★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「マジカル・ミステリー・ツアー・プロジェクト」の始動(321)

The Beatles' Magical Mystery Tour Could Have Been a Great Prog Rock Classic  | Den of Geek

1 ポールはアメリカへ

(1)ジェーン・アッシャーを訪ねた

Paul McCartney and Jane Asher : ClassicRock

1967年4月3日に「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (reprise)」をレコーディングした2日後、ポールとローディーのマル・エヴァンズは、フランク・シナトラのプライベート・ジェットと伝えられるジェット機アメリカに飛び立ちました。フランク・シナトラといえばアメリカの超大物の俳優、歌手ですが、すでにポールは、彼からプライベート・ジェットを借りられるような間柄になっていたんですね。

ポールは、恋人のジェーン・アッシャーの21歳の誕生日にサプライズを計画していました。彼らは、ポールがかつてジェファーソン・エアプレインとジャムセッションしたことがあるサンフランシスコに立ち寄った後、デンバーに飛びました。ジェーンは、シェイクスピアロミオとジュリエットの制作で、デンバーにあるオールドヴィック劇場に出演していたのです。彼女の職業は、女優ですからね。

(2)「マジカル・ミステリー・ツアー」の発想

f:id:abbeyroad0310:20210507222149p:plain

1964年、メリー・プランクスターズの一行

そこで、ポールは、ビデオカメラを持って各地を旅行し、実験的な映画を制作しました。デンバーシビック・センターパークでジェーンを撮影しているときに、彼は、あるアイデアを思いつき、自分でその発想に驚いたのです。

彼は、サンフランシスコに滞在している間、メリー・プランクスターズから聞いた話を基に、アマチュアカメラマンとして映画を撮影していました。メリー・プランクスターズとは、1960年代に作家のケン・キージーをリーダーとして活動したアメリカのヒッピー・グループで、「陽気ないたずら者たち」という意味です。1964年に全体をレインボー・カラーに塗装した大型バスに乗って全米をツアーしました。

(3)ブラックプールまでのミステリー・ツアー

f:id:abbeyroad0310:20210507213611p:plain

1967年当時のブラックプールのイルミネーション

他方、ポールは、ビールがどっさり運び込まれ、アコーデオン奏者が大勢乗り込んだ大型バスで、観光客をリヴァプールからブラックプールのイルミネーションまで見物に連れて行くミステリー・ツアーが存在することを子どもの頃から知っていました。

彼は、上記の二つを合体させてみてはどうかと考えました。ビートルズ自身がミステリー・ツアーを行って、それを撮影すれば映画にできるかもしれないと考えたのです。彼は、イギリスに戻るまでにビートルズの次のプロジェクトである「マジカル・ミステリー・ツアー」のアイデアをスケッチしていました。同時に、脚本を書き、映画を監督することを決めました。

もちろん、この映画で使用する新しい曲が必要になります。4月25日、「サージェント・ペパー~」は、6月のリリースに向けて準備している段階であり、ビートルズは、「マジカル・ミステリー・ツアー」の主題歌のレコーディングを開始し、ポールは、ピアノでグループをリードしました。いやはや、ニューアルバムがまだリリースもされていないのに、もう新しい映画の制作を決定し、その主題歌を制作してレコーディングにかかっていたとは恐れ入ります(^_^;)

 

(4)「ポール・マッカートニー=マグロ」説

PAUL DURING MAGICAL MYSTERY TOUR... | Paul mccartney, My love paul  mccartney, Paul and linda mccartney

せっかくツアーを止めてゆっくり休養する時間があり、その間に新しいアルバムをレコーディングして、それがまだリリースされていないのに、もう次のプロジェクトに手を付けていたんです。しかも、ビートルズにとっては専門でない映画の撮影、それも脚本も監督も自らやろうなんて、いくら何でも無茶ですよね💦

私は、「ポール・マッカートニーは、マグロみたいな人だ。」と思っています(笑)つまり、常に動き続けていないと死んじゃうんですね。ビートルズ時代からソロに至るまで、気分がふさぎこんでいたときを除くと、彼が何もアーティストとして活動していなかった時期はあまりありませんでした。この点、ソロになってから空白期間があったジョンとは違うところです。

他のメンバーにしてみれば、「ツアーを止めたんだから、それぞれが好きなことをすればいい」とのんびり構えていたと思うんです。しかし、ポールは、浮き沈みの激しい音楽業界でビートルズが活動を休止していたら、たちまちライヴァルに追い越されてしまい、ビートルズの人気が落ちてしまうだけでなく、解散に追い込まれてしまうという危機感を抱いていました。それが彼の活動に拍車をかけたのですが、結果的にそれに付き合わされた他のメンバーは、彼に振り回されたということになってしまいました。

