1 そう簡単にはいかなかった
『イエスタデイ』特別映像(Himesh Sings The Beatles)
ビートルズの名曲を独占できたとはいえ、世の中、そう簡単にはいきません。家族にピアノで「Let It Be」を披露しても、マジメに聴いてくれません。色んな場所で演奏しましたが、誰も注目してくれません。やはり、いくら名曲でも上手くPRができなければ、「宝の持ち腐れ」になってしまうということですね。
そういえば、本家のビートルズもアメリカで「She Loves You」をスワン・レコードというマイナー・レーヴェルからリリースしても全く売れませんでした。大手のキャピトルからリリースされた「I Want To Hold Your Hand」が大ヒットして、やっとアメリカでブレイクしたんですね。
しかし、そんな彼に救世主が現れました。彼の才能に気付いた地元の音楽プロデューサー、ギャビンが、彼の曲をCDにしたいと持ち掛けてきたんです。ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインとプロデューサーのジョージ・マーティンを合わせたみたいな存在ですね。ここからようやく事態が動き始めます。
2 「自作の」CDを制作
ギャビンは、自分のスタジオを貸してくれ、ジャックは、レコーディングを開始しました。しかし、そのスタジオのすぐ脇には鉄道の線路があり、レコーディング中に電車が通ると中断しなければなりませんでした。
エリーをコーラスに参加させ、二人で向き合って「I Want To Hold Your Hand」「She Loves You」「I Saw Her Standing There」の3曲を楽しくレコーディングしました。「I Want To Hold Your Hand」の時は二人で手拍子を入れました。でも、なぜか二人ともゴム手袋をはめてたんですね。素手だと何がまずかったのかな?これはメイキング映像です。
『イエスタデイ』"TRACKS ON TRACKS"特別映像
こうしてようやくCDができあがりましたが、もちろん、販売ルートなんてありません。ジャックは、スーパーの店員でしたが、店に無断で自分のCDを客にタダで配りました。やがて、ジャックは、小さなライブハウスで演奏し、ローカルのテレビ番組に出演しました。
3 エド・シーランの目にとまった
そんな時、ジャックのスマホに「エド・シーラン」と名乗る男から電話がかかって来ました。その頃、彼は、すでにスーパー・スターになっていました。何とエド本人が、エド・シーランとして登場します。
てっきり友人がからかっていると思ったジャックは、最初は相手にしませんでしたが、やがて本人だと気付いて慌てました。そして、自宅にエド本人が訪ねて来たのです。
エドは、ジャックに「君の曲は、ローカル番組で知ったよ。素晴らしい。ぜひ、僕のモスクワ・ツアーでオープニング・アクトをやって欲しい。」とオファーしました。憧れのエドからのオファーをジャックが断る理由はありません。二つ返事で快諾しました。
彼は、チャンスとばかりにモスクワの観客の前で「自分の曲」である「Back In the U.S.S.R.」を演奏すると、観客は熱狂し、主役のエドを食ってしまいます。そのパフォーマンスの動画が世界中に配信され、彼の存在が世界中に知られることになりました。エドは、「面白い。ロシアじゃなくて旧ソ連をテーマにするなんて、なかなかユニークな発想だ。」と賞賛しました。
そして、彼は、ジャックと作曲合戦をして、どちらが才能があるか勝負しようと挑発してきました。それぞれが10分間かけて即興で曲を作り、観客に披露してどちらに軍配が上がるか決めようというわけです。エドが先に自分の曲を披露しました。
ジャックは、「The Long and Winding Road」を披露しました。聴き終わったエドは完敗を認め、観客に向かってこう語りかけました。「私は、そのうち私を追い越すアーティストが現れるとずっと言われ続けてきた。ジャックは、私より優れている。私が人生で聴いた中で最高の曲だった。私は、もう寝ることにするよ。ジャックがモーツァルトで、私はサリエリだ。」
天才モーツァルトの才能を見出しながらも、激しい嫉妬にかられたサリエリに自分をなぞらえたんですね。エドは、打ちひしがれて会場を去っていきましたが、この演技もなかなかのものでしたよ。
