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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

映画「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」のレヴュー(394)

ザルツマンが撮影した有名な集合写真

※この記事は、映画のネタバレを含んでいるのでご注意下さい。

1 32年間放置されていた貴重な写真

(1)ビートルズの歴史を語る貴重な写真

www.youtube.com

2022年に公開された映画「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド(原題:Meeting The Beatles in India)」は、1968年にビートルズがインドで超越瞑想を修行していた様子を物語るドキュメンタリー映画です。上の動画は、この映画の予告編です。

これは、ビートルズの歴史を語る上でとても貴重な記録映像です。なぜなら、当時ビートルズと行動を共にしていたのは、メンバー以外はその家族、関係者や親しいミュージシャンなどに限られていたからです。マスメディアはもちろん、彼らと関係のない人間は、一切立ち入ることを許可されませんでした。

ですから、彼らがそこでどのように修行し、あるいはどのように曲を作ったかについては、彼ら自身が語ったところや同行した関係者の証言によるところが大きかったのです。今回この映画が制作されたことで、今まで公表されていなかった新たな側面が明らかになりました。

(2)撮影したのはポール・ザルツマン

ポール・ザルツマン

映画の監督、脚本、製作はポール・ザルツマンが手がけました。彼は、カナダの映像作家でエミー賞を2度受賞しています。彼は、23歳の時にビートルズと修行を共にし、彼らの写真を撮影しました。驚いたことに彼は、その「お宝」をダンボールに入れて32年間も自宅の地下室の倉庫に放置したままだったのです!

彼の娘で作家のデヴィアニが、それがいかに貴重なものであるかを指摘するまで気が付きませんでした。2000年になって彼は、ようやくそれを著書「The Beatles in rishikesh」として出版したのです

(3)ビートルズの足跡を辿った

ビートルズ・ストーリー」を訪れたザルツマン

ザルツマンは、懐かしい写真を見ながら23歳の頃の自分に思いを馳せました。そして、この貴重な記録を元にもう一度ビートルズとともに修行した体験を辿ってみようと思い立ったのです。2018年、彼は、当時の足跡を辿る旅を開始しました。

イギリスのリヴァプールにあるビートルズの博物館「ビートルズ・ストーリー」を訪問し、そこに展示されている自分が撮影した写真を改めて見直しました。そこで彼は、ジョージの元妻パティとその妹ジェニーと再会しました。それだけではなく「The Continuing Story of Bungalow Bill」のモデルとなったリッキー・クックに会うためにハワイまで行ったのです。

アメリカの映画監督であるデヴィッド・リンチとは、ともに超越瞑想を体験した者として語り合いました。彼は、この映画の制作総指揮も務めています。ビートルズ研究の第一人者であるマーク・ルーイスンとともにアシュラムを訪れ、当時の思い出を振り返りました。ナレーションは、俳優のモーガン・フリーマンという豪華なキャストです。

ザルツマンは、ポールが「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を誕生させた瞬間に立ち会ったことやジョージが「The Inner Light」をヨーギーの前で歌うのを聴いたこと、あの集合写真を撮った時のことなどを懐かしそうに語りました。ビートルズが作曲する場面に立ち会えるなんて奇跡に等しい幸運です。

(4)32年間も放置していた理由

彼がビートルズとともに過ごしたのは僅か8日間にすぎませんでしたが、1本の映画を製作するには十分な体験でした。不思議なのはこれほど貴重な体験をしたにもかかわらず、彼が32年間もそれを忘れていたことです。

テレビ業界の人間である彼なら帰国するなり、すぐにこの体験を映像化するか、本にして出版したはずです。そうしなかったのは、彼がビートルズに会うためにインドへ行ったわけではなく、自分を探すためにいったこと、そして、失恋から立ち直るためにアシュラムを訪れたことが理由でしょう。

彼としては探していた自分を見つけられられたことで目的は達成しており、それ以上何も求めることはなかったのです。だから、ビートルズとともに過ごしたことも、帰国した途端に綺麗に忘れてしまったのだと思います。

 

 

2 内なる声に導かれて

(1)「Revolver」に触発された

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ザルツマンは、アルバム「Revolver」がリリースされるとすぐに手に入れ、恋人と一緒に自宅の庭に寝そべりながら聴いていました。「Tomorrow Never Knows」を聴いているうちに彼は、それまでに味わったことのない、自分の意識が内へ内へと向かうような不思議な感覚に包まれたのです。

彼は、23歳の若さで自分のテレビ番組を持ち、成功の絶頂期にありました。しかし、本当に自分が幸せなのかどうか疑問に思い始めていました。ある朝目覚めると、彼は、本当の自分は何なのかを知るため、無性にインドへ行きたくなりました。あるいは「Revolver」に触発されたせいかもしれません。

