1 2022年にスペシャルエディションがリリース
(1)完全にアーティストに変身した
2022年は、アルバム「Revolver」のスペシャル・エディションがリリースされました。今回は、まずはオリジナルの「Revolver」について解説します。
1965年にリリースされた「Rubber Soul」は、ビートルズが「トップアイドル」から「20世紀における革新的なアーティスト」へと転身したことを示す作品として高く評価されています。それまで元気で明るいロックンロールやラヴソングで世界を席巻したアイドルたちは、もはやアーティストとしての雰囲気を漂わせ始めていました。
(2)「Revolver」が転機だった
しかし、ビートルズは、この作品でグッと大人っぽくなったとはいえ、まだアイドルとしての面影を残していました。彼らがアイドルグループとしての地位を捨て去り、完全にアーティストへと軸足を移したのは、その8か月後の1966年8月5日にリリースされた「Revolver」です。この作品で彼らは、世界の彼らに対する先入観とそれに伴う期待をすべて捨てさせたのです。
わずか3年前に「She Loves You」という王道のラヴソングを歌ったグループが「Tomorrow Never Knows」のような前衛的でありリスナーを幻想的な世界に誘う曲を作るなんて、誰が想像できたでしょうか?今になっても、この二つの曲を同じグループがそれもわずか3年の間に作ったとは信じられません。
(3)ポピュラー音楽をアートに昇華させた
「Rubber Soul」を受け取ったリスナーは、ビートルズの変身ぶりに驚きと戸惑いを感じつつも、その芸術性の高さに賞賛の嵐を送りました。しかし、それはまだ序章であり、その次にリリースされた「Revolver」で世界が大きく目を見開くことになりました。もはやビートルズは、完全にアーティストに変身したことを認めなければならなかったのです。
それ以前の「Help!」でも変化の兆候はあるにはあったのですが、これほど明瞭なものではありませんでした。「Revolver」以降に発表されたものはすべて、ビートルズの7枚目となるこのアルバムによって、何らかの形で形成されたものであるといっても過言ではありません。
それまで大衆の娯楽であったポピュラー音楽をアートに昇華させたという意味において、このアルバムは、60年代で最も重要なアルバムと言えるかもしれません。私は「Sgt. Pepper」がポピュラー音楽界に革命を起こしたと考えていましたが、むしろ「Revolver」の方がその称号に相応しいのかもしれません。
2 アルバムの概念を変えた
(1)フィードバックがきっかけ
ビートルズは、メジャーデビューから3年間、ノンストップでレコーディング、ツアーを繰り返した後、6枚のアルバムと11枚のシングルを世に送り出しました。また、一部の例外を除いて、彼らの演奏がほとんど聴こえないコンサートをずっと続けていました。
彼らは、熱狂するビートルマニアに疲れ果て、コンサートを一切止めて、スタジオでのレコーディングに全精力を注ぐようになりました。しかし、彼らの実験は、実はそれよりも前に既に始まっていたのです。
彼らは、既に1964年のシングル「I Feel Fine」でイントロのギターのフィードバック効果をレコーディングに使ったように、レアな音源をそのまま使うのではなく、スタジオでサウンドを様々に編集することを試し始めていたのです。1966年4月にロンドンのEMIスタジオでプロデューサーのジョージ・マーティンと「Revolver」のレコーディングを開始する頃には、彼らは、その実験をさらに推し進める準備が整っていました。
(2)アルバムの概念を変えた
アルバムに収録された14曲と、このセッションでレコーディングされ、5月に先行して発売されたシングル「Paperback Writer/Rain」も、すべて彼らが向かおうとする新しい道へ進んだ曲です。アメリカの偉大な歌手・俳優のフランク・シナトラは、10年以上前からアルバムに一つのコンセプトを持たせることを模索していました。
しかし、ほとんどのポップスやロックのアーティストは、まだシングルで売り上げを上げることを目指していて、アルバムにはそれほど力を入れていませんでした。しかし、ビートルズは、こういった「シングル至上主義」ともいえる固定概念を根底から覆し、アルバムこそがアーティストがリスナーに訴えたいコンセプトを提供するための作品であると定義づけたのです。
3 「Taxman」でいきなりパンチ
(1)音源にノイズが入っている!
