- 1 It was fifty years ago today!
- 2 PV撮影の成功がことの始まり
- 3 トゥイッケナムからアップルへ移動
- 4 「Get Back」できなかった
- 5 ジョージのファインプレイ
1 It was fifty years ago today!
ビートルズは、1969年1月30日、1966年以来中止していたコンサートを自分たちが保有するアップル・コア社のビルの屋上で行いました。これは、事前に何の予告もないいわゆる「ゲリラ・ライヴ」でした。
そして、これが「ルーフトップ・コンサート」と呼ばれることになり、50年が経った現在でもビートルズの歴史だけではなく、音楽史上に燦然(さんぜん)と輝き続けています。
2 PV撮影の成功がことの始まり
(1)「Hey Jude」と「Revolution」
前回にも書きましたが、ルーフトップ・コンサートがハイライトとなった映画「LET IT BE」は、元々2時間のテレビのドキュメンタリー番組を制作する目的で、ビートルズが、リハーサルや演奏をしているところを撮影することから始めたことがきっかけでした。
さらにその起源を遡ってみると、1968年のライヴセッションに行き当たります。つまり、「Hey Jude」と「Revolution」ですね。PV用として撮影されたものですが、50年後の現在で見ても、臨場感にあふれ、古さを全く感じさせない素晴らしい作品です。その監督を務めたのがマイケル・リンゼイ・ホッグです。
あの撮影は、ビートルズを宴会で酒をあおって騒いだような楽しい気分に、久しぶりにさせてくれました。そして、彼らは、長い間ライヴをやっていなかったことにふと気づいたのです。
(2)上手くいくかもしれない
ホッグは、こう語っています。「彼らは、セッションしてみると、思っていた以上に楽しい時間を過ごすことができた。それで、ある種のパフォーマンスをやれば、再び何かできるかもしれないと考えたのだ。」
その頃、もうすでに4人の人間関係はかなり悪化していました。彼らは、そんな状態でセッションを撮影しても、上手くいかないだろうと考えていたのです。まあ、そう考えるのが自然ですよね。
ところが、やってみたら意外に楽しくできたので、じゃあ、もうちょっと違う形でやってみれば、いい仕上がりになるかもしれないと気持ちが動いたのです。ところが、皮肉なものでそう思って取り組んだプロジェクトが、結果的には解散を早めることになってしまいました。「柳の下に二匹目のドジョウはいなかった」のです。
3 トゥイッケナムからアップルへ移動
(1)グリン・ジョンズがレコーディング・エンジニアとして参加
1968年12月、ポールは、レコーディング・エンジニアでありプロデューサーのグリン・ジョンズにテレビ番組用の記録フィルムのレコーディング・エンジニアとして参加するよう依頼しました。その頃、ジョンは、ローリングストーンズの「ロックンロールサーカス」に出演しました。
しかし、ビートルズのレギュラー・プロデューサーであるジョージ・マーティンの存在はまだまだ大きく、撮影の初日からほぼ毎日、その日のうちの少なくとも一部の時間帯に登場していました。彼は、トゥイッケナム・スタジオのリハーサルのためにマルチトラック・レコーディング機器を用意しました。
しかし、ビートルズは、アップルのスタジオに移ったため、1週間も経たないうちにレコーディングスタジオを最初からセットアップしなければなりませんでした。
(2)居心地の悪かった2人
ビートルズがジョンズとマーティンの役割分担を明確にしなかったため、両者はぎこちない関係になってしまいました。ただ、そんな状況の中にあっても、両者は、プロジェクトに懸命に貢献し続けました。
ジョージが、ジョンズに「For You Blue」の演奏で「音の悪いピアノ」のサウンドがどうやったら得られるかを尋ねると、マーティンは、ピアノのハンマーと楽器の弦の間に新聞紙を挟むというアイデアを思いついて、彼のリクエストに応えました。これは、リハーサル・シーンです。
マーティンという人は、素晴らしい音楽的才能の持ち主でしたが、人間的にも尊敬に値する人だということが、このエピソードからもよく分かります。ビートルズをスターダムに押し上げた超大物がこんな扱いをされたら、イスを蹴飛ばしてさっさとスタジオを出ていってしまったでしょう。しかし、4人の関係が険悪になっても、暖かく彼らを支えてくれたんですね。
4 「Get Back」できなかった
(1)「オレたちはライヴバンドだ」
ビートルズは、自分たちだけではないにしても、彼らがまだ素晴らしいロックンロールのライヴバンドであることを証明しようと考えていました。しかし、実際には、彼らは、あまりにも長くスタジオでの編集作業に力を注いできたため、もはや、ライヴバンドであることが郷愁に近いものであることに気づきました。
思えば、セカンドシングル「Please Please Me」も、マスターテープをテンポアップさせてヒットにつなげたのはマーティンの才覚でした。もちろん、彼らは、前期ではライヴを精力的にこなしていましたが、レコーディングではジョンのヴォーカルをダブルトラックするなど、すでに編集に手を染めていたのです。
スタジオでの編集は、アルバム「Revolver」から顕著になり、「Sgt.Pepper~」で頂点に達しました。そこには彼らのアイデアだけではなく、マーティンなどのレコーディングスタッフの力量も大きく貢献していたのです。
(2)コンセプトに無理があったのか?
