★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

必死の訴えも聞き入れられず窮地に陥る(282)

1 バロウの必死の工作

広報担当のトニー・バロウは、2回目のショーが始まる前にマニラのホテルに戻り、テレビをつけました。イメルダ・マルコスがテレビに出ていましたが、彼女は不機嫌でした。彼女は、こう発表しました。「子どもたちは、いくらでも時間がありますが、私たちは忙しいのです。」
バロウは、彼らが大変な事態に陥っていることに気付きました。彼は、マニラでのビートルズ公演の独占制作権を与えられていたテレビ局に電話をかけ、3夜連続で30分番組を放送することになりました。テレビ局は、ビートルズの公式声明を放送する準備をしていたのです。
バロウが声明文を書き、彼とブライアンは、テレビ局のスタジオに駆けつけ、ブライアンが読んだ声明文を録音できました。

しかし、彼らの努力は無駄でした。ブライアンの声明は、その夜遅くに放送されたため、殆どの聴衆の耳には届かなかったのです。おそらく、政府関係者から放送局に圧力がかかったのでしょう。

2 リムジンが取り囲まれた

Concert in Manila (Philippines) | Beatles Archive

バロウは、ビートルズが夜の部を終えてリザール・スタジアムを出た時に、すでに不穏な空気が漂っていたことを記憶していました。警察の護衛がいなくなり、スタジアムのゲートはロックされていました。

「そのため、停車中のリムジンは、組織化された数十人の暴徒に翻弄されることになった。威嚇的に車の窓を叩き、車を揺らし、ビートルズを侮辱し、誰も理解できないような罵声を浴びせた。」おそらく政府の関係者から、マルコス大統領夫妻を侮辱したビートルズを懲らしめてやれと発破をかけられた連中でしょう。これは、恐怖以外の何物でもありません😱

「彼らは、最終的にマニラのホテルまで何とか帰ることができた。真夜中に警察が来て、ヴィック・ルイスを一緒に来ないかと誘った。彼は、警察署で尋問を受けた。『お前は、ビートルズの担当者だ。なぜ、彼らを宮殿に連れてこなかった?』」実質は、連行されて尋問されたといった方が良いでしょう💦

 

3 記者会見で事情を説明

Concert in Manila (Philippines) | Beatles Archive

その夜、ルイスとプロモーターのラモスJr.は、マラカニアンの記者会見場に現れました。彼らは、これは意図的な妨害ではなく、反抗的な行為でもなく、単なる誤解であることを強調しました。

ルイスは、ラモスがブライアンの責任であると認めました。彼自身は、マニラ・タイムズ紙で、ブライアンがこのツアー全体にわたってイライラしていたことをほのめかしていました。

彼は、荷物が放置されたこと、指示に反して記者会見に立見席が設けられていたこと、ボートでプライバシーが侵害されたことなどに激怒していました。これらのできごとがすべて、「ブライアンのイライラを増幅させ、ビートルズを疲弊させた」とルイスは語ったのです。

夜中に警察に呼び出されて尋問されたルイスの心境は察しますが、それにしてもあまりにもバカ正直に答えてしまったものです。「レセプションに出席しなかったのは自分の伝達ミスが原因であり、ビートルズにもブライアンにも大統領夫妻を侮辱する意図は全くなかった。」と自分がすべて泥を被って、弁解しておけばよかったんですよ。

ルイスがマニラのホテルに戻ってきたのは、翌5日の夜明け前でした。彼は、ビートルズが生命の危機に晒されていると感じていました。

4 巨額の所得税を請求された

The Beatles In Manila – Music is Real

ビートルズは、税金のために拘束された」7月5日のデイリーミラー紙の一面には「内国歳入局が金持ちのモップヘッドを拘束」という見出しが躍りました。税務官は、「昨日の公演の興行収入に応じた所得税を払わない限り、ビートルズは予定通り午後3時30分に出発することは許されない。」と命じました。所得税の賠償金額は、2万2千ペソと見積もられていました。

朝8時、内国歳入局の代表者がブライアン宛の封筒を持ってマニラのホテルに到着しました。請求書には8万ドルと記載されていました。ツアーの契約を担当したルイスが内国歳入局に派遣され、税務官に事情を説明しました。彼は、ビートルズと地元のプロモーターとの間のすべての契約では、ツアーに関連したすべての所得税は、地元のプロモーターが負担することになっていると説明したのです。

しかし、彼は、税務官の説得に失敗し、ブライアンに電話してすぐに出国するよう提案しました。ブライアンは、同意しましたが、プロモーターである会社からのギャラの支払いを待っていたのです。しかし、いくら待っても誰も来ませんでした。つまり、ビートルズは、ギャラの支払いを拒否された上に、支払義務のない税金までふんだくられたのです。

 

