1 The Beatles Ltdの設立が最初
(1)アラン・クラインよりこちらが先
前回までビートルズにとって3人目のマネージャーとなったアラン・クラインについてお話しましたが、 アップルコア社(Apple Corps Ltd)の設立が時系列では先なので、こちらを先に記事にすべきでした。この会社の経営が悪化したため、クラインが登場する隙を与えたわけです。
いつもながら、順番が前後してしまってすいませんm(__)mまあ、学術書の類ではないブログなので、そこのところは大目に見てやってください(^_^;)
それはそうと、私は、前回の記事で「ビートルズが解散した遠因は、そもそもイギリス政府の高額課税にあったのではないか?」という仮説を立てましたが、同じ見解を示している人が他にもいたんです!
ビートルズの長年の友人であるトニー・ブラムウェルは、タイムズ・オンライン紙に掲載された論説で、当時のイギリスの税金の高さが有名なグループの解散に貢献したと非難しました。彼は、最近の著書「マジカル・ミステリー・ツアーズ」(素晴らしきインサイダー回顧録)の中で、「グループの結束力を破壊するのに役立ったのは罰則的な税率だった。」と主張しています。
私の見解が決して独りよがりではなかったことが証明されたような気がして嬉しいです(≧▽≦)
(2)アップルコアが最初ではなかった
ビートルズが自分たちの会社を立ち上げたのは、アップルコアが最初だと思われがちですが、実は意外と早く、デビューして間もない頃でした。
マネージャーのブライアン・エプスタインは、ビートルズの成功が確実になってきたことから、1963年6月20日、The Beatles Ltdを設立しました。ビートルズがディック・ジェイムズと契約して、彼に著作権をすべて譲渡したのは、その2か月後の1963年8月14日です。
ビートルズのビジネスの多くは、NEMSエンタープライズが管理していましたが、新会社は、ビートル各自が個人よりも低い法人税の税率の適用を受けるという恩恵を受けられるという新たなビジネス・パートナーシップとしてスタートしたのです。ミュージシャンが経営の一角に参加することになったんですね。The Beatles Ltdは、1967年4月にThe Beatles&Coと社名を変更し、その後にApple Corpsになりました。
2 アップルコア社の設立
ブライアンが亡くなった後、ビートルズは、一時的に事実上マネジメントを自分たち自身ですることになり、ビートルズというビジネスが新たな、そして、時として風変わりな方向へと動き出しました。ビートルズは、ブライアンの代わりに新しいマネージャーと契約するよりも、自分たち自身でマネジメントする道を選んだのです。
ビートルズの成功は、ブライアンの貢献によるところが大だったのですが、著作権を譲渡してしまうなどビジネス上の大きなミスも犯していました。他人任せにしたのでは自分たちの権利が危なくなると考えた彼らは、それならむしろ自分たち自身でマネジメントした方が良いと考えるようになったのです。
ブライアンの管理から解放された彼らは、初めて自由に自分たちのビジネスに携わることになりました。この開放感は、何物にも代え難いものだったでしょう。もっとも、結果的にはそれが裏目に出てしまうことになるんですが💦
3 節税対策の一環で始めたビジネス
(1)税金がまるで違う
ビートルズは、1964年の終わりまでに7曲のチャート1位を獲得しましたが、最初に獲得した100,000ポンドは87.5%まで課税され、2回目は98%まで課税されたと当時の公認会計士であったハロルド・ピンスカーは語っています。いくら当時のイギリスが「ゆりかごから墓場まで」という福祉国家だったとしても、ぼったくり過ぎですよ💢
彼らが必死で曲を作って大ヒットしたと思って喜んでいたら、その殆どを税金で持っていかれたんです。彼らが大嫌いだったビジネススーツを着てネクタイを締めた連中は、著作権を取り上げただけでなく、汗水たらして稼いだ金まで何ら遠慮することなく合法的に持っていったのです。彼らが節税対策に走ったのも当然でしょう。
ビートルズは、その一環として1967年にアップルミュージックをバンドが所有する企業を一つにまとめるために設立しました。ところが、法人の設立により大幅な節税ができたのです。
このレーベルの最初の役員は、ブライアンの弟のクライヴ・エプスタイン、同じくアシスタントのアリステア・テイラー、NEMSエンタープライズの役員のジェフリー・エリス、弁護士、公認会計士でした。彼らは、最終的には関連会社をたくさん設立することになったのですが、税務当局に課税逃れとみなされないよう、少しずつビシネスを拡大していこうという考えに基づいて設立しました。
(2)最初は乗り気でなかった
