1 突然の訃報
2021年8月24日、ローリングストーンズのドラマーであるチャーリー・ワッツが80歳で亡くなったとの訃報が世界中に報道されました。病気療養中のため、ストーンズが予定しているアメリカツアーには参加しないとは聞いていたのですが、手術が成功したとの報道もあり、まさか訃報に接するとは思いもよりませんでした( ノД`)
ビートルズのメンバー、特にリンゴとは同じドラマーということもあって親交が深く、お互いに尊敬し合っていた偉大なドラマーです。今回は予定を変更して、チャーリーについてお話しします。
2 抜群のユーモアセンス
いつのライヴだったか忘れましたが、ミックがバンドのメンバー一人一人を紹介した時に「ドラムス」と言って振り向くと、ドラムキットにスポットライトが当たっているのに、チャーリーの姿がないんです💦あれ、どうしたのかなと観客が思った瞬間、彼は、ドラムキットの後ろからひょっこりと立ち上がって姿を現しました。
シャイな彼は、メンバーが紹介されてそれに応える派手なパフォーマンスをするのが苦手で、観客から見えないようにしゃがんでいたんですね。このユーモア溢れるパフォーマンスに観客はバカ受けしました。
3 元々はジャズドラマーだった
上の動画は、1991年に彼が結成したジャズバンド「チャーリー・ワッツ・クインテット」での演奏です。意外なことにチャーリーは、元々はジャズドラマーであり、根っからのロックドラマーではなかったのです。彼が好きだったのはジャズであり、ロックンロールではありませんでした。
しかし、彼は、ストーンズのメンバーとなると、バンドのサウンドにジャズの感性とスウィングを取り入れ、大ヒット曲のバックビートを担当しました。彼は、ドラムにはスウィングがとても重要であると強調していました。
実は、これは彼に限ったことではなく、リンゴを初めとして1960年代のブリティッシュ・ポップスの爆発的流行の中で登場した他のドラマーたちも同様に、1940年代から50年代にかけてイギリスで大流行したスウィングやビッグバンド・サウンドの影響を受けていたのです。
チャーリーは、ロックンロールそのものにはほとんど興味がありませんでした。彼は、ロックにはほとんど影響されないと主張し、チャーリー・パーカー、バディ・リッチ、マックス・ローチなどのジャズドラマーのレジェンドたちを好み、長年にわたって彼らのドラムを聴いて、そのプレイスタイルに憧れていました。
彼は、「キース・リチャーズに出会うまでは、エルヴィスは好きではなかった。」と1994年にイギリスの音楽雑誌「Mojo」に語っています。「若い頃に好きだったロックンロール・プレイヤーは、ファッツ・ドミノだけだった。」とも語っています。
4 実績をひけらかさなかった
ストーンズがどれだけ長くバンド活動を続けていても、チャーリーにとってはそれが人生のミッションというよりも、ほんの一瞬の興奮に彩られた仕事だったのです。1989年に公開されたドキュメンタリー映画「25x5: The Continuing Adventures of the Rolling Stones」の中で、彼は当時、世界で最も偉大なロックンロール・バンドの一つであるストーンズの四半世紀にわたる活動について、インタヴュアーから彼がストーンズに在籍している25年間でバンドにどのような貢献をしたのかと質問するとこう応えました。「始めの5年は働いたよ。後の20年はいただけ。」
この自虐的なユーモアセンスあふれる応えをニコリともせずに返した彼に、インタヴュアーが思わず吹き出してしまいました。いや、これは失礼な態度でしたけど、私もこれを観て笑っちゃいました(^_^;)
こんな風に、彼は、ストーンズのサウンドに多大な貢献をしてきた自分の実績を決してひけらかすことなく、ストイックに淡々と自分の仕事をこなしてきたのです。
5 ドラミングスタイル
(1)レギュラーグリップを愛用
チャーリーは、ジャズドラマーがよく使う、左手の平を上にしてスティックを握るレギュラーグリップを愛用していたことで有名です。ロックドラマーは、殆どがマッチドグリップといって右手も左手も甲を上にして握ります。
スティックを上からしっかり握るマッチドグリップの方が、ドラムにダイレクトにパワーを伝えられるのでロックには向いています。チャーリーもそのスタイルにした時期もあったのですが、どうもしっくりこないという理由で元に戻しました。
しかし、レギュラーグリップの方がスティックを細かく動かせるので、繊細な表現には向いているといえます。チャーリーは、その特性を生かしてストーンズのサウンドに独特のテイストを加えていました。彼のドラムがロックにしてはおしゃれで粋な感じに聴こえるのは、このスタイルだったからかもしれません。
(2)スネアとハイハットを同時に叩かない
これは、珍しくチャーリーをメインに撮影した動画です。彼は、他のドラマーとは異なり、スネアドラムを叩くときに同時にハイハットを叩くことをあまりやりませんでした。この点、リンゴがハイハットを多用していたのとは対照的ですね。ドラマーは、普通、これらを同時に叩きます。
