1 なぜヒゲを伸ばしたのか?
ビートルズの解散とは関係ないかもしれませんが、私には長年疑問に思ってきたことがあります。それは、「ポールは、なぜ『Get Back/ Let It Be』セッションの頃にあんなにヒゲを伸ばしていたのか?」ということです。
1967年以降、ビートルズはアイドルを卒業してアーティストになり、それまで綺麗に剃っていたヒゲを伸ばし始めました。ツアーを止めて何もかも束縛されたアイドルから解放され、アーティストとなって自由が謳歌できるようになった喜びを象徴しているかのようです。しかし、ビートルズの活動中、ポールだけは、一時期を除いてきれいにヒゲを剃っていたのです。後にも先にもポールがあれほどヒゲを伸ばしたことはありませんでした。
別にヒゲが悪いというわけではないのですが、童顔の彼には似つかわしくない気がしてしょうがないんです💦似合わないのが分かっているのに、ムリして伸ばしていたのかなとも思ってしまいます。
2 伸ばし始めたきっかけ
(1)事故を起こした
メンバーの仲で一番似合わないとも思えるポールがヒゲを伸ばし始めたのは、自分が運転していた原付のバイクで事故を起こしたことがきっかけでした。1965年12月、ポールは、原付を運転中にコントロールを失って転倒し、道路に顔面から突っ込んでしまい、前歯が上唇に当たって裂け、歯の先端が欠けてしまったのです。
その原付には、ポールの友人でギネスビールの後継者であるタラ・ブラウンが同乗していました。ポールは、こう語っています。「我々は、原付に乗っていた。ブラウンは、私の後ろに座っていて、素晴らしい満月の夜だった。突然、路面が静止画のように私の目の前に迫ってきて、それに気がついたときは手遅れだった。私は、まだ月を見ていたのだが、次の瞬間に路面が見えた。気付くのに数分かかったみたいだ。『ああ、なんてこった!私は、これから顔で路面を叩くんだ!バン!』」
月に見とれてハンドルの操作を誤ったか、路上に何か障害物が落ちていたのかもしれません。事故に遭った被害者の話を聞くと、事故の瞬間がスローモーションのように見えたという話をよく聞きますね。ポールもそんな状況だったのかもしれません。
(2)傷跡を隠すため
医師である彼らの友人がやってきて、ポールの傷口を縫ってくれました。彼は、「アンソロジー」の中で、縫合は麻酔なしで行われ、さらに1回目の縫合の時に医師が針の穴から糸がすり抜けてしまったため、2回行わなければならなかったと説明しています。いくらなんでも、事故の現場で麻酔なしで縫合するなんて無茶ですよ💦さぞ痛かったでしょうね。
欠けた歯も傷跡も、事故直後に撮影された「Paperback Writer」や「Rain」曲のPVで見ることができます。しかし、この傷跡が気になったポールは、すぐに口ヒゲを生やして傷跡を隠すことにしました。多分、ジョンにからかわれたんじゃないでしょうか(笑)
ビートルズは、頻繁に外見を変えており、メンバーの一人が新しい流行に挑戦すると、他のメンバーもそれに倣うことが多かったのです。ハンブルク時代に最初にモップトップヘアにしたのは、当時ベーシストのスチュアート・サトクリフでした。そのスタイルがかっこいいと思った他のメンバーは、ピート・ベスト以外、全員が彼に倣ってヘアスタイルを変えたのです。
ポールによると、他のメンバーが口ヒゲを気に入ったため、同年代の男性が口ヒゲを生やすことは「革命的なアイデア」になったとのことです。そういえば「Penny Lane」のPVでは全員が口ヒゲを生やしていました。
(3)アルバム「Sgt. Pepper~」でも採用
ひょんなことからビートルズのヒゲの歴史が始まったわけですが、この新しいスタイルは、ビートルズが次に制作しようとしていたアルバム「Sgt. Pepper~」のコンセプトにたまたまピッタリでした。ポールがアルバムのコンセプトをデザインしたのですが、彼によるとペッパー軍曹は垂れた口ヒゲをしていたとのことです。
このアルバムには、口ヒゲを切り抜いた厚紙が同梱されていて、それを自分の顔に当ててペッパー風にすることができるようになっていました。また、厚紙製のバッジや軍曹のストライプも用意されていました。
事故で痛い目に遭ったポールでしたが、思わぬ副産物として歴史に名高いアルバムジャケットの一つを生み出すことに貢献したのです。
3 「Get Back/ Let It Be」セッションでのヒゲの意味
(1)自己防衛のため?
