1 フィリピン全体が敵に回った
ジョンは、マニラ国際空港までの不気味な道中について語っています。「空港までの道中、手を振っている人たちもいたけど、何人かの老人が僕らにブーイングしているのも見えた。」もはや、フィリピン全体がビートルズに敵意をむき出しにしていたのです。
デイリーミラー紙は、空港総支配人が、ビートルズのための特別なセキュリティの手配はないと語ったと報道しました。「彼らは、当然の報いを受けるだろう」と空港長は警告しました。ビートルズが空港に到着したとき、エスカレーターの電源は切られていました。そのため、彼らは、大変な苦労をして重い機材を運びました。
何人かの十代のファンがビートルズを見送るために待っていましたが、彼らは、不特定多数の反ビートルズの暴徒によって圧倒されていました。「ビートルズは帰れ!」と暴徒が叫んだのに対し、ファンは、泣きそうになりながら叫び返しました。自分達にも身の危険があるかもしれないのに、健気にも空港でビートルズを見送ってくれたファンもいたんですね。
この反ビートルズの暴徒は、何者だったのでしょう?リンゴは、「たぶん税関の職員だと思う。なぜなら、全員が同じ服を着て銃を持っていたからだ。」と語り、ニールは、彼らがアロハを着ていたことを覚えていました。これは、フィリピンの政治家の多数派のトレードマークとなっていました。おそらく、大統領の命令で駆り出されたのでしょう。自分たちのメンツを保つために部下を駆り出して脅すなんて、なんと卑劣なやり方なのでしょう💢
2 マニラ国際空港で暴徒に襲撃された
ビートルズがマニラ国際空港に入ると、彼らに危害を加えようとする者たちが、税関・入国審査場の各出口と、一般の乗客が通過しなければならない検疫場に配置されていました。暴徒は、空港のあらゆる場所で一行の後をつけていました。
ポールは、「僕らは、ラウンジの隅から隅まで追い回されていた。」と回想しています。ビートルズ以外の全員が一丸となって全力で彼らを守りました。ブライアンは、何者かに蹴られて倒れ、足首を捻挫したようです。また、彼は、顔面にパンチを受けました。マルは、肋骨を蹴られ、飛行機に乗る頃には血まみれになっていました。ビートルズに暴行を奮う、しかも、それが政府関係者だなんてこんなことは、後にも先にもこの時だけです💢もう滅茶苦茶ですよ😡
ジョンは、群衆の中の誰かが、ビートルズが普通の乗客と同じように扱われていると叫ぶのを聞きました。彼は、不審に思って反応しました。「普通の乗客だって?蹴られたりしないよね?」リンゴ、ジョージとジョンたちが暴行されそうになったのは、入国審査場を通過する直前でした。ポールは、すでに他の誰よりも先に飛行機に駆け込んでいました。
「誰も大ケガをしなかったのは確かだが、それは反撃しなかったからだ」とニール・アスピナルは語りました。「もし、反撃していたら、最悪の事態になっていたかもしれない。これまでにこんなことはなかったし、それ以来こんなことは起きていない。」最初にして最後の地獄のような体験でした。
多勢に無勢でしたからね💦ヘタに反撃していたら、殺されたかもしれません。スタッフのヴィック・ルイスは「銃弾が当たっても大丈夫だろうと思いながら、手を背中に当てて滑走路を走ったのを覚えている...まるで戦場のようだった。」と語りました。
3 不気味な呼び出し
一行は、どうにかこうにか飛行機に乗り込み、ホッとして離陸を待っていました。しかし、そんな彼らに向けて不気味なメッセージが機内に流されました。「トニー・バロウ様とマルコム・エヴァンス様は、空港ビルにお戻り下さい。」
何と飛行機を降りて、空港ビルまで戻れというのです。彼らは、自分たちにどんな運命が待ち構えているか分からない不安を抱えたまま席を立ちました。「リル(彼の妻)に愛していると伝えてくれ。」とマルは、他のメンバーに半ば遺言のように言い残しましたが、冗談のつもりだったのかもしれません。
バロウとマルだけが呼び出されたのは、ビートルズが到着した時に通常の入国手続きをしていなかったため、彼らの書類がまだ処理されていなかったという理由です。マルコス大統領がその気になれば、そこで身柄を拘束していたかもしれません。
しかし、そんな彼らに救いの手が差し伸べられました。イメルダ夫人の弟が騒ぎを聞いて空港に駆け付け、若いチンピラの一人と対峙し、ビートルズを解放しろと命じました。彼は、最初は耳を貸しませんでしたが、誰かが大統領の義理の弟だと伝えた途端に態度を翻して畏敬の念を表しました。彼がいなければ、ビートルズが無事に出国できたかどうか分かりません。マルコス一族の中にもまともな人はいたんですね。
4 ルイスがブライアンにマジギレした!
