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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ウィリアムズ、正式にビートルズのマネージャーとなる(242)

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当時の写真を懐かしそうに見るウィリアムズ

1 リヴァプールに戻ったビートルズ

「silver beatles 1961」の画像検索結果

(ここに掲載している写真は、ドラマーとしてピート・ベストが加わった後のものです。トミー・ムーアの写真は殆ど残っていないので(^_^;))

初代マネージャーのアラン・ウィリアムズについてお話ししているうちに、いつのまにかスコットランド・ツアーの話になってしまいました(^_^;)一回だけで切り上げるつもりだったのですが、掘り下げてみると案外いろいろな話題が出てきたので自分でも驚いています。

スコットランドの人たちは、今でもビートルズが初めて自分たちが住んでいるところで、プロとしてデビューしたということを誇りに思っているようですね。地元では、未だにその当時のエピソードが語り続けられているぐらいですから。

さて、ウィリアムズに話を戻します。リヴァプールに戻ったビートルズでしたが、週に一、二回位、ポツリポツリという感じでオファーが来る程度でした。ハリケーンズとは大違いですね。

これでは、とてもプロとして食べていけません。かといって、彼らにビジネスの才能はありませんでしたから、自分で仕事を見つけてくることもできませんでした。ジョンがウィリアムズにマネージャーとして就任してくれと頼んだのも、こういった切羽詰まった事情があったからです。

ウィリアムズも自分が経営するクラブで演奏するバンドを探していたので、渡りに船だったんです。

 

2 ウィリアムズ、ビートルズのマネージャーとなる

(1)ビリー・フューリーがきっかけ

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これまでのできごとを整理すると、まず、リヴァプールでビリー・フューリーがプロモートするコンサートがあり、そのバックバンドのオーディションが行われました。ジョンは、これに応募したいと思い、アラン・ウィリアムズにマネージャーとなるよう依頼しました。彼は、既にいくつかのバンドのマネジメントを引き受けており、実績があったからです。

オーディションには不合格だったものの、これがキッカケでビートルズとウィリアムズとのパートナーシップが生まれました。これ以降、彼は、ビートルズのマネージャーとして手数料を取って彼らに仕事を見つけてくることになったのです。

(2)初めて仕事を見つけてきてくれた

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結局、そのまま彼は、ビートルズにとって初めてのマネージャーとなりました。つまり、なんとなく成り行きでウィリアムズはビートルズのマネージャーとなったので、ブライアン・エプスタインみたいに正式に契約書を交わしたわけではありません。

終生ビートルズを愛し、献身的に尽くしたブライアンと異なり、ウィリアムズにとってビートルズは、あくまでもビジネス上のパートナーでした。でも、決してそれが悪いことではなく、むしろ当たり前の話です。ただ、何とかビートルズに仕事を見つけてやろうという貪欲さが彼にはありました。

何しろその頃のビートルズといえば、ドラマーはいない、ベーシストはほぼ素人、ウリはジョンとポールのヴォーカルだけという何とも冴えないバンドでしたから、プロとしてステージに立たせてやるだけでも大変な苦労でした。

プロとしての道を歩もうと腹をくくったビートルたちと、ロックバンドのマネジメントを引き受けたいと考えていたウィリアムズ。これも「運命の出会い」だったのかもしれません。


The Beatles- Ain't She Sweet

3 ウィリアムズの功績

(1)金の卵を産むニワトリを見つけて育てた

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私は、ビートルズという「金の卵を産むニワトリ」を最初に見つけたのは、ブライアン・エプスタインだと思っていました。しかし、こうして振り返ってみると、実際は、ウィリアムズが発見したんですね。

彼は、プロとしてはまだまだひよっこだったビートルズを大事に育ててくれました。ひよっこは、若鳥にまで成長し、自分で餌を食べられるようにまで成長したのです。

ウィリアムズは、まさかその若鳥が金の卵を産むなどとは思いもせず、ブライアンに譲り渡してしまいました。これが彼の残念なところです。ブライアンは、ビートルズを見るなり「これは金の卵を産むニワトリだ」と気が付いて、彼らを必死に売り込んでスターダムに押し上げたのです。

しかし、ビートルズがアマチュアからプロに転向しようという一番大事な時に、彼らをその気にさせ応援してくれたのはウイリアムズだったのです。しかも、プロとして十分に通用するレヴェルになるまで育ててくれました。その功績を決して忘れてはいけないと思います。

