★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

アップルはアーティストの立場に立った会社としてスタートした(313)

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アップルを手にするジョンとポール

1 ジョージは自分の会社を所有していた

(1)アイドル時代に自分の会社を所有した

意外に思われるかもしれませんが、実は、ジョージは、アイドル時代に一人で自分の会社を所有していたのです。

1964年9月11日、ジョージは、ペーパーカンパニーとして売りに出されていたモンヨーク社を買収し、12月7日、音楽出版社としてのハリソングス社と社名を変更しました。ただ、当時、彼は、アメリカでツアー中だったので、この取引は、実際にはNEMSエンタープライズが彼に代わって行ったものと思われます。

 

これは、今でも同じですが、存続中であっても実質的には活動していない会社はたくさんあるんです。それを買収すれば、一から会社を設立するより面倒な手続きが省けるので、よく利用されます。彼は、同社の株式の80%を所有していました。

私の憶測ですが、ジョージは、日頃からNEMSの関係者に金銭面の待遇について不満を漏らしていて、それならこんな方法があるとアドヴァイスを受けたのではないでしょうか?まだ21歳という若さで、しかも音楽一筋でやってきた彼にこんなビジネスができたとはとても思えませんから。

(2)僅かな印税

www.youtube.com

ジョージは、自分の会社を所有したものの、1965年3月25日からノーザンソングス社と3年間の出版契約を結んでいたため、1968年3月にノーザンソングスとの契約が切れるまで、ジョージの楽曲は、ハリソングス社からリリースできませんでした。

1965年にノーザンソングスが株式を公開した時、それまで全く印税を支払われなかったジョージとリンゴは、やっと株式を所有できることになりましたが、それでもその比率はたった1.6%でした。まあ、それ以外の稼ぎがとんでもない額だったので、お金には不自由はしていませんでしたが、それでもとても納得できませんよね(^_^;)

 

ジョージは、1967年にこの状況について作曲した「Only A Northern Song」で不満を吐露しています。「下らない曲であろうと構わない。ただのノーザンソングスだから。」

そして、ジョージに続いてリンゴも、1968年に自身の出版社「スタートリング・ミュージック」を設立しました。

(3)ジョージの不満

1963年にリリースされたアルバム「With The Beatles」にジョージが作曲した「Don't Bother Me」が初めて採用され、ビートルズのソングライターとしても活動することになりました。しかし、いくら彼が作曲しても、その著作権はノーザン・ソングス社が所有しており、彼にはわずかな印税しか入りませんでした。

おそらく彼は、その理不尽なカラクリに不満を抱いて、自分の会社を所有しようと思い立ったのでしょう。ジョンやポールは、著作権を奪われても自らサインしたんですから仕方ないとしても、サインすらしていない自分まで何で巻き込まれなきゃいけないんだと不満を募らせていたんだと思います。おまけにやっと収入が入ってきたと思ったら、その90%も税金をふんだくられたんですから、そりゃ、頭に来ますわな(^_^;)

 

(4)解散の要因の一つ

私は、「ビートルズ解散の要因の一つにジョージの不満があった」と以前に指摘しました。それは、「奴隷契約」にサインしたジョンやポールの軽率さ、高い税金、彼のソングライターとしての才能をなかなか認めなかったジョンやポールの態度など、様々な不満が入り混じった複合的なものだったと思います。

ジョージは、1968年10月10日に別の音楽出版社であるシングソング・リミテッド社を設立しました。この会社は、ハリソングス社との合併前にジョージが作曲した「Old Brown Shoe」という1曲だけを出版しました。その後、ハリソングス社は、後にジョージが作曲したビートルズの曲とビートルズの解散後に、彼がソロとしてリリースした初期の作品のすべてを出版しました。

2 アップルビジネスのスタート

(1)アップルレコーズを設立

ビートルズは、インド旅行から帰国した1968年、ロンドンにアップルレコーズを設立しました。アーティストの立場に立つという理念を持ったこのレーベルは、創造的で教育的な環境の中で新人アーティストを育成し、第二次世界大戦前からイギリスの音楽業界を支配してきた伝統的なレコード会社にとって代わるものを提供することを目的としていました。つまり、成功したアーティストが若くて才能のある新人アーティストを発掘して育成しようというわけです。

