- 1 Ready Steady Go!略してRSG!(レディ・ステディ・ゴー!)への出演
- 2 新しいスタイルの音楽番組
- 3 観客にダンスを踊らせた
- 4 リップ・シンク(口パク)は当たり前だった
- 5 口パクからライヴに変更
- 6 人気MCはキャシー・マクゴーワン
- 7 あるアーティストとの出会い
(168)でテレビ番組「READY STEADY GO!」のことについて軽く触れたので、今回はもう少し詳しくお話します。上の写真は、ビートルズがこの番組に初出演した1963年10月4日に撮影されました。
1 Ready Steady Go!略してRSG!(レディ・ステディ・ゴー!)への出演
テレビやラジオなどのメディアに出演して露出を増やすことは、ミュージシャンにとって売れるために欠かせない戦略の一つです。それは、テレビが普及し始めた頃から現在に至るまで変わりません。
そして、ビートルズもデビュー当時は、この戦略をとっていました。もっとも、最近ではSNSが強力な武器になっていますが。
この番組は、1963年8月から1966年12月23日まで、毎週金曜日の夕方に放映されたイギリスのポピュラー音楽番組でした。この番組を企画したのは、レディフュージョンテレビのトップだったエルカン・アランです。
アランは、ライバル局のATVが放映していたバラエティ番組とは異なる、もっとシンプルな番組を構想していました。それで、この番組は、派手なセットや衣装もなく、振り付けやメイクも最小限に抑えて製作されました。
2 新しいスタイルの音楽番組
アランは、友人のジャーナリスト、フランシス・ヒッチングをプロデューサーとして起用しました。やがて、ヒッチングは、1960年代のエンターテイメントの世界にとって重要な存在となりました。
最初の監督は、ロバート・フレミングで、その後、ローラ・ギャンブル、マイケル・リンゼイ・ホッグ、ダフネ・シャドウェル、ピーター・クロフトと引き継がれていきました。
後に、シャドウェルは、BBCのコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」を製作し、ホッグは、映画「Let It Be」の監督としてメガホンを取りました。前列左端の人物です。
この番組にビートルズは、3回出演しました。彼らが出演したテレビ番組には他にも「Top of the Pops」や「Thank Your Lucky Stars」がありましたが、これらとは異なり、「Ready Steady Go!」の映像は残されていたのです。
80年代に入ると、この時収録された映像がアーカイヴとして使用されました。テレビ番組として放映されただけではなく、ビデオとしても商品化されリリースされました。
3 観客にダンスを踊らせた
この番組の面白いところは、観客をスタジオに入れ、ミュージシャンのパフォーマンスに合わせてダンスを踊らせたことです。この当時のアイデアとしては、斬新なものだったのではないでしょうか?
それまで観客は、スタジオに入っても、用意された自分の座席でじっと座って演奏を聴いているというのが普通でした。もちろん、ミュージシャンに拍手したり、歓声を上げることはありましたが、ミュージシャンの演奏に合わせてダンスを踊ったのは、この番組が初めてかもしれません。
スタジオにいた観客はライヴを楽しみ、さらにそれをテレビで見ている視聴者も、ライヴ感覚を一緒に味えたのです。
ミュージシャンは、様々なミニ・ステージに出演しました。ソロ・アーティストは、スタジオのあれ、何て言うんでしょうかね?鉄骨を組んだ通路みたいなところとか階段、メインフロアなどで、すぐそばで観客に囲まれながら歌っていました。
現代の日本の音楽番組でも、スタジオに観客を入れてライヴ感覚で放送することは普通にありますよね。おそらく、それの走りのようなものだったと思います。ただ、これはあくまでイギリスでのお話であって、エンターテイメントの先進国だったアメリカではもっと早かったでしょう。
最も観客といっても、公募して抽選で選んだ人ばかりではなかったんです。プロデューサーが、ロンドンのクラブで最もかわいらしい服を着て踊っていた女の子たちを選んで、スタジオに呼び出し目立つところで躍らせていました。
早い話がヤラセですね(笑)この当時、テレビ局は、もう既にそんな仕込みをやっていたんです。
4 リップ・シンク(口パク)は当たり前だった
(1)モロに分かる(^_^;)
