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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズと薬物との出会い(289)

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ジョンとディラン

1 解散との関係

これまでビートルズの解散問題についてお話ししてきました。解散の直接的な原因というより遠因を探ってきたというところです。

今回もまたその流れのお話しになります。というのも、解散前にメンバー間のギスギスした関係が続いていたのですが、その一因として「ジョン・レノンの重度のヘロイン中毒」が挙げられるからです。

その頃の彼は、かなり重度のヘロイン中毒に陥っていて、それがビートルズにも暗い影を落としていたのです。それがなければ、あるいはもう少し解散が先になっていたかもしれません。ですから、遠因とはいえ、解散に与えた影響は、かなり大きかったと考えています。

そこで、今回は、ビートルズと薬物の関係についてお話しすることにしました。ビートルズの物語は、ドラッグと表裏一体の関係にあります。ベンゼドリンやプレルディンを使用していた初期の頃から、LSDのフラワーパワー時代、そして1960年代が終わるとよりハードなドラッグに手を出した彼らが、いつ何を服用したのかを大まかに時系列で紹介します。

2 最初の薬物はベンゼドリン(覚せい剤

(1)ジョンが初めて体験した

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ロイストン・エリス

ビートルズが初めてドラッグと出会ったのは、1960年6月のことでした。ジョンは、「私がまだ美術学校に通っていた頃、グループで初めて飲んだドラッグは、吸入器の中に入っていたベンゼドリンだった。」と語っています。ビートルズリヴァプールジャカランダ・コーヒー・バーで詩の朗読会をしていたある夜、イギリスのビート詩人のロイストン・エリスにこの薬を紹介されました。

ベンゼドリンは商品名で、薬物としての正式な名称は、メタンフェタミンあるいはアンフェタミン、いわゆる覚せい剤です。第二次世界大戦中は、世界中で兵士の恐怖感を抑え、士気を高めるためにこれを使用していました。日本では、戦後は民間に広く出回り、ヒロポンなどの商品名が付けられ普通に販売されていたのですが、その中毒性が問題になり1951年に法律で禁止されました。

 

(2)これは何だ!

Mostra immagine originale | Pills, Pill, Props

ジョンは、こう語っています。「エリスがベンゼトリン吸入器の箱を開けると、その中にベンゼドリンが入っていて、ダンボールの仕切りにそれが染み込んでいるのに気付いた。」覚せい剤がしみ込んだ段ボール片を噛むと、使用者に活力を与え、多幸感を与える効果がありました。ジョンは、こう回想しています。「誰もが『おお、これは何だ!』と思って、一晩中噛んでいた。」

容器からこぼれていた覚せい剤ダンボールに染み込んでいて、それをガムのように噛むと覚醒剤を摂取したことになります。アメリカでは1959年に一般使用が禁止され、処方箋でのみの服用が認められていました。それでも市中では結構出回っていて、ビート詩人たちは、盛んにこれを使用していました。

つまり、ジョンは、メンバーの中で一番早く薬物を使用したことになります。ビートルズが薬物を体験したのは、初めてのアメリカツアーでボブ・ディランからマリファナを教えてもらったのがきっかけだと思っていましたが、実は、それよりもっと先に経験していたんですね。

このエリスですが、ビートルズの「Paperback Writer」にインスピレーションを与えたと主張しています。 こういう手柄話は、本人の勝手な思い込みであることが多いのですが、この曲への彼の関与を裏付ける明確な証拠はありません。ただし、彼のガールフレンドのステファニーがジョンの「Polythene Pam」のヒントになったことは、ジョン自身が認めています。このことについては、また別稿でお話しします。 

3 ポールも体験した

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リチャード・アッシャー博士

ポールは、ジョンが体験した数年後にベンゼドリンを体験しました。1960年代半ばにロンドンで恋人のジェーン・アッシャーの家族と一緒に暮らしていたとき、彼女の父親で医師のリチャード・アッシャー博士は、吸入器からベンゼドリンを吸引する方法をポールに教えてくれました。

アッシャー博士は、イギリスの著名な内分泌学者および血液学者であり、「ミュンヒハウゼン症候群」の命名者として有名です。これは精神疾患の一種で、周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自傷行為を繰り返したりするのが典型的な症状です。

博士は、家族を驚かせるのが大好きでした。 ポールが酷い風邪をひいたとき、博士は、彼に鼻用吸入器の処方箋を書き、その使い方を教えました。

イギリスの作家バリー・マイルズは、この時の様子を自身の著書にこう記しています。「『容器の上の部分を外して、こんな風に小指の上に置くんだ。』と彼は実演して見せた。『それから鼻から吸って、それが終わったら、底のネジを外してベンゼドリンを経口摂取するんだ。』」

