★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ツアーはもう二度とごめんだ(288)

When John Lennon's 'Jesus' Controversy Turned Ugly - Rolling Stone

1 渋々謝罪声明を公表した

(1)ジョンはなかなか応じなかった


Brian Epstein in Americana Hotel August 6. 1966 N.Y.C.

頑固なビートルを説得することができず、謝罪文を記録することもできず、マネージャーのブライアン・エプスタインは、自ら厄介な仕事を引き受けることを余儀なくされました。彼は、8月6日にニューヨークのアメリカーナホテルで記者会見を開き、世界中の熱心な報道陣を招待しました。いつも紳士的な彼は、飲み物とオードブルが提供されるまで待って、ジョンが不本意ながらも承諾した声明文を読み上げました。

ジョン・レノンが3か月以上前にロンドンのコラムニストに対して行った発言は、完全に文脈から外れた形で引用され、誤解されています。」という出だしで始まりました。「彼の発言の意味は、過去50年間でイングランドの教会すなわちキリスト教は、人々の関心の低下に苦しんでいたということでした。彼は、ビートルズの名声を自慢するつもりはありませんでした。彼は、ビートルズの影響が、若い世代の特定の人たちに、よりストレートに伝わるものだと言いたかったのです。」

(2)ブライアンが謝罪声明を公表

ブライアンがこの文章を作るのに苦心惨憺した跡が滲み出ていますね。何度も推敲を重ねて書き直したのでしょう。彼は、プロモーターに対し、この騒動を受けてツアーをキャンセルする可能性があることを示唆しました。予想通り、誰もキャンセルには応じませんでした。そんなことをされたら、プロモーターの側も大損ですから当然でしょうね。

発言したこと自体は事実ですから、今さら取り消すことはできません。しかし、ジョンは、決してキリスト教を冒涜するつもりはなく、ただ、キリスト教に対する人々の関心が薄れていることと、その問題について聖職者たちが頭を悩ませていた事実を指摘しただけだ。ビートルズは、特定の若者に人気があるようにみえるということを言いたかっただけだという主張ですね。

 

2 ツアーは予定通り開催された

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(1)記者会見を開くことに同意した

ビートルズは、予定通り8月11日にロンドンを出発し、シカゴでのツアーを開始しました。しかし、焚書はまだ続き、状況が不安定なままだったため、ジョン自身が記者会見を開かなければならないことが明らかになりました。

「ジョンは、謝罪せざるを得なかった。」とアンソロジーの中でリンゴは回想しています。「彼の発言が原因というよりも、僕たちの命を救うために~彼だけではなく、バンド全体に非常に深刻な脅迫がたくさん送られていたからね。」

バンドの一行がシカゴのアスタータワーズホテルに到着した後、記者会見が開かれました。ブライアンと広報担当のバロウは、ジョンをテーブルの脇に連れて行き、状況の深刻さを理解させようといました。「我々は、彼がまたおかしなことにしようとしているのではないかと神経質になっていた。」とバロウは後にフィリップ・ノーマンに語っています。

彼らは、心配する必要はありませんでした。ツアーと自分の生命の両方が懸かっているという現実に直面し、ジョンはついに謝罪しました。「彼は、実際に両手に頭を抱えて泣いていた。」とバロウは語っています。「彼は言っていた。『もし、僕が言ったことが原因でこのツアーが中止になったら、僕は、どうやって他の人たちと向き合えばいいのだろう?』」

(2)ジョンは怯えていた

糾弾された男のように俯いたジョンは、しばらくしてバロウに連れられ27階のスイートルームに入り、世界中の新聞記者30人と対面しました。「(アメリカでは)事態が真剣に受け止めてられているから、殺されると思って話したくなかった。」と彼は後に話しました。「僕を撃ったところで大したことではないと彼らは考えるだろう。だから、僕は、行きたくなかったんだけど、ブライアンやポール、他のビートルたちが僕を説得してくれたんだ。怖くて怖くてたまらなかった。」

大胆な発言や皮肉っぽいものの言い方で誤解されがちですが、4人の中で一番繊細な神経を持っていたのはジョンだったのです。アメリカでは一般の市民が銃を持っていて、彼らがその気になりさえすれば、いつでも彼らを射殺することができました。大統領が暗殺されたのはつい数年前のことですからね。

これは、KKKの一員がビートルズのコンサートを全力で阻止するとインタヴューで応えているところです。恐ろしいですね💦

 

