ではないかと思われます。

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3 放送もブレイクに貢献した

この日の放送は、前後にキャヴァーンでの演奏が放送されました。ブライアンは、当時のことを振り返り、ビートルズは、このローカル局での放送を無いよりはましだ位に考えていたと語っています。全国放送ではないので、一部の地域でしか見られませんからね。彼らは、もはやこの程度では満足せず、ヒットパレードに名前が揚がり、売れることを熱望していたのです。

 

とはいえ、「ピープル・アンド・プレイスィズ」に出演できたことは、デビューとしてはまずまずだったといえるでしょう。いや、それどころか後述しますが、これが彼らをブレイクさせる大きなきっかけとなったんです。

 

この番組のプレゼンターはゲイ・バーンでしたが、ジョンは、「ラヴ・ミー・ドゥ」を演奏した後、彼にとても感謝しました。というのも、流石のビートルズも初のテレビ出演で緊張していて、何台もの真っ黒なでかいカメラが迫ってくることに恐怖心を覚えていたのですが、彼がうまくリラックスさせ、勇気づけてくれたからです。

 

テレビで放送された結果、「ラヴ・ミー・ドゥ」は、特にイギリス北西部で大きく売り上げを伸ばしました。この放送が、曲のチャートを押し上げることにかなり貢献したのではないでしょうか?レコードがリヴァプールなどのイギリス北西部で多く売れたことがこの事実を裏付けています。なお、以前にもお話ししましたが、ブライアンがレコードを買い占めたというのは単なる都市伝説に過ぎません。


ビートルズの初出演は、台本通りにはいきませんでした。というのも彼らは、放送の終了まで終始おどけていたからです。彼らは、出番が終わるまでじっと立ったままでいるのは、あまりにも生真面目すぎると感じたのです。それで、彼らは、ジャンプして「ハロー、マム!」などと叫んでいました。

 

これは生放送だったんですが、テープには収録されませんでした。したがって、残念ながら映像は残っていません。まだ家庭にホームビデオがない時代でしたから、誰もこの放送を録画した人はいませんでした。「サム・アザー・ガイ」は、その後スタジオで収録されることもなく、貴重な口パクではない生演奏だったと思われます。

 

マーク・ルイソンによると、この時の彼らのパフォーマンスはとても素晴らしいもので、おまけに曲と曲の間に何とリンゴがギターをかき鳴らして繋いでいたんだそうです。いやあ、惜しいなあ~。

 

これは、1962年10月29日に放送された音源の一部です。

www.youtube.com

この曲は、この後も何度か演奏されましたが、殆どが生演奏だった可能性が非常に高いです。当時、それを観た人の記憶に残っているだけです。もし、この時の映像が発見されたら、例え、それがテレビ画面を8ミリビデオで録画した物であったとしても、とんでもない値段が付くでしょうね。

 

あ、でも、ありましたありました。映像ではないんですが、アドリアン・キレンという16歳の少年が、オープンリール・テープで当時の放送を録音していたんです。このテープは、現在アップルが所有しています。

 

ビートルズの才能を見抜いたハンプは、彼らをこの番組にレギュラー出演させることにしました。この事実も彼らのその後のブレイクに大きく貢献したことは間違いありません。

(参照文献)WogBlog, BEATLES MUSIC HISTORY,THE SOURCE

(続く)

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