Yesterday: Ed Sheeran And Jack Backstage contest scene HD
4 アメリカへ進出
(1)ついにスーパースターに
エドのマネージャーであるデブラ・ハンマー(ケイト・マッキノン)は、ジャックの演奏が終わるなり「ビッグになりたいんでしょ?だったら、ロサンゼルスに来なさい。あなたが曲を書いて、私たちが売り込む。大儲けできるわよ。」と持ちかけて来ました。
彼女の誘いに乗ってジャックは、LAにやってきます。彼が空港に到着すると、気づいたファンが「キャ~!」と歓声を上げながら走って近づいてきます。「ヤバい!」すぐに車に乗り込んで発車します。
ビートルズがビートルマニアに追いかけられたシーンをそっくりなぞってますね。ビートルズの時は、あんなもんじゃありませんでしたが。
デブラは、自宅にジャックを招くとこう問いかけました。「つい、ひと月前までは完全な負け組。それが世界最大のスターに。一体、何が?」そりゃ、ジャックにも分かりません💦
彼女はジャックに対し、「毒入りの聖杯」を飲むかどうかを決断しろと迫ってきました。つまり、この業界で大成功を収めたいと思うなら、自分と組めということです。彼は、彼女の提案を受け入れ、商業的に成功してたちまちスーパースターの座に昇り詰めます。
(2)再現には思わぬ苦労が
しかし、大好きなビートルズの曲でも、それを正確に再現するには苦労しました。何しろビートルズは存在しないんですから、譜面もレコードもありません。自分の記憶だけを頼りに必死に歌詞を再現しようとします。
曲のヒントを得ようと友人でローディーのロッキー(ジョエル・フライ)を連れて、リヴァプールのエリナ・リグビーの墓を訪れ、「「え~っと、エリナ・リグビーは、米粒を拾う」だったっけ?「マッケンジー親父が靴下を縫う」だったかな?」」などと、懸命に記憶をたどりました。彼の自宅の壁は、曲のタイトルを書いた付箋がいっぱい貼り付けられました。
(3)故郷に凱旋
自分の故郷のホテルが廃業したと聞くと、ホテルへの想いを表したいとその屋上でコンサートを開きました。これも実際にビートルズがビルの屋上でやった有名な「ルーフトップ・コンサート」をオマージュしたものです。
このシーンは、ノーフォークのゴーレストンの海岸沿いにあるピアホテルの屋上で、6,428人の地元の人たちがエキストラとして参加して撮影されました。ジャックは、「Help!」を演奏しましたが、パンクロック風にアレンジしてありました。
ボイル監督は、イギリス東部の都市、ゴーレストンについて次のように語っています。「(今はさびれているけど)エドワード国王時代には、ブライトンのように巨大な都市だった。このシーンは、ピアホテルで撮影した。そこは、背後に港があって船が往来して、この曲にピッタリの工業都市のような景観だった。結局、若者たち(ビートルズ)も偉大な工業港(リヴァプール)から来たんだ。」
イギリスにも「聖地巡礼」があるのかは分かりませんが、監督は、あえて地方の都市でロケをすることで街おこしを狙ったところもあったようです。実際、ロケは大いに盛り上がりました。
記者会見では「どうやってあんな素晴らしい曲を作ったのか?」と質問され、「誰かが作ったみたいだ。」と応えるジャック。そりゃ、その通りですけどね(^_^;)しかし、彼は、いつもビートルズの盗作だと誰からか指摘されるのではないかと恐れていました。
そして、実際に二人の年配の男女が、彼をずっと不審な目で追いかけていたのです。男性は、ジャックが発表した曲をネットで検索していましたが、まだ、この時点で観客には彼の行動の意味は分かりません。
こうしてスーパースターとなった彼でしたが、同時に不満も感じ始めていました。彼が新作のアルバムのタイトルやジャケット写真を提案すると、スタッフからことごとく陳腐だと却下されました。それらのタイトルやジャケット写真は、すべてビートルズが実際に使っていたものです。
また、エリーとの仲も溝が深まっていきました。「今やあなたはスーパースター。私とは住む世界が違うわ。」と彼女は告げ、彼とは別れてギャビンと結婚しようとします。
すいません。詳しく書きすぎて全部収まりませんでした💦もう一回だけ延長しますm(__)m
(参照文献)BBC NEWS
(続く)
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