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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その52)ビートルズを育てた名プロデューサー、ジョージ・マーティンの偉大な功績について(その3)

ビートルズ ポップス 洋楽
 

ビートルズをスター・ダムに押し上げた名プロデューサー、ジョージ・マーティンの功績を、具体的な作品を通じてさらにご紹介します。

 

12 I Am the Walrus(1967)

この曲のためにチェロを特に有効に利用する譜面を書くことに加えて、マーティンは、ありとあらゆる物を作品に取り込みました。シェイクスピアリア王BBC放送(これはリンゴがラジオをチューニングして拾った音です)と、エンディングで「Mike Sammes Singers」というヴォーカルグループの「Oompah, oompah, stick it up your jumper」と繰り返えされるフレーズは、ビートルズの最も練り上げられた効果の一つといえます。

 

13 A Day in the Life(1967)

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ビートルズの最高傑作とも評されるこの作品ですが、これもジョンの独特の観察力から生まれた曲です。彼は、新聞の記事からヒントを得てこの作品を書きました。ジョンのパートは最初と最後、ポールのパートは中間部分でした。ポールはピアノ、ジョンはギターを演奏してレコーディングを開始しました。

 

ここで、3人は何かリフが必要だと感じたのです。ポールは、「Got Up, got out of bedって歌うよ」と言ってそのパートを作り、マーティンに対し、「これ、好きなように使ってよ。うまくはまるかな?」と言いました。ジョンとポールは、それが上手く使えるだろうと考えていましたが、それだけでは不足だと感じていました。そして、何か違うサウンドが必要だということは分かっていましたが、それが何かというところまでは突き止めていなかったのです。

 

彼らは、後で沢山のリズムを入れようと考えていました。それで、ーティンは、まず24小節を入れてそれからどうするか決めようと提案しました。すると、ジョンとポールは、何で24小節と判断できるのか、長すぎるのではないかと反論しました。そこで、彼らは、マルをピアノの脇に立たせ、彼が持っていた目覚まし時計でピアノを「1、2、3」とカウントさせました。彼がタイミングを計るのが上手かったからです。そうすると、彼は、22までカウントしました。そこで、マーティンは、この大きな空白をどう穴埋めするつもりなのか、彼らに尋ねたのです。

 

するとポールは、交響楽団で穴埋めしたいと言いました。これに対し、マーティンは、それはバカげてる、それだと98人も必要になるが、もっと少ない人数でできると主張しました。それでもポールが交響楽団の起用で何か変わったことをやりたいと拘ったので、マーティンは、それなら譜面を書くのは自分に任せてくれと答えると、それではマーティン自身の作品になってしまうからイヤだと拒否したのです。マーティンは、交響楽団ではポールが望むような結果は得られない、もっと現実的に考えた方が良いと説得しました。それでも、ポールは不満だったようです。

 

そこで、マーティンは、普通の交響楽団の半分の41人からなるオーケストラを用意しました。そして、ハーモニーの下の音階を構成するメロディーを作ったのです。そして、ジョンとポールに対し、メインの24小節を静かな演奏から始め、最後は騒々しい演奏で終わるという構成にしてみたらどうかと提案しました。

 

それで、彼は、それぞれの楽器を取り上げ、それが何であれ、24小節の最も低音から書き始め、例えば、チェロなら低音のCから演奏を開始し、最後の部分では最も高音のEに合わせたのです。そして、24小節を通して少しずつ音階を上げて行くという構成にしました。そして、セッションの時には、少しずつ音をスライドさせていって、息継ぎをする必要がある木管楽器の演奏者は、途中で好きなところで息継ぎをしてくれればいいと説明しました。それは、とても滑らかな演奏になりました。

 

マーティンがこのアイデアビートルズに告げると、彼らは、自分達も実際にやりたいと言い出しました。それで彼らは、全員ドレスアップして、友人のミック・ジャガーや歌手のマリアンヌ・フェイスフル、オランダ人のアップルの店員などを沢山連れて来ました。彼らは40人位で、全員オタクのような格好をして手に線香を持っていました。

 

そこで、ポールは彼らにこう言いました。「我々は、これから花に囲まれようをと思っているんだ。でも、君達に何かをして欲しいわけじゃない。君達は、そんなことをする類いの人じゃないからね。」そして、マーティンは、「どうもありがとう」と言い、またポールが「君達にはイヴニングドレスを着て欲しいんだ、それから、オーケストラの皆さんもね。」

 

マーティンは、オーケストラ全員にイヴニングドレスを着させると、その間にビートルズの友人達を配置しました。ポールは、カーニヴァルで被る変わった帽子を被り、偽物の鼻を着けて現れました。マーティンもシラノ・ド・ベルジュラックの鼻を着けました。彼がこんな仮装をしたなんて、生涯でこれ切りでしょうね(笑)偉大なヴァイオリン奏者のエリック・グルネバークは、ゴリラの手を弓を弾く腕に着けました。それらは、とても面白い演出でした。

 

さあ、いよいよ演奏の開始です。マーティンは、オーケストラのメンバーの多くの譜面をごちゃ混ぜにしました。彼らが演奏している間に、マーティン自身もハーモニウム(リードを用いたオルガン)で、その最後のクライマックスで響き続けるEメジャーコード(最後のジャ~ンというヤツです)を演奏したのです。

