★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズとボブ・ディランは互いに影響し合っていた(412)

When Bob Dylan Turned on the Beatles | Project CBD

1 ディランのスタイルを取り入れた

(1)内省的な曲を制作し始めた

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ビートルズボブ・ディランの関係というと、ビートルズがディランから一方的に影響を受けたように思われがちです。確かに、ビートルズは、ディランの影響を強く受けて、明るく楽しいラヴソングが中心だった路線を転換し、自分自身を深く見つめる内省的な曲を多く作るようになりました。その反面、ディランもまたビートルズの影響を受けていたのです。

1964年12月にリリースされたアルバム「Beatles for Sale」に収録されている「I'm a Loser」は、ジョンが1980年にデヴィッド・シェフに「ディラン時代の僕」から来たと認めた曲です。この曲は、それまでのどの曲よりも深く、明るく楽しい恋愛ばかりではないことを書き始めた最初の作品であり、グループとして成熟したことを表しています。失恋した男の惨めで辛い心境を描いて、リスナーの心に悲痛な主人公の心の叫びを投げかけています。

(2)ディラン時代のジョン

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ディランに夢中になっていた時期から生まれた曲としてジョンが挙げたのが、「You've Got To Hide Your Love Away」です。彼は、この曲についてこう語っています。「これもディラン時代の僕だ。僕は、カメレオンみたいにどんなものにも影響されるんだ。エルヴィスができることなら、僕もできる。エヴァリー・ブラザーズにできるなら、僕とポールにもできる。ディランもそうだ」

次のアルバム「Rubber Soul」では、ビートルズは、いよいよフォーク・ロックの領域に足を踏み入れ、リスナーに対して自分たちの人生を開放することになりました。チャート上位に入るヒット曲を書くエキスパートである一方で歌に魂を込めるという考えは、ディランの作品の伝統的な価値観からしか得られないものだったのです。

この組み合わせは、大成功を収めました。普通は、自分たちの中にないスタイルを取り入れても失敗するのですが、それを見事に成功させてしまうのですから、やはりビートルズはただものではありません。

 

 

2 ディランは憤慨した

(1)これはオレだ!

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一方、ディランは、「Rubber Soul」を聴いて憤慨しました。「これは何だ?オレだよ、ボブ。(ジョンが)オレをやっているんだ!ソニー&シェール(男女のデュオ)だってやっている。でも、なんてこった、これはオレが開発したんだ。」彼は「Norwegian Wood」が自分のスタイルに似ていると主張し、ジョンに対して当てつけのような「4th Time Around」というパロディー曲を制作しました。著作権侵害に問われる恐れがあると周囲から忠告されましたが、「オレが作ったスタイルなんだから問題ないだろう」と気にもとめませんでした。

確かに、ビートルズは、ディランのスタイルからインスパイアされたことは明らかなので、彼が憤慨したのも無理はないかもしれません。しかし、パフォーマーにとって自分のスタイルをマネられることは、ある意味で宿命のようなものです。マネる人が多ければ多いほど、そのパフォーマーに人気があるということです。おそらく彼がデビューした後、彼をまねたミュージシャンは数多くいたでしょう。

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(2)イギリスのミュージシャンに影響を与えた

イギリスの政治史家および現代政治思想の歴史家であるチューダー・ジョーンズは、最新の研究の一つを「ボブ・ディランとイギリスの60年代」という本にまとめ、その中でディランがいかにイギリスの最も評価の高いアイコンたちに与えた大きな影響について詳述しています。彼は、ディランの影響を受ける前のビートルズが、主に「男の子と女の子の恋愛」をテーマにした曲を書いていたのに対し、ディランを聴いて変わったことについて詳しく説明しています。

「イギリスでは、ディランの曲作りの影響は1960年代、特にビートルズの場合、ジョン・レノンジョージ・ハリスンに顕著だった」とジョーンズは付け加えています。ビートルズがディランと出会わなくても、遅かれ早かれそうなった可能性は高かったと思いますが、彼との出会いがそれを早めたのは間違いないでしょう。

 

 

3 ビートルズは歌詞も重視するようになった

ディランと車に乗るジョン

ホワイト・アルバムに収録されたジョンの「Yer Blues」は、ディランの「Ballad of a Thin Man」の登場人物についてまで言及しており、この曲が発表された1968年までに歌で物語を語るというジョンの能力がまた一つ進歩したといえます。1984年、ポールもまた、ディランのインスピレーションを喜んで認め、さらに一歩進んで、ジョンがボブの真似をしようとしていたことを示唆しました。「あれは、ジョンがディランをやったんだ...ボブに大きく影響されてね。聴いてみると、彼は、ボブのように歌っているんだ」

