1 禁欲的な生活
ビートルズとともにインドで修行したポール・ザルツマンの映画には出てこない体験談です。
ビートルズと彼らの仲間たちは、つる植物で覆われた平たいわらぶき屋根を白い木の柱で支えた崖のそばのテーブルで食事をしました。朝食は、シリアル、トースト、ジュース、紅茶、コーヒーでした。昼食と夕食は、スープ、バスマティライス、スパイスをほとんど使わない、味気ないが栄養価の高いベジタリアン料理でした。ときどき、ザルツマンも一緒に食べました。
こんな禁欲的な生活は、彼らにとって初めてだったでしょう。帰国後は、元の生活に戻ってしまいましたが。
近くの木にはカラスが、近くの台所の平屋根にはオナガザルが集まって、誰かが残した食べ物の切れ端を手に入れようと待ち構えていました。ザルツマンは、ここでジョンは、その猿たちからヒントを得て「Everybody's Got Something To Hide Except Me and My Monkey」を書いたのだろうと推察しています。
2 貴重な写真はここで撮影された
(1)ビートルズも写真を撮っていた
時折、ハゲワシが上空を悠然と旋回し、上昇気流に乗りながら、川を渡ってガンジス川の非ベジタリアン地区であるリシケシに戻る途中、羽を休めることもありました。ジョージとパティ、リンゴとマルは、みんなカメラを持っていて、ザルツマンらが崖のそばのテーブルを囲むと、みんなを写真に撮ってくれました。彼は、まるで家族でピクニックに来たような気分になっていました。
超越瞑想の修行に来ていたとはいえ、観光気分もあったんですね。一番真剣だったジョージも撮影してましたから。
(2)数多くの貴重な写真
ザルツマンがビートルズに会った翌日、全員にスナップショットを撮ってもいいかどうか、聞いてみましたが、誰も気にしませんでした。彼は、ペンタックスの安いカメラに50ミリと135ミリのレンズをつけて写真を撮りました。彼は、写真家ではありませんでしたが、写真を撮るのは好きでした。
彼は、カナダのテレビ局で自分の番組を持っていた位ですから、映像に対する感性は持っていたと思います。彼の撮った写真は、ビートルズがリシケシで修行に臨む際に修行僧が着る真っ白な修行服に身を包んだ姿でした。カメラの前でポーズも取らないリラックスしたビートルズ。こんな滅多に見られない素晴らしいお宝を32年間も放置してたんですね。
3 超越瞑想の修行
(1)「Dear Prudence」の誕生
瞑想コースの人々の中には、女優ミア・ファローの妹のプルーデンス・ファローがいました。彼女は、1日に10時間から12時間瞑想して、一人で出かけていました。彼女が余りに瞑想にハマっていてので、皆が彼女を心配したことをテーマにしたのが「Dear Prudence」です。
ビートルズは、瞑想、休息、曲作りやマハリシの講義に参加したり、バンガローの屋上でマハリシと個人あるいはグループでセッションしたりして過ごしていました。ザルツマンは、ビートルズやそのパートナー、マル、ミア・ファロー、ドノヴァン、マイク・ラヴと一緒に瞑想したり、リラックスしたり、崖のそばのテーブルで小さなグループに分かれて自由な時間を過ごしました。
(2)ジョンは修行で苦労した
次の日の午後、ザルツマンは、ドノバン、マル、ジョン、ポール、ジョージ、シンシア、ジェーン、パティと彼女の妹のジェニーと瞑想について話しました。人の思考の中には複数の声が流れていて、重要なのは、ただひたすら自分のマントラに戻ることだということで全員の意見が一致しました。
ジョンは「そう簡単にはいかないよ。頭の中で音楽が鳴っていることが多いんだ」と語りました。マントラを唱えることは瞑想への第一歩なのですが、ジョンは、常に頭の中にサウンドが浮かんでいたためなかなか苦労したようです。
(3)もっとも真剣だったのはジョージ
瞑想に一番真剣なのはジョージ、次がジョンでした。ポールは、それほど真剣ではないようでしたが、何度か深い経験をしたことがあり、忙しい世俗的な考えから離れる時間を楽しんでいると語っていました。リンゴは一番興味がなさそうでした。しかし、ジョンは、4人の中で誰が一番いい結果を出しているか、切磋琢磨していると語っていました。
瞑想への取り組み方の違いも面白いですね。ジョージが一番真剣だったのは、インドにどっぷりハマっていたこともありますが、ジョンやポールに追いつきたいという気持ちもあったからかもしれません。リンゴは作曲しませんでしたから、興味がなかったのも何となく分かります。
4 アシュラムの食事
(1)リンゴには合わなかった