 

2 「サージェント・ペパー~」をリリース、「All You Need Is Love」を世界同時衛星放送

f:id:abbeyroad0310:20210507104543p:plain

All You Need Is Loveの演奏に臨んだビートルズ

ビートルズが映画「マジカル・ミステリー・ツアー」の撮影を開始するまでには数か月かかることが予想されました。その間に、彼らは、「サージェント・ペパー~」をリリースしました。

ビートルズは、日本時間1967年6月25日から26日にかけて、世界初となる同時衛星放送で「All You Need Is Love」を演奏しました。その後、彼らは、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの下で瞑想について学び始めました。

3 「マジカル・ミステリー・ツアー・プロジェクト」の提案

(1)ポールの構想

f:id:abbeyroad0310:20210506214719p:plain

ポールの描いたマジカル・ミステリー・ツアーのイメージ図

マネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなって間もない9月1日に、ビートルズのメンバーは、セント・ジョンズ・ウッドのポールの自宅に集まり、今後の方針を決めました。そこで、ポールは、「マジカル・ミステリー・ツアー・プロジェクト」がどのようなものであるかをイメージ化し、映画に必要な8個のシーンに分割した絵を描いたメモをメンバーに見せたのです。彼は、そこに作品の説明に必要なキーワードを書き込んでいました。手書きなので読みづらいんですけどね(^_^;)

ビートルズの広報担当者であったトニー・バーロウは、こう語っています。「そこには、CM、ツアーの紹介、バスに乗り込む、ツアーガイドの紹介、人材募集、マラソン、実験室のシーン、ストリッパーとバンド、エンドソングなどといったキーワードが書き込んであった。」

「ポールは、本格的な劇場公開用の長編映画を作ることを目指しており、映画の上での『ツアー』を成功させれば、ビートルズのコンサートツアーがなくなってしまった穴を埋めるのに大いに役立つと考えていた。確かに、ポールがビートルズの劇場公開用長編映画を毎年1本ずつ成功させていたら、ツアー時代よりもはるかに多くの、彼らを観たくても観られなかった観客がビートルズを観ていただろうし、彼らの得た利益も莫大なものになっていたはずだ。」

「彼は、他のメンバーが自宅に到着すると、それぞれ分割されたパートを担当するように指示し、10分か15分程度にまとめたシーンで、音楽やコメディーの内容は自分たちで考えるように促した。彼は、自分のコンセプトは、海辺のバスツアー、ミステリーツアーという古いアイデアをベースにしているが、『今回は、4人のマジシャンが素晴らしい出来事を起こすので、ファンタジーのタッチが加わっている』と語った。」

「ポールは、翌週には撮影を開始しなければならないと言い、それまでに大きな黄色いバスを用意して装飾を施し、プロの俳優やバラエティー・アーティストのサポート・キャスト、必要なカメラマンや技術スタッフ、そして、バスがウェストカントリーのコーンウォールに向かうルートを決めなければならなかった。」*1

(2)コンサートの代替措置のつもりだった

www.youtube.com

ポールが唐突に映画を制作しようと言い出したのは、ビートルズが止めてしまったツアーの代わりに映画に主演することで、より多くのファンに彼らの姿を観せられると考えたからです。確かに、そのスタイルなら彼らが観客の前で演奏する必要はありませんし、観客も彼らがアーティストとして活動している姿を観ることができます。

決して単純な思いつきではなく、ポールなりに真剣に考えた結果でした。確かに、彼らは、音楽に関してはどんな突飛なアイデアでも、多くの人々が感嘆する作品に仕上げられる天才でした。しかし、音楽で成功したシュールな展開を映画に求めるのは困難だったのです。

ヒッピーを描いたアメリカ映画には、1969年公開の「イージー・ライダー」という名作があります。今では主題歌の「Born To Be Wild」がオートバイを運転するシーンのBGMに盛んに使われています。

この作品は、60年代にヒッピーとして放浪する若者たちの自由でありながら、大人の社会に受け入れられない切なく虚しい生き様を見事に描いていました。ビートルズもせめてもう少しじっくりと構想を練り、きちんとした脚本を仕上げてから制作にかかるべきだったでしょう。

 

 (参照文献)カルチャーソナー、ザ・ビートルズ・ミュージック・ヒストリー、ビートルズ・バイブル

(続く)

この記事が気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。

 

*1:「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴと私」トニー・バーロウ