★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その135)ビートルズに影響を与えたアーティストたち-バディ・ホリー(その1)~「バンド」の概念を変えた男

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1 バディ・ホリーとは?

エルヴィス・プレスリーチャック・ベリーに比べると、日本での知名度は低いかもしれません。というのも後述するように、彼は、22歳という若さでこの世を去ってしまったのです。

そのため、残された楽曲も少なく、知名度が低いのも致し方ないでしょう。しかし、活動期間こそ短かったものの、彼がビートルズのみならず、ポピュラー音楽界に与えた影響は多大なものがありました。

アメリカ人で1956年にメジャーデビューしました。翌年にリリースしたデビューシングルの「ザットル・ビー・ザ・デイ」がヒットし、一躍スターダムにのし上がったのです。

写真を見ても、およそロカビリーやロックンロールを演奏するミュージシャンというイメージは受けませんよね(^_^;)大きな黒縁のメガネに天然(?)パーマでジャケットを着てますが、どうみてもセールスマンといった風貌です。

「thatll be the day」の画像検索結果

2 軽快なギターと表現力豊かなヴォーカル

ところが、そんな彼がエレキギターを手にしてステージに上がると豹変するのです。彼の流れるような軽快なエレキギターは、ロカビリーやリズム&ブルースの影響を受けた強く早いリフを刻んだのです。

音楽のジャンルとしては、ロックンロールというよりロカビリーといった方が良いかもしれません。

また、意外にヴォーカルも力強いです。初期の「Oh Boy!」という曲を聴いてみてください。

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ね?外見とかなりギャップがあるでしょ?弾き語りに慣れていなかったせいか、ややぎごちなさはありますが、エッジが効いていてノリが良いです。また、とても表現力が豊かで、リスナーを共感させるヴォーカルです。

この時はギターも1本で、ウッドベース、ドラムも少し軽めのカントリーっぽいタッチです。

3 歌詞も革新的だった

日本ではあまり注目されていませんが、彼が書いた歌詞は、当時の10代の若者たちの愛や欲望、喪失感を赤裸々に歌い上げたのです。自分の気持ちを包み隠さず素直に歌う。これは、当時の若者たちに新鮮な驚きを与えました。

 

例えば、チャートナンバーワンを獲得した「ザットル・ビー・ザ・デイ」では、「君が僕の元を去る日が来るだろう。そうしたら、僕は泣いちゃうだろう。死んじゃうだろう。」なんてなことをストレートに表現しました。

この時代には、男がそんな泣き言を歌うなんて情けないと思われていたんです。しかし、ホリーは、そんな常識を打ち破りました。そして、現代に至るまで自分の気持ちを素直に表現するアーティストが主流になりました。

4 ヒーカップ唱法

彼のヴォーカルは、「ヒーカップ唱法」といって「ヒック、ヒック」としゃくり上げるような歌い方で、これはプレスリーも同じでした。

話が脱線しますが、坂本九さんも「上を向いて歩こう」を歌った時にこの歌い方で歌ったのです。坂本さんがこの曲をレコーディングした時、あの「うふえへほを、むうふいて、ああるこうおうおうおう」という独特の歌い方を自分の考えでやったのですが、それを聴いた作詞家の永六輔さんは、「なんだその歌い方は!」と激怒したそうです(^_^;)

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しかし、それでも坂本さんは、この歌い方を変えませんでした。結果的にこれが大ヒットにつながったのですから、世の中分かりませんね。もし坂本さんが普通の歌い方をしていたら、あれほど世界中でヒットしたかどうかは分かりません。

この曲は、すべて日本語の歌詞であるにも関わらずヨーロッパでも大ヒットし、さらにはアメリカでも大ヒットして、全米ビルボードチャートナンバーワンを獲得しました。

それ以来、未だに日本人アーティストで全米チャートナンバーワンを獲得した人はいません。ただ、この坂本さんの歌い方が、プレスリーの影響なのかホリーの影響なのかははっきりしませんが、彼は、プレスリーの大ファンだったそうですから、多分、彼の影響でしょう。 

5 バディ・ホリーがポピュラー音楽界にもたらした偉大な功績

(1)バンドの概念を変えた!

