1 プロとしての第一歩だった
上の写真は、シルヴァー・ビートルズがスコットランド・ツアーで回った都市を順番に並べたものです。アロア、インヴァネス、フレイザーバラ、ネアン、キース、フォレス、ピーターヘッドですね。同じイギリスでもロンドンからは遠く離れた北東部の都市です。
ビートルズの初代マネージャー、アラン・ウィリアムズの功績について語るハズが、いつのまにかスコットランド・ツアーの話が中心になってしまいました(^_^;)おまけに話が時間的に前後してしまってすいません。
でも、短期間ながらビートルズのキャリアを語るうえで外せないエピソードが色々とあったツアーなので、もう少しこのお話を続けます。23日のフレイザーバラのダリルリンプル・ホールでのショーまで話は遡ります。
アーリー・ビートルズというと、キャヴァーン・クラブとハンブルク巡業が盛んに取り上げられますね。映画化されたり、舞台化されたりもしました。それに比べて、スコットランド・ツアーは短期間でしたし、バックバンドとしての参加だったのであまり触れられないのですが、実は、彼らのキャリア形成にとってとても大きな意味を持つのです。
それは、たとえバックバンドとはいえ、本格的にプロとしての一歩を踏み出したのが正にこのツアーだったからです。あくまでも学生の身分は保ったままだったとはいうものの、プロとして演奏し、ギャラを得た経験は、ビートルたちにとってこの上ない喜びでした。
その上、偶然の自動車事故に出くわしたおかげで初めてファンからサインを求められ、ショーの後に女の子たちから追いかけられるという、早くもスターとしての扱いを受けたのです。
2 さっそく主役を食ったシルヴァー・ビートルズ
ジョニー・ジェントルは、テレビにも出演していましたし、バラードシンガーとしてそれなりに知名度はありました。しかし、彼の前座として登場したビートルズが、すっかり彼から主役の座を奪い取ってしまったのです。1960年5月23日、フレイザーバラのダリルリンプル・ホールでのショーでした。
彼らは、20分間で「ブルー・スウェード・シューズ」「ロング・トール・サリー」などのスタンダードなロックンロールを演奏しました。演奏はまだまだ荒削りでしたが、ジョンの野性味に溢れた歌声とポールのハイトーン・ヴォイスが女の子たちを魅了したのでしょう。
もちろん、音源などは残されていないので、どんなパフォーマンスだったのかは想像するしかないのですが、どうやら、退屈なバラードではなく彼らが最も得意とするロックンロールだったので、生気を取り戻したかのように演奏したと思われます。その上、フレイザーバラの観客の反応はとても暖かかったのです。
ただ、ビートルズは、金も底をつき野宿せざるを得なかったという目にもあいました。プロとしての第一歩で、早くも人生には紆余曲折があり、真っ直ぐにはなかなか歩めないことを学んだのです。そう、「The long and winding road」です。
おそらく、バックバンドとして演奏しただけであれば、女の子たちから追いかけられることもなかったでしょう。前座でヴォーカルを披露したことで、彼らの魅力が女の子たちに響いたのだと思います。
ショーが終わってダンスホールを出ようとすると、彼らは、女の子たちからもみくちゃにされ、追いかけられながら道を走って、マーガレット・ジャックというジェントルの女性ファンが用意してくれていた車に乗り込むことができました。まさか、そんなことになるとは想像もしていなかったから、さぞビックリしたでしょうね(笑)
その場所なんですが、偶然にも映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」でビートルズが逃げ回るシーンに登場する階段そっくりなんです!つまり、映画のリハーサルを4年前にここでやっていたというわけです(笑)
3 暖かかった家族
(1)リラックスしたビートルズ
マーガレットの家族は、彼らを暖かく歓迎してくれ、彼らは、リヴァプールの自宅に帰ったようなリラックスした気分になりました。しかし、マーガレットの家族もよく彼らを歓迎してくれたものです。
