★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ボブ・ディランがマリファナを教えた(290)

60年代のボブ・ディラン 興味を起こさせるカラー写真46枚」を、さまざまなヴィンテージ写真を紹介しているサイトVintage  Everydayが特集紹介 | ボブ・ディラン, ボブディラン, ビートルズ 映画

1 薬物使用に慎重だったポール

(1)周囲はみんな使っていたが

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ビートルズは、ハンブルク巡業時代にプレルディンを覚えましたが、ドラマーのピート・ベストは、アルコールにこだわり、ポールは、あまり使用しなかったと言われています。特にジョンは、覚せい剤の常用者となりました。既にこの頃から、メンバーでも薬物への依存度が違っていたのは面白いですね。

ポールは、こう語っています。「スピード(麻薬の一種)は、最初にギャングたちが広めたんだ。思い返してみると、彼らは、おそらく30歳だったと思うが50歳に見えた...彼らは、これが入った小さなトレイをバンドに渡して、『これをやれ。』と言ったんだ。『バンバン、ヤア、乾杯!』すると一発で倒れるんだ。ちょっとした通過儀礼だ。こんなことをやってたんだよ。」

「彼らがオーナーだったからね。彼らは、我々をバカにしていたが、我々は、彼らと一緒に遊んでいた。我々は、あそこでは大きな顔はできなかったから、彼らの保護が必要だった。あそこではガス銃を所持しているヤツがいたり、殺人犯もいたりしたから、彼らの言う通りにしなくちゃいけなかったんだ。」

「彼らは、我々をからかっていた。我々の名前、ビートルズがドイツ語の『子どものおち⭐︎ちん』に似ていたからだ。『おい、『おち⭐︎ちんのヤツらだぜ!ハハハハ!』彼らは、そう言ってからかうことが好きだった。ドイツ人のユーモアの感覚を直接ぶつけてきたんだ。だから、我々は、それをジョークと受け止めてスピードを飲んでいた。彼らは、『これを飲めよ。』と言って錠剤を渡してきたんだ。」

「私は、ヤバいと知っていた。そういうものには、ちょっと興奮しすぎてしまうと感じていたんだ。最初の数回は大人しく従っていたが、最終的には座ってどんどんテンポを上げて、飲んで飲んで、どんどんペースが速くなっていった。ジョンが私の方を向いてこう言ったのを覚えている。『おい、キメてるかい?』私は『いいや。』と応えた。『でも、最高だろ?話を聞いて元気が出たぜ。』彼らは、プレリーの話をしていたのだが、私は、本当に一錠も要らないと決めていた。しかし、私も結局は使うことになった。」
「男たち、特にジョンは4、5錠飲んでいたが、夜間に完全に興奮してしまった。私がいつも感じていたのは、1錠飲んでも彼らと同じように興奮できると会話しながら感じていたことだ。だから、皆と同じように夜遅くまで起きていたけど、それは、プレリーの助けを借りずにだよ。」*1

 

(2)父親の言いつけに忠実だった

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右端の男性がジム・マッカートニー

ポールの父親のジムは、ハンブルク行きは許可してくれましたが、薬物にだけは手を出すなと忠告しました。ポールは、メンバーにしては珍しく親の言うことをよく聞いたので、彼の忠告を忠実に守っていました。もっとも、全然やらないと仲間外れにされてしまうので、時々は服用していたようです。

ジョンは、この頃から薬物にドップリ浸かっていましたが、ポールは、距離を置いていたんですね。二人の性格の違いがこの辺りにも表れていたような気がします。

睡眠薬に手を出す必要がないから良かったんだ。全部試したが、睡眠薬は好きじゃなかった。重すぎる睡眠だった。夜中に目が覚めて、水の入ったコップに手を伸ばして、ひっくり返してしまう。だから、当時のロックンローラーの他の連中よりは、少し分別があったと思うよ。リヴァプールで育ったこともあって、警戒心が強かったんだ。」*2

リヴァプール育ちは、ジョンも同じですけどね(^_^;)この頃の睡眠薬は作用が強力で、目が覚めてもフラついたりしました。一時に大量に服用すると、死に至る危険もあったんです。

 

2 薬物の助けを借りていた

(1)ハードデイズを乗り切る

Beatlemania begins: Sunday Night At The London Palladium – The Beatles Bible

ビートルズは、ハンブルクの巡業から帰ってきても刺激剤を飲み続けていました。薬物は、ツアー、レコーディング、公の場への出演、インタヴューなどの長い日々の中で彼らを支えていました。

ビートルマニアのピークの時は、薬物が彼らを煽り立たせ、その気分を変える特性は、世界中の多くのファンを誘惑し、喜ばせた高揚感を確立するために大いに役立ったのです。プレルディンは、すぐにデキシーズ、ブラックボンバー、パープルハート、その他のアンフェタミンに取って代わられました。

ただし、これは、あくまで60年代の話ですよ。今は薬物は厳禁ですからね!ダメですよ、絶対!