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3 ついに記者会見を開いた

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(1)強気に語り始めたが

アメリカに到着したビートルズは、飛行機を降りてすぐに記者会見を行うことに合意していました。ジョンは、いつものように生意気な態度で、「もし、僕が『テレビはイエスよりも人気がある』と言っていたら、それで非難されることもなかったかもしれない!」と、三つの主要なニュースカメラが彼と彼のバンドメンバーを撮影している間に、こういったジョークで口を開きました。何人かの記者が笑いましたが、とてもそんなジョークが通じるような雰囲気ではありませんでした。

これも結構危ない発言ですけどね💦取りようによっては、ふざけていると思われかねませんが、ジョンは、心が折れそうになる自分を奮い立たせるために、虚勢を張ったのかもしれません。

恐怖心を押し殺し、ジョンは、ホテルのスイートルームで30人のジャーナリストの前に座り、心からの謝罪を伝えました。「ジョンがあんなに緊張しているのを見たことがなかった。」とポールは、後に語っています。「彼は、自分の発言の深刻さに気付いていた。」

(2)自分の言葉で謝罪した

事前に書かれた原稿の準備もなく、ジョンは、記者たちにはっきりと話し、自分のできる最善の方法で自分の発言について説明しました。「僕は、反神でも反キリストでも反宗教でもありません。僕は、そういったものを否定したわけではないんです。僕たちが優れていると言ったわけではないし、人としてのイエス・キリストと僕たちを比較しているわけでも、存在としての神と比較しているわけでもありません。たまたま友人と話していて、僕は『ビートルズ』という言葉を、他の人が僕たちを見ているような『ビートルズ』という遠い存在のものとして使ったんです。ビートルズは、イエスを含めて何よりも若者に影響を与えているというのは不適切な言い方でした。」

「元々僕は、イギリスの事情について事実を指摘されていましたが…僕たちは、イエスがしたことや当時の宗教よりも、若者たちにもっと大きな意味を持っていたんです。批判したわけでも、貶めたわけでもありません。」ジョンは、ティーンエイジャーが彼の言葉に悪影響を受けてイエスよりビートルズの方が好きだと言っていることをジャーナリストに指摘されると、こう応えました。「僕は、ただ自分が思ったことを言っただけで、それが間違っていたか、間違って取られてたか、どちらにしても今はこんなことになってしまいました。」

疲れ果てたジョンは、こう語って記者会見を終えました。「僕は、他人が言っていることを引用したのではなく、自分の言葉で言ってしまって申し訳ありません。僕は、決してお粗末な反宗教的なことを言ったつもりはなかったんです。これで満足してもらえるなら謝ります。自分が何をしたのか、まだよく分かっていません。何をしたのかを伝えようとしたけど、謝罪して欲しいなら、それで満足してもらえれるなら、それでいいです。ごめんなさい。」

(3)ようやく騒動は収まった

この謝罪は、インパクトを与えましたが、メンフィス、デトロイト、テキサスでは特に不穏な群衆がバンドを迎え入れたため、態度を硬化させていた批評家たちの意見を覆すには十分ではありませんでした。確かに、取材している側からすれば、平身低頭で謝罪すると思っていたところが、まだ何とか言い訳しようとしているという風に取られたかもしれません。しかし、彼らが満足したかどうかは別として、ジョンがはっきりと謝罪したことで、ようやくこの騒動も沈静化に向かうことになりました。

 

4 ツアーはもう二度とごめんだ

(1)ツアーに疲れた

ジョンにとってこの経験は、一日を終えるのに十分なものでした。「僕は、二度とツアーをしたくなかった。ただ軽率な発言をしただけだったのに、イエスを磔にしたと非難され、会場の外にはKKKがいて、中では爆竹が鳴り響いていた。これ以上は耐えられなかった。」

この事件でビートルズは、ツアーに明け暮れる日々が終わったことを悟ったのです。彼らは、フィリピンからアメリカと連続して酷い目に遭ったことで、ツアーがいかに自分たちの心身を削っているかに気付き、ついにそれを止めることにしました。

(2)メンバーの固い絆が失われた

もちろん、ツアーを止めたことそのものが、解散の直接の原因となったわけではありません。しかし、彼らがツアーという束縛から解放されて自由になったことが、彼ら一人一人の活動を活発にさせ、必ずしもビートルズという枠の中で活動しなければならないというというわけではないということを気づかせたのです。

それは、内向きだった彼らの目を外の世界へ向けさせることになり、アイドルからアーティストへと大変身させるきっかけともなりましたが、その一方では解散への静かなうねりが起きたことは間違いないでしょう。

 

(参照文献)ローリングストーン、ファーアウト

(続く)

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