そう説明しながら、ピーターが神経質に足を動かしているのを見て、ポールは思わずニヤっと笑った。『リヴァプールで色んなものを学んだが、彼からそれを聞くのはかなり奇妙なことだった。』」

精神科の専門医ですから、ベンゼトリンの危険性も承知していたはずなのに、それをこともあろうに大事な娘の恋人に勧めるとはねえ~(^_^;)まあ、60年代というのは、それぐらい薬物については大らかな時代だったということです。

 

4 プレルディン(フェンメトラジン)

(1)ハンブルクで出会った

It's been a Hard Day's Hamburg - Independent.ie

ビートルズは、下積み時代にドイツのハンブルクへ巡業に行った際、そこで薬物を紹介されました。歓楽街のレーパーバーンにあった酔っぱらい相手のクラブで、長時間のパフォーマンスを乗り切るために、彼らはプレルディン(Preludin)、または「プレリ」と呼ばれるドイツ製の錠剤を勧められたのです。

このプレルディンというのも上記のベンゼトリンと同じく商品名で、薬物としてはフェンメトラジンといいます。これは、中枢神経系の刺激剤で、本来はダイエットのために食欲を抑制する薬剤ですが、多幸感や覚せい作用が得られることから、当時は、一般の市民でも使用していました。早い話が覚せい剤なんですが、1965年頃からヨーロッパ諸国で禁止されるようになるまでは、違法な薬物ではなかったんです。

ジョンはこう語っています。「ハンブルクでは、ウェイターは、常にプレルディンとその他に様々な錠剤を持っていた。私は、プレルディンがとてもハイな気分にさせくれたのを良く覚えている。彼らは、徹夜が当たり前の場所で、ミュージシャンたちに信じられないほど長時間労働をさせるために、そして、自分自身を覚醒させておくためにこれらの薬を服用していた。だから、ウェイターたちは、ミュージシャンが疲れや酒で倒れているのを見ると、錠剤を渡していたんだ。錠剤を飲んで、話して、酔いが覚めて、ほぼ無限に働くことができたんだよ。」

そりゃ、覚醒剤ですからハイな気分になるのは当然ですよ。それもビールと一緒に飲んでるんですからね。よく副作用を起こさなかったものだと思います。

ビートルズをバックバンドにして「マイ・ボニー」をヒットさせたトニー・シェリダンも1961年に、彼らに「これは目を覚ますためのものだ。」と錠剤を紹介したと言われています。クラブで演奏した他のグループも使用していましたが、多くのミュージシャンたちにとって覚せい剤は、長時間続くショーを乗り切るための普通の方法となったのです。

 

(2)普通に使用されていた

Hamburg Beat (@HamburgBeat) | Twitter

クラブのオーナーは、ミュージシャンがプレルディンなどを服用することを気にしていませんでした。一種の強壮剤のようなものだと考えていたのでしょう。この薬剤を飲むと喉が渇くので、飲んだミュージシャンはビールをがぶ飲みし、ステージ上でのパフォーマンスが良くなりました。今考えれば無茶苦茶ですけどね(^_^;)

リンゴは、こう語っています。「我々が薬物と出会ったのはここからだった。それが我々が長く演奏を続ける唯一の方法だったんだ。プレルディンと呼ばれていて、カウンターで買えた。罪悪感はなかったが、本当に興奮してしまい、何日も続けてしまった。ビールとプレルディンがあったから、それで生き延びてきたんだ。」

この頃はまだ違法な薬物ではなく、一種の強壮剤と思われていましたから、罪悪感はなかったのも当然でしょう。ハンブルグ時代のビートルズは、毎日朝から晩まで演奏を続けていました。プレルディンがなければ、とっくにぶっ倒れていたでしょう。アスリートがドーピングするようなものですね。

また、アーリー・ビートルズの写真を数多く撮影したカメラマンのアストリッド・キルヒャーは、母親の薬棚からプレルディンをこっそり取り出して彼らに与えていました。ハンブルクのクラブのスタッフは、少しでも演奏を長く続けさせるため、多くの薬物をグループに供給し続けました。

彼女は、こう回想しています。「元々は、ダイエットのための薬だったの。彼らは、ビールと一緒に飲んでいたわ。飲むと気分がハイになるの。だけど、今のスピードやコカインなどとは比べ物にならないわ。それらに比べたらベビーフードみたいなものよ。」

覚せい剤には違いなかったのですが、薬物としての作用はそれほど強くなかったんでしょうね。この頃の彼らの薬物の使用は、作曲のためのインスピレーションを得るというよりは、くたくたに疲れた精神と身体を元気づけるための強壮剤だったのです。

 

(参照文献)ビートルズ・バイブル、ザ・フリー・ディクショナリー、メディカル・リバプリック

(続く)

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