ホリーが1956年にメジャーデビューするまでのミュージシャン、例えば、レイ・チャールズ、リトル・リチャード、チャック・ベリーエルヴィス・プレスリーらは、ソロでヴォーカルを担当し、大人数で編成されたビッグバンドを従えていました。

コンサートホールに大勢の観客を集めて、アップテンポなナンバーを演奏しようとすると、大人数でバンドを編成しないと音量が出ずに迫力に欠けてしまうのです。そして、その頃「バンド」といえば、あくまでソロ・シンガーのバックで演奏するミュージシャンの集団を指したのです。

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しかし、そんなポピュラー音楽界に革命が起きました。エレキギターの普及です。弦をピックで弾いてその振動をピックアップで電気信号に変え、アンプで増幅してスピーカーから大音量のサウンドを出すことができるようになったのです。これで少人数でもビッグバンドに引けを取らない大音量を出せるようになったのです。

ホリーは、少人数の自分たちのバンドを編成することで、初めてバックバンドに頼らず、「自分で歌って演奏するバンド」という概念をポピュラー音楽に持ち込んだのです。

ホリーがビートルズに与えた影響の中で最大のものは、この「少人数のバンド編成」でしょう。ギター2本と、ベース、ドラムスという少人数のバンド編成で、演奏しながらヴォーカルもこなすスタイルは、そのままビートルズに受け継がれました。やがて、これがポピュラー音楽界の主流となっていったのです。

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ホリーがそのようなスタイルを採ったのは、ビッグバンドを編成するだけのお金がなかったからというのが単純な理由です(笑)

しかし、彼のおかげで貧しい若者でもそれぞれ得意の楽器を持ち寄り、バンドを結成することで自分たちの音楽を他人に聴かせることができるようになりました。

 

今やバンドといえば、むしろ少人数のミュージシャンで編成された集団を指すようになりました。あるいは、これが彼のポピュラー音楽界にもたらした最大の功績かもしれません。

ただ、一つだけ違ったところは、クリケッツがあくまでホリーのワンマンバンドだったのに対し、ビートルズは「FAB4」と呼ばれたように「4人で一つ」のバンドだったことです。

(2)誰でも気軽に楽器を演奏し、歌うことができる環境を作った

ホリーの功績として次に挙げられるのは、誰でも気軽に楽器を演奏し、歌うことができる環境を作ったことです。

それまでの音楽の楽しみ方は、プロのミュージシャンが歌い、演奏する音楽をライヴやレコードで聴くという受け身の姿勢でした。少なくとも大勢の観客の前で歌ったり、演奏したりしようとすれば、それなりのクオリティーが必要であり、よほど天賦の才に恵まれているか、一生懸命レッスンを受けて上達しなければならないというのがそれまでの常識でした。

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しかし、ホリーが登場してからは、誰もが気軽に大勢の観客の前で、自分でギターなどの楽器を演奏して歌うことがいかに楽しいか、その喜びに皆が目覚めたのです。

日本でも盛り場をギター一本でお客さんのリクエストに応じて歌を歌うという「流し」というミュージシャンが存在します。演歌の大御所、北島三郎さんも若い頃はこの流しをやっていました。昔は、楽器を演奏して歌うのはあくまでプロの仕事だったのです。

(3)自分たちの方針で音楽の方向性を決めた

ホリーは、自分たちの方針で音楽の方向性を決めました。それまでのシンガーは、ソングライターの方針やバックバンドが演奏するスタイルから外れて歌うことは許されませんでした。

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もちろん、売れっ子になればある程度自分の意見も採用してもらえますが、そこまで到達するのは並大抵ではありません。プレスリーでさえ自分の思い通りにはなかなかさせてもらえなかったのです。

しかし自分たちのバンドであれば、どの様な方向を目指そうが自分たちの勝手です。この違いは極めて大きいものがありました。

(4)ポピュラー音楽界にシンガーソングライターというスタイルを確立した

レイ・チャールズチャック・ベリーらも自分で作詞作曲はしていたのですが、バックバンドと入念に打ち合わせる必要がありました。人数が多ければ多いほど、意思の統一は難しくなります。

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しかし、少人数のバンドであれば意思の疎通もやりやすく、アレンジも自由に出来ます。何より自分たちで好きな曲を作って演奏するのですから、これほど楽しいことはありません。 

ホリーが、自分たちのバンドで作詞作曲するというスタイルを確立した功績はとても大きいのです。

 

(続く)

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