★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズが手放したものはあまりに大きかった(306)

1 著作権の重要性を理解していなかった

(1)著作権は「金のなる木」

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著作権は、正に「金のなる木」であり、誰かがそれを使用すれば著作者が生きている限り、何もしなくても印税が支払われるのです。いつまでも演奏され続けるようなスタンダードナンバーをいくつか持っていれば、生涯金銭面で困ることはありません。

では、彼らとしてはどうすれば良かったのでしょうか?私は、ジェイムズに対して広報活動をしてくれた手数料を支払う契約を締結すれば良かったのだと思います。それを金額で決めるか、パーセンテージで決めるかは別として、例えば、テレビに出演させてくれたらいくら支払う、などといった形で報酬を支払っても良かったでしょう。いずれにしろ、著作権だけは絶対に手放すべきではなかったのです。

 

(2)何も知らなかった

致命的だったのは、ビートルズもブライアンも著作権の重要性をまったく理解していなかったことです。今なら素人でもその存在を知っていますが、60年代当初だとまだそれほどではなかったかもしれません。

しかし、ビートルズが他のアーティストの楽曲をカヴァーした時は、必ず印税を払っていたはずです。いや、メジャーデビュー前にクラブで演奏していた時は、払ってなかったかもしれませんね(^_^;)この頃は、ものすごく管理が甘かったですから。

いずれにしろ、彼らが著作権の存在自体を知らなかったことはありえません。ただ、メジャーデビューする前までは、殆ど他のアーティストの楽曲をカヴァーしていたため、もしかしたら、自分たちの楽曲に著作権があるという認識がなかったのかもしれません。ポールが後に語ったように、存在は知っていてもそれが「金のなる木」だとは思わなかったのでしょう。

当時、バディ・ホリーなどのシンガーソングライターはすでに活躍していたものの、そのスタイルが広く普及するようになったのは、ビートルズがブレイクしてからです。それまで歌手は、コンポーザーから楽曲を提供されていたのですが、ビートルズのブレイクをきっかけに、多くのミュージシャンが自分で作詞作曲を手掛けるようになりました。

 

2 会社設立を持ちかけた

(1)斬新なアイデア

ビートルズの成功が続くと、ディック・ジェイムズは、音楽出版業界としては前例のないアイデアを思いつきました。彼は、ブライアンに対し、ジョンとポールが将来性のある若くて素晴らしい才能を持つソングライターだと告げました。おそらくこの段階では、ジェイムズの方が、マーティンよりビートルズの才能を見抜いていたのではないかと思います。

マーティンは、EMIの子会社のパーロフォンレコードの一社員でしたから、彼らを音楽的に磨き上げることができても、商業的に成功させるのはまた別の問題でした。しかし、ジェイムズは、自分の音楽出版社を持ち、音楽業界に強い影響力を持っていることを利用して、ビートルズを大々的に売り出し、大きな収入を得られる可能性をかぎつけたのです。

(2)ポールは騙されたと主張

ジェイムズの主張によれば、彼は、二人をさらにバックアップしてやろうと思いました。それまで長年にわたって彼がやってきた伝統的な出版社とソングライターとの印税の配分を巡る関係を続けるより、むしろ、ジョンとポールがより高い報酬を得られるように別会社を設立することを提案したというのです。

しかし、この主張に対してポールは、異議を唱えています。彼は、ジョンと彼が自分たち自身の会社を設立できると思っていたというのです。彼は、彼らが得たものは、自分たちの会社でもなければ、自分たちに有利なものでもなかったと主張しています。残念ながら、ポールの主張の方が正しかったことが、やがて証明されることになります。

 

3 何を間違えたのか?

(1)言われるがままにサインした

「Please Please Me」の成功に続いて、ジェイムズは、彼とブライアンとでジョンとポールのオリジナルの作品を出版するために新たな会社、ノーザン・ソングス社を設立することを提案しました。1963年2月22日の朝、二人のソングライターは小さなリヴァプールのミューズハウスに連れて行かれ、そこで必要な契約に署名しました。

当時のイギリスの累進課税はエゲつなくて、高額所得者は、収入の90%を課税されました。ほとんど税金のために働いているようなものですね。そのことをジョージが「Taxman」で皮肉っていました。ですから、著作権を管理する法人を設立して、印税収入がそこに支払われるようにすること自体は、節税対策としては合理的な方法でした。

(2)何を間違えたのか?

