★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズはビートルズになることを知らなかった(308)

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1 複雑な金の流れ

タイトルを読んでどういうことだと不審に思われた方が多いと思います。いや、これで分る方がすごいですよ(笑)記事を最後まで読んでもらえれば、ああ、そういうことかと分かっていただけると思います。

下は、1965年当時にビートルズが稼いだ収入がどのように流れていったかを図解したものです。ほぼ実態に近いと思いますが、一部は推測に基づいているので正確とは言えません。

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ビートルズの収入の流れ(1965年当時:推測)(出典:Bemuso)

あまりにも複雑で、見ているだけで頭が痛くなってしまいます💦何でこんな複雑にしちゃったんでしょうね?

当時のイギリスの音楽業界では、コンポーザーが制作した楽曲を音楽出版社に持ち込み、出版社がGOサインを出すと、デモテープが録音され、レコード会社に持ち込まれてリリースされることになります。それまでにかかる費用は、すべて出版社持ちでした。印税収入は、コンポーザーと出版社との間で50%ずつでした。

 

2 意見は分れるが

(1)ディック・ジェイムズを擁護する意見もある

ディック・ジェイムズがデビュー当時のビートルズのプロモートに大きく貢献したことは間違いありません。彼は、他のミュージシャンも熱心に後押ししていて、彼らは成功を収めました。ですから、この点に関しては、ジェイムズの行為に対して批判的な人はあまりいません。

ただし、ビートルズ著作権の問題については、意見が分れるところです。「ビートルズは、契約書も見ないでサインしたのは、彼らの落ち度である。契約の内容も違法とまでは言えない。」という意見もあれば、「契約の知識のないビートルズやブライアンを騙して、著作権を取り上げたのは違法ではないにしても、道義的に許されない。」という意見もあります。

(2)説明責任を果たしていなかった?

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私は、「確かに、ビートルズやブライアンが軽率だった点は否定できないが、彼らが知識不足であることを十分承知の上で、詐欺に近い形で将来の作品の著作権まで含めて全て取り上げたのは酷い。」と思います。少なくとも著作権とそれを譲渡することが何を意味するかについて詳しく説明し、承諾を得ておくということは、最低限必要だったのではないでしょうか?

ジェイムズは、契約の内容について最も重要なこと、つまり、会社の持株比率がジェイムズ側が過半数を占めることになる、そして、それが何を意味するかという点をビートルズやブライアンに対して全く説明しなかったのです。これは、フェアなやり方ではなかったでしょう。

ポールは、後に「自分の作品は、自分の子どものようなものだ。」と語っていますが、クリエイターと呼ばれる人はみな同じ思いです。そんな大切なものを取り上げるならそう説明すべきだったと思います。

契約書にサインさせたジェイムズは、内心飛び上がりたいような気持ちでほくそ笑んだでしょう。ビートルズが首尾よく稼いでくれれば丸儲け、そうならなくても彼には何の損害も発生しません。リスクは殆どなく、大きなリターンが期待できる契約でした。そして、彼の期待以上に、ビートルズは、莫大な利益をもたらしてくれたのです。

ただ、当時の標準である印税の50%は払ってくれたので、これでもまだ「良心的」な方だったのかもしれません。それすら払ってもらえず、泣きを見たミュージシャンがいっぱいいましたから。この辺りは、人によって意見が分かれるところなので、皆さんそれぞれで判断してください。

 

3 株式が譲渡された

(1)株式が公開された

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デビュー当時こそビートルズとジェイムズとの関係は良好でしたが、彼らがスーパースターとなってからは、徐々に関係が悪化していきました。ビートルズは、毎日必死になって曲を作り、レコーディングし、コンサートを開き、インタヴューに応えました。その間、ジェイムズは、何もしなくても莫大な収入を得られたのですから、そりゃビートルズが不満を持つのも当然でしょう。1967年8月のブライアン・エプスタインの死後、ビートルズとジェイムズとの個人的なつながりはなくなり、1968年にはさらに悪化しました。

1968年、ジョンとポールは、ジェイムズをアップルコア社に呼び出し、利益の配分を見直すよう迫りましたが、彼は、首を縦に振りませんでした。交渉が決裂した結果、彼らの関係は一層悪化しました。しかし、ノーザンソングス社の支配権をジェイムズが抑えている以上、ビートルズにはどうしようもなかったのです。

1965年にノーザンソング社は、株式を上場し、公開会社としました。つまり誰でもお金を出せば株主になれることになったのです。会社を支配しているのがジェイムズである以上、ビートルズにはどうしようもできませんでした。