(2)インドへ旅立った

当時のザルツマン

ザルツマンは、インドへ行きたいとは思ったものの旅費がありませんでした。彼は、偶然出くわしたドキュメンタリー映画の監督がインドで撮影することを知り、自分を撮影クルーの一員に加えて欲しいと直訴しました。

監督は、クルーは現地で雇う予定だから要らないと一旦は断りましたが、「君は、録音技術を持っているのか?」と尋ねました。彼は「もちろん、持っています」と即答しましたが、それはインドへ行きたいがための口から出まかせだったのです。

監督は、君が自費でインドへ行くなら、ギャラを払うと約束してくれました。それが往復の飛行機代とほぼ同じ金額だったので、彼もインドへ行けることになったのです。録音の技術は、友人に頼んでインドへ行くまでに教えてもらいました。

 

 

3 失恋をきっかけにアシュラムを訪れた

(1)失恋した

ニューデリーで録音技術者として働いていたザルツマンの下に恋人から手紙が届きました。それは、彼女が新しい恋人ができたのであなたとは別れるという内容でした。そりゃ、インドへ行っていつ帰ってくるかも分からない恋人を待ち続けるのは辛いですよね。

彼は、大変なショックを受けました。失恋の痛手を被った彼は、友人に超越瞑想を勧められ、リシケシュにあるヨーギーのアシュラムへ足を運んだのです。つまり、彼をそこへ行かせたのは失恋がきっかけであり、ビートルズに出会ったのはまったくの偶然だったのです。しかし、失恋したおかげで彼はビートルズと出会えたのです。「人間万事塞翁が馬」というやつですね。

(2)最初は中に入れてもらえなかった

ザルツマンは、アシュラムを訪れたものの弟子に入口で止められ、施設の敷地内には入れてもらえませんでした。すでにビートルズがそこで修行を始めていて、関係者以外は立ち入り禁止だというのです。

それでも諦めきれない彼は、弟子と粘り強く交渉しました。すると弟子は、敷地外にあるテントで待つなら構わないと言ったのです。彼は、失恋のショックから立ち直りたい一心で待ち続けました。

すると、8日目にやっと敷地内に入ることが許可されたのです。どうやら、ビートルズに会いに来たのではないかと疑われたか、あるいは本気で修行する気があるのかどうかを試されたようですね。

 

 

4 ビートルズとの出会い

(1)小高い丘の上のアシュラム

アシュラムは、森林に囲まれた小高い丘の上に建っていました。正門から裏手まで細い未舗装の道路が走り、敷地内は有刺鉄線のフェンスで囲まれていて、アシュラムのプライバシーが保護されていました。道路沿いには、崖から離れた低い鎖のフェンスの向こうに白塗りの長いバンガローが6棟あり、それぞれに5、6室のダブルルームがありました。

花壇には大きな赤いハイビスカスが咲き乱れ、ターバンを巻いた庭師が世話をするいくつかの菜園からは、新鮮な野菜が手に入ります。周囲の森には孔雀が生息し、時折、アシュラムの敷地内に迷い込んでくることもありました。

(2)ビートルズは暖かく迎え入れてくれた

When a 'heartbroken' backpacker met The Beatles in India - BBC News

アシュラムに入った翌朝、ザルツマンがアシュラムを歩いていると、ビートルズが、彼らのパートナーの女性たち、そして、ミュージシャンのドノヴァン、ローディーのマル・エヴァンスとともにガンジスとリシケシを見下ろす崖の端の長いテーブルに座っているのが見えました。彼は、少し緊張しながら彼らに歩み寄りました。

ザルツマンは「ご一緒してもいいですか?」と聞きました。ジョンは「もちろんだよ」と応え「椅子に座りなよ」と勧めてくれました。ポールが「ここに座りなよ」と言いながら、自分の隣の椅子を引いてくれました。他の場所ならとてもこんな風に気安く近づけなかったはずですが、アシュラムにいるということは修行しているということですから、同じ修行仲間として温かく迎え入れてくれたのでしょう。

(3)ビートルズも普通の人

リシケシ滞在中のジョージ

ザルツマンは、こう語っています。「座った途端、驚いたことに頭の中で『エーッ!』と叫ぶ声が聞こえたんだ。『ビートルズだ!』って。そして、考える間もなく、もう一人の声が聞こえてきた。その声は、穏やかで、深く、心に響くものだった。『ポール、ビートルズも君と同じ普通の人たちだよ。みんなおならもするし、夜は怖がるよ』と。その瞬間から、私は、彼らをビートルズと呼ぶことはなくなり、むしろ4人の個性的な人間として考えるようになった。」彼も同じ修行仲間として加わったおかげで、ビートルズを目の前にしても舞い上がってしまうことはなかったんですね。

長くなるのでこの続きは次回で。

(参照文献)ザ・ビートルズ・イン・インディア

(続く)

 

 

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