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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて~リヴァプールとロンドン一人旅日記~ (その18) 2枚目のアルバムをリリース(その1)

ビートルズ ポップス 洋楽

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ビートルズは、ファースト・アルバムPlease Please Me(プリーズ・プリーズ・ミー)」に続いて、1963年11月22日、2枚目のアルバムとなる「With The Beatles(ウィズ・ザ・ビートルズ)」をリリースし、彼らのイギリスにおけるポップ・アーティストとしての地位を確固たるものにしました。

 
 
このアルバムは、「プリーズ・プリーズ・ミー」の8ヵ月後、シングル「シー・ラヴズ・ユー」の3か月後、ビートルズが世界を征服したシングル「アイ・ウォント・ホールド・ユア・ハンド」がリリースされるちょうど7日前にリリースされました。アルバムの14曲のうちの7曲は、ジョン・レノンポール・マッカートニー、そして1曲はジョージ・ハリスンが書きました。オリジナルが8曲となりファースト・シングルより大分増えましたが、多くのオリジナル曲でこのアルバムを完成させたことにより、彼ら自身が十二分にシンガー・ソング・ライターとしての能力を有し、「プリーズ・プリーズ・ミー」が単なる一時的な成功でないということを世間に証明したのです。
 
 
ビートルズは、1963年に入るとオフが殆ど無くなり、セッション、コンサート、多数のラジオとテレビ出演、それ以外の公式のオファーをこなすハードスケジュールに追われていました。ビートルズに対する賞賛は、この頃にはもう音楽の世界で権威のある人々の間にまで広がっていました。イギリスの保守系高級紙「ザ・タイムズ」(日本でいえば朝日とか読売)の音楽評論家ウィリアム・マンは、同紙上で「What Songs The Beatles Sang」というエッセイを寄せ、「1963年の注目すべき作曲家」としてジョンとポールを挙げ、色々な曲を取り上げた中で、アルバムの中の「Not A Second Time」という曲について「マーラー交響曲の大作曲家)の『大地の歌』のようだ」と称賛しました。
 
 
「ハーモニーとメロディーの調和が取れ、エンディングには長調の7度の和音と9度の和音がしっかり組み込まれ、半音下がった低中音域の転換もアイオリス風の自然なメロディーとなっている。これは、マーラーの『大地の歌』のコード進行と同じだ。」意味分かりますか、これ?褒められて喜ぶかと思いきや、ジョンは相変わらず「評論家はやだね。何かと小難しい理屈をつけたがる。ただ、感じればいいだけなのに。『Not A Second Time』だって、別にそんな難しいコードを使ったわけじゃない。まあ、彼らが持ち上げてくれたおかげで、インテリ連中に受け入れてもらう分には役立ったけど。」と皮肉タップリに感想を述べています。
 
 
私もマンの評論を読みましたが、後半部分は専門用語がズラッと並べられていて、正直何を言ってるのかサッパリ分かりません(^^ゞまあ、私の英語力と音楽の知識のなさのせいもありますが。「Not A Second Time」のコードもG、Em、D7、Amとごく普通です。確かに、エンディングの余韻は、マーラーの「大地の歌」っぽい感じがしなくもありませんが、いくら何でもそりゃ強引すぎでしょうよ。作った本人のジョンですら「何のこっちゃ分からん」と言ってますから(笑)
 
 
ジョンは、こういう評論家をあざ笑うかのように、後期に入ると意味不明の歌詞をしばしば書くようになります。彼らがそれにああでもないこうでもないと理屈をつけるのがおかしくてしょうがなかったんでしょうね。まあ、しかし、いつの世でも若者文化を否定しがちな大人にしては、なかなか先見の明があったと私は思います。もう少し後で彼らは「アイドルからアーティストへ」華麗な変身を遂げるのですが、マンは、それを予言していたのかもしれません。映画007シリーズの第3作「ゴールドフィンガー」の中で、主演のジェームズ・ボンドすなわち、ショーン・コネリーが「世の中には常識ってもんがある。ビートルズを聴くときは、耳に栓をするってのもそうだ」なんてセリフがあったくらいですから。
 
