※この記事は、映画「Get Back」の「ネタバレ」を含んでいるので注意してご覧ください。
1 ジョージ抜きで「Get Back」に取り組んだ
昼食後、ジョンは、メンバーに対してジョージとの会合を提案しました。もちろんメンバーは賛成でしたが、マルがジョージに電話すると、彼は、リヴァプールに行っていて水曜日まで戻らないということでした。仕方ないので、彼が戻ってくるまで残りの3人だけでレコーディングを続けることにしました。
再び取り掛かったのは、未完成の「Get Back」でした。メロディーは、ほぼ出来上がっているのですが、歌詞がなかなか完成しません。主人公の名前もまだ決まっていませんでした。あれこれ試しているうちに「アリゾナのツーソンの家」というフレーズがやっと出てきました。
この一言をひねり出すためにこれだけ苦労したんですね。コンポーザーという職業がいかに大変かがここだけを見ても分かります。ポールの傍で、マルがポールが思い付いた歌詞を一言も聞き漏らすまいと、一生懸命メモを取っています。この時代にICレコーダーがあれば、随分助かったでしょう。
2 セットリストの意味は?
(1)ベースのネックサイドに貼られたセットリスト
ビートルズは、19日にライヴのリハーサルをやる予定でしたが、ジョージが脱退したため1週間後の26日にずらすことにしました。これで13日のレコーディングを終えて全員が引き上げようとした時に、ポールが自分のベースのネックサイドのハイポジションのところに貼り付けてある紙をみんなに見せました。
ポールは、口頭では「Baby’ s In Black」「If I Needed Someone」と紹介していましたが、画面をよく見ると「Rock and Roll」「She’s A Woman」「If I Needed」といった順番で、懐かしいアイドル時代の曲のタイトルの略称が手書きされていました。これは、彼らがまだコンサートをやっていた頃のセットリストです。
(2)ジョージへのメッセージだったのか?
この記載からすると、1966年の最後となった全米ツアーの時のものですね。コンサートをやっている時に曲の順番を間違えないよう、ポールがボディーに貼り付けていたのです。書き直したのではなく、捨てずに置いておいたのでしょう。
ポールは「このリストも置いてくんだ。信頼の証にね。」と話しました。彼がこのセッションでボディーに貼っていた意味は何でしょうか?もう1度あの頃に「Get Back」しようという気持ちを込めていたのでしょうか?そして、これをスタジオに置いていくと言いましたが、ジョージに向けた「ビートルズに戻ってきてくれ」というメッセージのつもりだったのでしょうか?これで13日の撮影は終わりました。
3 14日(撮影9日目)
(1)リンゴがやって来た
14日を迎えました。ジョージの復帰のメドは立たず、多くの曲が未完成という絶望的な状況でした。でも、まだビートルズは、諦めてはいなかったんですね。いつものように、ポールがスタジオに一番乗りしました。ピアノを弾きながら、昔の曲は構成が簡単で、同じコードの繰り返しで演奏できるというような話をスタッフにしています。
そこへリンゴが到着すると、ポールは嬉しそうに「やあ、リッチー」と呼んでハグしました。誰も来ないだろうと思っていたところに来てくれたので、嬉しかったんでしょうね。リンゴだけは、他のメンバーと良好な関係を保っていて、緩衝材的な役割を果たしていたことが窺えます。
そして、彼は、ポールと一緒にピアノでオールドタイムの曲を弾き始めました。右手だけですが、結構スムーズな運指です。ポールは、「Woman」という自作曲を演奏しました。これは、1966年に彼がピーター&ゴードンに提供した楽曲です。
(2)ポールの作曲方法
ホッグから作曲は、頭に曲が思い浮かぶのかと尋ねられると、ポールは、いつも頭の中にある感じだと応えました。どうも、曲の素材が常に彼の頭の中にストックしてあるようですね。例えばこんな曲と言って演奏し始めたのが「The Back Seat Of My Car」です。これも解散後に公開された曲ですが、この映画ではこうやってメンバーがソロになってから公開した楽曲も多数登場していることが目を引きます。ポールは、脳内にストックされた素材を引っ張り出しては作るという感じだったんでしょうか。ホントに天才は羨ましいです。
彼は、続けて「Song Of Love」も演奏しました。すると、いつの間にかリンゴがカメラマンに代わってポールを撮影し始めました。彼は、写真撮影が趣味ですからね。とても和やかな雰囲気ですが、2人ではレコーディングできません。この間、ジョンとヨーコは、テレビ番組に出演してインタヴューを受けていました。