ジョンは、1980年にプレイボーイ誌にこう語っています。「まあ、初期の頃はね。そのうち、ローディーたちも使うようになった。オレたちは、ポケットの中に薬を入れていたんだ。トラブルに備えてね。」

ここで彼が言う「トラブル」とは、長時間のパフォーマンスで心身ともに疲れ果てて、ステージに立てなくなったような状態を指していたのだと思います。そんな時に錠剤を飲んで、興奮状態になることにより自らを奮い立たせていたのでしょう。

(2)大麻は大したことなかった?

メンバーの何人かは、1960年に初めてハンブルク巡業に行った後に、大麻を提供されました。しかし、彼らは、その効果に物足りなさを感じていました。ジョージは、こう語っています。

「最初に大麻をくれたのは、リヴァプールの別のグループの年配のドラマーだった。実際に試したのは、ハンブルクに行ってからだった。サウスポートでのギグの時に、楽屋で大麻を吸ったのを覚えていて、その夜に当時流行っていたツイスト(腰をひねって踊るダンス)をみんなで覚えたんだ。オレたちは、みんなでそれが効くかどうか試していた。みんな『これじゃ何の役にも立たない。』と言っていた。古いジョークのようのセリフみたいなもので、パーティーをしていて、二人のヒッピーが天井に浮かんでいて、一人がもう一人に言っていたよ。『これじゃ何の役にも立たない。』って。」*3

大麻があまり効かなかったというのは驚きですね。彼らが先に試していた覚せい剤の方が効き目が強かったんでしょうか。あるいは、大麻の品質が悪かったのかもしれません。2020年時点では、大麻を合法化した国もいくつかありますが、それは、もはや蔓延してしまって認めざるを得なくなったという事情があるようです。

キャヴァーン・クラブのDJだったボブ・ウーラーは、ビートルズが街の外で演奏を始めた頃は、時折ドラッグを使用していたと主張しています。彼は、こう語っています。「我々は、決して強いドラッグを使用していたわけじゃないんだ。元々はパープルハーツ、アンフェタミン、スピードとか何と呼ぼうが、ただのドラッグだった。ビートルズハンブルクから帰国した時、時々大麻を持ち帰っていて、リヴァプールでは徐々にドラッグが流行していったんだ。」*4

ウーラーの話が事実なら、当時、まだリヴァプールでは薬物はあまり流行しておらず、ビートルズなどハンブルクへ巡業に行った連中が持ち込んだことになります。当時の出入国管理もユルユルだったんでしょうね(^_^;)

1962年1月1日、デッカのオーディションに落選する前のことでした。リヴァプールからロンドンへ移動する際、ビートルズは吹雪の中、10時間のドライブに耐えました。ロンドンに到着すると、運転手のニール・アスピナルが道に迷ってしまいました。ロンドンは、街に敵が侵入しにくいよう道路を複雑に張り巡らしていました。今でもロンドンのタクシーの運転手は、複雑な道路を覚えることが必須条件となっています。

そこへ二人連れのみすぼらしい男たちが、大麻を吸うための安全な避難所としてグループのバンに乗り込もうとしたのです。もちろん、断っても良かったのですが、その頃のビートルズの地位も彼らと対して変わらなかったし、大雪だったから流石に可哀想だと同情したんでしょう。当時、まだ、表の社会ではほとんど使用されていない代物でした。

 

3 ボブ・ディランに教えられた

Profile In Style: Bob Dylan 1964 | Epochs Menswear

ボブ・ディランビートルズマリファナを教えたことはよく知られています。1964年8月28日、ニューヨークのデルモニコ・ホテルで、共通の友人である作家のアル・アロノウィッツの紹介で、ビートルズはディランと出会い、マリファナを教えられました。

その夜、ビートルズのスイートルームに到着したディランは、安いワインが好きだと表明しました。「申し訳ありませんが、この部屋にはシャンパンしかありません。」とブライアンは謝罪しましたが、他にも高価なフランスワインやスコッチ、コーク(コカインじゃなくてソフトドリンクの方です(^_^;))はありました。

ビートルズは、マルに安いワインを持ってくるよう頼みましたが、ディランは既に栓を開けたアルコールの瓶に手を出しました。また、ビートルズは、パープルハートというドラッグを差し出しましたが、ディランとアロノウィッツはこれを断り、逆にマリファナを吸うことを提案しました。この辺りのいきさつは、私のブログの「ビートルズの足跡を訪ねて~リヴァプールとロンドン一人旅日記~(その23)」をご覧ください。

部屋が確保された後、ディランは、最初のマリファナを巻いてジョンに渡しました。彼は、すぐにそれを彼が「僕の味見の師匠」と呼んでいたリンゴに渡しました。断るのはエチケットに反すると考えたリンゴは、勧められるままに吸い終えました。すると、ディランとアロノウィッツは、ジョンとリンゴのためにそれぞれ新しいマリファナを巻いてくれたのです。

ビートルズは、次の数時間を陽気に過ごし、ディランは、その様子を面白がって見守っていました。ブライアンは、こう言い続けました。「私は、とてもハイになって天井にいる。私は、天井の上に立っている。」

何とあの品行方正なブライアンまでがマリファナを吸ったとは驚きです💦

 

(続く)

 

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*1:「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ

*2:「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ

*3:ジョージ・ハリスン「アンソロジー

*4:ボブ・ウーラー「ザ・キャヴァーン」スペンサー・リー