【4】 幻想的な楽曲部門(続)
2 ア・デイ・イン・ザ・ライフ(続)
(1)スコット・フレイマンの見解
前回に続き、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の♫Ah〜のパートについてのお話です。
スコット・フレイマンという幅広く音楽活動を続け、ビートルズについても詳しく研究しているプロミュージシャンは、ポールがジミ・ヘンドリックスの「ヘイ・ジョー」からヒントを得て、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のミドルエイトのスキャットの部分を作曲したという見解を発表しています。
ヘイ・ジョーのオリジナルを制作したのはビリー・ロバーツで、それをヘンドリックスがカヴァーしました。ただ、フレイマンは、ビートルズ(というかポール)がヘンドリックスの大ファンで、彼がカヴァーしたヘイ・ジョーを聴いて、そのコード進行を参考にした可能性があると主張しています。これがヘイ・ジョーです。
フレイマンの見解は次の通りです。
「ポールは、ロンドンのライヴハウス、バグ・オネイルズで、1967年1月11日に開催されたヘンドリックスのライヴでヘイ・ジョーを聴いていた。」
「ビートルズのア・デイ・イン・ザ・ライフは、1967年1月19日からレコーディングされたが、この時はまだポールのパートはレコーディングされておらず、それがレコーディングされたのは翌日の20日であった。」
「ヘンドリックスがヘイ・ジョーをリリースしたのは1966年12月23日であったが、チャートインしたのは翌年の1月4日、No.1を獲得したのは18日、つまり、ビートルズがア・デイ・イン・ザ・ライフをレコーディングした前日であった。」
「ポールは、キーがEであるブリッジパートを制作したが、それをキーがGであるジョンのパートへ繋ぐため、何らかの工夫を必要としていた。」
「ヘイ・ジョーの冒頭とア・デイ・イン・ザ・ライフのブリッジパートのラスト(♫Ah~)のコード進行が同じである。このコード進行は、それまでのポピュラー音楽には見られなかったものであり、偶然の一致とは思えない。ポールは、意識的にあるいは無意識にこのコード進行を取り入れた可能性がある。」
フレイマンが指摘するコード進行は、CGDAEという「サークル・オヴ・フィフス」をCから右回りに辿ったものです。フレイマンは、「4回に亘り4度下げていくコード進行」と表現していますが、実質的な内容は同じです。
サークル・オヴ・フィフスとは、次のように定義されています。「五度圏 12の長調のなかから任意の調を選びだし、それを出発点にして、そこから時計回りに完全五度の関係にある調を順番に配列していくと、12の長調からなる円を作ることができる。音の総数12と、完全五度に含まれる半音の数7は互いに素であるため、この方法により12の長調すべてを重複も欠損もなく完全に取り尽くすことができる−Wikipedia」
それを図解したものがこれです。
これは、ヘイ・ジョーのギター・コードを解説した動画です。
フレイマンによれば、彼と同じくビートルズ研究家として著名なウォルター・エヴェレットも、この件に関しては彼と同意見だとのことです。
(2)見解に対する考察
もちろん、皆さんも良くご存知の通り、コード進行自体に著作権はありませんから、仮にフレイマンの説が正しいとしても、ビートルズがビリー・ロバーツの著作権を侵害したことにはなりません。
ただ、どうなんでしょうか?私でもディープ・パープルの「ハッシュ」との類似性に気付いた位ですから、プロが気付かないハズはありません。それに留まらずヘイ・ジョーとのコード進行の一致に気付き、さらに経緯を辿ってこの見解を導き出した点は評価できます。しかし、もっともらしい見解ですが、憶測の域を出ないと思います。何しろ状況証拠しかありませんから。
確かに、ビートルズは、他の楽曲からインスパイアされたことも良くありましたが、そういう場合は、大体自ら経緯を公表していることが多いですね。例えば、ポールがリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」にインスパイアされて「アイム・ダウン」を作ったと語ったように。
ビートルズって、音楽に限らず世の中のありとあらゆること、例えば新聞の記事などにヒントを得て、それを作品に仕上げてしまう天才ですね。凡人なら見逃してしまうような些細なことでも、彼らにとっては絶好の原材料になったんです。
しかし、少なくともア・デイ・イン・ザ・ライフの♫Ah〜のパートについては、他のアーティストにインスパイアされたというようなことは公表していません。
(3)誰が歌っていても構わない
お話を元に戻して、このパートを歌っているのが誰なのかの判断は、このブログを読んで頂いている皆さんにお任せすることにします。ポールは、もちろん知っているはずですし、これまで嫌になる程聞かれていると思いますが、多分、これからも絶対言わないつもりなのでしょう。
ネタバラシしてしまうとそれで話が終わってしまいますが、それでは、ファンそれぞれがこの作品に対して抱いているイメージを壊してしまうかもしれないという配慮もあるのかもしれません。
ジョンだろうと自分だろうと、ファンが好きに解釈してくれればそれでいい。どっちにしたって、作品の素晴らしさに変わりはないんだから、と思っているのかもしれませんね。
ポールがツアーでこの作品を演奏しているシーンがありますので、参考にしてみて下さい。といっても、ジョンのパートも歌っているので参考にはなりませんけどね(^_^;)
やれやれ、♫Ah~だけでこんなにページを割いちゃった💦これだからビートルズって面白いんですよね。
3 ストロベリーフィールズ・フォー・エヴァー
これまたジョンの代表的な楽曲の一つです。彼独特の世界観というのでしょうか、まるで夢を見ているかのような、ウットリとした不思議な感覚に包まれます。
ビートルズの作品全体についていえることですが、翻訳したもので構わないので、是非、メロディーだけでなく歌詞も味わって下さい。そうするとより一層理解が深まります。
ストロベリーフィールズというのは戦争孤児院で、ジョンが幼い頃、良く遊んでいた想い出深い場所です。ただ、作品の中ではあくまでモチーフとして描かれています。今では閉鎖され、真っ赤な門扉だけが残されています。ファンにとっては、絶好の観光スポットになっています。
この曲は、1967年に発表されました。ビートルズが一切のライヴ活動を中止し、スタジオでのレコーディングに専念するようになってから、メンバーの個性の違いが際立ってくるようになりました。
特に、ジョンとポールの作風の違いがはっきりと現れてきたのもこの曲の辺りからです。というのも、ジョンがこの作品を作成したのと同時期に、ポールは、「ペニー・レイン」という作品を制作しました。
ジョンもポールも生まれ育ったリヴァプールを懐かしんで、子どもの頃の想い出をテーマにしたのに、全く違う作品になっています。ジョンが非常に幻想的な曲調と歌詞に仕上げたのに対し、ポールは、誰でも歌える親しみやすいメロディーラインと歌詞を選択しました。この辺りから二人の音楽性が違う方向へと向かい始めたのです。
これはある意味、ビートルズにとってファン層を拡大するというメリットをもたらした反面、メンバー間の緊張感をもたらすことにもつながりました。路線の違いがハッキリすることによって、意見の相違から対立する機会が増えて来るようになったのです。
また、ジョージ・ハリスンが次第にコンポーザーとしての実力を発揮し始めて、さらにビートルズのメンバー同士の関係は微妙なものになっていきました。
この作品の解説の続きはまた次回で。
(参照文献)CultureSonar, PopFlock, BEATLES MUSIC HISTORY!
(続く)
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