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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズを支えた名マネージャー、ブライアン・エプスタインの死(299)

If The Beatles manager Brian Epstein had lived, would The Beatles still  have broken up when they did? - Quora

1 解散の原因に挙げない人はいない

(1)多くの原因が挙げられるが

Top director to shoot biopic about Beatles manager Brian Epstein | Film |  The Guardian

これまでビートルズ解散の原因について色々と考察してきました。解散から50年がたった2020年現在においても、世界中で解散の原因を巡って様々な議論が交わされ続けています。

しかし、下積み時代のビートルズの才能を見出し、献身的に貢献して彼らをスターダムに押し上げた最大の功労者である名マネージャー、ブライアン・エプスタインが、32歳という若さで突然の死を迎えたことが大きな原因の一つであるとするのは、衆目の一致するところでしょう。

もちろん、彼の死が解散の直接の原因となったわけではありません。彼の死後もビートルズは活動を続け、次々とシングル、アルバムをリリースして成功させたのですから。若きビートルたちもスーパースターとなって、ブライアンが彼らをコントロールできる余地は少なくなっていました。

それでも、彼は、樽のタガのようにビートルズを束ねていたのです。そのタガが突然なくなってしまったのですから、ビートルズの解散へ向かう流れが加速したことは間違いありません。

 

(2)ビートルズを襲った度重なる不幸

ビートルズは、スーパースターとなってからも順調に活動を続けていましたが、1966年に入ると次から次へと不幸に襲われました。

8月に行ったフィリピンツアーで、当時のマルコス大統領夫妻の歓迎レセプションへの招待を断ったために、フィリピン国民全体を敵に回すことになってしまい、死の恐怖にさらされ命からがらイギリスへ帰国しました。同月に行ったアメリカツアーでは、ジョンのキリスト発言が問題視され、ビートルズ排斥運動にまで発展し、記者会見で謝罪する羽目になりました。

ツアーは巨大化し、何万人もの観客は、彼らの演奏に全く耳を傾けずただただ絶叫するばかりで、彼らもいい加減ウンザリしていました。トラブルが続き、過酷なスケジュールに心身共に疲れ果てた彼らは、とうとうツアーを止めてしまいました。ツアーから解放された彼らは、それぞれ単独で自由に行動するようになりました。

(3)アルバム「Sgt. Pepper's~」のリリース

ツアーから解放されたことは、彼らにとっては良い休養であり、充電期間となったといえます。しっかりとエネルギーを蓄えて、次の新作アルバムの制作に取り込むことができました。それがあのポピュラー音楽界に革命をもたらした「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」です。

1967年6月1日にこのアルバムがリリースされると、記録的な売上げとなり商業的に大成功しただけではなく、その芸術性の高さも評価されました。それまで彼らに批判的だった大人たちも、彼らをアーティストとして認めざるを得なくなったのです。

このように不幸続きだった1966年が明けて、1967年は順風満帆なスタートを切りました。しかし、そんな彼らをまたしてもとてつもない不幸が襲うことになるとは、誰も夢にも思いませんでした。

 

2 不幸は突然訪れた

(1)何の前触れもなかった

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ピーター・ブラウン(中央の人物)

1967年8月27日の夜遅く、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインは、ロンドンのチャペルストリートの自宅で死亡しているところを発見されました。

ブライアンは、アシスタントのピーター・ブラウンとNEMSのジェフリー・エリス最高経営責任者を招待し、イースサセックス州ウォーブルトンにある彼の家、キングスレーヒルで銀行休日の週末を過ごしました。当時、ビートルズは、マハリシ・マヘシュ・ヨーギーと一緒に北ウェールズのバンガーにいました。

ブライアンは、もう一人のアシスタントであるジョアン・ニューフィールドに、共通の友人であるスコットランドの歌手ルルを連れてくるように頼みました。しかし、二人とも先約があったため、彼の申し出を断りました。それでも彼は、8月25日の午後、元気にロンドンの自宅を出発し、その後サセックスでブラウンとエリスと合流しました。

ブライアンが一緒にパーティーをやりたいと思っていたビートルたちは現れませんでした。彼は、頻繁に会っていた2人の友人と長い祝祭日を過ごさなければならないことにがっかりし、夕食後、かなりの量の酒を飲んだ後、ベントレーのオープンカーでロンドンに戻ることにしました。

(2)ビートルズとはすれ違いになった

彼が退出して間もなく、ロンドンのタクシーがキングスレー・ヒルに到着し、その中にはエプスタインが招待したビートルズも含まれていました。ホストが出て行ったことに驚きながらも、彼らはその家に泊まり、ブラウンとエリスと一緒にパーティーを開きました。

