★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(169)ビートルズのユニークな写真とそれにまつわるエピソード(その2)

今回もユニークなビートルズの写真をご紹介します。

上の写真は、1964年8月23日、アメリカ、ハリウッド・ボウルのコンサートで、18,000人のファンの絶叫に耳を覆うおじさんです。ってか、おじさん、何しに来たの?

1 ジョン、休暇でスコットランド

The Lennons

(1)楽しい家族旅行?

1969年6月、ビートルズは、アルバム「アビイロード」のレコーディングが始まる前に一斉に休暇を取りました。ラストアルバムになるかもしれないと思い、気合を入れるためだったのかもしれません。

6月29日、ジョンは、ヨーコ、息子のジュリアン、ヨーコの娘のキョーコを連れて、スコットランドを訪れました。

当時、ジュリアンは6歳、キョーコは5歳でした。二人ともまだ幼かったので、自分たちが置かれていた状況はよく分かっていなかったと思います。とても楽しそうな家族写真に見えますが、この裏には複雑な家庭環境が横たわっていました。

ãHome People John Lennon crashes his car in Scotland John Lennon crashes his car in Scotlandãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

(2)児童誘拐?

私は、普通に「息子のジュリアンを連れて」と書きましたが、ファンの中にはあれ?と違和感を抱いた方もいるかもしれませんね。というのも、1968年11月8日、ジョンとシンシアは離婚し、一人息子のジュリアンはシンシアが引き取っていましたから。

ジョンは、別れたシンシアの元にいたジュリアンを彼女に無断で連れ出したのです。いくら自分の息子とはいえ、離婚した妻の元にいる息子を勝手に連れ出したとなると、誘拐罪に問われてもおかしくありませんでした。

 

確かに、離婚協議の中でシンシアの許可があれば、ジョンは、ジュリアンと面会することができましたが、あくまで彼女の許可があればの話です。ジュリアンももう少し成長していたら拒否していたでしょうが、それにはまだ幼すぎました。

2 ジョン、交通事故を起こす!

(1)荒っぽい運転で有名だったジョン

1969年7月1日、ジョンは、息子ジュリアン、ヨーコ、彼女の娘キョーコと、スコットランドで休暇を過ごしていました。ジョンは、ハイランドのダーネス近郊で彼のブリティッシュ・レイランド社製の白いオースティン・マキシを運転中に交通事故を起こしました。

ãAustin Maxi car john lennonãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

ジョンは、1965年、24歳になって初めて運転免許の試験に合格して以来、他の車の後ろを走行したことは滅多になかったという程、スピードを出して運転することで有名でした(^_^;)そのくせ、あまり運転が上手かったとはいえず、他の車や歩行者に気付かないことが多かったのです。

(2)やっちまった!

道路は狭い上、天気は悪く、ジョンは、運転しながら外国人観光客が彼の車に向かって走っているのを見てパニックになりました。彼は、車をコントロールし切れず、道路脇の側溝に落ちてしまいました。ジョン、ヨーコ、キョーコは顔を切り、ヨーコは背中も負傷しました。

彼らは、ゴルスピーのローソンメモリアル病院に搬送され、ジョンは顔を17針、ヨーコは額を14針、キョーコは4針縫う羽目になりました。ジュリアンはショックを受けたものの、奇跡的に無傷でした。

John Lennon's autograph, signed at Lawson Memorial Hospital, Golspie, Scotland, July 1969

ジュリアンは、母親のシンシアが彼をロンドンに連れ戻そうとした前日に、約50マイル離れたダーネスにあるジョンのおばの自宅へ連れて行かれました。シンシアがジョンから事故のいきさつを聞こうと病院を訪ねると、彼は、彼女に面会することを拒否しました。

結局、ジョンは、5日間入院する羽目になりました。彼は後で取材に訪れた記者たちに「もし、君たちが自動車事故を起こすんだったら、ハイランド(スコットランド北部のカウンシル地域)でやった方がいいよ。あそこの病院は素晴らしいから。」とジョークを飛ばしました。

彼は、この事故を起こしたことで自分は運転に向いてないということを自覚し、それ以来運転手を雇うことにしました。

(3)退院後

ジョンとヨーコは、ボコボコになったオースティン・マキシをティテンハースト公園に運んで写真を撮影しました。

Lennon's crashed Maxi

のん気に笑顔でピースサインなんかやってますけど、一つ間違えたら自分だけでなく家族全員が天国に入ってたかもしれないんですがね💦

 

この事故が原因で、ジョンは、キョーコの親権を獲得できなくなりました。それで頭に来たのか、彼は、事故車を粉砕して庭の彫刻にしました。

ジョンは、最初から参加するつもりはなかったのですが、7月1日は、アルバム「アビイロード」のレコーディングの初日でした。この交通事故のせいでロンドンへの帰還がさらに遅れ、退院して3日が経った7月9日にやっとレコーディングに参加しました。

(4)スタジオにダブルベッドを持ち込んだ

ヨーコは、ジョンよりも怪我の程度がひどく、しかも妊娠していたんです。ジョンは、彼女を見守るために高級百貨店のハロッズからスタジオにダブルベッドを届けさせ、その後に続くセッションの間、彼女が思ったことを伝えられるよう、ベッドの上にマイクを設置しました。

他の3人はいい迷惑だったでしょうね。怪我しているうえに妊娠してるのに、なんでスタジオにいるんだ?自宅で休養していればいいじゃないかという想いだったでしょう。

3 「東洋の魔女」?