5 四面楚歌

(1)ルームサービスも来ない

The Beatles Live in Manila July 4 1966 - YouTube

ビートルズは、眠りから覚めると、ルームサービスに朝食を注文しました。ところが、いつまで待っても届かないので、ロードマネージャーのマルにどうなっているのか様子を見に行かせました。彼がフロントに行ってみると、マニラホテルの従業員は誰もいませんでした。しばらくしてフロントに従業員が現れましたが、彼は「ビートルズのルームサービスはもうない。」と不機嫌そうに告げたのです。ホテルの従業員まで敵に回っていました。

フィリピンの人気テレビ番組の司会者ボビーは、マニラ・タイムズ紙の一面に、マニラのビートルズを取り上げた複数回に亘る連載をしていました。その日の朝、彼はマニラホテルのスイート402号室に案内され、テレビの前に座っていたブライアン、ジョージ、ポールに急遽インタヴューを行いました。

ポールは、その場を取り繕っていい人を演じていました。「誰も怒らせたくないし、特にこの国に来たのはただ歌いたかったからなんだ。」ジョージは、もっと不機嫌になっていました。「ここに来たいとも思わなかった。」ポールは、如才なく切り抜けましたが、ジョージは、ホンネを包み隠さずそのままぶつけてしまいました(^_^;)

(2)ついポールもホンネを口にした

Concert in Manila (Philippines) | Beatles Archive

ポールは、フィリピンでは政府が報道機関をコントロールしているのかと尋ねました。すると、インタヴュアーは、報道は自由だが、国民は憤慨していると応えました。ポールは、乱雑に置かれた地方紙を指差した。新聞の見出しには『無礼だ、無礼だ!』と書かれており、ポールが小声で「ああ...誤解だ!」とつぶやきました。

前日の朝、ホテルに到着したジョン、ジョージ、リンゴが寝ている間に、ポールは、マニラを散策していました。彼は、オフィスビルを挟んでホームレスが路上で寝ているのを見ました。彼は、見たものを写真に撮りました。

そして、ポールは、フィリピンの抱えている社会的不平等、そして人々がいかに富と権力とボートと宮殿を持つ少数者によって搾取されているかについて話し始めたのです。ビートルズは、「インタヴューでは政治と宗教の話はするな。」とブライアンから固く口止めされていたんですが、彼もつい自分が見た光景をそのまま口にしてしまいました。

彼の話は、インタヴュアーによって遮られましたが、彼は、ビートルズが宮殿でのレセプションを別の時間にセッティングすることに同意していたので、おそらく人々は彼らに対してそんなに怒っていないだろうと話しました。このインタヴュアーもずいぶんいい加減ですね。もうその頃には、新聞に書きたてられていたように、国民の怒りがビートルズに対して向けられていたんですよ?

 

6 ミッション・インポッシブル

Concert in Manila (Philippines) | Beatles Archive

(1)どうやって国外へ脱出するか?

ポールは、焦りました。「そもそも僕らはあそこにいるべきじゃなかった。僕らは、あそこで何をすればよかったの?来ましたよ!遅れてごめんなさい。自分たちのせいじゃないのに、何で謝らなきゃいけないの?」ポールは、政府から正式な招待を受けていなかったと主張した後、「あなたは、何をすべきだったかって聞かれたらどう応える?」と尋ねました。ポールがこんな発言をするのは珍しいのですが、たまたまフィリピンの街を訪れて一部の人々に富と権力が集中している光景を目の当たりにし、疑問を抱いたことが脳裏にあったのでしょう。

それに対してインタヴュアーは、ファーストレディからの招待状は「すべての人々を代表する人からの招待状に等しい。」と応えたのです。この応えが、民主的に選ばれた大統領とは言ってもそれは名ばかりで、実質は専制君主と変わらないことを図らずも物語っていました。

そこで、ジョンが部屋に入ってきました。彼は、インタヴュアーにこう語りました。「フィリピンについて学ぶべきことがいくつかある。まず、ここからどうやって脱出するかだ。」ビートルズに危機が迫っていました。何とかしてここを脱出しなければなりません。正に「ミッション・インポッシブル」です。

(2)周囲は敵だらけ

マニラホテルの近くの涼しい場所で待っている熱烈なファンの群衆がいました。彼らは間違いなく、ビートルズのスイートルームから60個の荷物を降ろし、車に積み込もうとする瞬間に彼らに飛びついたに違いありません。ビートルズを守るはずのホテルのボーイやポーターは姿を消していました。バロウは、荷物を運搬する車の運転手を「マニラにいた最後の我々に忠実な人だった。」と称賛しました。彼だけは、何とかビートルズを守ってくれたのです。

ブライアンは、彼らが登場する予定のニューデリー行きのKLMオランダ航空862便が、彼らを搭乗させないまま離陸してしまうのではないかと懸念していました。彼は、KLMのオフィスに電話をかけ、スカイフォンでパイロットと直接話したいと頼みました。彼は、パイロットにフィリピンで自分たちを置き去りにしないでくれと懇願したのです。パイロットは、ビートルズをできる限り待つと約束しました。ここで国外へ脱出できなかったら、どんな目に遭わされるか分からない緊迫した状況でした。

 

(参照文献)Esquire

(続く)

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