(2)新人アーティストの発掘と育成

ビートルズがアップルを立ち上げたのは、自分たちでビジネスをコントロールし、節税するというのがメインの目的でした。しかし、それにとどまらず、彼らが下積み時代にデッカレコードのオーディションで不合格とされるという屈辱を味わった経験を踏まえ、才能ある新人アーティストを発掘し、育成しようと考えたのです。

彼らの実力や将来性を見抜けなかった音楽業界は、そもそも新人アーティストを発掘して育成するというシステムを構築してこなかったという大きな問題を抱えていたのです。また、彼らがリヴァプールという地方出身者で、衣装がみすぼらしく機材も貧弱だったため、才能を見抜けなかったという面もありました。そこで、ビートルズは、身分や外見に囚われずに、才能がありながら埋もれているアーティストを見つけて育成しようと考えたのです。

1968年1月、バンドが始めていた様々な投資活動を統括する会社として、アップル・コア社が設立されました。なお「Apple Corps」は、スペルを見ると「アップル・コープス」と発音したくなりますが、正しくは「アップル・コア(またはコーア)」と発音します。Corpsは、「団体」という意味ですが、りんごの芯を意味する「Apple core」とかけたんですね。

 

3 なぜアップルを立ち上げたのか?

(1)多角的な経営を目指した

ジョンは、インタヴューの中で、アップル設立の理由を次のように述べています。「我々が契約していた会計士が来て、『皆さんは、これだけの金額を手に入れました。この金額を政府に渡しますか、それともこれを元手に何かやりたいですか?』って聞いてきたのさ。だから、少しの間、ビジネスマンをやることにしたんだ、なぜなら、今は、自分たちの問題を自分たちで解決しなければならないからだ。それで『アップル』という会社を作ったんだけど、これはレコード、映画、電子機器など、すべてを合体させたものになるんだ。」

彼の説明では、第一に節税対策ということ、それからブライアンを失った後、ビジネスを自分たちでコントロールしていくこと、そして、音楽だけにとどまらず多角的な経営を目指すということですね。

(2)会社名の由来

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ルネ・マグリットの「Au revoir」

チェルシーセットでの美術商を営んでいたロバート・フレイザールネ・マグリットの絵「Le jeu de mourre」をジョンに渡したのですが、それを見たポールが「Apple」という名前を思いついたのです。その絵には「Au revoir」と書かれた青リンゴが描かれていました。

あのデザインは、日本では青リンゴと呼ばれることが多いようですが、どう見ても緑色でしょ?でも、日本では昔から緑色のことを青色と呼ぶ習慣があったんですね。だから、信号機の色も実際の色は緑色ですが青信号と呼びます。

 

アップルは、やがて、多くの企業を傘下に収めました。Apple Electronics、Apple Films、Apple Music Publishing、Apple Publicity、Apple Records、Apple Retail、そしてApple Tailoringといった企業です。

これらは、カウンターカルチャー(主流となっている文化に対抗する文化)的なビジネスモデルを創造しようという試みに他ならず、ポールは、その企業理念を「コントロールされた奇妙さ...西洋の共産主義のようなもの」と総括していました。

1960年代は、若者が大人に対して反発した時代であり、サイケデリックやヒッピーなどの文化が流行しました。ビートルズは、アップルのビジネスを通じて、このようなカウンターカルチャーの担い手となろうとしたのです。

4 初のアーティストベースのレーベル

アップルは、商業ベースというより、アーティストベースで運営されていました。このレーベルは、初期には機能し、成功を収めました。1968年から1973年の間に、約50枚のシングルと、無名に近いアーティストの十数枚のアルバムをリリースしました。これらは、音楽のジャンルを超えて、世界中の様々な芸術や文化などの影響を受けたバラエティ豊かなカタログとなっています。

今にして思えば、画期的なできごとだったんですよね。それまでアーティストは、レコード会社や音楽出版社などの業界の連中の掌の上で踊らされているだけでした。

アップルは、そこに革命を起こし、成功したアーティストが新人アーティストをプロデュースするようになったのです。やっとアーティストの立場に立ってくれる経営者が誕生したというわけです。アップルというと失敗したビジネスモデルの典型のような印象を持たれがちですが、実は、音楽業界に革命を起こす革新的なビジネスモデルの走りだったのです。

 

(参照文献)ザ・ビートルズ・バイブル、ズイーズ・アイランズ

(続く)

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