1 1963年版の続き
(1)ソノシートだった
言い忘れていましたが、これらのレコードは通常の黒くて硬いレコードではなく、カラフルで薄いペラペラのソノシートとしてリリースされました。
といっても若い方は、どんなものだか想像が付きませんよね(^_^;)こんな感じです。昔は、よく子ども向けの雑誌の付録に付いてたりしました。
(2)テープを切り刻んだ?
ビートルズは、ふざけてレコードとして使える音源を収録したテープを広報担当者だったトニー・バーロウと一緒に切り刻み、ごちゃ混ぜにしてランダムに貼り付けました。
バーロウは、彼の回顧録「John、Paul、George、Ringo and Me」の中で「私たちは、ハサミで録音したテープを切り取って貼り付け、いらなくなった切れ端を床に捨てた。」と書いています。
「これで将来に亘り、オークションでユニークな記念品として数千ポンドもの値段が付いたであろう、放送できないような彼らの言葉が記録された未使用のマスターテープを破棄してしまったのだ!」
「ええ〜、んなアホな。何でそんな貴重な音源を残しておかなかったんだ⁉️」と憤る方もいるかもしれませんね(^_^;)しかし、当時のイギリス音楽業界の事情を考えると、それもいたしかたなかったのかなと思います。
まず、これは公式のレコードではなく、あくまでファン・クラブの会員のためのサービス盤だったという前提があります。一種のファン・サービスですね。
ですから、ビートルズは、レコードにする音源以外は、残しておく必要がないと考えたとしても無理はありません。まして、ようやく国内で人気に火が付いたところでしたからね。
まさか、50年経ってもまだ世界中で人気を集めているだろうなんて、誰も夢にも思っていませんでした。
それにしても、「放送できないような言葉」って何だったんでしょうね?(笑)
このテープを元に1963年12月の第1週に、シングルレコード30万枚がプレスされ、ファンクラブのメンバーに送られました。ジョークと歌が半々で入っていて、ポールは、そこでファンに向けて後のビートルズの変化を予言するようなことを語っています。
(3)早くもスタジオ・ミュージシャンへの変貌の兆しが
ポールは、次のように語っています。
「僕たちは、お客さんが楽しんでくれている声が聴こえるから、ステージで演奏するのが好きなんだ。でも、僕たちが一番好きなことは、とにかく、スタジオへ行って新しいレコードを作ることなんだ。」
「ジョンと僕が書いた曲の一つが、スタジオで段々と形になっていき、レコーディングした後のテープがどんな風に仕上がっているかを聴くのが好きなんだ。」
このポールの言葉から、後にビートルズが、ライヴ・ミュージシャンからスタジオ・ミュージシャンへと変貌していくことを予言していた、とまで解釈するのは流石に飛躍しすぎだと思います。
しかし、彼らが、既にこの段階でスタジオで楽曲を作り込んでいくという過程がとても楽しいことだと語っているところを見ると、その後の彼らの大きな変貌の兆しがデビューしてからしばらく経ったこの頃に、早くも芽生えていたと考えても不自然ではないでしょう。
こういった言葉をレコーディングした後、ビートルズは、初めて大西洋を横断してアメリカでも大成功を収め、人気を想像できないレベルまで一気に上昇させました。そして、「ビートルズ・クリスマス・レコード」に続編があることをさりげなくアピールしたのです。
2 Another Beatles Christmas Record(1964)
(1)約束通り続編をリリース
ビートルズは、最初のクリスマスメッセージをレコーディングした体験がとても楽しかったので、次にレコーディングする機会が来るのを楽しみにしていました。
「このファン向けのレコードを続けるよう私に促したのは彼ら自身だった」とバーロウは回顧録に記しています。
メジャーになる前の彼らならともかく、既に大ブレイクした彼らが本業の音楽ではないレコードをわざわざ制作するとなると、レコード会社とかプロデューサーからファンサービスのために頼まれてしかたなく制作したのかなと思っても不思議ではありません。
しかし、そうではなく、彼らは、本当にファンへ感謝のメッセージを送ることが楽しくて、毎年クリスマスが近づくとこのシリーズのレコーディングを続けたのです。
バーロウは、続けてこうも語っています。
「『今年のクリスマスのレコーディングはいつやるの?』と彼らは私に尋ねたが、彼らは、その脚本を書くことも私に求めていた。私は、彼らが何のアイデアも浮かばなかった場合の保険として、私の言葉を必要としていたことは分かっていた。」
「彼らは、全てのイヴェントで私が書いた脚本よりももっと面白おかしく、まるでザ・グーン・ショーのコメディーみたいなパフォーマンスをやった。」
ビートルズがいかにユーモアに長けていたとはいえ、コメディアンではありませんから面白いネタを考え出すのはなかなか難しかったと思います。だから、バーロウの力を借りたかったのでしょう。
(2)レコーディング
1964年10月26日、ビートルズは、EMI第2スタジオでバーロウの最新の脚本を土台にして、5つのトラックをレコーディングしました。それぞれのトラックは、レコードにランダムに収録されました。
翌朝10時に始まった次にリリースするアルバム「ビートルズ・フォー・セール」の最後のセッションを終えた後に、ビートルズは、このレコードのセッションを行いました。終わったのは日付が変わった午前0時45分です。
セッションの約12時間後にテープに収録しましたが、内容は、1963年版と同じくハチャメチャなスピーチとふざけたクリスマスキャロルで、クリスマスに間に合うよう、全ての公式ファンクラブの会員に無料で配布されました。
何しろメンバー同士で普段喋っている調子そのままでレコーディングしたものですから、「え~と」なんて不要な言葉や放送できない言葉(多分、今ならピーが入れられるようなヤツでしょうね(笑))が入っていたので、それらは編集でカットしました。
(3)ファンのために尽くそうとする彼らの熱い気持ち
最初のクリスマスレコードと比べると、彼らが消耗して疲れている印象を受けます。「ビートルズ・フォー・セール」の制作の頃ですから、彼らの疲労もピークに達していました。
この日も朝から深夜までずっとレコーディングし続けていたということもありますし、この頃は、映画の撮影があったり過酷なツアーやレコーディング、インタビューの連続で疲れ切っていました。
もう十分売れたんだから、ファン・サービスはちょっと勘弁してよと言ってもおかしくなかったでしょう。
しかし、それでも彼らは、疲れた体にムチ打ってファンのためにレコードを作ったのです。そういう時代だったんだと言われればそうかもしれませんが、これだけファンのために体を張ってがんばるアーティストは、もう今となっては存在しないでしょうね。
(4)後の楽曲制作のヒントにも
ピアノ、ハーモニカ、そして櫛を紙でこすったような音を入れて、「ジングルベル」のオープニングから始まりますが、足を踏み鳴らす響きが前年より格段に向上しました(笑)実は、こういった仕掛けは後に「ラヴリー・リタ」のレコーディングで再度使われたんです。
前回の時にもご紹介しましたが、後の楽曲への貴重なヒントがこれらのレコードの中に存在するんです。ですから、必ずしもおちゃらけた、内容に乏しいレコードと簡単に片付けるわけにはいかないのです。
何よりもビートルズが「スタジオ・レコーディングで実験する」という大胆な試みを始めるきっかけの一つが、これら一連のレコードなのです。それまでの単に音楽の演奏をレコーディングするだけではなく、楽器とは違うサウンドを入れてみるなどという実験が、後の「リヴォルヴァー」「サージェント・ペパー」といった傑作アルバムの端緒となったともいえるでしょう。
(参照文献)RollingStone
(続く)
ビートルズに関する他のブログを見たい方は、下のボタンをクリックして下さい。