テイラーは、アメリカの作家ジェフリー・ジュリアーノに会社を設立した経緯をこう語りました。「節税がそもそもの発想だったんだが、ビートルズが初めてこのことを聞いたときは、あまり乗り気じゃなかった。彼らは、店の看板に自分たちの名前が載るのはイヤだと思っていたんだ。」
当初、彼らは、音楽以外のサイドビジネスにあまり興味を示さなかったんですね。というより「ロックンローラーが音楽以外のサイドビジネスで儲けるなんて邪道だ。」というプライドがあったのかもしれません。でも、会社を設立するという話は、サイドビジネスで稼ぐというよりは、節税が本来の目的でした。
「最初に思いついたアイデアは、グリーティングカードだった。ビートルズのグリーティングカードを売っている店を想像してみてくれ。彼らは、それが全く気に入らなかった。」
こういった類のものは、アイドル時代に散々作りましたからね。アーティストになった今となっては、もはや必要なかったでしょう。彼らは、アイドル時代とは全く違う、アーティストとしてふさわしいコンセプトを持った物を作りたかったのです。
「彼らは、会議を重ねるうちに徐々に積極的になり始めて、それからようやくアップルコアの構想にたどり着いた。だけど、後に、それは散々な結果になってしまった。」
最初は乗り気でなかった彼らも、節税対策になることに加えて、彼らが音楽以外にもアーティスティックな才能を発揮できるチャンスだということに気づいたんですね。
(3)食い物にされた
しかし、ジョンは、後にこのビジネスを酷評してこう語りました。「クライブ・エプスタインやら何人かのビジネスオタクみたいな連中がやってきて、『そんなに金を使わなかったら税金に取られてしまうぞ。』と言ってきたんだ。我々は、洋服のチェーン店とか、何かちょっと変わった店を開こうと考えていた。」
「ポールは、白い家をオープンさせるという良いアイデアを持っていたんだ。当時、白い製品はあまり出回っていなかったから、陶器などを全部白い製品にするとか、かなり洒落たものだったんだ。だけど、それでは終わらずに、色んなガラクタとか、ザ・フール(オランダのデザイン集団)とか、くだらない服とか、そういうものになってしまったんだ。」
アーティストが本業以外のサイドビジネスに手を出して失敗する典型的な例ですね(^_^;)食べ物に群がるアリのように、色々な連中が勝手にアップルに入り込んできて、何が何だか訳が分からない状態になってしまいました。
ただ、彼らは、本業の音楽に関することでは、多くの権利を取り上げられてしまっていたので、サイドビジネスに走らざるをえなくなったというやむを得ない事情もありました。それにメンバーが現金で収入を得ると、90%が税金に消えてしまうので、それなら法人を設立した方が節税できてずっとマシだったのは確かです。ただ、残念ながら、彼らにビジネスは向いていませんでした。
4 アップルコアがスタート
(1)ブライアンの存命中に始動していた
クライヴは、ブライアンのマネジメント会社であったNEMSの財務管理部門に勤務していた関係から、会社を設立する仕事に取り掛かりました。この頃、兄のブライアンはまだ存命でしたから、彼の指示で動いていたのでしょう。
1967年4月19日、ビートルズは、グループ、ライヴ、ソロ活動(ソングライティングを除く)を問わず、すべての収入を共有する法的パートナーシップを結びました。この会社は、100万ポンドの株式を発行して10年間、メンバーで共同経営することになりました。ソングライティングという最も重要な柱が欠けていたとはいえ、やっと自分たちの権利を自分たち自身でコントロールできるようになったのです。
(2)ひっそりとお披露目
人々がこの事実を初めて知ったのは、ちょうど1か月後の5月19日にブライアンの自宅で開かれたアルバム「Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band」のディナーパーティーで、公表されたジャケット写真のバック・スリーヴに、後にビートルズを象徴することとなるリンゴがひっそりと印刷されていたことからです。
本来なら、ビートルズが自分たちの会社を立ち上げて、本格的にビジネスに乗り出したのですから、記者会見して大々的に公表するところだったでしょう。初めてジャケット写真を見てこのロゴに気づいた人は、「何だ?見たことないロゴだな。」と不思議に思ったでしょうね。あるいは、節税対策として法人を設立したことがあまり公けになると、税務当局から疑惑の目が向けられるのを恐れたのかもしれません。
(参照文献)タックス・ファウンデーション、ザ・ビートルズ・バイブル、ガーディアン、キューポイント
(続く)
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