リリースから50年経って、新たに傑作アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が最新ステレオ・ミックスでリリースされ、チャートNo.1を獲得しました。今回は、その先駆けともいえるクリスマス・レコードについてお話しします。
Pantomime: Everywhere It's Christmas(1966)
1 アルバムにストーリー性を持たせた
(1)ストーリー性のあるレコード
これは、ビートルズの4枚目のクリスマス・レコードですが、それまでとはコンセプトがガラリと変わりました。3枚目までは、ビートルズのメンバーによるフリートークで、ファンにクリスマスのメッセージを送るのがメインでしたが、このレコードは、ストーリー性のある物語により構成されたのです。
これは、「ストーリー性を持った本格的な長編アルバム」を制作する前年に制作したものでした。
(2)翌年にサージェントをリリース
そうです。このレコードは、リリース当時、その革新さで全世界に衝撃を与え、50周年を記念して再リリースされ、再びチャートNo.1を獲得した伝説のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の先駆けともいえるものなのです。ですから、単なるファン向けのクリスマスを祝うメッセージ・レコードと片付けるわけにはいかないのです。
いわゆる「コンセプト・アルバム」の制作という、当時としては革新的な試みであり、サージェントのリハーサルのような意味を持ちました。サージェントに本格的に取り組む前に、上手くいくかどうか軽く試してみたといったところでしょうか?
2 長期休暇を取ったビートルズ
ビートルズは、ツアーを終え、3か月休暇を取った後、アビイロード・スタジオに集合し、その翌日の11月25日にこのレコーディングを行いました。
この休暇のおかげで、彼らは、大人として本格的に独立した生活を楽しめ、さらに重要なことには、混沌として閉塞されたビートルズというカゴから解放されたのです。
どこでもビートルズを囲んでいたビートルマニアにとっては、彼らがそれぞれ休暇に入る直前の8月のツアーが、彼らに触れた最後の機会となりました。ビートルズは、これをもってツアーをやめ、スタジオでのレコーディング活動を本格化させました。
この休暇の効果は絶大でした。ツアーの連続で疲れ切っていたビートルズが、強力な新しいアイデアと創造力をもって復活したのです。
3 スタジオ・アーティストとしての新たなスタート
(1)「Strawberry Fields Forever」のデモが登場!
彼らが11月24日に再度集合した時に行われた最初のセッションでは、何とジョンが、不朽の名作「Strawberry Fields Forever」の初期のテイクを披露したのです。もちろん、まだこの時点では、これが音楽史に残る不朽の名作になるとは、誰も、そして、ビートルズ自身も気づいていませんでした。
(2)天才ギタリストと相互に影響を与え合った
翌日、ビートルズは、新たにオープンしたバグオネイルズクラブで、アメリカからやって来たある天才ギタリストのイギリスでのデビューを目の当たりにしました。
そうです。あのジミ・ヘンドリックスです。彼のサウンドは、サージェントの作成にも何らかの影響を与えたと思われます。
前にもお話ししましたが、A Day In The Lifeの♫Ah~のところは、ヘンドリックスからインスパイアされたのではないかとの説もある位ですから。でも、ヘンドリックスもまた逆にサージェントに感動して、リリースの翌日には自分のライヴでカヴァーしましたからね。
偉大なアーティスト同士のこういうやり取りって、ホント雲の上で行われているみたいでカッコいいですね。
ビートルズは、音楽出版社であるデイック・ジェイムズのニュー・オックスフォードストリートのオフィスの小さなスタジオに集まり、最新のクリスマスのレコーディングを行いました。
4 サージェント・ペパーの先駆け!
ポールは、「僕たちは、(今までとは)まったく異なるアプローチをとるべき時だと思った。」と語っています。スタジオ・アーティストとなった彼らは、野心的なアルバム制作に取り掛かろうとしていました。ポールの言葉は、それを暗に示しています。
7分足らずではありますが、このレコードは、これからビートルズが歩もうとしている方向性を示す重要な意味をもつ作品となりました。
彼らは、ファンへの感謝のメッセージを直接送るのではなく、来たるべき「サージェント・ペパー」の登場を予言していたのです。もちろん、誰一人としてそのことに気づいた人はいません。
5 一つの物語になっていた
(1)ビートルズは頭がおかしくなった?