 
ジョンとポールは、「With The Beatles」をレコーディングする頃には、オリジナルの楽曲のうち最高のものはもう使い果たしてしまっていました。しかし、新しいアルバムを制作しないと契約違反になりますから、どうしてもカヴァーで穴埋めせざるを得なくなりました。しかも、このアルバムに関しては、シングルは入れないという方針でしたから大変です。オリジナルの楽曲のうち「 I wanna be your man 」は珍しくリンゴがヴォーカルを担当しましたが、ビートルズは、9月10日にリハーサル中のローリング・ストーンズを訪れ、「君たちにピッタリの曲があるよ。未完成だけど。」と言ってこの曲を紹介しました。実は、ジョンとポールは、ストーンズのマネージャーのアンドリュー・オールダムに楽曲の提供を頼まれていたんです。その頃の彼らはまだオリジナル曲があまりなく、カヴァー曲が殆どでしたから。バンドのイメージにピッタリの曲だったのでストーンズは喜びました。
 
 
ジョンとポールは、未完成の部分を部屋の隅でサラサラっと書いて渡しました。ポールは、ビル・ワイマンのベースをそのままひっくり返して演奏し、ワイマンを驚かせました。だって、弦の順番がいつも自分が使っているのと逆ですもんね。ミック・ジャガーキース・リチャーズは、ジョンとポールのソングライターとしての凄さに衝撃を受け、彼らもそれからオリジナルを盛んに作るようになりました。結局この曲は、その後ストーンズのセカンド・ヒット・シングルになりました。流石にヴォーカルをやらせたら、リンゴは、ミックにはとてもかないませんね(笑)しかし、いくらコンポーザーでも、自分の所属するレコード会社の許可もなく、こんなに簡単に他のレコード会社所属のアーティストに自分の楽曲、しかもアルバムに収録する予定の曲を提供するなんて、今じゃあり得ないですよねf^_^;

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このオリジナルの楽曲の中でも珠玉の名曲は、「All My LovIng(オール・マイ・ラヴィング)」です。シングル・カットされなかったにもかかわらず、何度もラジオで放送され、ライヴでもよく演奏されるようになりました。後の伝説となったアメリカでの「エド・サリヴァン・ショー」でもこの曲を最初に演奏しています。現在でもポールは、ライヴで良く演奏していますね。ビートルズの213曲については、改めて別の機会に記事を投稿したいと思います。ただ、あくまで一ファンの感想ですから、あまり専門的な内容を期待しないでください(^^ゞ
 
 
ジョージ・ハリスンもこのアルバムで、ソングライターとしてデビューしました。「Don't Bother Me(ドゥント・バザー・ミー)」は、このアルバムに収められた彼の最初の作品です。彼が病気で国内ツアーを休んでいる間にベッドで書いたそうです。本人は、「大した曲じゃない。アルバムに収録したことも忘れたぐらいさ。」と言ってますが、ジョージ、そんなこと言わないでよ、この曲結構好きなんだからさ(^_^;)この曲は、失恋した主人公が、慰めてくれる友人に「僕のことは放っといてくれ」と語っているというような内容ですが、当時、ジョンとポールが全ての楽曲を作っていたのにジョージが何も作らないので、「なんで君は曲を作らないんだ?」と友人からしつこく言われるのにウンザリして、それに対する皮肉を込めてこの曲を作ったと言われています。
 
 
もっとも、ジョージが作った多くの作品は採用されずに終わりました。一方、ジョンとポールは、1963年までに数年間の作詞作曲を続けて、自分達のソングライターとしての能力に自信を持っていたことは良く知られています。残りの6曲は、カヴァー・ヴァージョンです。モータウン・ミュージックとリズム・アンド・ブルースをより強調することで、グループが成長したことを示しました。そのうち2曲は、ジョージがリード・ヴォーカルでした。「デヴィル・イン・ハー・ハート」と「ロール・オーヴァー・べートーヴェン」です。私個人は、「ロール・オーヴァー・べートーヴェン」が大好きですね。
 
 
デビューアルバムの成功と、多数のラジオやテレビで放送されるようになったため、「With The Beatles」をレコーディングする頃には、彼らは、スタジオに自信を持って来るようになりました。しかし、彼らは、まだ当時2トラックで収録しなければならないという技術的限界に束縛されていました。「I Want To Hold Your Hand」からやっと4トラックで収録できるようになったのです。このアルバムは、1963年7月から10月の間に収録されました。ファースト・アルバムの「Please Please Me」では、ギター、ベース、ドラムを前面に押し出していたのとは対照的に、このセカンド・アルバムでは、より効果的にパーカッションとキーボードを使用しています。
 

(参照文献)

THE BEATLES BIBLE

 (続く)