ビートルズは、1963年10月4日にこの番組に初出演しました。これがその時の映像です。この時は、「Twist And Shout」「I'll Get You」「She Loves You」の3曲を演奏しました。
この頃は、ミュージシャンのバックでレコードを流し、ミュージシャンがそれに合わせて演奏したり、歌ったりする当て振りをしていました。いわゆるリップ・シンク、口パクというやつですね。この当時のテレビ番組では、これが当たり前でした。
現代の日本の音楽番組を観慣れている方からすると、この映像を観て驚くでしょうね(^_^;)というのも、ヴォーカリストの前にマイクすら置いていないため、口パクであることが誰の目にも明らかだからです。
(2)当時の音楽番組事情
口パクが主流だったのは、この当時の技術では、レコードに近いクオリティーのサウンドをスタジオで再現するのは困難だったという事情があります。ライヴでクオリティーの高いサウンドを提供できるシステムがまだ開発途上だったのです。
また、当時は、ミュージシャンが番組に出演すること自体に価値が置かれ、視聴者の口パクに対する拒絶反応が少なかったという背景もあるでしょう。視聴者にとって彼らは文字通りスターであり、雲の上の人でしたから。
現代でも音楽番組やライヴ・パフォーマンスで口パクが行われていることは周知の事実ですが、これについては賛否両論があります。リスナーも昔と比べて耳が肥え、知識もあるので下手な口パクではすぐに見破られてしまいます。
5 口パクからライヴに変更
しかし、時代が下るにつれ、視聴者から口パクではない本物のサウンドを求める声が高まるようになりました。1964年後半には部分的にライヴが演奏され、1965年4月にはすべての演奏がライヴに切り替わりました。
この番組が高い評価を得たのは、他の番組がよくやったように番組の構成上、楽曲をショート・ヴァージョンにアレンジせず、アーティストがフル・ヴァージョンで演奏できるようにしたことでした。
この番組は、ロンドンのキングスウェイにあるレディフュージョン本社の小さなスタジオで収録されました。同社は、ウェンブリーに大きな施設を持っていましたが、出演者や観客をロンドン中心部に呼び寄せる方が楽だったのです。
6 人気MCはキャシー・マクゴーワン
この番組のMCで最も人気があったのは、キャシー・マクゴーワンでした。彼女は、「Woman's Own」という雑誌社のファッション部門に所属していました。
彼女は、600人の応募者の中から選ばれたのですが、彼女にはテレビ局から「典型的なティーンエイジャー」としての役割を演じることが期待されました。
彼女の強みは、アーティストのファンであるという姿勢が、彼女のスタイルにはっきりと現れていたことでした。つまり、当時のティーンエイジャーがアーティストに抱いていたイメージをそのまま彼らにぶつけられたのです。
彼女がトチッたとしても経験不足が明らかとなっただけで、そういった素人っぽさがむしろ彼女の人気を高め、結局、彼女一人で番組を仕切ることになったのです。
7 あるアーティストとの出会い
1963年10月4日、初出演となった放送でビートルズは3曲を演奏しました。この時は、ロンドンのキングスウェイにあるテレビ局で収録されました。午後から、ビートルズは、カメラ・リハーサルを行い、収録は午後6時15分から行われました。この映像は、リハーサルに到着した時のビートルズの模様です。
ポップ・アーティストだったピーター・ブレイクはこう語っています。「友人があの番組のセットをデザインしていて、私は、ビートルズが初めて出演した時のテレビ収録に招待されたんだ。その時、彼らは、あの有名なボタン付きの襟なしのスーツを着ていた。
この曲を演奏したときのリハーサルで、私はとてもいかしたロックンロールだと思ったが、素晴らしかったのは彼らの音楽だけではなく、性格や外見も含めた全部だった。」
彼の発言からビートルズが音楽だけに優れていたわけではなく、ファッションやユーモアのセンスなどにも優れていたことが窺えますね。
さて、ここで皆さんに質問です。このピーター・ブレイクとは誰でしょう?次回までに考えておいてください。もっとも、ビートルズ・フリークの方には簡単すぎる問題ですかね。
(参照文献)THE DAILY BEATLE
(続く)
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