成功した芸能人が自分の会社を設立するのは、日本の業界でもよくやることです。個人に課せられる税金より法人の方がずっと安いからです。

ただ、法人を設立したところまでは良かったのですが、その支配権をジェイムズ側に握られてしまったのが大失敗でした。印税収入をコンポーザーと音楽出版社で半々にすること自体は、当時としてはごく一般的な業界の習わしで、違法なものではありませんでした。ですが、その考えを持株比率に置き換えたのがそもそもの間違いで、ジェイムズ側の比率をもっと抑えておくべきだったのです。

さらに言えば、何もジェイムズに株を持たせる必要もなかったのです。ビートルズだけで株式を全部所有し、定款で株式を非公開にして他人に譲渡する場合は、他のメンバー全員の承諾が必要としておけばよかったのです。これなら自分たちの作品の権利が売買されることもありませんでした。ジェイムズが広報活動をしてくれた報酬は金銭で支払えば済む話で、何も著作権そのものを譲渡してしまう必要はなかったのです。

もっとも、こういったことは、後付けでいくらでも言えることであり、その当時、他の誰かがブライアンの立場であったら正しい行動が取れたか、というと難しかったでしょう💦おそらく、ほとんどの人がジェイムズの話に乗せられたのではないかと思います。

(3)ブライアンは責められない

「ブライアンは、音楽ビジネスについて全く無知だった。」というのが当時の関係者の証言です。当時の彼は、ビートルズのファーストシングルがチャート1位を取れなかったことでとても焦っていました。そして、それは楽曲のせいではなく、EMIのプロモートがなかったからだという思いが強かったのです。

そこで、彼がジェイムズに支援を求めたところ、テレビの人気番組にすぐに出演させてくれ、そのおかげもありセカンドシングルは大ヒットしました。こんな鮮やかな手際を見せられて、ジェイムズを信用するなという方が無理でしょう。

それに当時のミュージシャンの立場は弱く、レコード会社や音楽出版社には逆らえず、言われるがままにサインして後で泣きを見た人が一杯いたのも事実です。ミュージシャンの立場がちゃんと守られるようになったのは、60年代後半すなわちビートルズの失敗が教訓になってからではないでしょうか?

 

4 契約書に目を通さずサインした

ポールはこう語っています。「ブライアンは、弁護士タイプの男と一緒に家にいたが、我々に『彼は、あなたたちの弁護士であり、この契約に関してあなたたちの利益を代表している。』とは誰も言わなかった。我々は、ただ連れて行かれて、車を降りて、暗い小さな家に入った。そして、何であるかをまったく知らずに、我々が自分たちの曲の著作権を手放すと書かれた書面に署名した。そしてそれが契約になり、それは、現実に我々がまだ契約しているものなのだ。過酷だったよ!」

「ジョンと私は、人が楽曲を所有できるとは知らなかった。我々は、それはただ空中に浮かんでいるものだと思っていた。どうやったらそれを所有することができるのか分からなかった。我々は、家、ギター、車を所有しているなら、それらを見ることができる。それらは物理的な物体だ。しかし、物理的なものではない楽曲の著作権なんて、どうしたら所有できるのか分らなかった。だから、出版社は、大喜びで我々が来るのを向かえたんだ。」

「我々は、彼らに尋ねた。『僕らは、自分の会社を持つことができるの?』」彼らは『そうだよ。』と応えた。我々は、『僕ら自身の?』と尋ねた。彼らは、こう言った、『そうさ、君たちは会社を持てるんだよ。君たちは、素晴らしい。これが我々が今やろうとしていることさ。』だから、我々は、本当にその会社を100パーセント自分たちが所有していると思ったんだ。しかし、もちろん、そんなことはなくて、私とジョンとブライアンが49パーセント、ディック・ジェイムズとチャールズ・シルバーが51パーセントを所有していることが分ったんだ。」*1

(参照文献)レイ・コールマン「マッカートニー:イエスタデイ…アンド・トゥデイ」、ザ・ビートルズ・バイブル 

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*1:ポール・マッカートニー「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