8月26日の昼食後、ブラウンは、ブライアンに電話をかけました。彼は、こう語っています。「ブライアンは、午後遅くに電話をかけてきたのだが、ろれつが回らない声で話していた。彼は、パーティーに戻ってこなかったことを謝罪し、もしかしたら私たちに心配をかけてしまったかもしれないと話していた。彼は、ロンドンに戻る途中でウエストエンドに寄ってから自宅に帰ったんじゃないかな?」

「私は、彼にこちらに戻ってくるように促した。しかし、彼は、かなり酔っていたようなので、自分で運転して戻ることはできなかった。それで、私は、彼に電車に乗ってくるよう勧めた。彼にとっては考えられないことだったが、その時はそれしか思いつかなかった。」*1

マネージャーといえどもブライアンのことはイギリス中の誰もが知っていますから、彼が電車などの公共交通機関に乗ったりしたらファンにもみくちゃにされていたでしょう。

 

3 二日前までは元気だったのに

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ジョアン・ニューフィールド(左の女性)

ブライアンのスペイン人の執事であるアントニオと妻のマリアは、金曜日の帰りが遅くなったときに彼らの主人に会いましたが、翌日の土曜日になっても何のr連絡もありませんでした。

彼らは心配になり、ブラウンとエリスに連絡を取ろうとしたのですが取れず、ジョアン・ニューフィールドに連絡しました。彼女は、彼に対しては心配しなくても大丈夫だと言ったものの、自分は心配になって、午後の早い時間にチャペル・ストリートに様子を見にいくことにしました。

ニューフィールドは、こう語っています。「日曜日だったので出歩く人もまばらで、あっという間に街を通り過ぎた。私は、チャペル・ストリートに着き、ブライアンの家のドアをノックした。脱衣所に通じる二重のドアと寝室に通じる一重のドアがあり、廊下とブライアンの部屋の間にはかなりの距離があった。」

「私は、ドアをノックして彼の名前を呼んだ。『ドアまで来て返事をして下さい。そこにいるんですか?』それから自分の部屋に行って、インターホンを押してみたけど返事がなかったの…。」

「私は、一人で行くのは嫌だと思っていた。アントニオとマリアは英語があまり話せないし、とてもシャイなカップルだったから、私は、身近な人でサポートしてくれる人が必要だったの。それで、ピーターに電話してコーワン先生がいないことを伝えると、ピーターは、彼の主治医のジョン・ゴールウェイに電話するように言ったの。私は、彼に電話してブライアンのことが心配だと伝え、家に来てくれるように頼んだら来てくれた。その間に他の人にも何人か電話したんだけど、誰とも連絡がつかなかった。アリステア・テイラー(ブライアンのアシスタント)がつかまったので、家に来てくれるように頼んだの。」

「そこにゴールウェイが来たから、一緒にブライアンの部屋のドアの外まで行った。アントニオとゴールウェイがドアを壊した。私は、その間にピーターに電話して、つないだままにしていたと思う。彼らがドアを壊すのを見て、私はそこへ行った。」

「アントニオとゴールウェイが部屋の中にいたので、私は彼らの後を追って中に入った。マリアは、後ろに控えていた。カーテンが引かれ、ゴールウェイは、私の真正面にいた。ベッドの中のブライアンの身体の一部が見えただけで、私は、愕然としてしまった。何か本当にとんでもないことが起きたんだと思った。それから、彼は、私に『外で待っていなさい。』と言ったと思う。私は、ドアの外に立っていた。数分後、彼が出てきた。あんなに青ざめた顔をした医者は見たことがなかった。私たちは、全員顔面蒼白になって、ブライアンが死んだことを知ったの。」*2

その間、ブラウンは、電話口でずっと待っていました。ゴールウェイからエプスタインが亡くなったことを知らされたブラウンは、ブライトンに住んでいたエプスタインの友人で弁護士のデヴィッド・ジェイコブスに電話をかけました。その後、彼とエリスは、ロンドンに向けて出発しました。

ブライアンは、32歳という若さで、命に関わるような病気を抱えていたわけではありませんでした。金曜日には元気な姿を見せていたのに、二日後の日曜日に自宅のベッドで遺体となって発見されるなど誰も想像していませんでした。

 

(参照文献)ザ・ビートルズ・バイブル

(続く)

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*1:「ブライアン・エプスタイン物語」デボラ・ゲラー

*2:「ブライアン・エプスタイン物語」デボラ・ゲラー