チャーリーのドラミングには二つの副次的効果があります。一つは、このシンプルな奏法でスネアドラムのサウンドがちょっと分離され、より際立って聴こえるようになることです。もう一つは、彼は、右手のスティックの先を持ち上げて左手の邪魔にならないようにしたため、左手でスネアをさらに強く叩けるスペースを確保できました。この二つの要素が相まって、彼のスネアドラムに独特のヒット感を与えていたのです。
(3)ビートを遅らせた
それから、もう一つ彼独特といえるドラミングスタイルは、必要最小限の動きでプレイし、時折ビートを少し遅らせて叩くことで、グループ全体のサウンドでははっきりと聴き取ることは難しいものの、サウンドを少し後ろに遅らせるような感じの独特のリズムを与えていました。
ストーンズで長い間ベーシストを務めたビル・ワイマンは、ヴィクター・ボクリスの著書「キース・リチャーズの伝記」の中で、「性格の問題だろう。」と述べています。「キースは、とても自信家で頑固なプレイヤーだ。ギターとチャーリーの素晴らしいドラミングの間に100分の1秒くらいの遅れができて、それでサウンドがまったく変わってしまうんだ。だから、他のバンドが我々をコピーするのは難しいんだよ。」
「100分の1秒くらいの遅れ」なんてコピーできませんよ💦一般的なロックバンドでは、ギタリストはドラマーのリードに従いますが、ストーンズではギタリストのキースが演奏をリードし、チャーリーを初めとする他のメンバーがそれに従うという関係になっていました。
ワイマンによれば、それは、多分にキースの自信家で頑固な性格から来ていたということです。彼が「オレについてこい。」という感じでバンドをけん引し、チャーリーが彼にほんの少しだけ遅れてついていったんですね。意図したものではなく、偶然の産物というわけです。
キースは、2010年に発表した回顧録「Life」の中で、「チャーリー・ワッツは、音楽的にはいつも私が寝ているベッドだ。」と語っています。つまり、チャーリーがキースのやりたいようにさせてくれるというわけです。キースがチャーリーに絶大な信頼を置いていたのもうなづけますね。
6 ミックを殴った!
物静かで控えめなイメージのあるチャーリーですが、硬派な一面もありました。1984年、ストーンズ、特にミックとキースは仲が悪くなっていましたが、話し合おうということになり二人で外出して酒を飲みながら話しました。酔っぱらったミックは、キースが制止したのも聞かずチャーリーの部屋に電話をかけ、「オレのドラマーはどこだ?」とふざけて話しかけたのです。
キースは、こう語っています。「20分後、ドアをノックする音がした。チャーリー・ワッツがいた。サヴィル・ロウのスーツを着て、ネクタイを締めて、髭を剃り、完璧に着飾っていた。コロンの匂いがしたよ。私がドアを開けると、彼は、私を見ようともせず、私の横を通り過ぎ、ミックを掴んで『二度とお前のドラマーと呼ぶな。』と言った。そして、彼が着ていたジャケットの襟を掴んで彼を引っ張り上げ、右フックを食らわせたんだ。」
スゴい武勇伝ですね((( ;゚Д゚)))ストーンズが解散しないで済んだのは、あるいはこのパンチのおかげだったのかもしれません。仲違いしていたミックもキースも震え上がって「もう仲良くしようぜ。」となったのでしょう(^_^;)
7 リンゴとの深い親交
リンゴは、訃報を聞いた時のことをこう語りました。「9万人が私に電話をかけてチャーリーが亡くなったと伝えた。残念だ。彼は、美しい人間だった。」
リンゴは、チャーリーがストーンズのメンバーになる5か月前の、1962年8月にビートルズのメンバーになりました。彼らは、最も有名で成功した二つのロックバンドを支えただけでなく、シンプルなプレイスタイルも共通していました。
リンゴは、こう語っています。「我々は、ドラマーとしてお互いに君の方が僕よりプレイが少なかったよと笑いながら言い合うのが好きだった。」良いですね~、こういう超一流のプレイヤー同士の会話は。きっと、プレイについてお互いに情報交換していたんでしょう。リンゴはドラムソロが嫌いでしたが、それはチャーリーも同じでした。
キースは、こう語っています。「誰もがミックとキースがローリング・ストーンズだと思っている。もし、チャーリーがドラムをやっていなかったら、それは全く事実ではないことが分かる。チャーリー・ワッツこそがストーンズであることに気づくだろう。」
チャーリー、あなたがいてこそのローリングストーンズでした。たくさんの素晴らしいサウンドを提供してくれてありがとう。私は、1998年、2006年、2014年のあなたの東京ドームでのライヴパフォーマンスを観られて幸せです。
(参照文献)ザ・ニューヨークタイムズ、ウォールストリートジャーナル、ボインゴ・ボインゴ、ユーエスエー・トゥデイ、ヴァルチャー
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