アシュラムの食事が大きな話題になりました。おいしいけど、味気がないんです。その理由について「マハリシは、弟子がインドの辛いスパイスでお腹を壊して、瞑想が中断されることを望んでいないのだ」と誰かが唱えました。
するとマルは「リンゴはそんなことないよ!」とジョークを飛ばして皆を笑わせました。彼の仕事の一つは、毎朝町に出て新鮮な卵を買い、リンゴのために調理し、ベークドビーンズと一緒に食べることでした。どうやら、アシュラムの食事は、リンゴの口には合わなかったようです。
(2)ポールは肉を求めていた
リンゴは、スーツケースを二つ持ってインドにやってきました。一つは洋服、もう一つはベイクドビーンズの缶詰です。マルによると、リンゴは子どもの頃、胃腸を悪くして入退院を繰り返しており、旅先ではいつも食事に気を配っていたそうです。ジョージとジョンは、アシュラムに着いた時、すでにベジタリアンだったので問題はありませんでしたが、ポールは肉が足りないと言っていました。
これも面白いエピソードですね。ポールは、後にベジタリアンになりましたが、この頃は普通に肉を食べたかったのです。
5 ビートルズのパートナーたち
(1)パティ、ジェニー、モーリーン
一緒に座っていると、ビートルズは、誰も気取ったところがなく、本当に地に足の着いた良識と温かさを醸し出していました。ジョージとパティは、夫婦として自己完結していて静かでした。二人は、とても愛し合っているように見えました。この頃の二人は、ラブラブだったんですよね。それが後に別れることになるとは。
パティの妹のジェニーは、18歳くらいで若くいつも幸せそうで、当時はモデルとして活躍していたほど美しい女性でした。リンゴとモーリーンは、二人目の子どもが生まれたばかりで、まるで老夫婦のようにくつろいでいました。
(2)ジョンとシンシア
ザルツマンは、ビートルズと過ごすうちに、ポールが一番ハッキリと暖かく、親しみやすいと感じるようになりました。彼の恋人で女優のジェーン・アッシャーは、赤い髪が印象的な、そばかすだらけの美貌と知性を併せ持つ女性でした。他のビートルやそのパートナーたちとは違って、ジェーンとポールは公然と身体を寄せ合ったり、愛情を注いだりしていました。
しかし、ジョンとシンシアは違いました。二人とも、ザルツマンに対しては明るく親しみやすかったのですが、お互いは、明らかに距離を置き、冷静でした。ジョンは、既にヨーコと交際を始めていました。夫婦の仲が冷えているのは、知り合ったばかりのザルツマンも気づいたのです。
6 ジョンと二人だけの会話
(1)二人きりで話した
空は淡いピンク色に染まり、ガンジス川の向こうのリシケシの街は夕闇に包まれつつありました。40羽から50羽の美しいエメラルドグリーンのオウムが、近くの木にドラマチックに舞い降り、夕焼けの中で宝石のように輝いていました。
崖っぷちにある彼らの集会所から、徐々に人が立ち去り、ザルツマンとジョンを除いて全員が退出しました。彼は、静かで少し不機嫌そうでもあり、嬉しそうでもない感じがしました。ザルツマンは、いつまで滞在するのか聞いてみました。
「僕らは、皆、マハリシのコースを3か月間受けている。マルも含めてね。その後は誰にもわからない。」彼は、とても温かくザルツマンを見て微笑みました。「君は?」
(2)ジョンが残した言葉
ザルツマンは旅のこと、失恋のこと、そして瞑想の奇跡についてどう感じているかを話した後、もう何日か滞在することになるだろうと話しました。ジョンは、水を手に取ってほとんど飲み干した後「瞑想は、確かに今のところ自分にとって良いことだ」と語りました。
彼らは、二人とも静かに座っていました。それはまるで、時間が止まったような瞬間でした。彼らの真上、川の上空を一羽の鷹が旋回していました。その爪が見えるほど近くに。
ザルツマンは、ジョンと目が合いました。彼は、微笑みながらいたずらっぽくこう語り掛けました。「でも、いいことに、結局はいつでも次のチャンスがあるんだよね」「そうですね」とザルツマンは、応えました。彼らは、また黙っていましたが、しばらくして、ジョンが「じゃあ、曲を書きに行くよ」と言い残して立ち去りました。
(3)ジョン自身のことでもあった
ジョンは、ザルツマンに何を言いたかったのでしょうか?人生って辛いこともあるけど、良いことも巡ってくるということでしょうか?彼がこの会話の後に書いた曲が何だったのかは、残念ながら分かりません。
それは、ザルツマンにとって大変貴重な瞬間でした。彼がジョンとヨーコについての本を読み、あの夜、ジョンは、ザルツマンのことだけでなく、自分自身のことも話していたのだと気づいたのは、それから何か月か経ってからでした。
(参照文献)ザ・ビートルズ・イン・インディア
(続く)