4 ようやく話がまとまった
(1)ライヴのプランを話し合った
ダラけた雰囲気が続いてプロジェクトが一向に進まないことに焦燥感を抱いたポールが、ライヴについて検討しようと話を切り出しました。もうタイムリミットが近づいていましたからね。マルが何曲演奏する予定か尋ねると、ポールは11曲と応えました。これは、アイドル時代の定番の曲数です。
しかし、ジョンは、もっと絞り込んですぐ演奏できるか、作れる曲を6曲選ぼうと提案しました。ポールはもっと演奏したかったようですが、会場すら決まっていない状況では、ジョンの提案の方がより現実的だったでしょう。そして、結果的にはこの通りになりました。
この会話の中で唯一まともだったのはこの部分だけで、後は無意味な時間潰しの雑談でした。ジョンの作りかけの「Mean Mr. Mustard」のセッションにかかりましたが、ジョージを欠いたままでは完成するはずもありません。
3人の話がまとまらず、内輪で話し合いをするためカメラは止められました。しかし、カメラが止まっているのに、なぜか音声だけが録音されていたのです。私は、カメラの機能には詳しくないのですが、画像の撮影を止めて音声だけ録音することも可能だったのでしょうか?ポール「ジョージは明日帰ってくるはずだ。」ジョン「明日には会えるんだな。」と互いに確認し合い、ジョージと会って話し合うことにしてこの日の撮影は終わりました。
(2)プロジェクトの方向を修正した
4人は、翌日の15日に集まり、やっと前向きで建設的な話し合いを行いました。彼らは、プロジェクトの方向修正で一致したのです。テレビ特番は中止になりました。彼らは、アップルの新スタジオに移って録音することになりました。今さらながらですが、こういう話はプロジェクトに取り組む時点で、きちんと詰めておくべきでした。
それをしないまま見切り発車してしまったため、いたずらに混乱を招く結果になってしまったのです。これは「Magical Mystery Tour」プロジェクトの時に経験済みだったはずなのですが。
5 アップルのスタジオが使えない緊急事態
(1)「Oh! Darling」のデモレコーディング
アップルのスタジオを作ったのは悪名高いマジック・アレックスでした。 ビートルズが新しいスタジオに移転するのは16日、木曜日と決まりました。こうして撮影10日目がスタートしました。 トゥイッケナムスタジオでの撮影最終日です。 ボールがデモレコーディングのため顔を出しました。
彼がピアノを弾きながら歌い出したのは名曲「Oh! Darling」です。アレンジがちゃんとできていませんが、歌詞やメロディー、コードなどは完成に近いという印象を受けます。なぜか、ポールのヴォーカルにめちゃくちゃエコーがかけられて、こだまのような残響がスタジオ内に響いていました。
(2)アレックスがやらかした
ジョージは、トゥイッケナムスタジオでジョンズと合流し、2人で新スタジオのチェックに向かいました。そこで知った事実に彼らは困惑しました。アレックスの機材からは、許容レベルを超えたゆがんだ音とノイズが発生していたのです。この男は、アップルにたかった食わせ者の一人で、音楽の専門知識が全くないにもかかわらず、機材の整備を任されていました。
たまりかねてジョンズは、ジョージ・マーティンに助けを求めました。結局、ビートルズは、EMIの機材を借りることにし、新スタジオに運び込まれました。どうしようもないドタバタ振りです。
(3)EMIのスタッフが機材をセッティング
EMIのスタッフは、4トラックの機材を2台繋いで8トラックのレコーディング機材として使用できるようセッティングしてくれました。そして、サウンドがジョージか個人で保有していた8トラックの機材に送られるようにしました。今の時代から考えると大変アナログなやり方ですが、当時はこれが精一杯でした。この作業を土日に行い、月曜からのレコーディングに間に合わせたのです。
そして、撮影11日目を迎えましたが、まだスタジオは完成していません。それでも、リハーサルが行われ、レコーディングは翌日からになりました。刻一刻とライヴの期限が迫ってきていましたが、プロジェクトは亀の歩みのようなのろさです。並みのバンドなら、とっくに無理だと放り出していたでしょう。
(続く)
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