そんなポールでしたが、他のメンバーが解散までほぼずっとヒゲを生やしていたのとは対照的にヒゲは伸ばしませんでした。ところが、1969年1月、トゥイッケナム・スタジオでの「Get Back/ Let It Be」セッションには、別人かと見違えるほど立派な顎ヒゲをたくわえて現れました。
あれほど顎ヒゲが成長するには少なくとも40日はかかりますから、逆算すると1968年11月頃からヒゲを生やし始めたものと思われます。となると「White Album」のレコーディングが終わった頃ですね。
その頃の彼は、メンバーの中で孤立していました。ヒゲを伸ばしたかったというよりは、精神的に追い詰められていて、伸び放題になっていたのでしょうか?あるいは他の3人のプレッシャーに対抗するための自己防衛だったのでしょうか?
(2)「White Album」セッションで疲れ切っていたが
「White Album」は、メンバー全員が制作意欲満々で取り組みました。しかし、レコーディングを開始した途端、メンバー同士のエゴが剥き出しになってしまい、彼らは、神経をすり減らし続けて疲れ切っていました。となれば、もうあんな思いは二度としたくないし、アルバムは大成功を収めたんだからということで、セッションはしばらくお休みということになりそうです。
ところが、すぐまた新しいセッションを開始しました。それが「Get Back/ Let It Be」セッションです。これもポールの主導ですね。
彼は、常に新しいものを作り続けていないとビートルズは終わってしまうという強迫観念に駆られていたのか、それとも彼自身のアイディアが溢れて止めようがなかったのでしょうか。他のメンバーは乗り気ではなかったのですが、ポールに尻を叩かれる形で重い腰をあげました。
「White Album」のレコーディングもかなりビートルズのレコーディング・キャリアの中では厳しい状況でしたが、「Get Back/ Let It Be」セッションはさらに陰鬱なものとなってしまいました。「ゲット・バック」とはグループが原点に戻ろうとする試みで、当初は、テレビ放映の特番やライヴ用の曲をリハーサルして、レコーディングしていました。
グループ内のモチベーションは低いものでした。ポールはともかく、他のメンバーは、ライヴを行うという話にはあまり乗り気ではありませんでした。ホワイトアルバムの長時間のセッションで疲れていたことに加え、リハーサルからカメラが回っていたことで、さらに緊張が高まっていたのです。
4 「Abbey Road」では綺麗に剃り落とした
ところが、ポールは、「Abbe Road」セッションに入ると、一転して綺麗サッパリヒゲを剃り落としたのです。前の「Get Back/ Let It Be」セッションは、散々な結果に終わりましたが、ポールが思い立って、プロデューサーのジョージ・マーティンに、もう一度新しいアルバムを制作したいと声をかけました。
そうして制作されたアルバムが「Abbe Road」です。彼のこの行動がなければ、「ビートルズ史上最高傑作」と呼ばれるアルバムがこの世に誕生することはなかったでしょう。
彼は、気持ちを入れ替えて、それまで鋭く対立していたジョンとも協調路線を図ることで、完成度の高いアルバム制作を目指したのです。ヒゲをきれいに剃り落としたのも、その意気込みの表れとは取れないでしょうか?
ポールは、解散後、別荘に引きこもって酒浸りの日々でした。しかし、やがてまたヒゲを綺麗サッパリ剃り落としました。解散のショックからようやく立ち直り、ソロ・アーティストとして心機一転して、新しいスタートを切ろうとしたように思えます。それ以降は、二度とヒゲを伸ばさなくなりました。こうなるとポールのアーティストとしての立場とヒゲとは、やはり何らかの関係があったのではないかとどうしても思えてしまいます。
(続く)
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