ビートルズは、ディランと出会うまでは、メロディーやコード、アレンジを重視していましたが、歌詞はそれほど重視していませんでした。ディランは、ビートルズのソングライティングの技術に比類ない影響を与え、歌詞を書くという技術を補助的なものから、曲の最も重要な部分に変えることに貢献し、ビートルズは、彼の計り知れない才能に驚かされたのです。

ジョンがディランと出会い、ソングライティングのスタイルについて話し合ううちに、ポピュラー音楽をより個人的なものにする必要があることを知りました。それ以来、ジョンは、自分の歌を個人的な表現の場とする実験を続けたのです。かつて彼は「僕は自分のことを書く方法しか知らない」と語ったことがありますが、これは、そのスタンスの変化の表れでした。ジョンは、自分で気づかないうちに、自分のことについて作曲するようになっていたのです。

 

 

4 ディランもビートルズから影響を受けた

(1)ビートルズの才能にいち早く気づいた

Bob Dylan: The Beatles are not rock'n'roll band - YouTube

ここまで読んでくると、いかにもビートルズが一方的にディランから影響を受けていたかのように思われるかもしれません。しかし、ディランもまたビートルズの影響を受けていたのです。

ディランは、ソロで活動していたのに対し、ビートルズは、バンドを組んでいました。またディランがアコースティックギターを使用していたのに対し、ビートルズは、エレキギターを使用していました。世間ではビートルズの人気が一時的なものに過ぎないと考える人も多かったのですが、ディランは、彼らがそんな簡単に才能をすり減らすことはないと気づいていました。

(2)ビートルズで頭が一杯になった

ディランは、ビートルズと友人であっただけでなく、彼らのキャリアのある時期には批判もしたこともありました。「他のみんなは、彼らをティーンエイジャー向けのバンドだと思っていたし、すぐにいなくなってしまうと思っていた。でも、僕には、彼らが継続していく力があることは明らかだった。音楽が進むべき方向を指し示しているのが分かった。他のミュージシャンには関心はなかったが、僕の頭の中はビートルズ一色だった。」

実はディランもまた、ビートルズがいつでもどこにでも頭の中に存在するというように、大きな影響を受けていました。実際、ディランが人生最大の変化を遂げ、「サウンドにエレクトリックを導入する」ことを促したのは彼らでしょう。

(3)ラジオでビートルズを聴いた

ディランがたまたまラジオのスイッチを入れると、彼の脳に電球が灯った瞬間を思い出すと語っています。「コロラドをドライヴしているとき、ラジオをつけていたら、トップ10曲のうち8曲がビートルズの曲だったんだ。コロラドで⁉『I Wanna Hold Your Hand』とか初期の曲ばかりだった」それは、彼らの曲に人気があったことだけでなく、演奏の仕方についても同じようにディランに衝撃を与えました。

「彼らは、誰もやっていないことをやっていたんだ。彼らのコードはとんでもない、まさにとんでもないもので、彼らのハーモニーがすべてを成立させていた。それは、他のミュージシャンと一緒でないとできないことだ。自分のコードを弾くにしても、他の人が一緒に演奏してくれないとできないことは明らかだった。それで、他のメンバーを加えることを考えるようになったんだ」

この時点までディランは、ソロ活動を中心にしてきました。しかし、ラジオから流れてきた4人のミュージシャンのコラボレーションを聴いて、彼の中にバンドを作りたいという気持ちが沸き起こったのです。

 

 

5 ついにディランもエレキギターを手にした

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それまでディランは、他人の評価など気にしたこともありませんでしたが、ビートルズの活動には、特定のスタイルやジャンルにとらわれないという点で何らかの違いがありました。「フォークはフォークでなければならない、ロックはロックでなければならないという偽善的な意見もあった。でも、僕は、そんなことはどうでもいいと思っていた。ビートルズのやっていることが好きで、当時からずっとそれを意識していたんだ」

1965年3月、ビートルズのスタイルを無視できなくなり、バンドの必要性を感じていたディランは、エレキギターを手にフルバンドをステージに招き、それまでのスタイルから離れました。昔からのファンの観客からはブーイングを浴びせられ、彼は、しばらく冷ややかな観客の視線の中で、自分の音楽を確立させることに苦労することになりました。

しかし、ディランがエレキギターのアンプにプラグを差し込むという決断をした瞬間が、音楽を永久に変えたのです。それは、彼がエレキを使ってもフォーク・ミュージックとの関連性を持ち続けられることを保障し、独自のスタイルで活動することに意味はあまりないことを大衆に確認させることになりました。ディランは、ビートルズに触発され、ロックとフォークの架け橋となったのです。

(参照文献)ファー・アウト

(続く)

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