1 連続チャート1位を逃した
(1)「Release Me」によって阻止された
ビートルズファンの中には、1967年にバンドの両A面シングル「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」がチャート1位を獲得できなかったことに今でも残念に思っている人がいます。当時は確かに衝撃的な事実でした。
プロデューサーのジョージ・マーティンは回想録「サマー・オブ・ラブ:ザ・メイキング・オブ・サージェント・ペパーズ」の中で12曲連続で1位を獲得したあと、ビートルズのシングルがチャートのトップに立つという現象は「太陽が昇るのと同じくらい確実なものとなり、我々はそれをほとんど当然のことと考えていた。しかし、不吉な13番目のせいでそれは実現しなかった」と述べています。ビートルズがシングルでチャート1位を獲得することは、世間では当然のことのように受け止められていたのです。
(2)ファンはチャートに騙された?
ビートルズの傑作は、エンゲルベルト・フンパーディンクの「Release Me」によって1位獲得を阻止されました。ビートルズファンの中には、この曲が本当にグループの傑作を上回る人気を持っていたのか疑問を持つ人がいます。
彼らは、ビートルズがフンパーディンクのほぼ倍のレコードを売ったにもかかわらず、別々に集計されたため売上が実際よりも低くカウントされたと主張しています。はっきりした記録はないのですが、「Strawberry Fields Forever」と「Penny Lane」はイギリスでそれぞれ約80万枚以上売れたと言われています。これに対して「Release Me」は138万枚を売り上げたと言われています。これが正しいのなら、2曲をまとめて集計すれば「Release Me」を上回ることになります。
2 ジョージ・マーティンの後悔
(1)両A面にしたのは失敗だった
「我々は騙された」という一部のファンの主張をさらに権威ある形で裏付けているのが、プロデューサーのジョージ・マーティンです。1979年の著書「All You Need Is Ears」で彼は依然としてこのレコードの期待外れの結果に困惑しています。「今でも、なぜこのシングルが1位の座を奪われたのか想像がつかない。私にとっては、あれは今までに出した中で最高のシングルだったのに」
1994年までに、彼は「Sgt Pepper's」の制作に関する著書でその理由を明きらかにしました。マーティンは「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」を両A面でリリースするという決断を「プロとしてのキャリアで最大の失敗」と評し、次のように続けています。
(2)共倒れになった
「最も重要な音楽チャートは、メロディー・メーカー、ニュー・ミュージカル・エクスプレス、レコード・ミラーの三つの音楽紙によって運営されていた。これらの競合するチャートは、毎週異なるレコード店から報告されるレコード販売業者の売上というかなり粗雑なシステムから作成された」
「ほんの一瞬でも立ち止まって考えていれば、一つの素晴らしいタイトルが他の素晴らしいタイトルと競合するだろうと気付いただろう。そして、まさにその通りになった。レポートが届き、我々の両A面が非常によく売れていることがわかった」
「ただ一つ問題があった。週間販売数では、『Strawberry Fields Foreve』と『Penny Lane』の二つのシングルがよく売れていることが示されていた。これらは別々にカウントされていたのだ!チャートに関する限り、片方の面がもう一方の成功を効果的に打ち消していた。この二つの面の販売数を合計すれば、我々はライヴァルを完全に圧倒していたと確信している」
マーティンは、ビートルズのシングルチャート1位獲得の記録が途切れたことをとても残念に思い、その理由の一つが両A面にしたという商業的戦略のミスにあると考えていました。それぞれ独立したシングルとしてリリースしていれば、どちらもチャート1位を獲得できたのではないか…そして、この思いを抱いている人がビートルズファンの中にもいるかもしれません。
3 マーティンの勘違いだった?