(2)ATVが株式を所有

ビートルズを所有したいと熱望していた一人が、イギリスのテレビネットワークATVを運営していたルー・グレード卿でした。グレードはノーザン・ソングス社の少数株主でしたが、ジェイムズに会社の一部を買い取りたいと持ちかけたのです。

ジェイムズは、最初のうちはなかなか承諾しませんでしたが、グレードは、株式の獲得のための努力を粘り強く続けました。アップル社の経営が悪化すると、ジェイムズは、株式を売却することにしました。

1969年、アラン・クラインがビートルズのビジネス・マネージャーに就任した数日後、ジェイムズは、ノーザン・ソングス社の株式を1株35シリング、152万5千ポンドでグレードとATVに売却することを申し出ました。株式は3月27日に売却されましたが、それは、ジョンとポールが新婚旅行中のできごとでした。

 

4 著作権を取り戻す闘争

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(1)ジョンとポールには何の話もなかった

私は、百歩譲ってジェイムズがビートルズから著作権を取り上げたことは許すとしても、抜け駆け的にジョンとポールに買い戻すチャンスを与えず、彼らが新婚旅行でいない隙に第三者に譲渡してしまったことは道義的に許されないと思います。

もちろん、株式が公開されているのですから、誰に売ろうが法的には彼の自由です。しかし、長年にわたりビートルズから莫大な収入を得たのですから、まずジョンとポールに対して株式を買わないかと持ちかけるのが筋でしょう。それを彼らがいない間に売り抜けるなんて人の道に反すると思いませんか?

ATVがノーザン・ソングス社の株式を買収するニュースが流れると、同社の株式が急騰しました。ATVは、ノーザン・ソングス社の35%を所有し、グレードは、残りの950万ポンドを売却しました。ジェイムズは、後にジョンとポールのロンドンの自宅を訪れ、経過を説明しました。二人とも自分たちが株式を買う機会を与えられなかったことに激怒していました。そりゃ当然でしょう。ジェイムズもよく彼らに合わせる顔がありましたね。

(2)ビートルズ対ATV

ATVは、ジョンとポールに230万ポンドで買い取らないかと申し入れましたが、二人は断りました。グレードにしてみれば、株式を転売しただけで80万ポンド近い大儲けです。ジョンとポールは、元々は自分たちのものだったのに、それを大金をはたいて買い戻すのはバカバカしかったとは思いますが、後々のことを考えると、この時に買い戻しておけばよかったのではないかと思います。

彼らは、ノーザン・ソングス社の株式を買い付けるために、1株あたり42シリング6ペンスでATVに対抗して買い付けを開始しました。ビートルズは、ノーザンソングス社の株式の31%を共有していました。様々な個人や企業体と交渉して買い戻し、何とか51%の株式を取得しようとしました。

しかし、大企業の投資家は、ATVの提案の方を受け入れました。ノーザンソングス社の14%を所有するロンドンの企業体は、株式を買い戻したいというアップルの提案を拒否しました。ジョンが株主に対して侮辱的な言葉を浴びせたことも手伝って、彼らは買収に失敗してしまいました。

ここはやはり、タフなネゴシエーターのアラン・クラインに任せておくべきだったでしょう。ジョンとポールにビジネスは向いていなかったのです。

結局、彼らは買収を諦め、1969年10月にジョンが所有していた64万4千株とポールの75万1千株を350万ポンドで売却しました。これによりジョンとポールは、100万ポンド以上の利益を得ましたが、完全に楽曲の著作権を失いました。ジョージは、1968年6月に0.8%を売却していました。リンゴは、0.8%の株式を所有し続けることにしました。

 

5 ビートルズになることを知らなかった

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ビートルズの人間関係が険悪になってしまったのは、このビジネス上のトラブルが大きな原因でした。これがなければ、あれほどまで険悪な関係にはなっていなかったでしょう。金が絡んでくると人間関係にひびが入るのは、古今東西を問わず同じようです。

スタジオでレコーディングしている時や、屋外でフォトセッションしている時の映像や写真を見る限り、メンバー同士でふざけあったりして、とても険悪な関係だったようには見えません。

現代ではアーティストの地位も向上して、75パーセントの収入を得られるようになっているようです。もっとうまくやれば、「ホワイト・クリスマス」などで知られるアメリカの大作曲家アーヴィング・バーリンのように、楽曲の権利をすべて所有できたかもしれません。

しかし、残念ながら、1963年2月の時点では、「ビートルズは、後に自分たちが歴史に名を遺す偉大なアーティストであるビートルズになることを知らなかった」のです。

(参照文献)マッカートニー「イエスタデイ…アンド・トゥデイ」、ザ・ビートルズ・バイブル

(続く)

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