(2)ギャラは豆を乗せたトーストとコカコーラ

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リヴァプールに戻ったビートルズの初仕事は、アラン・ウィリアムズが経営するジャガランダ・コーヒー・バーでのショーでした。1960年5月30日です。ここでは12回出演しました。

ウィリアムズは、クラブのレギュラーバンドだったロイヤル・カリビアン・スチール・バンドの休日である月曜日の夜に演奏するよう、ビートルズにオファーしました。シルヴァー・ビートルズのギャラは、豆を乗せたトーストとコカ・コーラだけでした。

ポールは、こう語っています。「アラン・ウィリアムズは、ブルー・エンジェルとジャカランダを経営していた。彼は、背が低くて、少し高い声のウェールズ人だった。いいヤツだったし、野心も持っていた。僕らは、しょっちゅう彼をからかっていた。」

ジャカランダは、通称「ジャック」と呼ばれ、リヴァプールのスレイター・ストリートに1958年9月にオープンすると、すぐに地元の学生のたまり場となりました。ウィリアムズは、シルヴァー・ビートルズが他のクラブで演奏する仕事が取れなかった時に、そこで演奏するように依頼しました。

ギャラがトーストとコーラだけとは、何とも情けない話ですね(笑)しかし、彼らの当時の実力からすれば、それも仕方なかったでしょう。でも、ウィリアムズは、彼らのために一生懸命仕事を探してくれたんです。

ビートルズにとってこの頃は仕込みの時期だったんですね。キャヴァーン・クラブのレギュラーバンドになったり、ハンブルク巡業するようになる頃には相当な実力をつけていました。しかし、いきなりそこからスタートしたわけではなく、その前にコツコツと腕を磨いていたのです。

 

4 本格的にマネジメントを開始した

(1)スコットランド巡業の間に仕事を手配

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シルヴァー・ビートルズは、マージーサイドのウィラル半島にあるネストンの町のヒンダートン・ロードを本拠地とするネストン女性友好協会のホールで、1960年6月2日から木曜日のナイト・ショーを6回連続で行いました。この日程は、スコットランド・ツアー中にアラン・ウィリアムズが手配し、レス・ドッドのパラマウントエンタープライズがプロモートしました。

ウィリアムズは、ビートルズがツアーで不在の間でも、彼らがリヴァプールに帰ってきた時にすぐ仕事にありつけるよう手配してくれていたのです。目立ちませんが、こういうところはなかなか気が利いてるじゃありませんか。ビートルズが頼んだわけでもないのに。

(2)トーストにジャムを塗るか塗らないか

ドッドは、1936年から協会でイヴェントを運営しており、遅ればせながらロックンロールのショーもブッキングし始めていました。彼は、シルヴァー・ビートルズが出演すると10ポンド(現在の日本円で5万円?)を支払い、そこからウィリアムズに手数料として1ポンド(5千円)を支払いました。

メンバー一人の手元に入るのは2ポンドにもなりません。毎日コンスタントに仕事があれば別ですが、これで食べていくのはなかなか厳しい金額です。

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当時を振り返ってウィリアムズがインタビューに応えました。

「むさくるしかった1959年頃だったと思うけど、私がイギリスのビートニクスの特集をしたのさ。リヴァプールではビートルズが1番に選ばれた。ジョンとスチュアートが住んでた家を取材し、あまり広くはないが話題になったんだ。スコットランドに送り出した時に、なんだこいつらはと言われたことがある。」

ビートニクの定義は難しいですが、1950年代にアメリカで発祥した若者文化で、若者たちがそれまでの大人の抑圧的な社会を否定して、貧しくても自由奔放に生きようとしたカウンター・カルチャーです。60年代に入るとヒッピー文化に移行していきました。

それにしても、もう、この頃すでにジョンとスチュがマスコミの取材を受けていたとは驚きです。

「当時、ジャムトーストがリヴァプールではよく売られていた。ジャムを塗ると普通のトーストより1ペニー高くなるんだ。昔のペニーだよ、今のではない。彼らは、それで腹を満たしてた。でも、運転手の支払いを差し引いたら5人で8ポンドしか残らないから、ジャムを節約すべきかどうかで言い争ってた。」

何とも微笑ましいというか、つつましい生活だったんですね。日本でも漫才コンビが売れない頃に、一つのラーメンを二人ですすっていたなんて苦労話がありますよね。でも、この下積みの苦労がビートルズを成長させたんです。

 

(参照文献)TUNE IN, THE BEATLES BIBLE, Neston Past.Com

(続く)