(1)勘違いが多かった
ただ、マーティンは天才プロデューサーであったものの、この点に関して勘違いしていた可能性があります。彼の回想には勘違いが多く指摘されており、ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインが1962年にオフィスに持ってきたビートルズがレコーディングしたアセテート盤の内容を間違って覚えていました。
また、ビーチ・ボーイズが「Pet Sounds」に続いて「Good Vibrations」という「またしても傑作」アルバムを出したと回想していましたが、実際には後者はシングル曲だったのです。ただ、彼が勘違いしていたとしても無理もないくらい、当時のUKチャートは複数あり集計方法も粗雑でした。
(2)複数のチャートの存在
その年、BBCと音楽業界紙「レコード・リテーラー」は共同で英国市場調査局に一つの公式チャートの作成を委託しました。1967年には、実際には四つの音楽紙、NME、メロディー・メーカー、ディスク&ミュージック・エコー、レコード・リテーラーがそれぞれ独自のチャートを作成していました。五つ目のチャートは、これら四つのチャートの平均に基づいてBBCによって作成されました。五つのチャートのうち、両A面を別々のエントリーとして計算する基準を採用していたのはNMEであり、これはそれぞれのチャート順位を下げる効果がありました。
(3)以前から採用されていたルールだった
たとえば、ヤードバーズの1965年のシングル「Evil Hearted You/Still I'm Sad」は、両面ともNMEではそれぞれ10位と9位にランクインしましたが、レコードリテーラーのチャートでは3位に達しました。しかし、NMEは他のチャートに倣い、ビートルズの両A面を一つのエントリーとして扱いました。彼らは1965年に「We Can Work It Out/Day Tripper」、1966年に「Eleanor Rigby/Yellow Submarine」にも同じルールを適用し、「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」でもその慣行を継続しました。つまり、別々にカウントしたというのはマーティンの勘違いの可能性が高いのです。
4 データが示す事実
各音楽紙は、異なるレコード店からの売上の報告を情報として使っていたため、当然ながら各紙のチャートは若干異なっていました。レコード・リテーラー、NME、メロディー・メーカー、ディスク&ミュージック・エコーのいずれも、1967年2月から4月にかけて「Release Me」を5週間から7週間1位に、「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」を3週間2位にランクインさせました。
対照的に、メロディー・メーカーは同じ3週間にビートルズを1位にランクインさせました。1960年から69年までの期間のチャートとして現在認められているのはレコード・リテーラーのチャートであるため、メロディー・メーカーの順位は公式にはカウントされません。しかし、メロディー・メーカーは、少なくともその3週間については「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」と「Release Me」の売上の差がそれほど大きくなかったことを示しています。総売上の大きな差は、フンパーディンクのレコードがビートルズよりもずっと長い間トップ10チャートにランクインしていたことで説明がつきます。
5 ポピュラー音楽には変わらない「王道」がある
(1)MORの存在
残念ながら「Release Me」が「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」より売れ、イギリスのチャートの一つを除いてすべてでトップの座を獲得したという事実は変わりません。ただ、レコードを購入した一般のリスナーの音楽的嗜好についてはもう少し掘り下げて考える必要があります。
1960年代のポピュラー音楽界には大きな波がありましたが、ポップやロックのあらゆる新しい冒険的な発展にもかかわらず、保守的なポピュラー音楽は、若者層以外にも多くのリスナーを維持していたというのが現実です。MOR「middle of the road」、すなわち気軽に聴ける音楽は「ポピュラー音楽の王道」として根強い人気があったのです。例えば、1967年にはトム・ジョーンズの「Green, Green Grass Of Home」が7週間チャートのトップに立ちました。
(2)アーティストになった代償
いずれにせよ、その時点ではビートルズのチャート支配は脅威にさらされていました。マーティンの嘆きにもかかわらず、リンゴは1位を獲得できなかったことでプレッシャーから解放されてホッとしたと本音を漏らしています。ビートルズがアイドルからアーティストへと方向転換した1967年までにビートルマニア現象は沈静化し、10代のファンの大群がレコード店にグループの最新シングルを買いに殺到することはなくなりました。
ビートルズの音楽は、ポピュラー性を維持しつつもより芸術性の高いものとなっていき、かつてのように商業的な成功を収める機会は減りました。しかし、それはビートルズがアイドルから大人のアーティストに変貌したことに対する代償なのかもしれません。
(参照文献)ミディアム
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