アルバムは、まずジョージの「Taxman」のオープニングの「1.2.3、4…」というカウントインからスタートします。この部分でもう驚かされます。
だって、人の話し声や咳まで聴こえるんですよ!レコードには絶対入ってはいけないはずのノイズをワザと入れているんです。これが見事にハマっているので、度肝を抜かれます。ジョージが「どうだい、オレたちはこんなこともできるんだぜ」とうそぶいているかのようです。
(2)サイケデリック・ロックの先頭を走った
www.youtube.comそして、サイケデリックなサウンドが続き、最後はその極地ともいえる「Tomorrow Never Knows」のラストまで、「Revolver」は未来へ飛躍するサウンドをリスナーに提供したのです。
他のアーティストは、スタジオでオリジナルのサウンドを控えめに編集するに留まりましたが、ビートルズは、ここで先頭を切って大胆な実験を開始したのです。彼らは、それ以降のレコード制作の流れを変えるポピュラー音楽の歴史の1ページを書き加えました。彼らは、このアルバムの制作に300時間以上を費やしたと言われています。
4 制作がスタート
(1)たっぷり充電した
1964年と1965年の最初の数か月は、彼らが出演する映画のための曲作りとレコーディング、そして実際の映画撮影に費やされていました。前年の映画「ヘルプ!」に続くユナイテッド・アーティスツの新作映画の企画が進行中でした。前作の続編「愛する才能」を原作とした西部劇が企画されていましたが、実現しませんでした。
エンジニアのジェフ・エメリックは「ビートルズは、数か月の充電期間を経て、完全にリフレッシュして若返った状態で『Revolver』のセッションに臨んだ」と語りました。さらに「まさにマジックといえる。ビートルズは、別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることができる才能を発現させた。」と付け加えました。彼らは、それまでも持っていた世の中のありとあらゆるものを取り入れて、アートに昇華させる素晴らしい才能をここでフルに発揮したのです。
過酷なツアーから解放された彼らは、休養を取って気力も体力も充実した状態でレコーディングに臨みました。ビートルズは、レコーディング・スタジオに急ぐ必要もなく、6月までツアーの予定もなく、ほとんど何もない状態で、グループには充電する時間があったのです。過密スケジュールで心身共に疲れ切っていた彼らにとってまたとない機会でした。
(2)コンサートは止めてもファンを離さなかった
「Rubber Soul」が1966年の早い時期に世界中のアルバム・チャートのトップを独占し、ラジオでは「We Can Work It Out」「Day Tripper」「Michelle」「Nowhere Man」などが次々と放送されてリスナーを十分に満足させ、この間に彼らは、少し腰を落ち着けて自分たちの仕事を楽しむことができるようになりました。
前作とそれに付随するシングルでは、1か月の間に16曲の新曲を作るという「突貫工事」を行いました。これだけでも十分スゴいことですが、彼らは、コンサートを止めた後の「ダウンタイム」で主に曲作りの技術を磨くことにしました。また、レコーディング・スタジオで使用するための音響的なアイデアも練っていました。
5 大胆な実験でも自信満々だった
(1)大胆な発言
堂々とジョンは、1966年初頭に「一つ確実なことがある。次のLPはとても変わったものになるだろう。ポールと僕はこのエレクトロニック・ミュージックにとても興味があるんだ」と語っています。ジョージも重ねてこう語りました。「僕たちは、No.1になる作品を作る自由な時間が取れたんだ。そして、僕らは、スタジオに戻ると自分たちが生まれ変わるまで、死に物狂いで前進したのさ」
ジョンがここまで自信を持って堂々とインタヴューに応えたのが信じられません。だって、これから新しいアルバムのレコーディングを開始するんですよ?しかも、彼らは、それまでとは全く異なる実験的なサウンド作りを目指していたんです。そして、ジョージは、その実験が成功したことを宣言したのです。
(2)シュトックハウゼンなどの影響
ビートルズ、中でもポールは、ドイツの作曲家であるカールハインツ・シュトックハウゼンの電子音楽に強い感心を持っていました。それは芸術ではあるものの、とても前衛的であり大衆性とはかけ離れた位置にあったといえます。
それをポピュラー音楽に取り入れるのは、失敗に終わる危険が高く、かなりの勇気が必要だったはずです。ヘタをすればそれまでに築いた名声を一気に失いかねませんから。しかし、ビートルズは、失敗を恐れず、果敢にチャレンジして素晴らしい結果を残したのです。やはり、天才のなせるワザです。
(参照文献)アルティメット・クラシック・ロック、ビートルズ・ミュージック・ヒストリー
( 続く)
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