ですから、そもそも「Get Back(原点に帰る)」というコンセプト自体に無理があったのかもしれません。「帰ると言ったって、一体どこへ帰るんだ?」という話です。彼らは開拓者であり、先に進むしかありません。原点へ帰ることなどできなかったのです。
ビートルズは、常に変化を求めていました。これに対し、ローリングストーンズは、様々なジャンルの作品を制作してはいるものの、基本的にはロックンロールに軸足を置いています。もちろん、どちらが良いとか悪いとかいう次元の問題ではありません。それぞれのスタイルだということです。
「ホワイトアルバム」の時も一度彼らは原点に帰ろうとしました。しかし、その結果は、溢れ出る才能を抑え切れず、いわば、荒れ狂う4匹のドラゴンを、無理やり2枚組のアルバムの中に押し込めたといえるかもしれません。
(3)ライヴができなくなっていた
「Get Back」プロジェクトで、バンドについてのテレビドキュメンタリー番組を制作するという取組みを始めたとき、彼らは、愕然(がくぜん)としたのではないかと思います。「おかしい。セッションが上手くできない。」セッションは、バンドの息が合わなければならないのに、4人の気持ちがバラバラになっていては、上手くいくはずがありません。
あるいは「オレたちは、ライヴバンドだったはずだ。もう一度、それを思い出せ。」と必死に自分たちに言い聞かせたかもしれません。
しかし、彼らが帰る場所はとっくになくなっていて、自分たちが作り上げてきたアイデンティティーは消え去っていました。時代の最先端を走ってきたが、この辺りでもう一度原点に帰ろうと考えたのですが、気づいたら帰るべき場所がない。かといって、これから進むべき道も見つからない。このジワジワと迫りくる恐怖に、彼らは、何らかの答えを出さなければなりませんでした。
「Get Back」プロジェクトは、図らずもこの冷厳な事実を彼らに突きつけ、それをどう解決するかを彼らに迫ったのです。この難問に対して彼らが出した結論は、「アルバム「アビイ・ロード」の制作」とそれに続く「解散」でした。
「最高傑作と呼ばれるアルバムを制作したバンドがその直後に解散する。」なんて普通ならあり得ません。しかし、それがビートルズなのです。
5 ジョージのファインプレイ
(1)ジョージが一時的に離脱
それでなくても険悪になっていたメンバーの緊張が高まる中、1月10日、演奏をめぐってポールと口論になったジョージは、「そのうちどこかでまた会おう」とスタジオをさっさと出て行ってしまいました。
ジョージは、15日の午後にバンドに復帰しましたが、「Get Back」の撮影場所を寒くて雰囲気の悪いトゥイッケナム・スタジオからアップルの地下のスタジオに移すよう強く要求しました。彼の意見を入れて、ビートルズは、1月21日から運命の日の1月30日まで、アップルビルで撮影を続け、徐々にではありましたが調子を取り戻してきました。
(2)息を吹き返したビートルズ
若い頃から「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」と呼ばれ、目立たない存在と思われてきたジョージですが、実は、要所要所でビートルズのターニングポイントとなったことをこれまでもやってきたのです。
今回彼が一時的にビートルズを離脱し、スタジオを変えたことで、メンバーの間に漂っていた緊張も少しほぐれ、ようやく調子を取り戻しました。その意味では、これも彼の隠れたファインプレイだったといえるでしょう。
それから毎日、彼らは「Don’t Let Me Down」「Get Back」「For You Blue」「Two of Us」「I’ve Got a Feeling」「Dig A Pony」「Let It Be」「The Long and Winding Road」そして、1963年にレコーディングされたもののレコードには収録されなかった「One After 909」をリメイクしてレコーディングしました。
この短期間でこれらの名曲を一気にレコーディングしてしまうなど、ビートルズ以外では考えられません。これらを収録したアルバム「Let It Be」は、決して完成度の高いものとはいえませんでしたが、それはアルバムの構成その他に問題があったのであり、決して一つ一つの楽曲のクオリティーが低かったわけではないのです。
(参照文献)TIME
(続く)
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