このレコードは、イギリスの伝統的なボードビリアンが舞台で演じるパントマイム、すなわち、ユニークなイギリス流の舞台で使用される音楽、ドタバタ喜劇、民話などで構成されています。
「舞台で芸能人がパフォーマンスするという設定」これこそ正にサージェントのコンセプトとして実現されることになります。タイトルに「パントマイム」とありますが、ヨーロッパでは「無言劇」として昔から盛んに行われていました。このタイトルを見れば、これは音楽のレコードじゃないなと分かります。
ただですね、当時、このレコードを聴いた人の殆どは戸惑いを隠せなかったと思います。一体、ビートルズが何をしようとしているのか理解できなかったでしょう。
最初こそクリスマスソングを歌っていますが、それが終わるとなんだか訳の分からない物語の朗読が始まるんです。それも何だかおどろおどろしい雰囲気ですね。
「彼らは、あまりにも忙しすぎて頭がおかしくなってしまったんじゃないか?」と心配したファンもいたかもしれませんね(笑)
(2)サージェントの初期形態
タイトル曲でポールは、ピアノを弾いて歌っていますが、その数日後に「When I'm Sixty-Four」のレコーディングを始めています。
このレコードの作成は、後のサージェントと同じように、ポールが主導している印象を受けます。実際、彼自身が3曲「Everywhere It's Christmas」「Orowayna」「Please Don't Bring Your Babjo Back」を制作しました。
さらに彼は、レコードのスリーブにフルカラーで、アートヌーボーのイラストを描きました。これもサージェントのあのサイケデリックなカヴァー写真を彷彿とさせます。
オリジナルのストーリーには、創造性は感じられるものの全く論理性はなく、「コルシカの眼鏡を掛けひげを生やした男」が小さな合唱団を連れてスイスのアルプスへ向かうところからストーリーが始まります。まあ、正直に言って良く分かりません(^_^;)
「眼鏡を掛けひげを生やした男」ん?もしかしてジョンのことか?この頃ですかね、彼があのトレードマークとなる丸縁のメガネと髭を生やし始めたのは。
それに「小さな合唱団」?これは、ペパー将軍の楽団と通じるものがありませんか?そう考えるのは、うがち過ぎでしょうか?
レコードの制作にあたっては、ジョージ・マーティンがイギリスのコメディアン、ピーター・セラーズやスパイク・ミリガンに代表される、イギリスのラジオのコメディー・レコードを制作した経験をフルに活用しました。
(3)スタジオでの実験がやがて作品に結実する
短い作品ではあるものの、レコードには創造性があり、奥深さも感じさせます。コルシカの合唱団風に歌われた「Orowayna」は、奇妙なほど美しいポップス調の賛美歌になっています。
そして、タイトル曲の「Everywhere It's Christmas」をエンディングで再び演奏しました。そう、タイトル曲をエンディングでもう一度演奏するのは、サージェントでもやったことです。また、A Day In The Lifeでローディーのマル・エヴァンスが数をカウントし、時計のベルを鳴らしましたが、このレコードでも似たような役割を果たしています。
このレコードを「サージェントのドラフト版」とみるのは、流石にムリだとしてもビートルズが、少なくともストーリー性をもたせたコンセプト・アルバムが、果たして上手くいくかどうかをテストしてみたと考えても不自然ではないでしょう。
何しろ、世界初とまではいえないものの、当時、コンセプト・アルバムを制作するのは相当大胆な実験でした。既にトップ・アーティストとしての地位を確立させていたビートルズにとって、極めて危険な賭けだったのです。失敗すればどれ程叩かれるか分かりません。
「新しいことには手をつけず、現状維持に努める」という選択肢もあったのです。しかし、ビートルズは前進することをいといませんでした。彼らにとって同じところに留まり続けるようなミュージシャンは、もはやアーティストではないという信念があったのでしょう。
さて、クリスマス・レコードはまだ続きがあるのですが、ここからビートルズの後期に入るので、一旦他のテーマにシフトします。
(参照文献)RollingStone
(続く)
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