 
 
私が、初めてこの曲を聴いた時に、間奏で訳のわからないオーケストラが入り、「何だ、一体何が始まるんだ?」と驚いたことを思い出します。それが終わったと思うと、何故か目覚まし時計の音が鳴り、ポールの全く違う曲調のヴォーカルが始まります。それが終わるとまたオーケストラが入り、ジョンのヴォーカルへ戻ります。そして、再び大合奏が始まり、頂点に達したところで荘厳なエンディングを迎えます。この一連の流れは見事としかいいようがありません。この作品の完成により、初期のビートルズとは全く別のアーティストに変貌していました。

 
 14 Tomorrow Never Knows(1966)
この作品についてジョンが作ったばかりのこの曲を、ギターを弾きながら歌ってみせた時、コードが1つしかありませんでした(レコードでは、CとB♭)どんな簡単な曲でも最低基本の3つのコードは使いますから、コードが1つしかない曲なんて普通はありません。ポールは面白いと感じましたが、流石にマーティンは気に入らないのではないかと懸念しました。

 
 
しかし、マーティンの反応は違いました。彼は、ジョンのアイデアに動じること無く、「ふ〜む、分かるよ、ふ〜む」と言いながら関心を示したのです。マーティンは、いつも彼らが持ち込むアイデアを頭ごなしに否定することはなく、彼らがどこへ向かおうとしているのか、一生懸命に考えたのです。
 
 
この時も彼は、どうやったらこの曲をレコードにできるだろうかと考えていたのです。ただ、流石の彼もこの時点ではまだ漠然と彼らのやることなら間違い無いだろうと確信していただけで、具体的なイメージを描いていたわけではありませんでした。そして、出来上がった作品は、彼の想像を超えたものになったのです。
 
 
この曲といえば、「テープ・ループ(何度も繰り返し再生すること)」の活用が有名ですが、これはポールのアイデアなので(もちろん、マーティンも加わっていますが)、別稿に譲ります。
 
 
ジョンがマーティンに要求したのは、「ヴォーカルをダライラマが何マイルも先の山の上から説教しているみたいにしてくれ」というものでした(この表現は資料により微妙に異なりますが、ほぼこんな感じです)。傍でこれを聞いたマーティンの部下のジェフ・エメリックは耳を疑いました。また、出ましたね、ジョンの摩訶不思議な要求が(^_^;)
 
 
今ではもう「死語」になっていますが、この当時はサイケデリックという言葉が世界中で流行したんです。LSDなどのドラッグによってもたらされる幻覚症状を芸術化したものですね。絵で表現すると赤や青などの原色を使い、ぐるぐる回るような錯覚を起こさせるイメージです。この曲は、それを音楽で表現したものです。例えば、こんな感じです。 f:id:abbeyroad0310:20160325155503j:image
さて、どうやってジョンのムチャ振りに応えるか?流石のマーティンも困って、エメリックに相談しました。すると、彼が素晴らしいアイデアを提案したのです。それは、ジョンのヴォーカルをレズリー・スピーカーに通し、それをもう一度レコーディングするというものでした。レズリー・スピーカーというのは、コンソール・タイプのハモンド・オルガンに使われる回転スピーカーで、ダイヤルで回転スピードを変えられるんです。一旦スピーカーを通したヴォーカルをもう一度レコーディングすれば、断続的なビブラートが得られます。その結果は、ジョンがラジオを通して歌っているかのような効果を得られました。

 

15 The BeatlesWhite Album1968)

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マーティンは、この作品はあまり好きではありませんでした。その理由として、素材が多過ぎるということを挙げています。ビートルズは、インドにいる間に沢山の作品を書いていました。そしてそこで出来上がったものを全てこのアルバムに採用したいとマーティンに申し出たのです。

 

マーティンは、一応彼らの意見を取り入れ、全部を採用してベストな作品にしようと思いました。しかし、ビートルズは、どの一つも捨てることを嫌がりました。とはいうものの、彼らの出してきた作品は、バラバラで統一性が無く、とても「Pepper」のようなものにはなりそうにありませんでした。

 

それでも、マーティンは、そのバラバラの作品を1つずつ取り上げ、音響効果を入れたり、様々な編集を加えて1つのアルバムにまとめあげました。彼は、その時は良い作品ができたと満足していました。しかし、時間が経って改めて見直してみると、不満が残ったのです。もっと首尾一貫したものにしたかったと、彼は残念に思いました。そこで、マーティンは、これを後のアルバム「Abbey Road」までリリースするのを見送ろうと彼らに提案しました。しかし、ジョンがそれに対して強く反対しました。 

 

ただし、このアルバムでジョージ・ハリスンの才能が開花したことは評価しています。それまで彼はいくら作品を持ち込んでも、十分なクオリティがあるとはみなされず、いくら提案しても採用されることは殆ど無かったのです。そう、あの名曲「While My Guitar Gently Weeps」が採用されたのがこのアルバムです。ジョージは、やっと自分の作品が認められたことに自信を持ち、それがやがて「Something 」「Here Comes the Sun」という名曲を世に送り出すことに繋がります。

 

(参照文献)ABOUT THE BEATLES, Peter's Complete Waste of Time, frontpsych.com

(続く)