大人からは、ロックンロールなんて不良の音楽だと思われていましたし、ビートルズたちもリーゼントにみすぼらしい格好をしていましたから、家に入るのを拒否されてもおかしくはなかったんですけどね(^_^;)おまけに彼らが家にやってきたのは、夜遅くになってからでした。当時としては、結構、進歩的な家族だったんでしょうね。
ポールは、ピアノを弾きながら、1960年3月にヒットしたジム・リーヴスの「He’ll Have To Go」を歌いました。彼らは、後々に至るまでこの夜の出来事をずっと楽しい思い出として記憶していました。
(2)父親がジョンに興味を抱いた
マーガレットは、ジョンがこっそりみんなの輪を抜け出したのを見かけたのです。ジョンとマーガレットの父は、1対1で別室で向かい合って座っていました。マーガレットの父は、外交的で皮肉屋であるバンドリーダーのジョンや彼の仲間のことを一生懸命理解しようとしていました。
マーガレットの父は、ジョンのウィットとユーモアに溢れたジョークに興味をそそられ、アームチェアに座りながら、自分の目の前にいる青年は一体何者なんだろうと思い、頭のてっぺんからつま先までマジマジと見ながら、数分間会話していました。ジョンは、まるで彼の大好きなルイス・キャロルの小説から飛び出してきた登場人物であるかのような不思議な魅力を持っていたのです。
この男性は、おそらく30代後半から40代前半だったと思いますが、その年齢でジョンの魅力に気がついたとすれば、相当先進的な考えを持った人だったんでしょうね。
物静かだったポールとは対照的にジョークを飛ばしまくったジョン。マーガレットの家族は、彼の魅力にとりつかれました。この家族には7人もの子どもたちと愛情をもって彼らを育てていた母親がいたのですが、彼らにとってジョンが取ったその日の全ての行動は、とても心暖まるものでした。
この夜のような暖かい接待を受けて、故郷を遠く離れたポールは、フレイザーバラの人々のことをもっと知りたいと思うようになりました。彼は、故郷のリヴァプールへ帰る道すがらでも、フレイザーバラの人々の暖かな歓迎ぶりを忘れることはなかったのです。
4 束の間のデート
15歳のマーガレット・ゴールドは、学校を抜け出して友だちのアリソンと一緒に金色に輝くビーチを背にした、小高い砂丘の上に座っていました。彼女たちは、その前夜にダルリンプル・ホールのショーでシルヴァー・ビートルズを観たのです。
地元の人々から「タイガー・ヒル」と呼ばれる最も高いところで、彼らが砂浜を横切って海岸へ行くところを見ました。彼らは、難破した小型の帆船を近くで見ようとしていたのです。
マーガレットは、こう語っています。「私と友だちは、砂丘の一番高い所に座っていたの。そしたら、彼女が「ほら、昨日、私たちが観たグループがあそこにいるわよ!」と言ったのよ。それで私たちは、必死で丘を駆け下りていって彼らと会ったの。ジョンは、この近くに喫茶店がないか聞いてきたわ。」
ビーチの遊歩道には喫茶店があるにはあったのですが、将来のビートルズのファンクラブのメンバーとなるべき女の子たちにとって、この素晴らしいメンバーと至福のひとときを過ごすにしては、あまりおしゃれとはいえない場所でした。
その付近にはもう一つ「ジョーズ・カフェ」というオシャレなカフェがあり、ティーンエイジャーの溜まり場になっていましたが、それは、ダリルリンプル・ホールを挟んで反対側にありました。少女たちは、盛り上がった気分を台無しにしたくなかったので、離れてはいましたが、シルヴァー・ビートルズをそこまで連れて行きました。そこは、ずっとジュークボックスから音楽が流れ、コーラを飲みながらおしゃべりできたのです。
マーガレットは、こう語っています。「そこは、バンドを連れて行くにはピッタリの場所だったわ。ジョンは、たった6ペンスしか持ってなかったのに、それで冷たいオレンジジュースをおごってくれたの。一つは私の分、もう一つは彼の分だったわ。」
ジョンは、有り金をはたいてファンの女の子にジュースをおごったんです。本当は腹ペコで死にそうだったのに。男として女の子に見栄を張ったのか、プロとしての矜持(きょうじ)だったのかは分かりません(笑)
(参照文献)scotbeat
(続く)
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