- 1 ジョージとパティーも逮捕された
- 2 ローリングストーンズもターゲットになった
- 3 強引な捜査手法に幕が下ろされた
- 4 「I Am the Walrus」への採用は喜んだ
- 5 麻薬の撲滅には至らなかった
1 ジョージとパティーも逮捕された
(1)どこまで信用できるか?
ジョンとヨーコを逮捕した麻薬取締官ノーマン・ピルチャーは、ジョンと話したことによって考え方が変わったと主張していますが、額面通りには受け取れない面があります。というのも、その半年後に今度はジョージと妻のパティーを逮捕したからです。本当に考えが変わったのであれば、そんなことをしたとは思えません。
ピルチャーは、サリー州イーシャーにあるジョージの自宅を家宅捜索しました。彼らが捜索に入った日、ジョージは、ポールとリンダの結婚式に出席していました。パティーの出迎えを受けた彼らは、ジョージの靴の中に大麻の塊を発見しました。ジョージは、ピルチャーが麻薬を仕込んだと主張しましたが、彼は、「麻薬を仕込む必要はなかった。押収した量が半端じゃなかったからね。」と語っています。
(2)「グルーピー・ピルチャー」
ジョージと妻のパティーは、イーシャーの自宅で大麻を発見され、逮捕者のリストに加わりました。ピルチャーとそのチームは、ターゲットをイギリスのミュージシャンに限定したわけではありません。アメリカのバンド「フォー・トップス」のレヴィ・スタッブスは、メディアが大騒ぎしている間にメイフェア・ホテルで逮捕されました。
ピルチャーは、逮捕された容疑者と一緒に写真に写ることが多く、「グルーピー・ピルチャー」と呼ばれていました。いや、麻薬取締官が顔出ししちゃダメでしょ(^_^;)自己顕示欲が強かったのかもしれませんが、こういうところも彼の主張を額面通りには受け取れないところです。
2 ローリングストーンズもターゲットになった
(1)キース・リチャーズの逮捕
1967年2月、ローリング・ストーンのキース・リチャーズがサセックスの自宅でLSDを使用してトリップし、終わりかけたところに18人の警察官が踏み込みました。これは、後にピルチャーが関与した捜査だとされ、ミック・ジャガーも逮捕されました。
しかし、ピルチャーは、関与を否定しています。「私は、そこにいなかった。あれは、サセックス警察の仕事だったんだ。ドノバンという歌手も同じだ。彼は、いつも私が彼を逮捕したと言っているが、私は彼に会ったことはない。」
これは、おそらくピルチャーの主張が正しいでしょう。「グルーピー」とまで呼ばれた自己顕示欲の強い人物が、大物を逮捕したのに自分じゃないと主張するのは考えにくいです。次々と著名人を逮捕していた彼のことですから、無関係なのに彼のせいにされてしまった面はあったかもしれません。
(2)ブライアン・ジョーンズも逮捕
1967年5月、ミックとキースが起訴されたその日に、ピルチャーは、ブライアン・ジョーンズのケンジントンのアパートに踏み込んで彼を逮捕し、署内の逮捕者のリストに新たにローリングストーンズのメンバーを加えました。
3人のストーンズは、法廷で厳しい扱いを受けました。恋人であるモデルのスキ・ポティエに法廷の外で出迎えられたジョーンズは、大麻の所持と自分のアパートを大麻の喫煙に使用していたことを認めました。
彼は、9か月の懲役刑を受けましたが、控訴審では罰金と3年間の執行猶予に減刑されました。この有罪判決を受けてから、彼は、処方薬を急速に乱用するようになり、1969年7月に自宅のプールで遺体となって発見されました。
ピルチャーは、こう語っています。「ブライアンには申し訳ないことをしたと思っているし、連絡を取り合って彼がまともな道を歩めるよう支援してやれなかったことを後悔している。」「彼は、周囲の人間から堕落した人物であるかのように扱われていた。私は、彼が殺害されたと確信している。いつの日かそれを証明するつもりだ。」
誰かが彼を殺害しなければならない動機は見当たらないので、さすがに殺害されたとは思えません。やはり、薬物の過剰摂取による事故死でしょう。彼が立ち直れなかったのは、本当に残念でなりません💦
(3)ミックとキースは無罪
ミックは、アンフェタミンの所持で3か月の懲役刑の判決を受けましたが、控訴中に保釈されました。キースは、自宅で大麻を吸わせることを認めたため、刑務所で刑期1年の最初の夜を過ごした後、釈放されました。どちらの判決も後に破棄されました。
つまり、後の裁判で無罪となったということですが、有罪判決が無罪にひっくり返るということは、日本の刑事司法では比較的少ない事例です。よほど捜査手法に違法な点があったのか、証拠が不十分だったのでしょうか?