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これは、1968年12月10日、ローリング・ストーンズが製作したフィルム「ロックンロール・サーカス」に出演した時のジョンとヨーコです。何か、ヨーコの魔女がハマり過ぎてて怖いです(^_^;)

4 She Came In Through The Baggage Conveyor Belt

これは、1964年2月5日、ロンドン空港の税関フロアの手荷物のコンベアーから潜り込もうとするビートルマニアの3人の女の子達です。

いやはや忍者も顔負けですね(^_^;)彼女たちが無事にビートルズに会えたのか、はたまたその前に当局に確保されてしまったのかは分かりません(笑)

5 いざ、勝負じゃ!

John Lennon and George Harrison went on an Easter weekend holiday with Cynthia and Pattie to Dromoland Castle Ireland 27 March 1964

これは、1964年3月27日、アイルランドのドロモランド城の前で、ジョンとジョージが決闘しているところです(笑)彼らは、週末にイースター(復活祭)で休暇を取って、妻のシンシアやパティと一緒に滞在していました。

6 お仕置きだべ~

The Beatles running through a 'Flying Ballet' routine with during rehearsals for 'The Night Of 100 Stars' charity revue, London Palladium, 23 July 1964. Left to right: Ringo Starr, George Harrison, John Lennon and Paul McCartney.

プロデューサーのジョージ・マーティンが一向に言うことを聞かないビートルズに、お仕置きとして宙吊りをさせました。って、そんなわけはありませんね(笑)

1964年7月23日、ロンドン・パラディウム劇場で、「ザ・ナイト・オブ・100スターズ」と題して開催されたチャリティー・ショーで、ローレンス・オリビエやジュディ・ガーランドなど多くの有名人も出演しました。

これは、前日のリハーサルで「フライング・バレエ」を練習するビートルズです。白鳥の湖でもやったんでしょうか?(笑)

ビートルズが宙吊りになるという、なかなかレアな写真です。もちろん、この後の第2部でちゃんと本業の演奏を披露しました。

7 髪を整えて差し上げますわ

1964年6月7日、ロンドンのウィンディー空港に到着した後、タラップを降りたところでジョージがBOACのフライトアテンダントからでっかい櫛でヘアをセットしてもらっているところです。どこでこんなのを仕込んだんでしょうね?

リンゴが扁桃腺炎で入院したため、急きょ、ジミー・ニコルがドラマーとして参加し、オランダ・ツアーへ旅立ちました。

8 え?コンサートを止めろって?

ジョージが警官から因縁をつけられているわけではありません (笑)

1964年9月16日、アメリカ、オハイオ州クリーブランドのステージで、クリーブランド警察の少年局長であるカール・ベアから、10代の若者たちがステージに突進して危険なので、一旦、ステージから降りるように促しているところです。

 

興奮でパニック状態になっている若者たちをクールダウンさせるために、ビートルズは、15分間コンサートを中止し、再度演奏を始めました。

9 こりゃ、どうもすいませんね

1964年8月9日、スカボローのフューチュリスト・シアターに入るため、警官の手を借りて車から降りるポールです。

シアターの周囲は、ビートルマニアの大群に囲まれていました。やむなくビートルズが乗ったリムジンは、劇場と隣の建物の間の狭い通路に入り、ファンをブロックする形でビートルたちは一人一人リムジンを降りたのです。

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たぶん、ドアは開けられなかったので、窓から這い出して車のサイドを伝って降りたんでしょう。この劇場は、リニューアルされ現在でも使用されています。

10 Drive My Car

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1963年11月17日のコンサートの前に、イギリスのコベントリーにある「スケーレックストリック」というメーカーの、スロットカー(レーンがついたコースを走る模型自動車)を見るビートルズです。

ポールやリンゴが興奮している割に、ジョージの反応は薄いですね(^_^;)確か、4人の中では彼が一番車好きだったはずですが、模型には興味がなかったのかな?

11 ハリケーンでも来たのか?

1964年8月21日、最初のアメリカツアーで空港に到着した彼らを出迎えた1,000人のビートルズファンがサンフランシスコ空港に残していったゴミの山です。

12 可愛いステージ❤️

ジョンとポールが、彼らが制作した曲を演奏するマーチングバンドのミニチュアモデルの仕上がりについて話し合っています。何だか微笑ましい光景ですね。

 

(参照文献)Mirror

(続く)

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