マルたちを待つビートルズの一行は、生きた心地がしませんでした。ブライアンは、ケガをして出血していました。
そこへ、ルイスがやってやって来ました。彼は、「ブライアンは、ギャラの50%近くを受け取ったのか?」と聞きました。それを聞いたブライアンは、ルイスに怒鳴りました。「それしか考えられないのか、ヴィック?こんな時に金のことしか考えられないのか?」ルイスも気が立っていたんでしょう💦ブライアンがこんな最中でもギャラをしっかり受け取ったと勘違いしたようです。
ルイスはルイスで「こんなことになったのも全てブライアンのせいだ。オレは、現場の手配を担当していたが、レセプションの招待を断ったのはブライアンだ。」と思っていました。彼は、「殺してやる!」と叫んでブライアンに掴みかかりました。周囲の人間は、慌てて二人を引き離しました。
この一件以来、ルイスとブライアンは、ほとんど口をきかなくなりましが、それから約1年ほど後に、ブライアンの後任としてNEMSエンタープライズの社長になったのはルイスでした。彼は、89歳で亡くなる2年前の2007年、エリザベス女王から彼のためだけに特別に作られた「ミスター・ブライアン・エプスタイン」の称号を授与されました。
少なくともこの事件に関しては、ブライアンの責任は重いでしょう。フィリピンの政治情勢について領事館に事前に問い合わせるなど、十分調査もしないままコンサートの開催を決めてしまい、ホテルの予約なども現地のプロモーター任せにしていました。ビートルズのプライドを守ることに固執し、完全にアウェイにいるということを忘れていたのです。まさか、死ぬほど恐ろしい目に遭うとは誰も予想できなかったでしょうが。
5 無事に出国できた
The Beatles return from the Philippines
上の動画は、帰国後にインタヴューに応じるビートルズです。午後4時45分、ビルから無事に戻ってきたマルとバロウを乗せて、ビートルズはマニラ国際空港の滑走路から離陸しました。その瞬間、機内で拍手喝采が起こりました。ジョージは、こう語っています。「あの場所に戻る唯一の方法は、あそこに汚い大きな爆弾を落とすことだ。マルコス大統領は、僕らを殺そうとしたんだよ。」
ブライアンは、離陸するとすぐに嘔吐し始め、インドのニューデリーに着陸した後も、熱を出していました。インターコンチネンタル・ホテルの部屋で病床に臥している間、ビートルズは、ブライアンが翌年のワールド・ツアーをスケジュールに入れていたことに不安を感じていました。彼らは、次のアメリカ・ツアーが目の前に迫っていることにも恐れを覚えていました。「アメリカに行ってボコボコにされる前に、数週間の療養が必要だ。」とジョージは語りました。
60年代でしたからね。セキュリティなんてあってないようなものでした。今のような厳重な警備体制が敷かれるようになったのは70年代に入ってからでしょう。ジョンは、後にマニラ空港での光景を回想しました。「僕は、蹴られなかった。僕は、とても繊細で、彼らが僕に触れるたびに体をかわしていたんだ。蹴られてないと思うよ!」必ずしも運動神経の良くなかったジョンでしたが、この時は奇跡的にケガをせずに済んだようです。
6 ビートルズが出国してからのフィリピン
2003年、プロモーターだったラモスJr.は、ビートルズがマラカニアン宮殿に行くことを拒否したのは、タダで演奏することを強要されると思ったからだと述べ、1966年7月4日の朝、彼らが見たテレビのシーンでは、マイクとアンプが並べられたステージが垣間見えたと語っています。おそらくビートルズが予想した通り、マルコス大統領夫妻とその招待客の前でノーギャラで演奏させられていたでしょう。
マニラ市は、ビートルズのレコードの販売や演奏を禁止する命令を出しました。報道の自由もなく、少しでもビートルズを擁護するジャーナリストは迫害され、国外に脱出した人もいました。政府の意向に逆らったとして閉鎖されたラジオ局もありました。民主的に選挙で選出された大統領だったのに、実際には専制君主と変わらなかったわけですね。
それからちょうど20年後の1986年、マルコス大統領の部下の兵士が政敵であるベニグノ・アキノをマニラ空港で暗殺したことをきっかけに「エドゥサ革命」が起こり、マルコス大統領夫妻は、アメリカの支援でハワイに亡命を余儀なくされました。ビートルズを酷い目に遭わせたマルコス大統領は、辛うじて生き長らえたものの、二度と祖国に戻ることは出来ませんでした(イメルダは91年に帰国しました。)これも「因果応報」というやつでしょうか。
いささか論理が飛躍していますが、この事件もビートルズが解散する遠因の一つ、つまり、コンサートを中止する動機の一つになったと考えられます。もちろん、直接解散の原因となったわけではありませんが、ビートルズにツアーはもう嫌だという気持ちをより強めさせる結果になりました。
彼らがコンサートをすべて中止してスタジオでのレコーディングに集中するようになった結果、ファンとの距離が離れ、メンバー同士のギスギスした関係が生まれることになったのです。そういう意味では、直接の原因ではないものの、遠因となったとはいえるでしょう。
さて、長かったフィリピン・シリーズもこれで終わりです。次は…そう、ファンの皆さんがよくご存じのあのお話です。
(参照文献)Esquire
(続く)
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(参照文献)Esuquire
(続く)