3 強引な捜査手法に幕が下ろされた
(1)警視庁の方針が変わった
この頃、警視庁長官のロバート・マークは、警視庁から不正を一掃する決意を固めていました。ピルチャーは、この動きと、自分が所属していなかったフリーメイソンのせいで、その後の不名誉を受ける羽目になったと主張しています。
ピルチャーが最終的に窮地に陥ったのは、大規模な麻薬密売の捜査の過程で、警察手帳の記述をねつ造したという嫌疑をかけられたことでした。しかし、彼の主張によれば、当時、それは警察の標準的な慣行であり、上司が奨励していたということです。しかし、その主張は認められず、1973年、オールド・ベイリーでの長期にわたる裁判の結果、偽証罪で有罪となり、4年の懲役刑が科せられました。
私は、その当時のイギリスの警察の内部事情を知る立場にはありませんが、ロンドン警視庁は、若者の間にまん延していた麻薬を撲滅するために、適正な手続きを無視した強引な捜査方法を使い、ピルチャーにその先鋒を務めさせたわけです。しかし、何事もやりすぎると反動が来ます。
(2)「刑事司法の井戸に毒を入れた」
次第に警察の強引な捜査方法が批判されるようになると、警察は手のひらを返してピルチャーに責任を押し付け、厄介者として切り捨てました。どこの組織でもよくやる組織内の不祥事を、末端のメンバーに責任を押し付けるという「トカゲの尻尾切り」ですね。
強硬派のメルフォード・スティーヴンソン判事は、判決の際にこう言い渡しました。「あなたは、刑事司法の井戸に毒を入れ、しかもそれを意図的に行った......あなたが行ったことの最も重大な側面は、機会があれば警察を攻撃しようと団結している詐欺師や変人、善良な人々にまでそれを支援する材料を提供してきたことだ。」
ピルチャーは、主にウェスト・サセックス州のフォード・オープン・プリズンに収監され、アランデル城でのクリケットや地元リーグでのサッカーなど、獄中生活を楽しんでいたようだ。その後、彼は自動車教習所や介護施設を運営する仕事に就き、2021年現在は、ケント州のトンブリッジに住んでいます。
4 「I Am the Walrus」への採用は喜んだ
(1)誤った情報を正したい
ピルチャーは、なぜ今「Bent Coppers」を出版したのでしょうか?彼は、電話インタヴューに応えて「記録を正して、警察内部の汚職について一般の人々に知らせるためだ。」と語りました。「当時は辛いと思ったことはなかったが、今は本当に辛い。」意外なことに当時より今の方が辛いというのです。
50年以上も前のことが未だに批判されるのでしょうか。彼は、自分について多くの誤った情報が流布されており、いつかそれを正したいと考えていたということです。
(2)すべて自分がやったわけではない
彼は、こう語っています。「ドノバンという人物を逮捕したこともないし、エリック・クラプトンをチェルシーで逮捕しようとしたこともない。また、麻薬取締局の常套手段であった証拠の仕込みや、多くの売人に情報を与えて麻薬を売らせ、彼らを使って購入者を逮捕したなどということもなかった。彼らが麻薬を使用していれば、我々は、彼らを逮捕できると感じていた。」
他の情報では、クラプトンは、麻薬の容疑でザ・フェザントリーで逮捕されそうになりましたが、ピルチャーがドアベルを鳴らして「郵便配達員です。速達です。」と声をかけた瞬間、建物の裏口から逃げ出して逮捕を免れたということになっています。これは、ピルチャーの主張の方が正しそうですね。クラプトンは一目散に逃げたわけですから、実際に誰が捜査に来たかは確認できなかったでしょう。
ピルチャーは、自分が行った麻薬捜査の適法性を主張していますが、麻薬取締官が麻薬を仕込むのは常套手段だったと認めちゃってますよね(^_^;)ってことは、違法捜査がまかり通っていたということです。
他の取締官がやっていてピルチャーだけがやっていなかったとは考えにくいでしょう。ただ、他の取締官のしたことが全部彼の仕業だとされている点はあるかもしれません。
(3)素直に喜んだ
このように違法捜査をした事実はないと主張する彼ですが、1967年8月にジョンが「I Am the Walrus」を発表し、その歌詞で「セモリナ・ピルチャード」を登場させたことから、自分を取り上げたのではないかと彼は意識しており、今ではそこに登場している人物として知られていることを喜んでいるとも語っています。あの名曲の中に自分の名前が永遠に残るのですから、嬉しいには違いないでしょう。
5 麻薬の撲滅には至らなかった
こうしてピルチャーが先鋒を務めたイギリスの麻薬捜査は一つの終焉を迎えました。著名人を数多く逮捕したものの、麻薬の撲滅には至りませんでした。
麻薬取締法についてピルチャーは、多くの元警察官たちと同様に「麻薬を合法化出すべきだ......禁酒法とその結果を見ればわかるだろう。」と麻薬の合法化を主張しています。しかし、大量に摂取しない限り害のないアルコールと違って、麻薬は、脳を破壊するなどの弊害があるのは明らかであり、それを同列に論ずるのはいささか乱暴な議論でしょう。
(参照文献)ザ・ガーディアン、ミラー
(続く)
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